Masuk恒星の淡い光が、薄く曇った空を通して地表を撫でていた。
惑星エデムの荒野に、ツーシームはひとり降り立っていた。重力は軽く、風は弱い。
靴底に伝わる感触は、岩でも砂でもない、どこか湿り気を含んだ柔らかさだった。彼女がこの星を選んだ理由は単純だ。
惑星破壊砲の一件以来、ユリウスと同じ空気を吸い続ける気にはなれなかった。――許せないわけじゃない。
だが、すぐに水に流せるほど大人でもない。その感情を抱えたまま、彼女はここへ来た。
惑星エデムは人口も少なく、開発も進んでいない辺境世界だ。 だが、この星には他の惑星にはない価値があった。掘り出されるのは鉱石ではない。
黒く、湿り気を帯びた表土――「土」そのものだ。土は兆単位の種類の地球の微生物たちが、長い年月をかけて織り成した結果であり、地球以外の宇宙には殆どないものであった。
太古、地球から持ち出された土壌は、幾度もの核戦争と環境崩壊を経て汚染され、微生物と有機物を保持した「使える土」は銀河全域で極めて希少となっていた。
多くの惑星では人工培地で作物を育てていたが、味も栄養も、本物の土には及ばない。
それゆえ、帝国の貴族や富裕層たちは今も、土で出来た食料を珍重している。だが近年、地球文明が「土の貯蓄場」として秘匿していた施設が、この辺境惑星エデムで発見されたのだ。
ツーシームはしゃがみ込み、素手で地面を掴んだ。
指の間からこぼれる黒土は、微かな匂いとともに生命の気配を宿している。微生物、有機物、失われた地球の循環――
それらを内包するこの土は、農業惑星にとって貴金属以上の価値を持っていた。遠く、地平線の向こうでは巨大なドーム状の土壌集積地が並び、圧縮土壌コンテナを満載した輸送船が、低軌道へとゆっくり上昇していく。
発進のたびに大地がわずかに震え、埃が舞い上がった。地球文明の残骸を継ぐ帝国において、土は文化的に肉親であり続けたのだ。
それは静かで、しかし時に戦争の引き金ともなる戦略資源だった。ツーシームは立ち上がり、恒星を仰いだ。
「……不思議なもんだね。こんな黒いものが人々の心を突き動かすなんて」
◇◇◇◇◇
「……この土、いい匂いがするねぇ。湿り気もある。腐ってない」
ツーシームは革張りの椅子に腰掛けたまま、指先で小さな試料箱を開け、黒土を軽くつまみ上げた。
館の中は妙に静かで、磨かれた石床に足音が吸い込まれていく。
香は焚かれているが、それでも土の匂いは誤魔化せなかった。「さすがはフォックス社長。鼻が利きますな」
土商人は、年季の入った笑みを浮かべながら卓上の投影パネルを操作した。
柔らかな光が宙に数字を浮かび上がらせる。「では……こちらも精一杯、勉強させていただきまして。お値段は――これくらいで」
次の瞬間、ツーシームは思わず声を上げた。
「えっ!? ……一トンで、金貨二千五百枚だって?」
投影された数字は微動だにしない。
むしろ、それが当然だと言わんばかりに鎮座している。「はい。かなり、かなりお勉強させていただいておりますとも」
商人は指を組み、余裕たっぷりに椅子へ背を預けた。
足元を見られている――そう感じないわけではない。だが、反論は簡単ではなかった。
未開発惑星で生態系を立ち上げるには、土が要る。水耕栽培だけで全てが回るほど、自然は都合よくできていない。
海産物ひとつ育てるにも、河川が運ぶ土砂と微生物が不可欠だ。「土がない世界」は、長くは持たない。
ツーシームは黒土を指の間でこね、静かに息を吐いた。「……なるほどね。金より高いわけだ」
土商人は満足そうに頷いた。
地球文明の遺産を握る者だけが許される、静かな優越だった。「……しょうがない。いくらか頂くとしようか」
ツーシームは小さく肩をすくめ、決断を口にした。
豪奢な館の天井では緩やかな換気音が響く。
土商人は一瞬だけ安堵の色を浮かべ、すぐに慇懃な笑みに戻った。「ありがとうございます。確かに承りました」
彼は卓上に展開された契約パネルを引き寄せ、ツーシームのサインを丁寧に確認する。
数字と条件が静かに確定され、契約成立の電子音が短く鳴った。海賊船「モリガン」の船倉は、兵装や戦利品を積むには十分だが、繊細な土を運ぶには不向きだ。
衝撃や乾燥は禁物で、微生物の生存率が落ちれば価値は半減する。そのため、土壌保護仕様の専門輸送船を別途手配する――それも、商談の条件のひとつだった。
「輸送は低振動、温湿度管理付きで。もちろん直送で、抜かりはありませんとも……」
事務的なやり取りが終わり、ツーシームは深く息を吐いた。
「こりゃあ……あとでゾル婆に怒られるなぁ」
そう言って振り返ると、護衛役として控えていたレッドベアは、壁にもたれたまま完全に船を漕いでいた。
腕を組み、口をわずかに開け、規則正しい寝息。長引いた商談がよほど退屈だったらしい。
ツーシームは思わず苦笑する。「まったく……高い土を買うってのも、楽じゃないねぇ」
館の外では、圧縮土壌コンテナを積んだ輸送列車の列が静かに動き出していた。
黒く湿った一握りが、時に金貨よりも重い意味を持つ――そんな宇宙の現実を背に、商談は幕を閉じたのだった。休戦ラインを越える瞬間まで、星間ギルドの商船「銀の秤」の船内には、張りつめた空気が満ちていた。 パニキア連邦側の警戒宙域では、数度にわたり検問艇が接近し、古びた船腹へ鋭い捜査光を這わせてきた。 だが、「銀の秤」は武装を持たぬ旧式商船であり、しかも星間ギルド所属の古参船である。 積荷目録も航路記録も、それらしく整えられていたため、大事には至らなかった。「船籍確認完了。積荷照会、一致」「……よし、通してやれ。こんな骨董品で戦をしようって奴もおるまい」 管制側の声が同時翻訳機を通して流れると、操舵席のヘッジボックが小さく肩を落とした。「いやはや、寿命が縮みますな」 ユリウスは商人風の外套の襟を整えつつ、静かに答える。「ご配慮ありがとうございます」 それから「銀の秤」は数度の短距離ワープを重ね、ようやくパニキア連邦最前線の辺境惑星「レーベ」へ到達した。 暗褐色の海に覆われた惑星だった。 低い雲が空一面へ垂れこめ、海上には巨大な浮体構造物がいくつも連なっている。 宇宙桟橋のような洗練された設備はなく、旧式の水上宇宙港へ直接降りるしかないらしい。「こちら『銀の秤』、入港を許可されたし……」 ヘッジボックが送信すると、すぐ応答が返る。「了解。三番ゲートへの接岸を許可する」「助かりましたな」「まだ早いですよ」 ユリウスは窓の外を見たまま言った。「降りるまでが航海ですから……」 次の瞬間、船体が大きく震えた。 「銀の秤」は一気に大気圏へ突入し、外殻がみるみる赤熱してゆく。 老朽化した船体が低く軋み、接合部が悲鳴を上げた。 窓外では、剥がれた耐熱タイルが火の尾を引きながら後方へ流れてゆく。「おいおい……まだ持ってくれよ」 操舵士が舌打ちする。「左舷外板、熱負荷上昇!」「分かっている! だが今さらどうしようもない!」 激しい振動の末、「銀の秤」はどうにか海上宇宙港の三番ゲートへ滑り込み、重い音を立てて接岸した。 船内に安堵の息が広がる。 ヘッジボックは額の汗を拭い、苦笑した。「いやぁ、長年のワープで船が悲鳴を上げております。応急修理に二日、いや三日ほど日をいただきたいですな」 ユリウスはうなずく。「はい、安全第一でお願いします」 この間、彼は商人の服へ着替えていた。 付き従うグレゴールも、護衛らしさを隠すため、目
夜明け前の薄青い光が、ヴァルカンの館の回廊へ静かに差し込んでいた。 ユリウスが外交使節として出立する朝――その少し前、ツーシームは館の奥に設けられた一室へ足を向けていた。 荒鷲の金印を持つ少女。 帝国軍特殊部隊が昨夜あれほど執拗に探した以上、もはやこの館も絶対安全とは言い切れない。 どこか別の隠し場所へ移す必要があった。「さて、寝ぼけ眼のまま運ばれてくれると助かるんだがねぇ……」 安煙草をくわえたまま、ツーシームは扉を押し開けた。 だが、そこで彼女の足が止まる。「……ん?」 部屋の中央に、少女が立っていた。 いつもは伏せがちで、どこか夢の中を漂うような目をしていた娘が、いまは背筋を伸ばし、凛とした面持ちでこちらを見返している。 あきらかに空気が違った。 ただ起きているのではない。自分が誰であるかを、ようやく思い出した者の眼だった。 ツーシームは片眉を上げ、煙を細く吐いた。「お加減はどうさね?」 少女は小さな顎を上げる。「悪うない。余は、ようやく記憶を取り戻したぞ……」 その言葉は幼い顔立ちに似合わぬほど重く、古い響きを帯びていた。 ツーシームは一瞬だけ黙り込み、それから肩をすくめて笑う。「あはは、そいつはめでたい。……いや、こっちの都合で言えば、もうちょっと忘れていて欲しかったんだけどね」 少女は「ふん」と鼻で笑うだけだった。 だが、その仕草にさえ、ただの怯えた娘にはない気品がある。 荒鷲の金印。 帝国が血眼になって追う理由が、ようやく輪郭を持ってきた気がした。「余をどこへ連れてゆく気だ?」「安全な場所さ。少なくとも、昨夜みたいに犬ころが窓から雪崩れ込む場所じゃない」「そなた、存外に世話焼きだな」「海賊と商売人はねぇ、預かった品が傷つくのを嫌うのさ」 少女はわずかに目を細めた。 その視線は幼いのに、妙に人を洞察し値踏みする。 ツーシームは心の中で舌を巻いた。 ――こりゃ本物だねぇ。 そのころ館の表では、ユリウスの出立準備が整っていた。 正門前に待つ陸上ホバークラフトの周囲には、護衛のSPたちが忙しく動いている。外交使節の旅とはいえ、向かう先は異星人国家パニキア。 警戒は当然だった。 二階のバルコニーへ出た幼い妻イオナが、身を乗り出すように手を振る。「あなた、行ってらっしゃいませ!」 下で振
停戦成立後、アーヴィング大公家の艦隊は、グラストヘイム要塞へ必要最小限の守備兵力を残し、主力をいったん後方へ下げた。 そのすぐ後方にある補給拠点として選ばれたのが、惑星ヴァルカンである。 衛星軌道上には、巨大なエーテル・タンカーが数珠つなぎに並んでいた。 鈍く光る船腹のあちこちへ補給アームが食らいつき、青白い流体が脈打つように移送されてゆく。 宇宙桟橋の一角では、VLS用の長大なミサイルコンテナが何列にも寝かされ、整備員たちが汗まみれで搬入指示を飛ばしていた。 また別の区画では、砲弾、予備反応炉部材、艦載機部品、食糧コンテナ、医療資材までが山となって積まれている。 桟橋と地上を結ぶ専用シャトル群も、まるで蜂の群れのように休みなく往復していた。 上がってくるのは物資。 降りてゆくのは、休暇を許された兵員たち。 疲れ切った水兵や機関兵たちは、シャトルの扉が開くや否や、ヴァルカンの酒場街へ吸い込まれていった。 酒、女、賭博、熱い飯。 前線帰りの兵に必要なものは、昔から大して変わらぬらしい。 戦艦ハンニバルの艦橋でも、補給士官たちが目を回すような忙しさで働いていた。「第三倉庫、誘導弾積載完了!」「機関部予備材、右舷搬入口より受領!」「食糧補充、基準値の〇・六倍! この艦、兵員数のデータに消費が読めません!」 怒鳴り声と足音、端末の警告音がひっきりなしに交差する。 その只中で、ユリウスだけは少し離れた高座に座し、正面スクリーンへ映る補給桟橋の光景を静かに見つめていた。 彼の脳裏を占めていたのは、戦況でも、物資量でもなかった。 もっと根源的な、奇妙な違和感である。 ミサイルも、弾薬も、艦内配管の継手も、果ては工具規格に至るまで、帝国軍の軍需物資は地球規格で統一されている。 それだけなら、まだ分かる。帝国は地球文明の流れを汲む国家だからだ。 だが奇妙なのは、その規格が人類統合共和国でも通用し、さらには地球文化を起源に持たぬはずのパニキア連邦でさえ、大筋では同じ規格を用いているという事実だった。 ユリウスは低く呟いた。「……なぜだろう」 そばに控えていた副官が顔を上げる。「何がでございますか、閣下」「規格だよ」 ユリウスは視線を外さずに言った。「国家が違えば、思想も言葉も法律も違う。敵同士であればなおさら、兵器体系など別
数か月前――。 旧第六総管区の片隅に、惑星リチャードはあった。 豊かな鉱脈、繁忙な港、絶えず上下する株価。 この星を治めるドリス伯爵は、善政家か悪政家かで評価の割れる男であったが、ただ一つだけ確かなことがあった。 彼は何よりも経済を優先する統治者である、という事実である。 税制は企業寄り。 港湾使用料は安く、投資家には甘い。 その一方で、労働者への配慮は薄く、景気が悪化すれば真っ先に切られるのは現場の人間たちだった。 たしかに数字の上では繁栄している。 だが、その繁栄が誰の懐を温めているのかは、街路の空気を吸えばすぐに知れた。 そんな折――。 第六総管区を実質的に統治するアーヴィング侯爵が、帝国中央政府へ反旗を翻した、という報せが届いた。 その一報は、遠い戦場の政変では終わらなかった。 人々の胸に長年たまっていた不満へ、火のついた油を注いだのである。 伯爵邸の執務室へ、青ざめた家令が駆け込んだ。「伯爵様! 民衆どもが暴徒となり、屋敷へ押しかけております!」「なんだと!?」 机上の端末から顔を上げたドリス伯爵は、肥えた喉をひきつらせた。「警備隊は何をしておる!」「各所で手が回りませぬ! 銀行街も襲われ、大手保険会社の支店も炎上中にございます!」 伯爵は立ち上がり、窓辺へ走った。 夜の街に、いくつもの火の手が見える。 怒号。 警報。 銃声。 経済優先で築き上げた秩序が、たった一夜で紙細工のように崩れはじめていた。「……すぐ脱出するぞ!」「はっ!」 中央政府に近しい立場を取ってきたドリス伯爵は、民衆にとって旧体制そのものであった。 日頃より不満を募らせていた労働者階級は、侯爵の挙兵を合図に一斉蜂起したのである。 暴徒たちは銀行や保険会社を『資本の城』と叫んで打ち壊し、倉庫を略奪し、酒に酔った群れは婦女子へも牙をむいた。 火は商業区画から住宅街へ広がり、正義を名乗った怒りは、たちまち無差別な暴虐へ変わっていった。革命。 革命と言う甘い言葉を口にする者は多い。 だが現実の街路を埋めるのは、理想ではなく、煙と血と恐怖である。 このままでは星そのものが壊れる。 そう悟った者たちがいた。 教師、下級役人、教会関係者、町工場の親方――いわゆる良識派である。 彼らは広場へ集まり、拡声器を奪い、暴徒たちへ必死
停戦成立の報せが銀河を駆けめぐった翌日――。 ヴァルカン軌道上、アルテミス商会の私室では、場違いなほど気の抜けた空気が流れていた。 長椅子にだらしなく寝ころび、ツーシームは片脚を投げ出したまま新聞を広げている。 唇の端には、いつもの安煙草。紫がかった煙が、照明の下でゆらゆらとたなびいた。 紙面の一面には大きな活字が躍っていた。 ――帝国中央政府軍、アーヴィング家率いる反乱軍、停戦成立。 ――グラストヘイム要塞戦線、当面の戦闘停止へ。 ツーシームは鼻で笑った。「ようやくかい。随分と高くついた花火だったねぇ」 その声には、呆れ半分、満足半分の色があった。 今回の戦は、同じ帝国圏に属する者同士が噛み合う内輪揉めに近い。異星人相手の外征戦争とは訳が違う。 補給線の先にも後ろにも、敵味方と縁を持つ地方貴族家がいる。 交易路が詰まれば、その領内経営は痩せる。鉱山の産出は滞り、農業衛星の資材も届かず、税収もまた細る。 つまり――。 戦場で勝ちさえすればよい戦ではない。 帝国中央も、アーヴィング家も、地方貴族たちの支持なしには戦争を続けられぬ。 兵も金も糧食も、最後にはそこへ行き着く。内乱とは、剣だけでは終わらぬ戦なのであった。 ツーシームは灰を落とし、新聞の経済欄へ視線を滑らせた。 そこには、停戦成立を受けた星間株式市場の混乱が細かく載っていた。 造船。鉄鋼。軍需輸送。 いずれも戦時特需を見込んで買い上げられていた銘柄である。 だが停戦の一報で流れは一変し、値は崩れ、投げ売りが投げ売りを呼んでいた。 彼女の口元が、ゆっくり吊り上がる。「ゾル婆、そろそろゆっくり買いを入れてみるかね?」 部屋の隅で端末をいじっていたゾル婆が、顔も上げずに答えた。「あいよ。どのへんから拾うんだい?」「まずは造船屋だ。慌て者が投げた分を、底でさらう。鉄鋼も悪くないね。停戦したからって、艦隊が消えるわけじゃない。傷んだ船は直さにゃならないし、要塞だって補修が要る」「……ほほう。狼狽売りした連中の逆を行くってわけだね」「そういうこった」 数日前。 停戦の気配を、誰より早く嗅ぎつけていたアルテミス商会は、戦時特需銘柄を大きく売り浴びせていた。 グラストヘイム戦線での空気の変化も、極低周波通信から拾った断片も、彼女らには十分な材料だった。 市場
巨艦「ハンニバル」の現在位置から、およそ六光秒。 その虚空に、音もなく一本の潜望鏡が浮かび上がっていた。 否。 正確には、浮かび上がったように「見えた」だけである。 新型海賊船「モリガン」は依然として位相空間の膜を半ば残したまま、現実宇宙の縁に爪をかけている。 巡洋艦級の船体で異次元潜航を維持するなど、本来なら狂気の沙汰であった。 だが、その狂気を形にしたのが、いまこの艦である。 潜望鏡越しに戦場を覗いていたツーシームは、細く息を漏らした。「……へぇ、やるじゃないか。あの巨艦」 視界の彼方では、「ハンニバル」が帝国軍の集中砲火を正面から受け止めていた。 幾百もの火線。無数の誘導弾。 それらをものともせず進む艦影は、もはや艦艇というより移動する要塞であった。 隣に控えるトロスト技師が、乾いた笑みを浮かべる。頬はこけ、指先はかすかに震えていたが、声音だけは妙に弾んでいた。「そりゃあそうでしょう。あの艦の主機関、燃料はエーテルじゃない。小型とはいえ、人工重力井戸――要するに、ブラックホールです」「本物かい?」「ええ。本物ですとも。生きた地球文明の超兵器。帝国中枢の工廠でも、あそこまで頭のおかしい代物はそうそう作れません」 ツーシームは片眉を上げた。「褒めてるのか、けなしてるのか、よく分からないねぇ」「技術屋にとっては最大級の賛辞ですよ」 彼女は再び潜望鏡に目を戻した。 「ハンニバル」の艦腹には、あの巨大な砲身が抱え込まれている。 戦場へ現れた瞬間から、帝国軍はあれを恐れていた。だが。「だが、やはり撃てないようだね?」 そのひと言で、トロストの笑みがわずかに薄れた。「ええ。火器管制はまだ沈黙したままですな。防壁も対空火器も化け物じみているが、肝心の牙が閉じたままです」「それさえ出来れば、単艦で帝国軍を追い払うこともできように……」「できましょうな。いや、追い払う程度で済むかどうか」 ツーシームは舌打ちし、潜望鏡から目を離した。 艦橋に投影された簡易戦術図では、「ハンニバル」を中心に帝国軍の針路が歪んでいる。 一隻が戦場の戦術力学そのものを書き換えていた。「ヤツを前にしては、この新型『モリガン』の性能がかすむなぁ……」 その声には、珍しく本気の落胆が混じっていた。 海賊船「モリガン」の大改造は、彼女が執着して