ねえ、5分だけ付き合ってーーNight Side

ねえ、5分だけ付き合ってーーNight Side

last updateHuling Na-update : 2026-11-04
By:  AmyIn-update ngayon lang
Language: Japanese
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今日も一日、お疲れさま。バー、ホテル、夜の街――朝より少し甘く、少し大人な5分間。触れそうで触れない距離、忘れかけたときめき、ほんの少しの微エロ。最後は作者のお姉さんと一緒に、現実を置いて眠りにつく夜のショート恋愛集。

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Kabanata 1

1話

夜11時のココア

温泉旅館の夜11時。

私は、完全に目が冴えていた。

せっかく1人で温泉に来たのに。

露天風呂には2回入った。

夕食では、普段なら頼まない地酒まで飲んだ。

ふかふかの布団も敷いてある。

あとは気持ちよく眠るだけ。

――なのに、眠れない。

「こういうところだけ、期待を裏切らないんだよね……」

天井に向かって呟いた。

旅行先では、だいたい眠れない。

枕が違う。

時計の音が気になる。

廊下を誰かが歩くだけで目を開ける。

そのくせ帰りの電車では爆睡する。

我ながら面倒くさい。

もう一度温泉に行こうかと思ったけれど、3回目はさすがに茹で上がりそうだった。

私は浴衣の上に羽織を着て、部屋を出た。

1階に小さなラウンジがあったはずだ。

水でも飲もう。

廊下は静かだった。

古い旅館だから、歩くたび床が小さく鳴る。

窓の向こうは真っ暗な山。

ちょっと怖い。

私は自然と早足になった。

ラウンジまで来ると、明かりがついていた。

そして、

「……あ」

男の人がいた。

チェックインのとき、フロントで見かけた人だ。

たぶん従業員。

30代くらい。

昼間はきちんとジャケットを着ていたのに、今は白いシャツの袖を肘までまくっている。

ネクタイもない。

シャツの一番上のボタンも外れている。

昼間よりずっと無防備に見えた。

その人が、ものすごく真剣な顔でコーヒーマシンを見つめていた。

私に気づくと、少し気まずそうに笑う。

「眠れません?」

いきなり当てられた。

「なんで分かったんですか」

「夜11時に浴衣でラウンジへ来る人は、だいたい眠れない人です」

「温泉マニアかもしれません」

「それなら大浴場へ行きます」

正論だった。

「……眠れません」

「ですよね」

彼はまたコーヒーマシンへ目を戻した。

「そちらは?」

「戦ってます」

「何と?」

「これと」

マシンの横には、ココアの粉と牛乳。

「ココア?」

「飲みたくなったんですけど、牛乳の温め方が分からなくて」

私は思わず彼を見る。

「旅館の人ですよね?」

「夜番なんですけど、今日が3日目で」

「新人さん」

「34歳の新人です」

ちょっと笑ってしまった。

「笑いましたね」

「ごめんなさい」

「いいです。自分でも若干面白いので」

彼も笑った。

「飲みます?」

「何を?」

「成功するか分からないココア」

怪しい。

でも、飲みたい。

「成功したら」

「厳しいなあ」

彼が説明書を広げた。

「これ、読めます?」

「貸してください」

横から覗き込む。

その瞬間、彼も同じように顔を寄せた。

近い。

思わず息を止めた。

湯上がりなのか、石けんに混じって少しだけ甘い香りがした。

さっきまで離れて見ていたときには気づかなかった。

首元も、腕も、思ったより男っぽい。

――何を見てるんだ、私は。

慌てて説明書に視線を落とす。

「……スチームじゃないですか?」

「どこです?」

「ここ」

指を差したところへ、彼の手が重なった。

ほんの一瞬。

「あ」

「あ、すみません」

彼はすぐ手を離した。

なのに私は、その場所だけ妙に意識してしまう。

温泉に入りすぎたせい。

地酒のせい。

そういうことにしておこう。

「押しますよ」

「どうぞ」

ボタンを押した瞬間、

ブシュッ。

白い蒸気が勢いよく噴き出した。

「わっ」

驚いて後ろへ下がろうとした私の腰に、彼の手が触れた。

転ばないよう支えただけ。

分かっている。

分かっているけれど。

「危ない」

耳のすぐ近くで声がした。

背中に彼の胸がかすかに触れている。

腰に添えられた手は大きくて、思ったより熱かった。

1秒。

たぶん、それくらい。

彼はすぐ離れた。

「すみません」

「……いえ」

こっちを見ないでほしい。

たぶん今、顔が赤い。

「暑いですか?」

「え?」

「顔、赤いから」

よりによって見るんだ。

「温泉に2回入ったので」

「2回?」

「はい」

「それは入りすぎですね」

「そうですよね」

うん。

全部、温泉のせいだ。

それでいこう。

やがてラウンジに甘い匂いが広がった。

「できた」

彼が少し嬉しそうに言う。

大人2人でココア1杯に喜んでいるのが、なんだかおかしかった。

彼はカップを2つ用意して、温めた牛乳を分ける。

「はい。夜更かし仲間に」

渡されたカップを受け取る。

また指先が触れた。

今度は、お互いすぐには離さなかった。

ほんの一瞬長かった気がした。

気のせいかもしれない。

たぶん、気のせい。

そのくらいがちょうどいい。

窓際のソファに並んで座った。

外は真っ暗。

遠くで川の音だけがしている。

一口飲む。

「あ、おいしい」

「ほんとですか?」

彼も飲んで、眉を寄せた。

「甘すぎた」

「私はこれくらい好きです」

「じゃあ成功ですね」

少し沈黙した。

でも、不思議と気まずくない。

旅館の夜は静かで、暖房の音までゆっくり聞こえる。

「1人旅ですか?」

「はい」

「いいですね」

普通なら、

寂しくないですか、と聞かれそうなところだった。

でも彼は、それ以上何も言わなかった。

「1人旅、好きなんですか?」

「好きです。誰にも合わせなくていいから」

「分かります」

「本当に?」

「僕も1人でご飯食べるの好きなので」

規模が違う。

思わず笑うと、彼も笑った。

「夜の旅館って、いいですよ」

彼は窓の外を見た。

「みんな寝てるから、何も起きないんです」

「何も起きないのが好きなんですか?」

「はい」

即答だった。

「何も起きない夜って、贅沢じゃないですか」

私はカップを両手で包んだ。

確かに。

誰からも呼ばれない。

何かを決めなくていい。

誰かに合わせなくていい。

ただ温泉に入って、浴衣を着て、知らない人と甘いココアを飲んでいる。

「……いいですね」

「でしょう?」

彼がこちらを向いた。

目が合う。

近い距離で見ると、思っていたよりまつ毛が長い。

私が先に視線を逸らした。

なんとなく、悔しい。

カップが空になったころ、私は立ち上がった。

「そろそろ戻ります」

「眠れそうですか?」

「たぶん」

「眠れなかったら、また来ます?」

一瞬、返事に困った。

彼はすぐに笑う。

「ココアくらいなら作れるようになったので」

「じゃあ考えておきます」

「お待ちしてます」

部屋へ戻る廊下で、さっき腰に触れた手を思い出した。

ほんの一瞬だったのに。

こういうのは困る。

34歳の新人さん。

ココアの作り方も知らないくせに。

変なところだけ、妙に慣れて見えた。

部屋に戻り、布団へ潜る。

さっきまで気になっていた枕も、時計の音も、もうどうでもよかった。

眠れなかったら、また1階へ行けばいい。

そう思った。

でも。

できれば今夜は、もう行かないほうがいい気もした。

次に会ったら、

ココアだけでは済まず、もう少し眠れなくなりそうだから。

そんなことを考えているうちに、

私はいつの間にか眠っていた。

何も起きない夜もいい。

でも、

ほんの少しくらいなら。

何か起きても悪くない。

****

はいはい、今「もう1回ラウンジ行けばいいのに」って思ったでしょ。私も思いました。

でも今夜はここまで。続きは勝手に妄想しながら、いい子で寝ようね。おやすみ。

Palawakin
Susunod na Kabanata
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Pinakabagong kabanata

Higit pang Kabanata

Rebyu

面白い発想大好き
面白い発想大好き
こういう場面も見たいって言ったら、作者さん見てくれるかな?
2026-09-24 21:53:17
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38 Kabanata
1話
夜11時のココア温泉旅館の夜11時。私は、完全に目が冴えていた。せっかく1人で温泉に来たのに。露天風呂には2回入った。夕食では、普段なら頼まない地酒まで飲んだ。ふかふかの布団も敷いてある。あとは気持ちよく眠るだけ。――なのに、眠れない。「こういうところだけ、期待を裏切らないんだよね……」天井に向かって呟いた。旅行先では、だいたい眠れない。枕が違う。時計の音が気になる。廊下を誰かが歩くだけで目を開ける。そのくせ帰りの電車では爆睡する。我ながら面倒くさい。もう一度温泉に行こうかと思ったけれど、3回目はさすがに茹で上がりそうだった。私は浴衣の上に羽織を着て、部屋を出た。1階に小さなラウンジがあったはずだ。水でも飲もう。廊下は静かだった。古い旅館だから、歩くたび床が小さく鳴る。窓の向こうは真っ暗な山。ちょっと怖い。私は自然と早足になった。ラウンジまで来ると、明かりがついていた。そして、「……あ」男の人がいた。チェックインのとき、フロントで見かけた人だ。たぶん従業員。30代くらい。昼間はきちんとジャケットを着ていたのに、今は白いシャツの袖を肘までまくっている。ネクタイもない。シャツの一番上のボタンも外れている。昼間よりずっと無防備に見えた。その人が、ものすごく真剣な顔でコーヒーマシンを見つめていた。私に気づくと、少し気まずそうに笑う。「眠れません?」いきなり当てられた。「なんで分かったんですか」「夜11時に浴衣でラウンジへ来る人は、だいたい眠れない人です」「温泉マニアかもしれません」「それなら大浴場へ行きます」正論だった。「……眠れません」「ですよね」彼はまたコーヒーマシンへ目を戻した。「そちらは?」「戦ってます」「何と?」「これと」マシンの横には、ココアの粉と牛乳。「ココア?」「飲みたくなったんですけど、牛乳の温め方が分からなくて」私は思わず彼を見る。「旅館の人ですよね?」「夜番なんですけど、今日が3日目で」「新人さん」「34歳の新人です」ちょっと笑ってしまった。「笑いましたね」「ごめんなさい」「いいです。自分でも若干面白いので」彼も笑った。「飲みます?」「何を?」「成功するか分からないココア」怪しい。でも、飲みたい。「成功したら」
last updateHuling Na-update : 2026-09-13
Magbasa pa
2話
そのネックレス、外れそうですホテルのバーで、1人でケーキを食べる。32歳になって初めてやってみたけれど、かなりいい。午後10時半。窓の向こうには、雨に濡れた街の灯りが広がっている。私はカウンターの端で、チョコレートケーキをひと口食べた。濃い。甘い。最高。誰にも一口あげなくていい。これだけでも、1人でホテルに泊まった価値がある。今夜は、自分のためだけに取った部屋だった。大きなベッド。夜景。バスタブ。そして、ちょっと高いケーキ。完璧。――だったのだけれど。「それ、かなりおいしいですか?」隣から声がした。見ると、ひとつ席を空けたところに男性が座っていた。30代半ばくらい。黒いシャツ。ジャケットは椅子の背に掛けてある。グラスにはウイスキーらしき琥珀色。「……なんで分かるんですか」「さっきから、食べるたびに目を閉じてるので」恥ずかしい。全然気づいていなかった。「そんなに?」「3回確認しました」「見すぎじゃないですか?」「すみません」彼は笑った。謝る気は、あまりなさそうだった。私はフォークを置く。「そんなに気になるなら頼めばいいじゃないですか」「甘いもの、そんなに得意じゃなくて」「じゃあ見ないでください」「でも、おいしそうに食べる人を見るのは好きです」さらっと言われた。これは、あれだ。ちょっと調子のいい人だ。私は知っている。こういう男性の言葉を真面目に受け取ってはいけない。「普段からそういうこと言ってるんですか?」「何を?」「女性をちょっと喜ばせるようなこと」彼は少し考えた。「今日は初めてです」「今日は?」「普段はもっと感じ悪いです」思わず笑ってしまった。「そこ、普通は否定するところですよ」「嘘つくよりいいかなと思って」そのあと、なぜか少しだけ話した。彼もこのホテルに1人で泊まっているらしい。理由は聞かなかった。私の理由も聞かれなかった。それがよかった。名前も仕事も知らない。好きなケーキと、お酒の好みだけ。こういう会話は楽だ。明日の自分に何も持ち越さなくていい。「もう1個食べようかな」私がケーキのメニューを開くと、「それは止めたほうがいいです」「どうして」「さっき、これで最後って言ってました」「聞いてたんですか」「3回目のひと口のあとに」
last updateHuling Na-update : 2026-09-13
Magbasa pa
自分の部屋番号
少しだけ、ここにいてホテルの大浴場を出たところで、私は自分の部屋番号を忘れた。正確には、忘れたわけじゃない。たしか12階。そこまでは分かる。でも、1206だったか。1208だったか。1210だったか。そこから先が、完全に消えていた。「……嘘でしょ」浴衣姿のまま、エレベーター前で立ち尽くす。スマホは部屋。カードキーも部屋。財布も部屋。手元にあるのは、小さなタオルだけ。完璧に詰んでいる。大浴場へ戻ってフロントに電話するしかない。そう思ったとき、「あれ」後ろから声がした。振り返る。大浴場で少し前に見かけた男性だった。もちろん男湯で、ではない。入口の自動販売機の前で。私が牛乳を買おうとして、100円玉を落としたときに拾ってくれた人。30代半ばくらい。黒髪。浴衣の上に濃紺の羽織。片手には瓶の炭酸水。「さっきの」彼も覚えていたらしい。「100円の人」「その呼び方やめてもらえます?」「じゃあ牛乳の人」「もっと嫌です」彼が笑う。「どうしました?」「部屋番号が分からなくなりました」「酔ってます?」「飲んでません」「じゃあ結構深刻ですね」「自分でもそう思ってます」事情を話すと、彼は少し考えた。「フロント行きます?」「そうします」「僕も下に行くので、一緒に行きますよ」ありがたい。1人で浴衣姿のまま事情を説明するより、なぜか少し心強い。エレベーターが来る。2人で乗る。彼が1階のボタンを押した。扉が閉まった。その瞬間。ガクン。エレベーターが止まった。「え?」照明が1度だけ消えて、非常灯に切り替わる。薄暗い。嫌な予感しかしない。「ちょっと待って」彼が操作盤を見る。ボタンを押す。反応なし。「……止まってますね」「見れば分かります」「ですよね」冷静な返事がちょっと腹立つ。非常電話を押すと、すぐにスタッフの声がした。どうやら館内で一時的な電気トラブルが起きたらしい。復旧まで少しかかる。危険はない。その説明を聞いて、私は壁にもたれた。「最悪」「閉所苦手ですか?」「ちょっと」本当は、かなり。狭い場所そのものより、出られない、という状況が苦手だった。深呼吸する。大丈夫。すぐ動く。分かっている。でも、体はあまり言うことを聞いてくれない。「
last updateHuling Na-update : 2026-09-22
Magbasa pa
その花、1本ください
その花、1本ください午後9時45分。駅前の花屋が、まだ開いていた。こんな時間までやっていたんだ。私は1度通り過ぎて、3歩戻った。店先には、閉店準備を始めた花たち。白いガーベラ。淡いピンクの薔薇。小さな青い花。別に、誰かに贈る予定はない。誕生日でもない。記念日でもない。でも、今日は花を1本くらい買って帰ってもいい気がした。理由はない。そういう夜だった。「まだ大丈夫ですか?」店の奥へ声をかける。「大丈夫です」男性が顔を出した。30代前半くらい。ベージュのエプロン。白いシャツの袖をまくっている。髪は少し長めで、前髪が目にかかっていた。花屋のお兄さん。なるほど。なんとなく納得する見た目だ。「1本だけでもいいですか?」「もちろん」彼は店先まで出てきた。「贈り物ですか?」「自分用です」そう答えると、彼が少し笑った。「いいですね」その言い方が自然だった。「1本だけ買う人って珍しいですか?」「全然。ただ」「ただ?」「自分用です、って迷わず言う人は結構好きです」私は彼を見る。「それ、営業トーク?」「違います」「早い」「僕、営業あんまり上手じゃないので」確かに。上手な人なら、もう少し遠回しに言いそうだ。「どれがいいと思います?」私が並んだ花を見る。「完全にお任せ?」「1本だけ選んでください」「難しいな」彼は真剣に花を見る。そこまで悩
last updateHuling Na-update : 2026-09-23
Magbasa pa
手首、熱いですね
映画が終わったのは、午後11時20分だった。平日のレイトショー。観客は10人もいなかった。私は最後まで席に座ったまま、エンドロールを眺めていた。泣くような映画ではなかったのに、なぜか立ち上がるのが惜しかった。暗い場所って、いい。誰にも顔を見られない。ポップコーンを1人で全部食べてもいいし、途中で靴を脱ぎたくなっても誰にも怒られない。まあ、脱がないけど。照明が明るくなり始めたところで、私はようやくバッグを持った。そのとき。「これ、落としましたよ」後ろから声がした。振り返る。男性が、小さな銀色のものを指先につまんでいた。私のブレスレットだった。「あ」左手を見る。ない。いつの間に。「ありがとうございます」受け取ろうとすると、「留め具、開いてますね」彼がブレスレットを見ながら言った。30代半ばくらい。黒いパーカーに、眼鏡。映画館で見かけても絶対に覚えていないタイプ。でも近くで見ると、意外と目が優しかった。「壊れてます?」「たぶん大丈夫。外れただけだと思います」彼は留め具を触ってみる。「直せそうですか?」「こういうの苦手なんですけど」「じゃあ返してください」「今ちょっと意地になってきました」「なんで」「できないと思われると悔しいので」面倒な人だ。ちょっと笑った。映画館のスタッフが、遠くからこちらを見ている。早く出ろ、という空気を感じる。「外でやりません?」「追い出されそうですもんね」2人でロビーへ出た。*外は雨だった。来たときには降っていなかったのに。しかも、かなり強い。私は入口のガラス越しに雨を見た。「傘……」ない。天気予報を見なかった自分を呪う。隣で彼が折りたたみ傘を開いた。「駅までですか?」「はい」「じゃあ入ります?」一瞬迷った。駅までは徒歩7分。走れば3分。でも、この雨を3分走る勇気はない。「……お願いします」「どうぞ」傘は、大人2人には少し小さかった。自然と距離が近くなる。彼は私が濡れないように傘をこちらへ傾けている。そのせいで、自分の右肩が少し濡れていた。「そっち濡れてますよ」「大丈夫です」「大丈夫じゃないでしょ」私が傘の柄を中央へ押す。彼の手に、私の手が重なった。「あ」2人とも止まった。先に離したのは私だった。「す
last updateHuling Na-update : 2026-09-24
Magbasa pa
毛布、半分どうぞ
午後10時15分。私は夜のフェリーに乗っていた。旅行というほど大げさなものではない。翌朝には着く短い船旅。ただ、船で眠ってみたかった。それだけだ。船内にはレストランも、大浴場も、小さな売店もある。でも夕食を済ませた私は、さっさとお風呂に入り、部屋着に着替えてしまった。あとは寝るだけ。――のはずだった。「揺れてる……」ベッドに横になると、途端に船の揺れが気になった。大きくはない。ゆっくり。右へ。左へ。右へ。左へ。眠れそうで、眠れない。私は15分で諦めた。パーカーを羽織り、船内を歩く。展望ラウンジには、まだ何人か人がいた。窓の外は真っ暗。海なのか空なのかも分からない。遠くに、小さな灯りがいくつか浮かんでいる。私は自動販売機でココアを買った。紙カップを両手で持ち、窓際のソファへ向かう。そこで気づいた。先客がいる。男性が1人。30代半ばくらい。グレーのスウェットに黒いパンツ。足元は、ホテルでもらうような薄いスリッパ。かなり気が抜けている。彼は窓の外を見ながら、カップラーメンを食べていた。夜の海。静かなラウンジ。そして、カップラーメン。雰囲気が全部台無しだった。思わず見ていたら、彼と目が合った。「食べます?」「いりません」即答した。「すごく見てたから」「海を見てたんです」「僕、海側にいました?」「かなり邪魔してます」彼は笑った。「すみません」そう言って、カップラーメンを持ったまま少し横へずれる。律儀だ。私は2席離れた場所に座った。ココアを1口。甘い。温かい。ちょっと落ち着く。「眠れないんですか?」彼が聞いた。「どうして分かるんですか」「この時間に部屋着でココア飲んでる人、だいたいそうかなと」「そっちは?」「僕もです」「船酔い?」「いえ」彼はカップラーメンを持ち上げた。「お腹すいて」健康だ。「夜中にそれ食べたら、もっと眠れなくなりません?」「大丈夫です。僕、食べたらすぐ寝られるタイプなので」「うらやましい」「どこでも寝られます」「それも腹立つ」「なんで」また笑った。くだらない会話なのに、ちょうどよかった。知らない人だから、何も考えなくていい。*しばらくすると、彼が立ち上がった。「外、行きません?」「甲板?」「今、月が出
last updateHuling Na-update : 2026-09-25
Magbasa pa
眠いなら、寝ろ
午後9時58分。新幹線のグリーン車は、思っていたより静かだった。私は窓側の席に座り、コートを膝に置いた。あと2時間。家に着くころには、日付が変わっている。今日はもう何もしたくない。スマホも見たくない。誰とも話したくない。買ったばかりのペットボトルの水を1口飲んで、座席を少し倒した。そのとき。「すみません」低い声がした。顔を上げる。隣の席に、男性が立っていた。40代前半くらい。濃紺のスーツ。ネクタイは外して、シャツの1番上のボタンも開けている。片手には薄い革のバッグ。髪には少しだけ白いものが混じっていた。いかにも仕事ができそうな人。というか、たぶん実際にできる。そういう空気だった。「隣、いいですか」「もちろん」私がバッグを寄せると、彼は短く会釈して座った。それだけ。会話は終わった。よかった。今夜は静かに帰れそう。彼はノートパソコンも出さなかった。スマホを1度確認しただけで、すぐポケットにしまう。そのまま窓の外を見る。意外だった。こういう人は、新幹線でもずっとメールを返していそうなのに。しばらくして、車内販売のワゴンが来た。私は迷った末、缶のハイボールを買った。隣の彼も同じものを頼んだ。思わず見る。彼もこちらを見る。「同じですね」私が言うと、「真似したわけじゃない」「そこまで言ってません」彼の口元が少しだけ上がった。「じゃあ、乾杯します?」「何に」「今日が終わったことに」彼は一瞬だけ考えて、缶を
last updateHuling Na-update : 2026-09-26
Magbasa pa
そこ、狙う場所が違います
午後9時20分。私はビリヤード台の前で、完全に困っていた。友達に誘われて来たはずなのに、その友達は急な電話で外へ出てしまった。「すぐ戻るから、練習してて」そう言い残して。簡単に言うけど。キューの持ち方から分からない。私はとりあえず見よう見まねで構えた。白い球。赤い球。狙う。打つ。カツン。白い球は右へそれ、何にも当たらず、ゆっくり止まった。「……ひどい」思わず呟いた。「そこ、狙う場所が違います」横から低い声がした。見ると、30代後半くらいの男性が立っていた。黒いシャツ。袖は肘までまくっている。手にはキュー。いかにも上手そう。「見てました?」「ちょっと」「今の全部?」「ほぼ全部」最悪。私はキューを立てる。「じゃあ笑えばいいじゃないですか」「笑ってません」「顔が笑ってる」「少しだけ」正直。彼は私の台を見る。「初心者ですか?」「見れば分かるでしょ」「かなり」ちょっと腹が立つ。でも、助けてほしい。「じゃあ、どこ狙えばいい?」彼は台の横へ回った。「まず白い球の真ん中じゃなくて、少し下」「下?」「キューも高すぎ」「これ?」「もう少し下げて」言われた通りにする。でも、自分では分からない。「ちょっと失礼」彼が私の右側へ立つ。近い。手を伸ばせば触れる距離。「右手はそのまま。左手をもう少し前へ」彼の指が、台
last updateHuling Na-update : 2026-09-27
Magbasa pa
指についたの、取ります?
午後9時45分。帰り道。いつもはもう閉まっている小さなショコラトリーに、まだ明かりがついていた。ガラス越しに、黒く艶のあるチョコレートが並んでいる。今日は月曜日。朝から長かった。こういう日は、甘いものに判断を任せてもいい気がする。私は店に入った。「いらっしゃいませ」カウンターの奥にいたのは、30代前半くらいの男性。白いシャツ。黒いエプロン。袖は手首まできれいに折られている。「まだ大丈夫ですか?」「10時までなので」「よかった」ショーケースを見る。小さい。きれい。高い。1粒400円前後。普段なら迷う。今日は迷いたくない。「おすすめあります?」「甘いのと苦いの、どっちですか?」「甘すぎない甘いの」「一番難しい注文ですね」「プロでしょ」彼が少し笑う。「じゃあ、これ」指したのは、薄い茶色の丸いチョコ。「ヘーゼルナッツです」「おいしそう」「試食ありますよ」小さく切ったものを、紙の上に置いて出してくれる。「手でどうぞ」私は指でつまむ。一口。「おいしい」ナッツの香り。少し苦い。最後に甘い。「これ好き」「顔に出てます」「そんなに?」「かなり」恥ずかしい。もう1種類。今度は濃い赤の飾りがついたもの。「これは?」「ラズベリー」「酸っぱい?」「少し」試す。今度は先に酸味。そのあとチョコ。「これも好き」
last updateHuling Na-update : 2026-09-28
Magbasa pa
今日は半額でいい夜
午後10時15分。スーパーの惣菜コーナーで、私は半額シールを見つめていた。唐揚げ。焼き魚。春巻き。サラダ。どれも半額。夜10時を過ぎたスーパーは、少しだけ世界が違う。昼間なら悩むものも、「半額」と書いてあるだけで急に魅力的になる。私は唐揚げを手に取った。その瞬間。隣から別の手も伸びた。「あ」「あ」50代くらいの女性。ベージュのコート。髪は肩くらい。私と同じ唐揚げを狙っていた。最後の1パック。2人で止まる。「どうぞ」私が言う。「いいの?」「私、魚でもいいので」「じゃあ半分ずつ……は無理ね」パックだし。2人で笑う。女性が唐揚げを手に取る。そのあと少し迷って、「やっぱりあなた食べる?」「いや、大丈夫です」「若い人は唐揚げでしょ」「そういう決め方?」「私は胃がもう魚」強い。結局、唐揚げを譲ってもらった。「ありがとうございます」「その代わり、魚おすすめして」なぜか一緒に選ぶことになる。鮭。さば。ほっけ。「どれがいいと思う?」「私ならさば」「脂多くない?」「半額だからゼロカロリー」「それは違う」女性が笑う。「じゃあ鮭」「それで」かごに入れる。そのまま少し並んで歩く。「こんな時間に夕飯?」女性が聞く。「はい」「私も」「お疲れさまです」
last updateHuling Na-update : 2026-09-29
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