LOGINエーテル機関の誕生。
二十四世紀。
既存の反物質炉や重水素推進では、いかなる技術をもってしても光の速度の壁を越えることは不可能だと、古の人類は悟った。 彼らが次に目を向けたのは、宇宙を満たすダークエネルギーの一種――エーテルである。その未知の力を燃料とする実験炉「深域跳躍炉」、「虚域航行機関」が次々に試作され、やがて両者を統合・改良した総合次元推進機構「エーテル機関」が誕生した。
それは、人類史上初めて空間跳躍――ワープ航法を実現した装置である。この発明を契機に、人類の文明圏は瞬く間に太陽系の外へと拡大し、百年も経たぬうちに数百の星系にまで進出した。
以後、人類の銀河史は「エーテル紀」としても記録されることとなる。やがて地球人類の文明は、「空間異変」の発生により失われたが、エーテルという燃料の供給は辛くも絶えなかった。
異常空間の裂け目――「エーテル層」から抽出された流体が精製され、以後の人類文明を支える恒星間エネルギー源として利用され続けている。
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位相鉄鉱とアダマンタイト鋼の誕生
二十五世紀。
人類が太陽系を離脱してから久しく、過酷な宇宙空間に耐え得る新素材の探索が進められていた。その最中、外縁宙域の小惑星地帯におけるレアメタル採掘中、作業員たちは奇妙な鉱石を発見する。
それは赤褐色に輝き、接触した者に幻覚や過去の記憶を見せるという不可解な性質を持っていた。初期調査の結果、化学的にはほとんど反応を示さず、
既知の元素のどれにも分類できなかった。研究者たちはそれを「位相鉄鉱石」と命名し、長らく「観賞用の奇石」として博物館に展示するほかなかった。
だが、ある一人の科学者がその鉱石の異様な硬度と構造の不安定性に注目する。
――ウォーレン=アダマンタイト博士。博士はエーテル機関の派生技術である「空間撹拌機」を用い、位相鉄鉱石が持つ多層構造の「位相ずれ」を安定化させる実験を行った。
結果、鉱石は通常物質とは異なる結晶秩序を保ちつつ、既存の金属をはるかに凌駕する強度を発揮したのである。この発見は、物質工学の革命を意味していた。
地球の物理産業学会は、博士の名を冠して「アダマンタイト鋼」と命名。以後、精錬技術が確立され、位相鉄鉱を溶解・安定化したこの超合金は、標準型外洋宇宙船の外殻、軍事兵器の装甲、そして大型兵器の構造材として急速に普及していった。
やがてこの貴重な位相鉄鉱石の鉱脈を巡り、辺境の惑星では、当然の様に利権と戦乱が生まれることになる――。
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エーテル兌換制度の成立。
二十五世紀。
エーテル機関の普及とともに、経済活動の主軸は銀河全域へと広がり、人類社会はついに統一的な銀河経済圏を形成した。この時代、貨幣は高度な演算技術を基盤とする暗号通貨システムが担っていた。
しかし――地球文明の消滅後、中央サーバ群や量子演算網の多くが失われたことで、その維持は急速に困難となった。さらに「銀河聖帝国ノヴァ」の御代において、数度の銀河規模の恐慌「エコノミック・クラック」が発生。
暗号通貨網の信頼は完全に崩壊し、経済秩序の再構築が迫られた。こうして誕生したのが――「エーテル兌換券」である。
その発行母体は帝国中央エネルギー庁。券面価値の裏付けとして、帝都地下に備蓄された「高純度エーテル」が充てられ、帝国経済の安定を象徴する「実物裏付け貨幣」として機能した。
この兌換券はすべてが超高額貨幣であり、庶民が目にすることはあまりない。一方、地方経済においては、帝国中央が各惑星政府に金貨・銀貨・銅貨などの発行権を委譲し、惑星ごとの流通を許可した。
庶民の生活には主に銅貨と銀貨が用いられ、高額取引や貴族階級の間では金貨・白金貨が用いられる。
ただし、貴金属以外の貨幣発行は帝国法で厳禁とされたため、各星系は経済発展のためにも、希少鉱山の確保をめぐって内紛を繰り返さねばならなかった。良質な鉱脈を持つ惑星は、時に「黄金の星」と呼ばれ、帝国貴族たちの投資と陰謀の標的となっていく。
そして、すべての租税――すなわち帝国への貢納金は、例外なくエーテル兌換券で支払われた。
この制度によって、銀河の富は流れのすべてを帝国中央へと吸い上げる仕組みとなり、やがてその過剰な集積が、次なる経済の歪みを生むことになる――。◇◇◇◇◇
極低周波通信機と地球文明の末路。
地球の超文明は、他次元宇宙との交信実験の果てに、空間異変「ディメンション・クラック」を引き起こし、ついには自らの文明を滅ぼすに至った。
しかし、その悲劇の一世紀前には、すでに「極低周波通信機」が実用化されていた。
「エーテル機関」による恒星間航行が可能になった当時、人類は一つの奇妙な問題に直面した。――「通信よりも、船のほうが速い」
すなわち、通常の電波通信は光速を超えられず、ワープ航法によって移動する艦船の到達よりも遅れて届くという、前代未聞の現象が頻発したのだ。この問題を解決すべく、地球の研究者たちは時空共振とエーテル波干渉を利用した新技術――「極低周波通信機」を開発した。
それは、空間そのものを媒質とすることで、距離や時差をほとんど伴わず通信できる革新的な装置であった。
しかし、文明崩壊の混乱の中で、この技術理論は完全に失われた。地球文明の消滅とともに、設計データ、理論書、基礎学問体系がことごとく失伝。
現在においても、極低周波通信機のコア部品の多くは発掘遺物に頼っており、完全な再現は不可能とされている。それゆえ、今なおこの通信機は「古代地球文明の遺産」と呼ばれ、極めて高価な額で取引されていることが多い。
休戦ラインを越える瞬間まで、星間ギルドの商船「銀の秤」の船内には、張りつめた空気が満ちていた。 パニキア連邦側の警戒宙域では、数度にわたり検問艇が接近し、古びた船腹へ鋭い捜査光を這わせてきた。 だが、「銀の秤」は武装を持たぬ旧式商船であり、しかも星間ギルド所属の古参船である。 積荷目録も航路記録も、それらしく整えられていたため、大事には至らなかった。「船籍確認完了。積荷照会、一致」「……よし、通してやれ。こんな骨董品で戦をしようって奴もおるまい」 管制側の声が同時翻訳機を通して流れると、操舵席のヘッジボックが小さく肩を落とした。「いやはや、寿命が縮みますな」 ユリウスは商人風の外套の襟を整えつつ、静かに答える。「ご配慮ありがとうございます」 それから「銀の秤」は数度の短距離ワープを重ね、ようやくパニキア連邦最前線の辺境惑星「レーベ」へ到達した。 暗褐色の海に覆われた惑星だった。 低い雲が空一面へ垂れこめ、海上には巨大な浮体構造物がいくつも連なっている。 宇宙桟橋のような洗練された設備はなく、旧式の水上宇宙港へ直接降りるしかないらしい。「こちら『銀の秤』、入港を許可されたし……」 ヘッジボックが送信すると、すぐ応答が返る。「了解。三番ゲートへの接岸を許可する」「助かりましたな」「まだ早いですよ」 ユリウスは窓の外を見たまま言った。「降りるまでが航海ですから……」 次の瞬間、船体が大きく震えた。 「銀の秤」は一気に大気圏へ突入し、外殻がみるみる赤熱してゆく。 老朽化した船体が低く軋み、接合部が悲鳴を上げた。 窓外では、剥がれた耐熱タイルが火の尾を引きながら後方へ流れてゆく。「おいおい……まだ持ってくれよ」 操舵士が舌打ちする。「左舷外板、熱負荷上昇!」「分かっている! だが今さらどうしようもない!」 激しい振動の末、「銀の秤」はどうにか海上宇宙港の三番ゲートへ滑り込み、重い音を立てて接岸した。 船内に安堵の息が広がる。 ヘッジボックは額の汗を拭い、苦笑した。「いやぁ、長年のワープで船が悲鳴を上げております。応急修理に二日、いや三日ほど日をいただきたいですな」 ユリウスはうなずく。「はい、安全第一でお願いします」 この間、彼は商人の服へ着替えていた。 付き従うグレゴールも、護衛らしさを隠すため、目
夜明け前の薄青い光が、ヴァルカンの館の回廊へ静かに差し込んでいた。 ユリウスが外交使節として出立する朝――その少し前、ツーシームは館の奥に設けられた一室へ足を向けていた。 荒鷲の金印を持つ少女。 帝国軍特殊部隊が昨夜あれほど執拗に探した以上、もはやこの館も絶対安全とは言い切れない。 どこか別の隠し場所へ移す必要があった。「さて、寝ぼけ眼のまま運ばれてくれると助かるんだがねぇ……」 安煙草をくわえたまま、ツーシームは扉を押し開けた。 だが、そこで彼女の足が止まる。「……ん?」 部屋の中央に、少女が立っていた。 いつもは伏せがちで、どこか夢の中を漂うような目をしていた娘が、いまは背筋を伸ばし、凛とした面持ちでこちらを見返している。 あきらかに空気が違った。 ただ起きているのではない。自分が誰であるかを、ようやく思い出した者の眼だった。 ツーシームは片眉を上げ、煙を細く吐いた。「お加減はどうさね?」 少女は小さな顎を上げる。「悪うない。余は、ようやく記憶を取り戻したぞ……」 その言葉は幼い顔立ちに似合わぬほど重く、古い響きを帯びていた。 ツーシームは一瞬だけ黙り込み、それから肩をすくめて笑う。「あはは、そいつはめでたい。……いや、こっちの都合で言えば、もうちょっと忘れていて欲しかったんだけどね」 少女は「ふん」と鼻で笑うだけだった。 だが、その仕草にさえ、ただの怯えた娘にはない気品がある。 荒鷲の金印。 帝国が血眼になって追う理由が、ようやく輪郭を持ってきた気がした。「余をどこへ連れてゆく気だ?」「安全な場所さ。少なくとも、昨夜みたいに犬ころが窓から雪崩れ込む場所じゃない」「そなた、存外に世話焼きだな」「海賊と商売人はねぇ、預かった品が傷つくのを嫌うのさ」 少女はわずかに目を細めた。 その視線は幼いのに、妙に人を洞察し値踏みする。 ツーシームは心の中で舌を巻いた。 ――こりゃ本物だねぇ。 そのころ館の表では、ユリウスの出立準備が整っていた。 正門前に待つ陸上ホバークラフトの周囲には、護衛のSPたちが忙しく動いている。外交使節の旅とはいえ、向かう先は異星人国家パニキア。 警戒は当然だった。 二階のバルコニーへ出た幼い妻イオナが、身を乗り出すように手を振る。「あなた、行ってらっしゃいませ!」 下で振
停戦成立後、アーヴィング大公家の艦隊は、グラストヘイム要塞へ必要最小限の守備兵力を残し、主力をいったん後方へ下げた。 そのすぐ後方にある補給拠点として選ばれたのが、惑星ヴァルカンである。 衛星軌道上には、巨大なエーテル・タンカーが数珠つなぎに並んでいた。 鈍く光る船腹のあちこちへ補給アームが食らいつき、青白い流体が脈打つように移送されてゆく。 宇宙桟橋の一角では、VLS用の長大なミサイルコンテナが何列にも寝かされ、整備員たちが汗まみれで搬入指示を飛ばしていた。 また別の区画では、砲弾、予備反応炉部材、艦載機部品、食糧コンテナ、医療資材までが山となって積まれている。 桟橋と地上を結ぶ専用シャトル群も、まるで蜂の群れのように休みなく往復していた。 上がってくるのは物資。 降りてゆくのは、休暇を許された兵員たち。 疲れ切った水兵や機関兵たちは、シャトルの扉が開くや否や、ヴァルカンの酒場街へ吸い込まれていった。 酒、女、賭博、熱い飯。 前線帰りの兵に必要なものは、昔から大して変わらぬらしい。 戦艦ハンニバルの艦橋でも、補給士官たちが目を回すような忙しさで働いていた。「第三倉庫、誘導弾積載完了!」「機関部予備材、右舷搬入口より受領!」「食糧補充、基準値の〇・六倍! この艦、兵員数のデータに消費が読めません!」 怒鳴り声と足音、端末の警告音がひっきりなしに交差する。 その只中で、ユリウスだけは少し離れた高座に座し、正面スクリーンへ映る補給桟橋の光景を静かに見つめていた。 彼の脳裏を占めていたのは、戦況でも、物資量でもなかった。 もっと根源的な、奇妙な違和感である。 ミサイルも、弾薬も、艦内配管の継手も、果ては工具規格に至るまで、帝国軍の軍需物資は地球規格で統一されている。 それだけなら、まだ分かる。帝国は地球文明の流れを汲む国家だからだ。 だが奇妙なのは、その規格が人類統合共和国でも通用し、さらには地球文化を起源に持たぬはずのパニキア連邦でさえ、大筋では同じ規格を用いているという事実だった。 ユリウスは低く呟いた。「……なぜだろう」 そばに控えていた副官が顔を上げる。「何がでございますか、閣下」「規格だよ」 ユリウスは視線を外さずに言った。「国家が違えば、思想も言葉も法律も違う。敵同士であればなおさら、兵器体系など別
数か月前――。 旧第六総管区の片隅に、惑星リチャードはあった。 豊かな鉱脈、繁忙な港、絶えず上下する株価。 この星を治めるドリス伯爵は、善政家か悪政家かで評価の割れる男であったが、ただ一つだけ確かなことがあった。 彼は何よりも経済を優先する統治者である、という事実である。 税制は企業寄り。 港湾使用料は安く、投資家には甘い。 その一方で、労働者への配慮は薄く、景気が悪化すれば真っ先に切られるのは現場の人間たちだった。 たしかに数字の上では繁栄している。 だが、その繁栄が誰の懐を温めているのかは、街路の空気を吸えばすぐに知れた。 そんな折――。 第六総管区を実質的に統治するアーヴィング侯爵が、帝国中央政府へ反旗を翻した、という報せが届いた。 その一報は、遠い戦場の政変では終わらなかった。 人々の胸に長年たまっていた不満へ、火のついた油を注いだのである。 伯爵邸の執務室へ、青ざめた家令が駆け込んだ。「伯爵様! 民衆どもが暴徒となり、屋敷へ押しかけております!」「なんだと!?」 机上の端末から顔を上げたドリス伯爵は、肥えた喉をひきつらせた。「警備隊は何をしておる!」「各所で手が回りませぬ! 銀行街も襲われ、大手保険会社の支店も炎上中にございます!」 伯爵は立ち上がり、窓辺へ走った。 夜の街に、いくつもの火の手が見える。 怒号。 警報。 銃声。 経済優先で築き上げた秩序が、たった一夜で紙細工のように崩れはじめていた。「……すぐ脱出するぞ!」「はっ!」 中央政府に近しい立場を取ってきたドリス伯爵は、民衆にとって旧体制そのものであった。 日頃より不満を募らせていた労働者階級は、侯爵の挙兵を合図に一斉蜂起したのである。 暴徒たちは銀行や保険会社を『資本の城』と叫んで打ち壊し、倉庫を略奪し、酒に酔った群れは婦女子へも牙をむいた。 火は商業区画から住宅街へ広がり、正義を名乗った怒りは、たちまち無差別な暴虐へ変わっていった。革命。 革命と言う甘い言葉を口にする者は多い。 だが現実の街路を埋めるのは、理想ではなく、煙と血と恐怖である。 このままでは星そのものが壊れる。 そう悟った者たちがいた。 教師、下級役人、教会関係者、町工場の親方――いわゆる良識派である。 彼らは広場へ集まり、拡声器を奪い、暴徒たちへ必死
停戦成立の報せが銀河を駆けめぐった翌日――。 ヴァルカン軌道上、アルテミス商会の私室では、場違いなほど気の抜けた空気が流れていた。 長椅子にだらしなく寝ころび、ツーシームは片脚を投げ出したまま新聞を広げている。 唇の端には、いつもの安煙草。紫がかった煙が、照明の下でゆらゆらとたなびいた。 紙面の一面には大きな活字が躍っていた。 ――帝国中央政府軍、アーヴィング家率いる反乱軍、停戦成立。 ――グラストヘイム要塞戦線、当面の戦闘停止へ。 ツーシームは鼻で笑った。「ようやくかい。随分と高くついた花火だったねぇ」 その声には、呆れ半分、満足半分の色があった。 今回の戦は、同じ帝国圏に属する者同士が噛み合う内輪揉めに近い。異星人相手の外征戦争とは訳が違う。 補給線の先にも後ろにも、敵味方と縁を持つ地方貴族家がいる。 交易路が詰まれば、その領内経営は痩せる。鉱山の産出は滞り、農業衛星の資材も届かず、税収もまた細る。 つまり――。 戦場で勝ちさえすればよい戦ではない。 帝国中央も、アーヴィング家も、地方貴族たちの支持なしには戦争を続けられぬ。 兵も金も糧食も、最後にはそこへ行き着く。内乱とは、剣だけでは終わらぬ戦なのであった。 ツーシームは灰を落とし、新聞の経済欄へ視線を滑らせた。 そこには、停戦成立を受けた星間株式市場の混乱が細かく載っていた。 造船。鉄鋼。軍需輸送。 いずれも戦時特需を見込んで買い上げられていた銘柄である。 だが停戦の一報で流れは一変し、値は崩れ、投げ売りが投げ売りを呼んでいた。 彼女の口元が、ゆっくり吊り上がる。「ゾル婆、そろそろゆっくり買いを入れてみるかね?」 部屋の隅で端末をいじっていたゾル婆が、顔も上げずに答えた。「あいよ。どのへんから拾うんだい?」「まずは造船屋だ。慌て者が投げた分を、底でさらう。鉄鋼も悪くないね。停戦したからって、艦隊が消えるわけじゃない。傷んだ船は直さにゃならないし、要塞だって補修が要る」「……ほほう。狼狽売りした連中の逆を行くってわけだね」「そういうこった」 数日前。 停戦の気配を、誰より早く嗅ぎつけていたアルテミス商会は、戦時特需銘柄を大きく売り浴びせていた。 グラストヘイム戦線での空気の変化も、極低周波通信から拾った断片も、彼女らには十分な材料だった。 市場
巨艦「ハンニバル」の現在位置から、およそ六光秒。 その虚空に、音もなく一本の潜望鏡が浮かび上がっていた。 否。 正確には、浮かび上がったように「見えた」だけである。 新型海賊船「モリガン」は依然として位相空間の膜を半ば残したまま、現実宇宙の縁に爪をかけている。 巡洋艦級の船体で異次元潜航を維持するなど、本来なら狂気の沙汰であった。 だが、その狂気を形にしたのが、いまこの艦である。 潜望鏡越しに戦場を覗いていたツーシームは、細く息を漏らした。「……へぇ、やるじゃないか。あの巨艦」 視界の彼方では、「ハンニバル」が帝国軍の集中砲火を正面から受け止めていた。 幾百もの火線。無数の誘導弾。 それらをものともせず進む艦影は、もはや艦艇というより移動する要塞であった。 隣に控えるトロスト技師が、乾いた笑みを浮かべる。頬はこけ、指先はかすかに震えていたが、声音だけは妙に弾んでいた。「そりゃあそうでしょう。あの艦の主機関、燃料はエーテルじゃない。小型とはいえ、人工重力井戸――要するに、ブラックホールです」「本物かい?」「ええ。本物ですとも。生きた地球文明の超兵器。帝国中枢の工廠でも、あそこまで頭のおかしい代物はそうそう作れません」 ツーシームは片眉を上げた。「褒めてるのか、けなしてるのか、よく分からないねぇ」「技術屋にとっては最大級の賛辞ですよ」 彼女は再び潜望鏡に目を戻した。 「ハンニバル」の艦腹には、あの巨大な砲身が抱え込まれている。 戦場へ現れた瞬間から、帝国軍はあれを恐れていた。だが。「だが、やはり撃てないようだね?」 そのひと言で、トロストの笑みがわずかに薄れた。「ええ。火器管制はまだ沈黙したままですな。防壁も対空火器も化け物じみているが、肝心の牙が閉じたままです」「それさえ出来れば、単艦で帝国軍を追い払うこともできように……」「できましょうな。いや、追い払う程度で済むかどうか」 ツーシームは舌打ちし、潜望鏡から目を離した。 艦橋に投影された簡易戦術図では、「ハンニバル」を中心に帝国軍の針路が歪んでいる。 一隻が戦場の戦術力学そのものを書き換えていた。「ヤツを前にしては、この新型『モリガン』の性能がかすむなぁ……」 その声には、珍しく本気の落胆が混じっていた。 海賊船「モリガン」の大改造は、彼女が執着して