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第12話

Author: 鳳小安
「……もう疲れたわ、しずく。終わりにしましょう」

玲子は眉間を押さえ、深い疲労を滲ませながら言った。

その言葉を受けて、しずくはすぐにオークションの終了を宣言した。

重く張り詰めていた空気がほどけ、客席の人々はひとり、またひとりと静かに会場を去っていった。

しずくが静かに片付けを始める中、玲子は立ち尽くしたまま、なおも帰ろうとしない蓮の姿を見つける。

声をかけようとしたその瞬間――

猛の腕が、玲子の腰をそっと抱き寄せた。

「手伝おうか?」

「御神木様が手伝ってくださるなら、これ以上心強いことはないわ」

玲子は疲れで笑顔すら浮かべられず、かろうじて口元を緩めた。

「じゃあ、報酬は?」

「私で……どうかしら?」

玲子はつま先立ちになり、猛の唇の端へそっと口づけを落とす。

そのキスに猛はすぐさま反応を見せ、腰をかがめて彼女を軽々と抱き上げた。

「一番の報酬は、俺と寝ることだが……疲れているようだな?」

「こんなにハンサムな顔が目の前にあったら、疲れなんて吹き飛ぶわ」

玲子は素直に猛の胸に身を預けた。

彼の胸から伝わる規則正しい鼓動に耳を澄ますと、不思議な安心感が全身を包み込む。

そんな感覚は、もうずっと忘れていたものだった。

「じゃあ、俺の家に連れて帰る」

猛は玲子を抱えたまま、蓮の前をゆっくりと通り過ぎた。

飛びかかろうとする蓮の前に、御神木家の屈強なボディガードが立ちはだかり、その動きを封じ込める。

猛は切れ長の瞳を細め、冷ややかな視線を蓮に向けた。

「……九条さん、やめておけ。目の前の人間を大切にする意味を、あんたも知っているはずだ」

その声は穏やかだったが、場の空気を確実に支配した。

「彼女はもう俺の婚約者だ。これ以上彼女に関わるな。……さもなくば、どうなるか分かっているな?」

その言葉を残し、猛は玲子を抱いたまま、一度も振り返らずにその場を去った。

そして最後まで、玲子は蓮に視線を向けることすらなかった。

その瞬間、蓮の胸に息が詰まるような痛みが走った。

背後の椅子に崩れ落ち、玲子が猛に抱え去られていく姿を呆然と見つめることしかできなかった。

強烈な無力感が、蓮を覆いつくしていった。

「お兄ちゃん、大丈夫……?」

すみれが隣で、そっと蓮の手を握った。

「……お腹、空いちゃった。帰ろ?」

帰りの車
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