Masuk第六総管区の外縁部――バルバロッサ宙域。
この宙域は、人類統合共和国およびパニキア連邦の勢力圏と接しており、境界は常に火薬庫のように不安定だった。遭遇戦は日常茶飯事であり、増援が加われば、それは即座に艦隊戦へと発展する。
◇◇◇◇◇
聖帝国第八外征艦隊 旗艦「ビシュヌ」艦橋。
「――トラヴァース提督へ報告! パニキア連邦艦隊、十六光秒の距離に展開! 総数、およそ六百!」
「うむ。シールド艦、艦列の最前列へ。全艦、第一次戦闘態勢。……防壁展開、開始!」
静かな命令が、艦隊全域へと伝わる。
まずは十数隻のシールド艦が艦隊前方に展開。彼らは電磁波兵器を遮る電磁防壁と、質量弾を減衰させる重力防御場を展開する専用艦である。
その後方には、二百隻ずつのミサイル艦とビーム艦が複数の戦闘ブロックを組み、さらにそれらを統率する巡洋艦二十隻が指揮ラインを形成していた。最後列には、旗艦「ビシュヌ」を含む四隻の大型戦艦が堂々と陣取る。
かつての大規模AI反乱で、量子演算核の大半は失われた。
加えて、この宙域では常に磁気嵐が吹き荒れ、AI制御の稼働をも阻害する。結果として、現在の宇宙戦においては――
「人による判断」こそが、戦術全体を支配することとなっていた。 シールド艦の防御管制装置が順次起動し、空間に青白い輪郭が浮かびあがる。 高出力の電磁防壁と防御重力場が結合し、帝国艦隊の前面を覆う巨大な防御幕が形成された。「前衛、防壁安定――各ブロック、射撃準備完了!」
背後では、ビーム艦群が戦列を組み、艦首砲のエーテル収束環が灼けるように光を帯びる。
それは艦橋内の照度が一瞬下がったと感じるほどだった。「敵、射程内に侵入!」
「――敵は旧式艦が主力だ。射程外から先制攻撃を掛ける。全ビーム艦、斉射開始!」
その言葉と同時に、二百隻のビーム艦が一斉に光を放った。
エネルギー光束の奔流が前方の防壁を貫き、無数の槍となって敵艦隊へと襲いかかる。閃光が宙域を染め、衝撃波が防壁を震わせ、後方に位置する「ビシュヌ」の艦体をも震動が貫く。
だが、艦橋のトラヴァース提督は微動だにせず、次の発令を下した。「よし、第二波を重ねる。全ミサイル艦、射撃――開始!」
数千発の質量弾頭が一斉に射出され、防壁の隙間をかすめながら前方宙域へと流れ込む。
質量弾は射程も短く、弾数も有限である。しかし――その一撃の破壊力は桁外れだった。
各弾頭には大型の核融合弾が複数封入され、それは命中と同時に小規模な重力崩壊を誘発するほどの威力であった。数千の白熱球が敵陣に現れ、宙域そのものがきしむような振動とともに、敵艦のシルエットが次々と爆散していった。
だが敵艦隊は、爆炎の中で沈みゆきながらも、なお戦意を失ってはいなかった。 砕け散った艦の間を縫うように、生き残った艦が順次展開し、次々と姿勢を立て直す。「――敵艦、こちらに向かって前進中! 砲撃、来ます!」
黒い星々の海を赤い光が横断し、ビームと実体砲弾の奔流が、雨のように叩きつけられる。
敵艦隊の反撃は、散発的でありながら凄まじかった。炎に包まれた艦であっても、生き残った砲門から光が閃く。
それは秩序なき光の雨――だが、数百隻という質量が撒き散らす「混沌」は、なお破壊的だった。「――敵、第二撃! 来ますッ!」
ついに最前列の防壁が軋みを上げた。
瞬間――。+0秒。
シールド艦「サルマティア」が閃光に包まれる。艦体を貫いた光線が、内部のエーテル炉を暴走させ、一瞬で白熱の火球となった。+2秒。
その爆風を受け、隣接するシールド艦「ブラウニー」の左舷装甲が裂ける。 防御重力場が不安定に揺れ、艦体がねじ切れるように回転。 防壁の一部が崩壊し、光の幕に亀裂が走った。+5秒。
防壁の隙間を縫うように、敵ビームが艦隊中層へ突き抜ける。 第二列のビーム艦「トレミー」、被弾。艦首砲塔が爆裂し、艦体前部が粉砕。
照準リンクが混乱し、周囲の僚艦が慌てて回避行動に移る。+7秒。
ミサイル艦「エピナール」の後部弾薬庫に直撃。 格納されていた核融合弾頭が誘爆し、閃光が次々と連鎖。 爆圧が波のように後列を襲い、「アグニス」、「ローレライ」、「ヘリオス」――三隻が同時に爆散した。+9秒。
残存の前面防壁が完全に崩壊。 艦隊前面に直接、敵砲撃が叩きつけられる。「ビシュヌ」艦橋の床が激しく震動し、艦橋の計測パネルが一瞬だけ暗転した。
「シールド艦群――壊滅! 第二列、損耗率三割超!」
「被弾艦、多数ッ! 火災制御、各ブロックに回しています!」火花が走り、照明が断続的に明滅する艦橋。
その中で、トラヴァース提督は座席から微動だにせず、ただ一点、戦況モニターを見据えていた。「……退く者は許さん。全艦、作戦維持――前衛の穴を埋めろ」
新たな号令と共に、「ビシュヌ」直卒の巡洋艦群が進み出る。
崩れた陣形の隙間に入り込み、まだ燃え残る味方艦の残骸をすり抜けていく。その船体に、焼け落ちる装甲片が雨のように降り注いだ。
+15秒。
爆炎の嵐が収まりかけたその刹那、敵弾の勢いが、目に見えて鈍った。 ビームの線は途切れ、質量弾の軌跡も薄れる。先ほどまで宙域を埋め尽くしていた光の雨が、徐々に途絶えていく。
「……敵の発射間隔、低下。エネルギー反応が落ちています!」
オペレーターの報告。トラヴァースは無言のまま、前方のスクリーンを見つめた。
そこでは、敵艦の推進光が次々と反転し、戦場の縁を離れ始めていた。 明らかに敵側の攻勢限界点だった。「――撤退か」
副官ヴェルナーが小さく呟く。
敵艦の後部から噴き出す青白い光――それは、推進炉を過負荷で点火した「逃走加速」の証だった。
中破した敵艦のいくつかは姿勢制御を失い、推進光を撒き散らしながら宙域の闇へと落ちていく。それでも、艦影のいくつかは必死に退路を取っていた。
残存艦が本能のように「生存」を選んでいたのだ。 「敵艦隊、戦域撤退を開始」「追撃は不要だ」
トラヴァース提督の声は低く、しかし確固としていた。
「味方の損耗が大きい。……追撃はできぬ」
「了解――全艦、砲門冷却、損傷管制を開始。」
艦橋を包む照明がわずかに明るくなる。砲撃の反動で震えていた床の振動が静まり、「ビシュヌ」の艦体はゆっくりと姿勢を整えた。
前方スクリーンには、燃え尽きた宙域が映る。 散乱する破片と、漂う火球。無線の残響の中に、断続的な通信ノイズ――
「……救命ポッド、反応あり。味方艦『レムリア』、乗員十五名……」
「……推進炉の制御不能。……酸素系統、破損……」報告を聞きながら、トラヴァース提督は静かに目を閉じた。
休戦ラインを越える瞬間まで、星間ギルドの商船「銀の秤」の船内には、張りつめた空気が満ちていた。 パニキア連邦側の警戒宙域では、数度にわたり検問艇が接近し、古びた船腹へ鋭い捜査光を這わせてきた。 だが、「銀の秤」は武装を持たぬ旧式商船であり、しかも星間ギルド所属の古参船である。 積荷目録も航路記録も、それらしく整えられていたため、大事には至らなかった。「船籍確認完了。積荷照会、一致」「……よし、通してやれ。こんな骨董品で戦をしようって奴もおるまい」 管制側の声が同時翻訳機を通して流れると、操舵席のヘッジボックが小さく肩を落とした。「いやはや、寿命が縮みますな」 ユリウスは商人風の外套の襟を整えつつ、静かに答える。「ご配慮ありがとうございます」 それから「銀の秤」は数度の短距離ワープを重ね、ようやくパニキア連邦最前線の辺境惑星「レーベ」へ到達した。 暗褐色の海に覆われた惑星だった。 低い雲が空一面へ垂れこめ、海上には巨大な浮体構造物がいくつも連なっている。 宇宙桟橋のような洗練された設備はなく、旧式の水上宇宙港へ直接降りるしかないらしい。「こちら『銀の秤』、入港を許可されたし……」 ヘッジボックが送信すると、すぐ応答が返る。「了解。三番ゲートへの接岸を許可する」「助かりましたな」「まだ早いですよ」 ユリウスは窓の外を見たまま言った。「降りるまでが航海ですから……」 次の瞬間、船体が大きく震えた。 「銀の秤」は一気に大気圏へ突入し、外殻がみるみる赤熱してゆく。 老朽化した船体が低く軋み、接合部が悲鳴を上げた。 窓外では、剥がれた耐熱タイルが火の尾を引きながら後方へ流れてゆく。「おいおい……まだ持ってくれよ」 操舵士が舌打ちする。「左舷外板、熱負荷上昇!」「分かっている! だが今さらどうしようもない!」 激しい振動の末、「銀の秤」はどうにか海上宇宙港の三番ゲートへ滑り込み、重い音を立てて接岸した。 船内に安堵の息が広がる。 ヘッジボックは額の汗を拭い、苦笑した。「いやぁ、長年のワープで船が悲鳴を上げております。応急修理に二日、いや三日ほど日をいただきたいですな」 ユリウスはうなずく。「はい、安全第一でお願いします」 この間、彼は商人の服へ着替えていた。 付き従うグレゴールも、護衛らしさを隠すため、目
夜明け前の薄青い光が、ヴァルカンの館の回廊へ静かに差し込んでいた。 ユリウスが外交使節として出立する朝――その少し前、ツーシームは館の奥に設けられた一室へ足を向けていた。 荒鷲の金印を持つ少女。 帝国軍特殊部隊が昨夜あれほど執拗に探した以上、もはやこの館も絶対安全とは言い切れない。 どこか別の隠し場所へ移す必要があった。「さて、寝ぼけ眼のまま運ばれてくれると助かるんだがねぇ……」 安煙草をくわえたまま、ツーシームは扉を押し開けた。 だが、そこで彼女の足が止まる。「……ん?」 部屋の中央に、少女が立っていた。 いつもは伏せがちで、どこか夢の中を漂うような目をしていた娘が、いまは背筋を伸ばし、凛とした面持ちでこちらを見返している。 あきらかに空気が違った。 ただ起きているのではない。自分が誰であるかを、ようやく思い出した者の眼だった。 ツーシームは片眉を上げ、煙を細く吐いた。「お加減はどうさね?」 少女は小さな顎を上げる。「悪うない。余は、ようやく記憶を取り戻したぞ……」 その言葉は幼い顔立ちに似合わぬほど重く、古い響きを帯びていた。 ツーシームは一瞬だけ黙り込み、それから肩をすくめて笑う。「あはは、そいつはめでたい。……いや、こっちの都合で言えば、もうちょっと忘れていて欲しかったんだけどね」 少女は「ふん」と鼻で笑うだけだった。 だが、その仕草にさえ、ただの怯えた娘にはない気品がある。 荒鷲の金印。 帝国が血眼になって追う理由が、ようやく輪郭を持ってきた気がした。「余をどこへ連れてゆく気だ?」「安全な場所さ。少なくとも、昨夜みたいに犬ころが窓から雪崩れ込む場所じゃない」「そなた、存外に世話焼きだな」「海賊と商売人はねぇ、預かった品が傷つくのを嫌うのさ」 少女はわずかに目を細めた。 その視線は幼いのに、妙に人を洞察し値踏みする。 ツーシームは心の中で舌を巻いた。 ――こりゃ本物だねぇ。 そのころ館の表では、ユリウスの出立準備が整っていた。 正門前に待つ陸上ホバークラフトの周囲には、護衛のSPたちが忙しく動いている。外交使節の旅とはいえ、向かう先は異星人国家パニキア。 警戒は当然だった。 二階のバルコニーへ出た幼い妻イオナが、身を乗り出すように手を振る。「あなた、行ってらっしゃいませ!」 下で振
停戦成立後、アーヴィング大公家の艦隊は、グラストヘイム要塞へ必要最小限の守備兵力を残し、主力をいったん後方へ下げた。 そのすぐ後方にある補給拠点として選ばれたのが、惑星ヴァルカンである。 衛星軌道上には、巨大なエーテル・タンカーが数珠つなぎに並んでいた。 鈍く光る船腹のあちこちへ補給アームが食らいつき、青白い流体が脈打つように移送されてゆく。 宇宙桟橋の一角では、VLS用の長大なミサイルコンテナが何列にも寝かされ、整備員たちが汗まみれで搬入指示を飛ばしていた。 また別の区画では、砲弾、予備反応炉部材、艦載機部品、食糧コンテナ、医療資材までが山となって積まれている。 桟橋と地上を結ぶ専用シャトル群も、まるで蜂の群れのように休みなく往復していた。 上がってくるのは物資。 降りてゆくのは、休暇を許された兵員たち。 疲れ切った水兵や機関兵たちは、シャトルの扉が開くや否や、ヴァルカンの酒場街へ吸い込まれていった。 酒、女、賭博、熱い飯。 前線帰りの兵に必要なものは、昔から大して変わらぬらしい。 戦艦ハンニバルの艦橋でも、補給士官たちが目を回すような忙しさで働いていた。「第三倉庫、誘導弾積載完了!」「機関部予備材、右舷搬入口より受領!」「食糧補充、基準値の〇・六倍! この艦、兵員数のデータに消費が読めません!」 怒鳴り声と足音、端末の警告音がひっきりなしに交差する。 その只中で、ユリウスだけは少し離れた高座に座し、正面スクリーンへ映る補給桟橋の光景を静かに見つめていた。 彼の脳裏を占めていたのは、戦況でも、物資量でもなかった。 もっと根源的な、奇妙な違和感である。 ミサイルも、弾薬も、艦内配管の継手も、果ては工具規格に至るまで、帝国軍の軍需物資は地球規格で統一されている。 それだけなら、まだ分かる。帝国は地球文明の流れを汲む国家だからだ。 だが奇妙なのは、その規格が人類統合共和国でも通用し、さらには地球文化を起源に持たぬはずのパニキア連邦でさえ、大筋では同じ規格を用いているという事実だった。 ユリウスは低く呟いた。「……なぜだろう」 そばに控えていた副官が顔を上げる。「何がでございますか、閣下」「規格だよ」 ユリウスは視線を外さずに言った。「国家が違えば、思想も言葉も法律も違う。敵同士であればなおさら、兵器体系など別
数か月前――。 旧第六総管区の片隅に、惑星リチャードはあった。 豊かな鉱脈、繁忙な港、絶えず上下する株価。 この星を治めるドリス伯爵は、善政家か悪政家かで評価の割れる男であったが、ただ一つだけ確かなことがあった。 彼は何よりも経済を優先する統治者である、という事実である。 税制は企業寄り。 港湾使用料は安く、投資家には甘い。 その一方で、労働者への配慮は薄く、景気が悪化すれば真っ先に切られるのは現場の人間たちだった。 たしかに数字の上では繁栄している。 だが、その繁栄が誰の懐を温めているのかは、街路の空気を吸えばすぐに知れた。 そんな折――。 第六総管区を実質的に統治するアーヴィング侯爵が、帝国中央政府へ反旗を翻した、という報せが届いた。 その一報は、遠い戦場の政変では終わらなかった。 人々の胸に長年たまっていた不満へ、火のついた油を注いだのである。 伯爵邸の執務室へ、青ざめた家令が駆け込んだ。「伯爵様! 民衆どもが暴徒となり、屋敷へ押しかけております!」「なんだと!?」 机上の端末から顔を上げたドリス伯爵は、肥えた喉をひきつらせた。「警備隊は何をしておる!」「各所で手が回りませぬ! 銀行街も襲われ、大手保険会社の支店も炎上中にございます!」 伯爵は立ち上がり、窓辺へ走った。 夜の街に、いくつもの火の手が見える。 怒号。 警報。 銃声。 経済優先で築き上げた秩序が、たった一夜で紙細工のように崩れはじめていた。「……すぐ脱出するぞ!」「はっ!」 中央政府に近しい立場を取ってきたドリス伯爵は、民衆にとって旧体制そのものであった。 日頃より不満を募らせていた労働者階級は、侯爵の挙兵を合図に一斉蜂起したのである。 暴徒たちは銀行や保険会社を『資本の城』と叫んで打ち壊し、倉庫を略奪し、酒に酔った群れは婦女子へも牙をむいた。 火は商業区画から住宅街へ広がり、正義を名乗った怒りは、たちまち無差別な暴虐へ変わっていった。革命。 革命と言う甘い言葉を口にする者は多い。 だが現実の街路を埋めるのは、理想ではなく、煙と血と恐怖である。 このままでは星そのものが壊れる。 そう悟った者たちがいた。 教師、下級役人、教会関係者、町工場の親方――いわゆる良識派である。 彼らは広場へ集まり、拡声器を奪い、暴徒たちへ必死
停戦成立の報せが銀河を駆けめぐった翌日――。 ヴァルカン軌道上、アルテミス商会の私室では、場違いなほど気の抜けた空気が流れていた。 長椅子にだらしなく寝ころび、ツーシームは片脚を投げ出したまま新聞を広げている。 唇の端には、いつもの安煙草。紫がかった煙が、照明の下でゆらゆらとたなびいた。 紙面の一面には大きな活字が躍っていた。 ――帝国中央政府軍、アーヴィング家率いる反乱軍、停戦成立。 ――グラストヘイム要塞戦線、当面の戦闘停止へ。 ツーシームは鼻で笑った。「ようやくかい。随分と高くついた花火だったねぇ」 その声には、呆れ半分、満足半分の色があった。 今回の戦は、同じ帝国圏に属する者同士が噛み合う内輪揉めに近い。異星人相手の外征戦争とは訳が違う。 補給線の先にも後ろにも、敵味方と縁を持つ地方貴族家がいる。 交易路が詰まれば、その領内経営は痩せる。鉱山の産出は滞り、農業衛星の資材も届かず、税収もまた細る。 つまり――。 戦場で勝ちさえすればよい戦ではない。 帝国中央も、アーヴィング家も、地方貴族たちの支持なしには戦争を続けられぬ。 兵も金も糧食も、最後にはそこへ行き着く。内乱とは、剣だけでは終わらぬ戦なのであった。 ツーシームは灰を落とし、新聞の経済欄へ視線を滑らせた。 そこには、停戦成立を受けた星間株式市場の混乱が細かく載っていた。 造船。鉄鋼。軍需輸送。 いずれも戦時特需を見込んで買い上げられていた銘柄である。 だが停戦の一報で流れは一変し、値は崩れ、投げ売りが投げ売りを呼んでいた。 彼女の口元が、ゆっくり吊り上がる。「ゾル婆、そろそろゆっくり買いを入れてみるかね?」 部屋の隅で端末をいじっていたゾル婆が、顔も上げずに答えた。「あいよ。どのへんから拾うんだい?」「まずは造船屋だ。慌て者が投げた分を、底でさらう。鉄鋼も悪くないね。停戦したからって、艦隊が消えるわけじゃない。傷んだ船は直さにゃならないし、要塞だって補修が要る」「……ほほう。狼狽売りした連中の逆を行くってわけだね」「そういうこった」 数日前。 停戦の気配を、誰より早く嗅ぎつけていたアルテミス商会は、戦時特需銘柄を大きく売り浴びせていた。 グラストヘイム戦線での空気の変化も、極低周波通信から拾った断片も、彼女らには十分な材料だった。 市場
巨艦「ハンニバル」の現在位置から、およそ六光秒。 その虚空に、音もなく一本の潜望鏡が浮かび上がっていた。 否。 正確には、浮かび上がったように「見えた」だけである。 新型海賊船「モリガン」は依然として位相空間の膜を半ば残したまま、現実宇宙の縁に爪をかけている。 巡洋艦級の船体で異次元潜航を維持するなど、本来なら狂気の沙汰であった。 だが、その狂気を形にしたのが、いまこの艦である。 潜望鏡越しに戦場を覗いていたツーシームは、細く息を漏らした。「……へぇ、やるじゃないか。あの巨艦」 視界の彼方では、「ハンニバル」が帝国軍の集中砲火を正面から受け止めていた。 幾百もの火線。無数の誘導弾。 それらをものともせず進む艦影は、もはや艦艇というより移動する要塞であった。 隣に控えるトロスト技師が、乾いた笑みを浮かべる。頬はこけ、指先はかすかに震えていたが、声音だけは妙に弾んでいた。「そりゃあそうでしょう。あの艦の主機関、燃料はエーテルじゃない。小型とはいえ、人工重力井戸――要するに、ブラックホールです」「本物かい?」「ええ。本物ですとも。生きた地球文明の超兵器。帝国中枢の工廠でも、あそこまで頭のおかしい代物はそうそう作れません」 ツーシームは片眉を上げた。「褒めてるのか、けなしてるのか、よく分からないねぇ」「技術屋にとっては最大級の賛辞ですよ」 彼女は再び潜望鏡に目を戻した。 「ハンニバル」の艦腹には、あの巨大な砲身が抱え込まれている。 戦場へ現れた瞬間から、帝国軍はあれを恐れていた。だが。「だが、やはり撃てないようだね?」 そのひと言で、トロストの笑みがわずかに薄れた。「ええ。火器管制はまだ沈黙したままですな。防壁も対空火器も化け物じみているが、肝心の牙が閉じたままです」「それさえ出来れば、単艦で帝国軍を追い払うこともできように……」「できましょうな。いや、追い払う程度で済むかどうか」 ツーシームは舌打ちし、潜望鏡から目を離した。 艦橋に投影された簡易戦術図では、「ハンニバル」を中心に帝国軍の針路が歪んでいる。 一隻が戦場の戦術力学そのものを書き換えていた。「ヤツを前にしては、この新型『モリガン』の性能がかすむなぁ……」 その声には、珍しく本気の落胆が混じっていた。 海賊船「モリガン」の大改造は、彼女が執着して