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時を遡った私は、もう愛さない
時を遡った私は、もう愛さない
Author: にんじん玉子

第1話

Author: にんじん玉子
ドアが開くと、葵が驚いた顔で立っていた。頬にはまだ涙の跡が残っている。

目尻は赤く腫れ、かすれた声で尋ねてきた。

「栞?どうしてここに?」

私は胸の中で渦巻く複雑な感情を抑え、できるだけ優しい声で話しかけた。

「葵さん、少しだけお話しできませんか?」

リビングのローテーブルには、乾きかけのイラストの原稿が散らばり、食べかけのマンゴームースも置かれていた。

私はその場で、単刀直入に切り出した。

「律さんの代わりに謝りに来ました。共同展の開幕式をすっぽかしたのは、全部律さんが悪いんです」

葵は唇を引き結んだまま何も答えなかった。握りしめた原稿の端にしわが寄っている。

「わざと葵さんを無視したわけじゃなくて、口下手で、素直になれないだけなんです。律さんは今、路地裏のバーでひとりお酒を飲んでます」

私は努めて声を和らげ、葵をなだめるように続けた。

「迎えに行ってあげてください。律さんの心にいるのは、ずっと葵さんだけなんです」

前の人生では、結婚した後も葵の誕生日になるたびに、律はアトリエにこもってひとりやけ酒を飲んでいた。

律は一度だって葵を忘れたことがなかった。

葵はじっと私を見つめると、不意に涙をこぼした。

「律みたいな頑固で愛想のない男のそばにいて、よくこんな気の利く子になったわね」

葵は玄関にあった上着を手に取り、私に丁寧にお礼を言うと、急いで出かけようとした。

バーの場所を教えると、葵は慌ただしく靴を履き替えて階段を駆け下りていった。その背中を見送り、私は大きく息をついた。

3人の人生を狂わせたあの出来事は、絶対に繰り返させない。

律の部屋に戻ると、私はイーゼルの奥に3年間隠していたスケッチブックを取り出した。

12歳の頃、私は東都美術大学付属高校への進学を夢見ていたものの、学費を工面できる見込みがなかった。

そんな私を支えてくれたのが、当時18歳だった律だ。

他人には冷たいのに、私にだけはいつも少し優しく接してくれた。

恋心を抱き始めた頃、私の頭の中は絵を描く彼の横顔でいっぱいだった。

誰にも言えない恋心を、私は8年間ずっと胸に秘めていた。

スケッチブックを手に取り、1ページずつビリビリに引き裂いた。破った紙はすべて、マンションのゴミ捨て場に放り込んだ。

私の密かな恋心も、紙くずと一緒にゴミと化した。

それから1時間ほど経った頃、玄関がガチャリと開いた。

泥酔して足元のおぼつかない律を支えながら、葵がよろよろと入ってきた。

律は葵をきつく抱きしめ、首筋に顔をうずめながら、ろれつの回らない声でつぶやいた。

「葵……別れないでくれ……俺が悪かった……もう約束を破ったりしないから……」

葵は呆れたように笑いながら、律の背中を優しく叩いた。「はいはい、別れるなんて言わないから」

私に気づいた葵は、ほっとしたように息をついた。

「栞、ごめんね。酔い覚ましに何か温かいものを用意してもらえる?私は律を寝室で休ませてくるから」

私はうなずき、葵が律を半ば引きずるように寝室へ連れていき、ドアを閉めるのを見届けた。

キッチンでお湯が沸くのを待っていると、寝室のドア越しに律の甘えた声と葵の明るい笑い声が聞こえてきた。

前の人生で初めて葵を見たときから、ふたりはお似合いだと分かっていた。

葵は明るくさっぱりした性格で、絵の腕も抜群だった。私のことも何かと気にかけてくれた。

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