離婚後に妊娠発覚、元夫の溺愛同居

離婚後に妊娠発覚、元夫の溺愛同居

By:  九条舞Updated just now
Language: Japanese
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桑原琴葉(くわばら ことは)と結城碧斗(ゆうき あおと)が結婚して2年。あの日、琴葉は偶然にも、彼の妹が彼にこう問い詰めているのを立ち聞きしてしまった。「もしお義姉さんと雪乃が同時に目の前に立って、選べって言われたら、どっちを奥さんにするの?」 碧斗は答えた。「雪乃だ」 その答えを聞いた琴葉は、冷静に離婚を切り出した。だが、離婚手続きに必要な1ヶ月の、まさに最終日――予期せぬ妊娠が発覚し、あろうことか碧斗にその現場を押さえられてしまう。 彼女はその場で子供をおろすと宣言したが、医師からは「身体的な理由により、中絶はできません」と告げられてしまった。 碧斗は彼女に2つの選択肢を突きつけた。 1つ目は離婚の取り消し。 2つ目は最後の離婚手続きを完了させ、親権も彼女に渡すが、妊娠期間中は彼と同居すること。 琴葉は後者を選んだ。 こうして、彼女と元夫との離婚後の同居生活が幕を開けた…… 同居後、琴葉はあることに気がついた。年中無休の仕事人間だった彼が、まるで別人のようになり、毎日きっちりと定時に帰宅するようになった。用もないのに彼女にまとわりつき、「お腹の子供のため」という口実で、何かと甲斐甲斐しく尽くしてくる。 やがて、無事に子供が産まれた。 赤ちゃんを腕に抱く琴葉を、碧斗は優しくその腕の中に抱きしめた。彼は彼女の額に愛情深く口づけを落とし、優しく囁いた。「子供はお前のものだ。そしてお前は、俺のものだ」

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Chapter 1

第1話

「碧斗、私たち離婚しましょう。財産分与はあなたが決めていいわ。離婚後は、もうお互いに一切の関わりを……」

ベッドの端に座る桑原琴葉(くわばら ことは)は、頭の中で必死に言葉をまとめていたが、バスルームのドアがガチャッと音を立てると、体を強張らせ、無意識に立ち上がってそちらへ視線を向けた。

数秒後、ドアが開けられた。

長身で端正な顔立ちの男が、腰にバスタオルを1枚巻いただけの姿で出てくる。

寝室の仄暗い明かりの中、琴葉は彼の半乾きの毛先から水滴が滴り落ちるのを見た。その水滴は、美しいフェイスラインを伝い、くっきりと割れた腹筋へと滑り落ちていく。

結城碧斗(ゆうき あおと)がこちらへ歩み寄ってきた瞬間、琴葉はハッと我に返った。彼女は深く息を吸い込み、たった今頭の中で何十回もリハーサルした言葉を、理路整然と伝えようとする。

「碧斗、私たち……」

彼女が口を開きかけた途端、目の前に来た男が力強く彼女を胸に抱き寄せた。彼は手で琴葉の後頭部を押さえると同時に、顔を伏せてその唇を塞ぐ。

「んっ……」

琴葉の残りの言葉は、碧斗の熱烈なキスに塞がれてしまう。彼女は彼の露わな胸板に両手を当てて押し返そうとしたが、彼に腰を掴まれ、深く口づけられたままベッドへと押し倒されていった。

碧斗は普段から冷淡で落ち着きがあり、感情を表に出さない男だが、体を重ねる時だけは別人のような狂熱と放縦さを見せるのだ。

今もまさにそうだった。彼女の全身をベッドに組み敷き、熱烈に唇を貪りながら、片手で手慣れたように彼女のナイトガウンの帯を解いていく。

「碧斗、やめて……」

琴葉は身をよじって彼のキスから逃れ、息を切らしながら言った。「あなたに話があるの」

碧斗の動きがピタリと止まった。荒く熱い息遣いが彼女の吐息と絡み合い、彼女を見つめる漆黒の瞳には情欲がたっぷりと満ちている。

「終わってからだ」

碧斗の掠れた声が途切れると同時に、再び彼女の唇が奪われた。

彼女が嗚咽交じりに訴えようとした言葉は、すべて丸ごと飲み込まれてしまった。

琴葉は激しいキスに呼吸を乱され、次第に酸欠で頭がくらくらとし始める。

どうにか彼を押し退けて言葉を発しようと、引き締まった胸板に両手を当てたが、碧斗はその隙を突いて彼女の両手を掴み、体の両側に押さえつけた。

こういう時、碧斗はいつだって言葉少なで、ただひたすらに彼女の体を求めてくるのだ。

艶やかな灯りの下、もつれ合い乱れる二人の体に、濃密で甘やかな熱気が絡みついていく。

……

夜半過ぎになって、ようやく情事が終わった。

夜更けまで激しく求められた琴葉は、完全に疲れ果てていた。普段ならこの時間、彼女は碧斗の広く温かな胸元に身を預け、安らかな眠りに落ちているところだった。

だが、今夜はそうはいかない。

彼女は彼と離婚について話し合わなければならないのだ。

頭の中で整理していた言葉は彼にめちゃくちゃにされてしまったが、それでも言わなければならない。

「碧斗」

碧斗の胸筋に当てた手で彼を押し退けようとしたが、激しい情事の直後で全身がぐったりとしていた。その微弱な押し返す力は、むしろ軽くくすぐって誘惑しているようにしか感じられない。

柔らかな薄明かりの中、琴葉が視線を上げると、目尻にはほんのりと赤みが差していた。瞳は潤んで魅惑的であり、軽く息を弾ませながら紡いだ言葉は、無自覚なほどに艶めかしく色気を帯びていた。

「私……したいの……」

「――あなたと離婚」という肝心の言葉を琴葉が言い切る前に、男は勢いよく身を翻し、彼女の上に覆い被さった。

「今夜はずいぶんと積極的だな」

碧斗は顔を寄せ、耳たぶを甘噛みしながらじれったく擦り寄る。低く掠れた色気のある声には、気分を良くしたようなからかいが滲んでいた。

頭がまだ朦朧としていた琴葉は、呆然とした。

彼が何を言っているのか理解する間もなく、碧斗のキスが耳たぶから頬へと移っていく。

「……したいのか?満足させてやるよ」

碧斗の手がその細く柔らかな腰を掴み、乱暴なほどぐっと引き寄せる。言葉の終わりと同時に、彼女の唇を塞いだ。

琴葉は目を丸くして見開いた。

満足させてやるって、どういうこと!?

彼の頭の中は一体どうなっているの!?

誰が「そういうこと」をしたいって言ったのよ!?

「わ、私……違う……」

途切れ途切れの弁解が唇から零れ落ちたものの、それも碧斗の熱情にたちまち呑み込まれてしまう。男の放つ容赦のない支配的な熱気が彼女の全身を覆い尽くした。

あっという間に、琴葉は新たな情事の渦へと引きずり込まれていく。

夜が明けるまで、果てることなく。

……

翌日、琴葉が目を覚ました時にはすでに昼を回っていた。

身体中の気だるさを覚えながらベッドから上体を起こしたものの、案の定、部屋の中に碧斗の姿はなかった。

帝都トップの企業である結城グループの社長として、碧斗は筋金入りの仕事人間だ。

琴葉が彼と結婚して2年。夜の営みを除けば、普段顔を合わせる時間はごく僅かだった。

早朝に出勤して深夜に帰宅し、数日おきに出張へ行くのが彼の日常だ。

琴葉が手を伸ばしてナイトテーブルのスマートフォンを取り、時間を確認しようとした時、碧斗からのメッセージが目に留まった。

【今日から汐見市へ出張に行く。3日後に戻る】

昨夜の彼があれほど性急に求めてきて、話をする隙すら与えないほど激しく組み敷いてきたのも頷ける。

生理で1週間ほど夜の相手を断っていたせいかと思っていたが、今日から出張に行くからだったのか。

碧斗は出張の前夜になると、決まって夜の営みが特別に激しく、そして執拗になる。数日分の欲求を一度に彼女の身体へぶつけて発散するかのように。

琴葉は深く考えることなく、そのまま彼へ折り返し電話をかけた。

電話はすぐに繋がり、いつもの冷ややかで響きの良い声が耳に届いた。「起きたか」

琴葉はスマートフォンを握る指先に、わずかに力を込めた。「ええ」

少しの沈黙の後、彼女は深呼吸をした。「碧斗、今話せる?あなたに話があるの」

碧斗は短く答えた。「なんだ」

「私……」

琴葉が口を開きかけた瞬間、電話の向こうから不意に女の声が聞こえてきた。

「碧斗、私、先に水着に着替えてくるわね。後でプールで会いましょう」

その甘えたような声を耳にした途端、琴葉の頭の中が真っ白になり、全身が一瞬にして凍りついた。

周防雪乃(すおう ゆきの)の声だ。

つまり、彼は雪乃と一緒に汐見市へ行ったということ?

水着に着替えて、プールで会う!?

出張だと言っていなかった!?

電話越しの数秒の沈黙の後、碧斗の声が聞こえた。

「まだ仕事がある。話があるなら戻ってからだ。切るぞ」

碧斗は一方的に通話を切った。

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第1話
「碧斗、私たち離婚しましょう。財産分与はあなたが決めていいわ。離婚後は、もうお互いに一切の関わりを……」ベッドの端に座る桑原琴葉(くわばら ことは)は、頭の中で必死に言葉をまとめていたが、バスルームのドアがガチャッと音を立てると、体を強張らせ、無意識に立ち上がってそちらへ視線を向けた。数秒後、ドアが開けられた。長身で端正な顔立ちの男が、腰にバスタオルを1枚巻いただけの姿で出てくる。寝室の仄暗い明かりの中、琴葉は彼の半乾きの毛先から水滴が滴り落ちるのを見た。その水滴は、美しいフェイスラインを伝い、くっきりと割れた腹筋へと滑り落ちていく。結城碧斗(ゆうき あおと)がこちらへ歩み寄ってきた瞬間、琴葉はハッと我に返った。彼女は深く息を吸い込み、たった今頭の中で何十回もリハーサルした言葉を、理路整然と伝えようとする。「碧斗、私たち……」彼女が口を開きかけた途端、目の前に来た男が力強く彼女を胸に抱き寄せた。彼は手で琴葉の後頭部を押さえると同時に、顔を伏せてその唇を塞ぐ。「んっ……」琴葉の残りの言葉は、碧斗の熱烈なキスに塞がれてしまう。彼女は彼の露わな胸板に両手を当てて押し返そうとしたが、彼に腰を掴まれ、深く口づけられたままベッドへと押し倒されていった。碧斗は普段から冷淡で落ち着きがあり、感情を表に出さない男だが、体を重ねる時だけは別人のような狂熱と放縦さを見せるのだ。今もまさにそうだった。彼女の全身をベッドに組み敷き、熱烈に唇を貪りながら、片手で手慣れたように彼女のナイトガウンの帯を解いていく。「碧斗、やめて……」琴葉は身をよじって彼のキスから逃れ、息を切らしながら言った。「あなたに話があるの」碧斗の動きがピタリと止まった。荒く熱い息遣いが彼女の吐息と絡み合い、彼女を見つめる漆黒の瞳には情欲がたっぷりと満ちている。「終わってからだ」碧斗の掠れた声が途切れると同時に、再び彼女の唇が奪われた。彼女が嗚咽交じりに訴えようとした言葉は、すべて丸ごと飲み込まれてしまった。琴葉は激しいキスに呼吸を乱され、次第に酸欠で頭がくらくらとし始める。どうにか彼を押し退けて言葉を発しようと、引き締まった胸板に両手を当てたが、碧斗はその隙を突いて彼女の両手を掴み、体の両側に押さえつけた。こういう時、碧斗はいつだって言葉少なで
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第2話
通話が一方的に切られた後も、琴葉はスマートフォンを耳に当てたまま、じっと動けずにいた。しばらくしてようやくゆっくりと腕を下ろしたが、その思考は1週間前へと引き戻されていた。あの日、彼女と碧斗は結城家の本家へ戻り、昼食をとった。琴葉は体調が優れず、食後はすぐに部屋へ上がって横になった。目を覚まして1階へ降りると、リビングで碧斗と彼の妹の結城陽葵(ゆうき ひまり)、そして母親の結城理恵(ゆうき りえ)が話しているのを偶然立ち聞きしてしまった。「お兄さん、一つだけ答えてよ」陽葵が碧斗に問い詰める。「もしお義姉さんと雪乃が同時に目の前に立って、選べって言われたら、どっちを奥さんにするの?嘘はなし。正直に答えて」碧斗は淡々と答えた。「雪乃だ」その答えを聞いた瞬間、ワインセラーの陰に立っていた琴葉は、全身の血が凍りつくのを感じた。胸の奥がすうっと冷え切り、底知れぬ絶望に沈んでいくようだった。「嘘でしょ、お兄さん……」陽葵がさらに言葉を続けようとした時、タイミング悪く碧斗のスマートフォンが鳴った。続いて、彼が電話に応答する声が聞こえてくる。「どうした?ああ、すぐ戻る」電話を切ると、碧斗は陽葵へ向き直った。「会社で急用だ。俺は先に行くから、後で琴葉に伝えておいてくれ」碧斗が立ち上がって外へ向かい、数歩歩いたところで足を止め、振り返って陽葵に念を押した。「さっきの話、間違っても琴葉の耳に入れるなよ」陽葵は鼻を鳴らす。「もう、最低」暗がりに立っていた琴葉は、革靴の足音が遠ざかっていくのを聞き、ぎこちなく踵を返してその場を離れようとした。だが、耳元に再び陽葵の深いため息が届いた。「お兄さんが雪乃を選ぶなら、お義姉さんはどうなるの?ただの笑い者じゃない」その最後の一言は、鋭い針のように容赦なく琴葉の胸に突き刺さった。「はあ!お義姉さんが可哀想すぎるよ」「可哀想ですって?」理恵が口を挟む。「そもそも碧斗に嫁ぐのは雪乃のはずだったのよ。琴葉は運良くおこぼれに預かったようなものじゃない。結城家に嫁げただけで身に余る幸運なのに、不満に思う筋合いなんてないわ。お義母さんが彼女を孫嫁にと指定なさらなければ、桑原家みたいな三流の家柄で、うちとご縁を持てるわけがないでしょう」「お母さんも雪乃の味方なの?」理恵は言った。
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第3話
琴葉のその態度に、直美は怒りで勢いよく立ち上がった。「なんて口の利き方を……」「いい加減にしろ!」竜也が低い声で直美を遮った。「琴葉がせっかく帰ってきたんだ、少しは口を慎め」叱責された直美の顔色はあからさまに険しくなった。それを見た紗菜が、すかさず立ち上がって場を取り繕う。「おじさんの言う通りですよ。琴葉さんもせっかく帰ってきてくれたんですから、まずはご飯にしましょう?」竜也は立ち上がって琴葉の方へ歩み寄り、声のトーンを和らげた。「琴葉、食事にしよう」2人がダイニングテーブルの方へ向かうのを見計らい、紗菜はさっと直美に寄り添い、声を潜めてなだめた。「おばさん、おじさんはあの人に頼み事があるから少し機嫌を取っているだけですよ。あんな女と張り合うことないじゃないですか」そう言われて、直美の怒りもようやく少し収まったようだった。その後、2人も席に着く。テーブルには、使用人によって豪華な料理の数々が並べられた。「琴葉、お腹が空いただろう?さあ、たくさん食べなさい」竜也は愛想よく、琴葉の取り皿に肉を取り分けた。紗菜はわざとらしい愛想笑いを浮かべて言った。「琴葉さん、このご馳走はおじさんがあなたのために特別に用意させたんだよ。いっぱい食べてね」琴葉はテーブルの上を一瞥した。確かに豪華ではあるが、残念ながら彼女の好物はひとつもなく、中には絶対に口にしない食材を使った料理まで2品ほど混ざっている。取り分けられたその肉もそうだ。まったく彼女の口には合わない。もとより気分の沈んでいる琴葉には、ここで彼らと仲睦まじい親子の茶番を演じる気など毛頭なかった。箸をつけることもなく、琴葉はまっすぐ竜也を見て単刀直入に切り出した。「話があるから帰ってこいと言ったんでしょ。用件は何?」その冷ややかな眼差しに、竜也の顔には一瞬ばつが悪そうな色が浮かんだが、すぐにまた穏やかな表情を取り繕った。「琴葉、碧斗くんは……ここ数日、本当に出張に行っているのかい?」琴葉はわずかに眉をひそめた。「出張かどうかは、本人に聞けばわかることじゃない」「電話はしたんだ。だが、ここ数日は帝都にいないと言われてね。わざわざ会社まで足を運んでみたが、秘書にも出張だと言われてしまった」「つまり私を呼びつけたのは、碧斗の居所を探るため?」図星
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第4話
琴葉がオークションの会場に到着した頃には、すでに夜の8時を回っていた。受付へ向かって歩きながら、彼女はうつむいてバッグの中をごそごそと探し、招待状を取り出した。招待状を手に握りしめて顔を上げると、前方のエントランスに敷かれたレッドカーペットの前に1台の黒い高級車が滑り込むところだった。その脇には、重役らしき身なりの男たちが恭しく整列している。車が停まるや否や、先頭に立っていた男がすぐさま歩み寄り、自ら後部座席のドアを開けた。彼らはおそらく、このオークションを主催する運営元の上層部なのだろう。そのものものしい出迎えの陣容からして、車に乗っているのが相当な大物であることは一目瞭然だった。琴葉が足を止めて見ていると、開かれたドアから、塵一つなく磨き上げられた黒い革靴がスマートに地面に降り立った。続いて、気品に満ちた端正な顔立ちの男が車から姿を現し、手を伸ばして重役と握手を交わした。その一挙手一投足には、上に立つ者特有の、決して物怖じしない余裕と威圧感が漂っている。だが、その落ち着き払った秀麗な顔に視線が向いた瞬間、琴葉は雷に打たれたようにその場に立ち尽くした。碧斗?汐見市へ出張に行っているはずではなかったのか?なぜ、帝都にいる?彼女が思考を巡らせる暇もなく、車の反対側のドアが開き、中から艶やかな赤いベアトップドレスを身に纏った、華やかに着飾る女が降りてきた。その姿を認めた瞬間、琴葉の瞳が見開かれ、街灯の下でその顔からさっと血の気が引いた。雪乃が笑みを浮かべ、車を迂回して碧斗の隣へ寄り添うのを見つめながら、琴葉は招待状を握る手にギリッと力を込めた。指の関節が白く浮き出るほどに。……つまり、彼は雪乃の付き添いでこのオークションに来たというわけ?呆然と立ち尽くしている間に、碧斗と雪乃は重役たちに丁重に囲まれながら、すでに会場の中へ案内されていった。じめじめとした蒸し暑い夏の夜風が吹き抜けていく中、琴葉は石のように硬直したまま、一歩も動けなかった。街灯の明かりが、彼女の孤独な影を長く引き伸ばしていた。やがて、彼女は手にしていた招待状を傍らのゴミ箱に投げ捨てると、きびすを返し、大股でその場から立ち去った。……家へ戻った琴葉は、寝室のソファに腰を下ろし、ただぼんやりと宙を見つめていた。どれほどの時間が
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第5話
「分かっているわ」琴葉はそう言って、ひとつ訂正を加えた。「私たちは、愛情の土台すらない政略結婚だもの」碧斗は重い溜息をついた。「お前が離婚するとして、実家が同意するのか?」「私は自分の意志を持った大人よ」琴葉は一字一句をはっきりと口にした。「私の結婚は、私自身が決めるわ」碧斗は唇を引き結んだまま無言になり、普段とは打って変わった態度の妻を、探るような目で見つめた。「安心して、結城家の財産を当てにするつもりなんてないから」琴葉はさらに続けた。「財産分与についてはあなたの言う通りにするわ。異議は一切申し立てない」「……結婚は遊びじゃないということを、分かっておいてほしいな」碧斗は彼女を見据え、警告するか、あるいは釘を刺すように少し語気を強めた。「一度離婚したら、後戻りはきかないぞ」――離婚した後に、私が未練がましくすがりつくとでも思っているのかしら?琴葉が「絶対に後悔なんてしないわ」と言い返そうとした瞬間、碧斗はふいっと立ち上がった。「1晩時間をやる。よく考えろ」碧斗は彼女を一瞥して言った。「もし明日になっても離婚の意志が変わらないなら、その時はお前の望み通りにしてやる」琴葉が口を開くより早く、彼はすでに大股でドアの方へ歩き出しており、ただ一言だけを言い残した。「まだ片付ける仕事がある。今夜は書斎で寝る」琴葉は絶句した。ほら、これだ。彼はいつもこの調子。話だってまだ終わっていないのに、また仕事に戻ってしまう。もっとも、こんな夜更けに役所へ行けるわけでもないので、琴葉もわざわざ彼を引き留めはしなかった。愛しい人と数日間も遊び惚けていたのだ。その分、残業して仕事を片付けなければならないに決まっている。いっそ、仕事に忙殺されて倒れてしまえばいいのよ。今夜寝室に戻ってこないなんて、むしろ願ったり叶ったりだった。翌朝7時。琴葉が1階へ降りると、彼女の早起きを見た家政婦の鈴木幸子(すずき さちこ)が少し驚いた様子で声をかけた。「奥様、おはようございます」「おはよう、鈴木さん」琴葉は微笑んで頷きながら、ダイニングの方へ視線を向けたが、そこにいるはずの人物の姿はなかった。「彼はまだ書斎?」幸子は答えた。「旦那様なら、今朝6時にはお出かけになりましたよ。今頃はもう会社かと」「えっ?」
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第6話
琴葉は午後、マンションへ日用品の準備に行っていた。幸子から電話を受けたのは、ちょうど1階に下りて、近くの店で腹ごしらえをしようとしていた矢先だった。あの早朝から夜遅くまで働き詰めの仕事人間が、今日に限って家で夕食をとるなんて思いもしなかった。電話を切るなり、彼女はすぐに御庭苑へ引き返した。家に着くと、ダイニングテーブルについている碧斗の姿が真っ先に目に飛び込んできた。今日わざわざ早く帰宅したのは、向こうも早く離婚の話を進めたくてたまらないからだろう。そう見当をつけ、琴葉は歩み寄って彼の向かいに腰を下ろした。料理を運んでこようとする幸子を見て、彼女は声をかけた。「鈴木さん、少し話があるから、食事は後にしてちょうだい」幸子は琴葉の好物のおかずを手に持ったまま立ち尽くし、戸惑ったように碧斗へ視線を向けた。碧斗は琴葉をちらりと見やり、幸子にコクリと頷いて、下がるように合図した。ダイニングに2人きりになると、琴葉は単刀直入に切り出した。「明日の朝一番で、役所に行くわよね?」碧斗の顔に明らかな戸惑いが走り、彼は眉をひそめた。「桑原グループに南岬のプロジェクトを回したというのに、まだ不満なのか?」琴葉は怪訝な顔で彼を見つめた。「何の話?」離婚の話をしているのに、どうしてプロジェクトの話が出てくるの?「新エネルギーの件は桑原グループには回せない。だが、南岬のプロジェクトなら桑原グループも十分に儲かるはずだ。それは保証する」「……どういう意味よ?」琴葉は数秒ほど呆気にとられ、ようやく合点がいった。「つまり……私が離婚を盾にして、桑原グループに新エネルギーのプロジェクトを回すようあなたを脅しているとでも?」碧斗は黙って彼女を見つめるだけだった。否定はしない。琴葉は怒りを通り越して笑いがこみ上げた。「碧斗、結婚した当初にはっきり言ったはずよ。桑原グループを特別扱いする必要はない、ビジネスは私情を挟まず、仕事として処理してくれればいいって。桑原グループがプロジェクトを取ろうが取るまいが、私にはどうでもいいことなの」琴葉は深呼吸をし、改めて言った。「私が離婚するのは、これ以上あなたに時間と感情を浪費したくないから。ただそれだけよ」碧斗は彼女の顔をじっと見据えた。「離婚すれば、桑原グループは二度と結城グループの援助
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第7話
朝食を済ませると、2人は揃って家を出た。琴葉は碧斗の後について外へ歩きながら、手元の離婚手続きに必要な書類をもう一度入念にチェックしていた。書類に気を取られていたせいで、不意に硬い胸板に頭をぶつけてしまった。「痛っ……」と小さく声を漏らして顔を上げると、男の深く漆黒の瞳と視線が交錯した。「どうして黙って急に立ち止まるのよ」「琴葉、本当に離婚する気か?」碧斗は彼女を見下ろして言った。「よく考えろ。一度この家のドアを出たら、俺たちは……」「決めているわ」琴葉はきっぱりと彼の言葉を遮った。碧斗は微かに息を呑み、「後悔しないな?」と念を押した。「後悔なんてしない」いつもは即断即決の男が、今日に限ってどうしてこうもくどいのだろう?「安心して。離婚した後は絶対に付きまとったりしないから。何度も確認しなくていいわよ」琴葉は自分よりずっと背の高い男を見上げて言った。「これでいい?行きましょう」碧斗は唇を真一文字に結んだまま押し黙り、険しい顔で踵を返してドアの外へ向かった。ずっと車のそばで待機していた潤也は、2人が出てくるのを見ると、その姿に視線を向けた。昨夜、碧斗から離婚協議書を作成しろと電話を受けたとき、潤也は自分の耳を疑った。あんなにもお似合いの夫婦だというのに。社長は一昨日の夜も、わざわざ奥様のためにプレゼントを買って急いで帰宅したばかりではないか。どうして急に離婚などという話になるのだろうか。そんな考えを巡らせているうちに2人が目の前まで来ており、潤也はハッと我に返ると、一歩歩み寄って恭しく頭を下げた。「社長、奥様、おはようございます」琴葉は礼儀正しく頷いた。「おはよう、高橋さん」潤也は前に出て、2人のために後部座席のドアを開けた。琴葉が礼を言って乗り込むと、碧斗もすぐ後に続いて車に乗り込んだ。車が走り出すと、助手席の潤也が後ろを振り向き、1部の書類を碧斗へ差し出した。「社長、ご指示の書類です」碧斗はそれを受け取り、表紙の「離婚協議書」という大きな文字にさっと目を通すと、隣に座る琴葉に手渡した。「見ておけ。何か付け足す条件はあるか」彼がすでに離婚協議書を用意していたとは思いもよらず、琴葉は一瞬虚を突かれた。男の顔をちらりと見てから、書類を受け取って開く。そこに書か
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第8話
琴葉にはさっぱり意味が分からなかった。「何か問題でもあるの?」「琴葉、あの結婚写真は俺のものでもある。俺に一言も聞かずに処分するなんて、どういうことだ?」「じゃあ、どうしろって言うの?」琴葉は言い返した。「離婚したのに、あんなものを残しておいたら、次に結婚する奥さんがいい気しないでしょ?」「お前は……」碧斗は深く息を吸い込んだ。「めちゃくちゃな言い分だ」「あなたこそ、言いがかりもいいところよ」「とにかく、お前のやったことは間違っている」わけもなく説教されて、琴葉もカチンときた。「私のどこが間違ってるって言うの?」結婚写真に写る彼の姿を思い出し、余計に腹が立ってきた。「写真の中のあなたなんて、無理やり結婚させられたみたいに酷い仏頂面だったじゃない。あんなの、もっと早く捨てておくべきだったわ」「琴葉」いつもは滅多に感情を表に出さない碧斗の声に、明らかな苛立ちが滲んでいた。「なんでそんなにキレてるのよ?」財産分与の時には二つ返事だったというのに、今さら結婚写真ごときでわざわざ喧嘩を吹っかけてくるというのか。一体何のつもりかしら。わざと難癖をつけているの?まさか財産を多く渡しすぎて、後から惜しくなったとか?いや、彼はそこまでケチな男ではないはずだ。琴葉が彼の真意を頭の中でぐるぐると巡らせていると、電話の向こうの碧斗はいつの間にか元の冷静さを取り戻していた。「……もういい」彼はそれだけ言い捨てて、一方的に通話を切った。琴葉は完全に呆気に取られた。何かに取り憑かれでもしたの?何を血迷っているのかは知らないが、万が一に備え、琴葉はすぐさま彼にメッセージを送信した。【ジュエリー類は一切持ち出してないわ。全部ウォークインクローゼットのアクセサリーケースに残してあるから、確認して】結婚写真など金銭的な価値がないからまだいい。だが、彼が買ってくれたジュエリーの数々はどれも目の飛び出るような値段のものばかりだ。もしそのことで難癖をつけられたら、それこそ大問題である。しばらく待ってみたが返信はこない。彼がどういう腹積もりだろうともう知ったことではないと、琴葉は鍵とスマホを掴んで、腹ごしらえのために部屋を出た。……深夜。会員制ラウンジのVIPルーム。一条海翔(いちじょう かいと)は、隣で一晩中飲
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第9話
琴葉の師匠は国内トップクラスの古美術修復師であり、業界で「修復の神の手」と讃えられる白石宗正(しらいし むねまさ)である。2年前、宗正は文化財局の特別招聘を受け、文化財修復チームを結成して八雲という古都へと向かった。それ以来、琴葉は宗正と一度も顔を合わせていない。宗正は一度仕事に没頭すると自室にこもりきりになり、外の事には一切関知せず、携帯電話すら手元に置かなくなることがよくあった。そのため、昨晩電話が繋がらなかった琴葉は、自分の近況と今後の考えをメッセージに残しておいた。早くても返信が来るまで数日はかかるだろうと思っていたが、思いがけず、帆夏が帰った直後に先輩の水瀬光莉(みなせ ひかり)から電話がかかってきた。「先輩」電話に出るなり、光莉は単刀直入に尋ねてきた。「あなた、離婚したの?」琴葉は目を伏せ、「……はい」と答えた。「八雲のプロジェクトが終わるまでに、あの男を落としてみせるって言ってなかったっけ?」琴葉は絶句した。八雲での修復プロジェクトは3年がかりの予定だった。当時、琴葉がプロジェクトへの参加を辞退して結婚を選んだ際、光莉は彼女にこう問いかけた。「男を落とす方が、文化財の修復より簡単だとでも思ってるわけ?」その時の琴葉は自信満々にこう答えていた。「先輩たちが役目を終えて帰ってくる前に、絶対に彼を振り向かせてみせますから」だがその結果は――2年後、彼女の敗北に終わった。「彼から切り出されたの?」と光莉が尋ねる。「いいえ」琴葉は答えた。「私から言い出しました」光莉の声が一段低くなった。「彼、あなたに酷いことでもしたの?」「そういうわけではないんですけど、ただ……」琴葉は密かに息を整え、できるだけ平静なトーンを保って言った。「結婚したときは、彼も過去にケリをつけていると思っていたんです。でも……彼の心の中にはずっと昔の恋人がいたみたいで。心に決めた人がいるなら、私が2人の間に割り込む筋合いもありませんから」光莉は沈黙した。「離婚なんて別に大したことじゃないんですけど……ただ」琴葉は自嘲気味に笑った。「先輩や師匠のお顔に泥を塗ってしまったなって」「どうしてそれが顔に泥を塗ることになるのよ?」光莉は毅然と言った。「愛や幸せを追求する権利は誰にでもある。大胆に愛を追うのは勇気だし、
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第10話
「こんなに若いお姉さんだったなんて思わなくて……あ、すみません!ええと、なんてお呼びしたらいいですか?」「そんなに畏まらなくていいわよ。それに私たちの仕事って守秘義務があるから、余計な注目を集めないためにも、外では素性を出さないようにしてるの。私は桑原琴葉。普通に名前で呼んでくれていいわ」櫂は目の前の、静かで上品な雰囲気をまとい、絵画のように美しい女性を見つめた。自分より年下なのではないかと錯覚するほど、その肌はみずみずしく透き通っている。「あの、失礼ですが、おいくつですか?」琴葉は答えた。「25よ」「僕より三つ上なんですね。じゃあ、これからは琴葉さんって呼びますね」櫂はにっと笑った。「呼び捨てなんて失礼すぎますし」琴葉は頷いた。「ええ、それでいいわ」櫂は嬉しそうに手元のコーヒーカップを掲げた。「それじゃあ、これから1ヶ月間、ご指導よろしくお願いします、琴葉さん」琴葉もカップを持ち上げて彼と軽く合わせた。「こちらこそ、よろしくね」翌日、琴葉はさっそく櫂を釣りに誘った。櫂は意気揚々と待ち合わせ場所にやって来たが、木陰一つない川辺に連れて行かれ、呆気にとられた。「琴葉さん、真夏の炎天下ですよ。本当に……ここで釣りをするんですか?」「そうよ」かがんで釣り竿の準備をしている琴葉を見て、櫂は額に汗をにじませた。「いやいや、琴葉さん、釣りが好きなら、もっといい場所に案内しますよ。そこなら木陰もあって涼しいし、絶対に……」「ここがいいの」琴葉は立ち上がって大きな麦わら帽子を彼の頭に被せると同時に、1本の釣り竿を彼に握らせ、川辺にある大きな石を指差した。「あそこに座って釣るわよ」櫂は炎天下で焼け焦げそうになっている石を見てごくりと唾を飲み込み、琴葉を振り返った。「琴葉さん、やっぱりもっと夏らしい遊びに行きません?ここの環境と天気、どう考えても釣りには向いてないですよ」琴葉は自分の釣り竿を持ってそこへ歩いていき、二つの石の上にそれぞれ熱を遮る布を敷いた。その片方に座ってから、彼女は櫂の方を見た。「遊びじゃないわ。これはあなたの忍耐力を鍛える訓練の一つよ」あえてこのような過酷な環境で釣りをすること自体が訓練の要素であり、忍耐力と持久力を試すためなのだ。櫂は同じように大きな麦わら帽子を被った琴葉をポカンと見つめた
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