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第2話

作者: 満々
午前三時、晩夏は傷の手当てを終え、榊原家の邸宅へ戻った。

疲れ切った体を引きずり、寝室の前まで来たとき――

半開きの扉の隙間から、男女の甘い吐息と乱れた声が漏れ聞こえてきた。

晩夏が扉を押し開けると、床一面に散らばった服と、生々しい空気。

ベッドの上の男女は、どれほど激しく求め合っていたのか想像もつかないほど乱れていた。

晩夏の姿を見た瞬間、奈々が悲鳴を上げる。

ベッドサイドの花瓶が、晩夏めがけて投げつけられた。

花瓶は晩夏の額に当たり、割れた破片が飛び散り、血が滲んだ。

同時に響いたのは、研の怒りに満ちた声だった。「出ていけ!」

三十分後、研が晩夏の前に現れた。

「奈々は今日からここに住む。妊娠してる彼女を一人で外に住まわせるのは心配だ。

晩夏、離婚しても俺とお前の関係は変わらない。お前は今まで通り俺のそばにいればいい。ただ、奈々と子供には表向きの立場が必要なんだ。

奈々は、この数年で出会った中で一番、晩月に似ている子だ。彼女のことを妹だと思えないか?

お前が晩月を死なせたんだ。これは、お前が俺に負っている罪だ」

先ほど花瓶が当たってできた傷口から、再び血が滲み始めた。

悔しさと痛みが胸の奥で絡み合う。

晩夏は研の首筋に残る生々しいキスマークを見つめながら、ゆっくりとバッグから書類を取り出した。

そして、今夜弁護士のもとで署名したばかりのA4用紙を、彼の目の前で引き裂いた。

紙片となって床に散った離婚協議書を見て、研の表情が険しく沈む。

だが晩夏は嘲るように笑った。

「渡すつもりだったけど、気が変わったわ。研、あなたは一生『死別』しかない。離婚なんて絶対にさせない。

もし私が死ぬ日まで待てないなら、訴訟を起こせばいい。判決が出るまで、早くて一年、普通は二年はかかる。

あなたの子供は、結局あなたと同じ――婚外子のままよ」

研の目が怒りで赤く染まる。

彼は晩夏の首を掴み、強引に引き寄せた。

締めつける力が強まるにつれ、晩夏の顔色は青紫に変わっていく。

やがて息が途絶えかけた頃、研は彼女を床へ突き飛ばした。

晩夏は激しく咳き込みながら、それでも笑った。「他にも……方法はあるわよ……奈々に中絶させればいい。あなた、私にはそうしたでしょう?」

研は何も言わなかった。

だが、いつの間にか部屋から出てきていた奈々が、勢いよく晩夏の頬を叩いた。

乾いた音が室内に響いた。

「私の子供はもう四ヶ月なのよ!大事な命なのよ!あなた、本当に冷酷な女ね。だから研はあなたと離婚したがってるのよ。

あなたの姉と研のお母さんが、あなたのせいで一人は行方不明になって、一人は死んだのに、黙って隠れて、警察署にも行かなかったんでしょう?

あなたみたいな人、早く死んだほうがいいわ!」

奈々の平手打ちでよろめいた晩夏は、テーブルの角に額をぶつけた。

血が勢いよく流れ落ちる。

しかし奈々はすぐに研の胸へ身を寄せ、涙を流した。「研、お腹が少し痛いの……赤ちゃん、私たちがいらないって言ったから怒ってるのかしら……」

研の視線は冷たいまま晩夏に向けられていたが、腕の中の奈々を抱きしめる手つきは優しかった。「馬鹿だな。大丈夫だ。赤ちゃんは、パパとママが愛してるって分かってる。心配するな、今すぐ病院へ行こう」

研が奈々を抱きかかえ、その姿が視界から消えていくまで、晩夏はその場に立ち尽くしていた。

激しい眩暈に襲われながら、彼女は親友・森川智香(もりかわ ともか)へ電話をかけた。

……

次に目を覚ましたのは、翌日のことだった。

病室で目を開けると、そこには智香の姿があった。

目を赤く腫らし、声を詰まらせる。「晩夏ちゃん……どうしてこんなになるまで放っておいたの?」

乾ききっていた晩夏の目から、涙が一気に溢れ出した。「智香……あの人を許したくない……悔しいの……」

「でも、晩夏ちゃんの病気……」

晩夏の視線は窓の外へ向けられた。

「九日後、遠野原へ写生に行くんでしょう?私も連れて行ってくれる?

私、自然葬の予約をしたの。でも一人だと少し怖くて……一緒に来てくれる?」

晩夏の言葉に、智香の涙が再び溢れる。

智香は晩夏を抱きしめた。「晩夏ちゃん、今は医療も進歩してるの。きっと治る。諦めないで……」

晩夏は真剣な表情で、智香の涙を指で拭った。「智香……もう痛すぎるの。全身が、がんに侵されていて、薬も効かない。今はモルヒネポンプに頼るしかない」

遠野原の自然葬――

それが、晩夏が自分のために選んだ最期だった。

智香が何か言おうとしたとき、電話が鳴った。

受話器の向こうから、画廊のスタッフの慌てた声が響く。「オーナー、大変です!店の前に大勢の人が集まっていて、今にも店を壊されそうで……」

言い終える前に、電話は切れてしまった。

晩夏と智香が画廊へ駆けつけたとき、すでに店内はひどく荒らされていた。

智香は慌てて中に駆け込む。

だが晩夏の目は、人混みの中にいる研と奈々の姿を一瞬で捉えた。

胸が締めつけられる。

何が起きたのか、すぐに理解した。

二人の前まで歩み寄ると、奈々が先に晩夏の手を掴んだ。

「晩夏さん、やっと来てくれた。カフェを開きたいの。研が言ったのよ、榊原家の物件は好きに選んでいいって。

色々見たけど、ここが一番気に入ったわ。欲しいの。晩夏さんのお友達、今日中に引っ越せてくれる?」

晩夏の胸に鋭い痛みが走る。

さきほど打ったモルヒネの副作用で込み上げていた吐き気が、突然喉までせり上がった。

晩夏は思わず花壇に駆け寄り、激しく吐いた。

戻ってきたとき、顔色は紙のように白かった。

「研……私たちの問題に智香は関係ない。この画廊は、彼女の亡くなった両親が残した唯一のものなの。

何十年もここで経営してきて、今年ようやく十五年契約を更新したばかりなのよ。こんなこと、許されるはずがない」

研は血の気を失った晩夏の顔を見つめ、まったく関係のないことを口にした。

「俺を見ると吐くのか?俺がそんなに気持ち悪いか?

店を壊した件だが――俺がやろうと思えば、できないことはない」
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