Masuk今、信行はすでにシャワーを浴び終え、祖父の浴衣を身にまとっていた。独特の色気を醸し出している。髪を拭く手を止め、真琴は伏し目がちに彼を盗み見た。今の信行は、学生時代の彼にそっくりだ。あんなに冷淡でもなく、あんなに自分を嫌ってもいない頃の彼に。しばらく見つめた後、真琴は視線を外し、ベッドの端に浅く腰を下ろした。真琴が座ったのを見て、信行はすぐには話し始めず、ただじっと彼女を見つめていた。射抜くような視線に居心地が悪くなり、真琴は目を逸らす。すると、信行が右手を伸ばし、そっと彼女の頬に触れた。真琴は反射的に彼の手首を掴み、その手を外そうとする。だが、信行の力は強く、びくともしない。指で真琴の頬をなぞり、さらに唇をそっと撫でる。真琴が彼の手首を掴む指先に力がこもる。それを見て、信行はくつくつと笑った。「子供の頃と同じだな。一度言い出したら、テコでも動かない」紗友里と同じことを言う。真琴は淡々と彼を見つめ返し、静かに告げた。「……あの頃は幼かったんです。状況が分かっていませんでしたから」離婚を切り出し、信行も夕方には真剣に承諾した。今もその話をするつもりなのだろう。だから余計なことは言わず、全ての問題を自分のせいにして、「幼かったからだ」と片付けた。実際、離婚さえできれば、目的さえ達成できれば、幼かったかどうかなんてどうでもいいことだ。信行は尋ねた。「何の状況が、分かっていなかったんだ?」そう言って、信行は彼女の顔から手を離し、まっすぐに彼女を見つめた。その何気ない態度、昔のままの信行。真琴は彼の瞳を見つめ、正直に答えた。「……あなたが、私を好きだと思っていました」真琴の言葉が終わると、信行の顔から笑みが消えた。ただ、真琴を見つめる。視線が絡み合う。しばらくの沈黙の後、信行は不意に自嘲気味に笑った。「結果は計算違いか?結果、三年間何も得られなかったと?」信行の皮肉な笑みに、真琴は視線を外し、もう何も言わなかった。ここまで来て、それに信行と由美の関係、由美への深い愛情を思えば、彼への想いを認めるつもりなど毛頭ない。自惚れは……二度も繰り返すべきではない。真琴が黙って視線を外すと、信行も笑みを収めた。真琴が両手をベッドについているのを見て、彼は無意識にその片手
電話の向こうで、由美は信行が「真琴ちゃん」と呼ぶのを聞き、彼が真琴と彼女の祖父と一緒に食事をしている事実を突きつけられ、沈黙に陥った。しばらくの沈黙の後、由美は震える声を抑え、努めて穏やかに尋ねた。「信行……真琴ちゃんと彼女のおじいさんと普通の食事をするのが、私のお爺様の誕生日の晩餐会よりも重要なの?」真琴の寂しげな背中から視線を戻し、信行は由美の問いには答えず、ただ淡々と言った。「切るぞ」そう言うと、そのまま電話を切った。内海家の方では。由美は一人で庭に立ち尽くしていた。電話の向こうから聞こえるツーツーという電子音を聞きながら、携帯を持った右手をゆっくりと耳から下ろす。その表情は、次第に曇っていく。信行が変わった。彼は真琴のことを気にかけるようになった。花壇の花々を虚ろな目で見つめ、由美はしばらく呆然としていたが、独り言のように呟いた。「信行、もし真琴ちゃんがそんなに重要なら、私は?私は何なの……成美は何だったの?」「由美、信行さんに電話した?彼はもう着いた?お爺様が食事を始めるのを待っていらっしゃるわよ」その時、母親が別荘から出てきて、嬉しそうに由美に声をかけた。母の声を聞き、由美は瞬時に表情を切り替える。満面の笑みで振り返り、何事もなかったかのように言った。「信行はちょっと急用ができて、夜は来られないって。先に始めましょう、待たなくていいわ」母親は目を丸くした。「土曜日なのに、そんなに忙しい用事があるの?何がそんなに重要なの?」由美は優雅に微笑んだ。「あれだけの規模の会社だもの、信行はきっと忙しいのよ。さあ始めましょう、待たないで」由美が会社の用事だと言うので、母親はまた彼女の手を取って言った。「信行さんは本当にいい方ね。あなたに対しても申し分ないわ。風早の買収も私たちに譲ってくださったし。あなたも信行さんにわがままを言っちゃだめよ。彼の大変さを理解してあげなさい。彼だって板挟みで大変なんだから」由美は完璧な笑顔で頷いた。「分かってるわ。安心して」そう言って、母娘は並んで屋敷の中へと入っていった。……一方、辻本家の方では。信行が電話を終えて部屋に戻ると、祖父がニヤリと笑って言った。「この勝負は見えたぞ。お前はもう勝てん」信行は笑った。「そ
そして……手放してくれて、ありがとう。真琴のこの「ありがとう」に、信行は力なく笑った。長年の付き合いだ。どう言えば自分が一番傷つくか、こいつはよく知っている。腕を解き、信行は真琴を見下ろす。その静かな瞳を見て、短く促した。「降りよう」真琴は「はい」と頷き、二人は階下へ向かう。前を行く信行の足取りは、普段よりずっと重く、遅い。二人はただ無言で、階段を降りていった。リビングに降りると、哲男が二人を見上げて目を細めた。「起きたか?信行くんは午後からずっと待っておったぞ」真琴は笑って言った。「いらしてたなんて、知らなかったわ。起こしてもくれなかったし」哲男は真琴の言葉を聞き、また笑顔で信行に向き直った。「信行くん、飯までまだ時間がある。二局ほど付き合ってくれんか」信行は両手をポケットに入れ、快く応じた。「いいですよ」孫娘の離婚を支持し、一日も早い成立を望んではいるが、彼はあくまで年長者。顔を合わせるたびに離婚を急かすような無粋な真似はしない。だから信行が来るたび、祖父はこうして礼を尽くして接していた。それに、二人のことはやはり二人で解決するしかない。彼がすべきことは、孫娘に態度を示し、彼女の最強の後ろ盾で居続けることだけだ。将棋盤を挟んで向かい合う二人。真琴は傍らで静かに観戦している。時折、祖父の悪手に気づいても、口出しせずに黙って見守った。庭では、使用人の紀子が夕食の準備に忙しく立ち回りながら、屋内の和やかな光景に目を細めていた。これこそがあるべき日常の姿だと思った。お嬢様も数年耐えて、ようやく報われたのだと信じて疑わなかった。屋内では、信行が盤面に没頭している最中に携帯が鳴った。盤面を見つめたままポケットから携帯を取り出し、何気なく画面を確認する。だが、その見慣れた番号と表示名を見た瞬間、信行の表情が凍りついた。すぐには出ず、顔を上げて哲男に言った。「失礼します。電話に出てきます」祖父は信行を一瞥し、何事もないように言った。「ああ、行ってきなさい。わしも今のうちに次の一手を考えるとしよう」そう言って、祖父はまた盤面に目を落とし、真剣に考え始めた。その様子を見て、信行は傍らの真琴を一瞥した。彼女は盤面をじっと見つめたまま、こちらを見ようともしない。彼は電話を持っ
続いて、拓真から何枚ものスクリーンショットと動画が送られてきた。内海家の誕生会の様子だ。動画の中で、由美の両親や祖父が、高らかに信行を「婿」だと公言している。送られてきたチャット履歴と動画を目の当たりにし、信行の表情が険しくなる。今日、内海家の祝いに顔を出したのは、あくまで成美への義理立てに過ぎなかった。かつての情があったからこそだ。眉間を揉みながら動画を閉じる。拓真から追撃のメッセージが届いた。今度は画像でも動画でもない。たった一行のテキストだ。【お前の真琴ちゃんへの態度が、そのまま世間の真琴ちゃんへの評価になるんだ。無理なら、もう解放してやれ】その言葉を噛み締め、信行は返信せずにアプリを閉じた。携帯を無造作に棚へ放り投げ、振り返る。そこには、床に落ちたボトムスを拾って履き、淡々と服のボタンを留めている真琴の姿があった。内海家の華やかな賑わい。対して、この家の静寂と、真琴の沈黙。信行の心がささくれ立つ。あんなつもりじゃなかった。ただ、さっきは怒りでどうにかなりそうだっただけだ。窓際でしばらく立ち尽くした後、信行はようやく彼女へと歩み寄った。真琴の前に立ち、ポケットから右手を出して、乱れた髪を不器用に撫でる。「……さっきは悪かった。過剰反応だった。怖がらせたな」真琴は顔も上げない。最後のボタンを留め終えると、無言で自分の頭から彼の手を外した。冷徹なまでの他人行儀。明確な拒絶に、行き場を失った信行の右手は、宙で力なく彷徨った。服とベッドを整え終えてようやく、真琴は淡々と信行を一瞥し、冷ややかに言った。「ご飯です」そう言い捨て、彼女はドアの方へと歩き出した。真琴の寂しげで孤独な背中を見つめ、信行は静かに言葉を紡いだ。「……離婚……してやる」離婚という言葉に、真琴の足が止まる。ドアノブにかけた指先が凍りついたように動かない。しばしの沈黙の後、彼女は振り返って信行を見つめ、掠れた声で応じた。「……分かりました」信行はその様子を見て、優しく言った。「離婚協議書はそう簡単にはいかない。法務部に少し時間をくれ」真琴は頷いた。「構いません」真琴から引き留める言葉も、名残惜しさの欠片もない。その事実に、信行の胸がチクリと痛む。急に手放そうと思ったのは……解放して
信行の荒々しい口づけ。乱暴に引き裂かれる衣類の音。それでも真琴は、まるで予想していたかのように無抵抗だった。ただ冷ややかな瞳で彼を見つめ、黙ってされるがままになっている。まるで、他人事のように。首筋に唇が這う。脱がされたボトムスが床に放り投げられる。信行が自身の服に手を掛けても、真琴は身動きひとつしない。ただ顔を背け、彼を無視して、好きにさせた。分かっていた。これは愛撫ではなく、ただの鬱憤晴らしだ。これが済めば、二人の関係は完全に終わる。もう戻れない。二度と、昔には戻れない。顔を背け、彼がもたらす嵐を淡々と受け流しながら、真琴は横のタンスを見つめ……ふと、遠い記憶を呼び覚ましていた。――信行、好きだよ。――信行の顔、本当にきれいね。――信行がいてくれてよかった。それらの言葉は、すべて彼が寝ている間にこっそりと囁いたものだ。初夏の夕暮れ。彼を呼びに教室へ行くと、信行は机に突っ伏して眠っていた。クラスメートは皆帰ってしまい、教室には彼一人だけ。椅子を引いて座り、長い間その寝顔を見つめていた。やがて、そっと立ち上がる。耳にかかった髪をかけ直し、身をかがめて……盗むようにキスをした。それが、彼女の人生で最も大胆な行動だった。記憶が溢れ出す。それと同時に、今の彼が由美に向ける庇護や、由美の勝ち誇った投稿が脳裏をよぎる。目頭が熱くなる。……自分のことが好きじゃないなら、あんなに優しくしないでほしかった。誤解させないでほしかった。こんなに好きにさせないでほしかった。何度も彼の部屋で寝かせてくれたり、塀を乗り越えて一緒に授業をサボったり。自転車の後ろに乗せて、腰に抱きつかせてくれたり。自分のために喧嘩をして、運動会で伴走して……これからもずっと一緒だなんて約束、しないでほしかった。信じてしまった。全部、真に受けてしまった。彼も自分と同じ気持ちなんだと、思い込んでしまった。信行に無理やり脚を開かれ、真琴の目から涙が溢れる。今の彼の乱暴な振る舞いが悲しかった。彼が自分を愛していない事実が悲しかった。何より……二人がもう、あの頃の二人ではないことが、どうしようもなく悲しかった。真琴の無抵抗。そして、その瞳に宿る深い悲しみと虚無。それを見た瞬間、信行の激情は急速に冷えていった。押さえ
もう二度と真琴の心には入れない。二度と昔には戻れない。そんな予感がした。友達にさえ戻れないのだと。信行は右手を伸ばし、真琴の頬に触れた。その手は真琴の顔を覆うほどに大きい。真琴がその手を外そうとすると、信行はそのまま彼女の首根っこを押さえ、強引に自分の方へ引き寄せた。よろめいて信行の胸にぶつかる。真琴はとっさに両手を彼の胸に押し当て、密着するのを防いだ。それに……鼻をつく由美の匂いが生理的に無理だった。無言の攻防。拒絶する真琴に対し、信行は首根っこを掴んだまま身をかがめ、唇を奪おうとする。真琴は両手で彼を突き放し、顔を背けて避けた。キスはさせない。頑なな拒絶に、信行はそれ以上無理強いせず、ただ彼女を見つめた。伏し目がちにしばらく彼女を見つめ、深く息を吐き出す。額を彼女の額に押し当てたまま、長い間口を開かなかった。真琴も何も言わず、ただわずかに顔を背け、彼に隙を与えないよう身構えている。沈黙が続いた後。信行はいつもの傍若無人な態度に戻り、真琴の頬をつねって自分の方を向かせると、不敵に笑って尋ねた。「俺に触らせもしない……理由を言え」信行を見上げる。昼間の美智子からの電話を思い出し、由美のLINE投稿を思い出す。今この瞬間、信行が目の前にいても、真琴は彼が自分のものではないと痛感していた。以前も、今も、そしてこれからも。彼は決して自分のものにはならない。風早買収のことも、由美の投稿のことも持ち出さず、真琴はただ彼を見つめ、一語一語はっきりと、真剣に告げた。「あなたのことが好きではありません……親しくなりたくないんです」好きじゃない?親しくなりたくない?真琴の言い分を聞き、信行は怒りを通り越して笑ってしまった。彼女の顔から手を離し、両手をポケットに戻して横を向く。ふっと自嘲気味に笑ってから再び真琴に向き直り、滑稽なものでも見るように言った。「俺が好きじゃない、触れたくもない。なのに、なんで俺と結婚してる?」真琴は顔色一つ変えずに答える。「ですから、離婚したいと言っているんです」真琴の冷静さ、そのあまりの率直さに、信行は怒る気力さえ削がれた。呆れたように吐き捨てる。「お前はずいぶんと気ままだな。自分勝手にも程があるぞ」真琴は平然としていた。「数年間も時