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肌の記憶と、身体の裏切り

Author: 中岡 始
last update Last Updated: 2025-08-23 10:16:13

先輩の部屋の蛍光灯は、少しだけジリジリと音を立てていた。

白い天井に広がるその光は、容赦なく藤並の肌を照らしていた。

脱がされたシャツが、ベッドの端に落ちる音が微かに聞こえた。

指先が小刻みに震えているのを、先輩に悟られないように、肩をすくめる。

「ほんと、綺麗な身体してんな」

先輩はそう言って、唇の端を吊り上げた。

その笑い方が、どうしても好きになれなかった。

目は笑っていないのに、口だけが軽々と笑う。

男がこんなふうに笑うときは、たいてい何かを壊そうとしていると、どこかで知っていた。

だから、怖かった。

でも、もう逃げられなかった。

冷たい指先が、首筋を撫でた。

汗で湿った肌を、ゆっくりと触れる。

ぞわりと鳥肌が立つ。

先輩の手は、優しいようでいて、どこか冷たかった。

触れられているうちに、呼吸が浅くなっていく。

胸の奥が、じわじわと熱くなる。

心は凍ったままなのに、身体だけが熱を帯びていった。

「恥ずかしがるなよ」

そう言われたとき、首筋のあたりがじんわりと痺れた。

息を呑んで、視線を天井の染みに向けた。

見たこともないような形の染みが、蛍光灯の光で薄く浮かんでいた。

そこに目をやることで、今されていることから、ほんの少しだけ心を切り離せる気がした。

先輩の手が、肩から背中に滑る。

触れられるたびに、肌が粟立つ。

けれど、逃げられなかった。

もう、ここまで来てしまったから。

途中でやめると言われても、もう遅い。

そう思った。

自分は流されるまま、ここにいる。

それが、自分の選択だったと、思い込もうとした。

先輩の手が腰に回り込む。

指先が腹のあたりをなぞると、腹筋が微かに震えた。

心とは裏腹に、身体は正直だった。

恥ずかしいと思うのに、股間は膨らみ、下着の中で湿り気を帯びている。

呼吸が荒くなりそうなのを、必死に押さえた。

けれど、止められなかった。

「気持ち

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