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第7話

作者: 満々
処置室の前の廊下で、晩夏は看護師にモルヒネを打ってもらい戻ってきたところだった。

そこで目に入ったのは――

研が奈々を抱き寄せて立っている姿だった。

胸の奥に燻っていた怒りが、一瞬で燃え上がった。

晩夏は早足で二人の前へ進み、奈々の腕を掴んで引き離そうとした。

だが研が強く遮った。「晩夏、落ち着け。奈々のせいじゃない。彼女が怯えているだろうが」

力では到底敵わない。

もみ合う中で、晩夏は突然奈々の手首に噛みついた。

「痛い!離して!」

その一噛みに、積もり積もった憎しみをすべて込めた。

ボディガードたちが引き離そうとしても、晩夏は決して口を離さなかった。

研は強く晩夏の顎を掴み、容赦なく頬を打った。

その衝撃で晩夏は力を失い、床へ倒れ込む。

「晩夏、正気か?奈々は妊婦だぞ。気が弱いんだ。それなのに手を出すとは。

轢いたのは彼女じゃない。奈々は優しい人間だ。今も怖がって泣いているじゃない。これ以上どうしろというんだ」

床に座り込んだまま、晩夏は乾いた笑いを漏らした。

「ええ……狂ってるわ。十年前、あなたと結婚した時からずっと狂ってる。

あなたの言う『優しくて臆病な奈々』が了承しなければ、業者が勝手に強制解体なんてすると思う?

『手段は問わない、何かあっても榊原グループが全部責任を取る』――そう伝えたのは彼女じゃないの?」

奈々の手から血が滴り落ちる。

痛みに顔を歪めながら叫んだ。「ブルドーザーを止めようとしたのは、あの老婆の勝手でしょ!自分から死にに行ったのよ、私には関係ない!」

研の表情が曇る。「奈々……もういい」

その時、手術室の扉が開いた。

医師が外へ出てくる。「申し訳ありません……最善は尽くしましたが……」

晩夏の顔から血の気が引いた。

周囲の制止も聞かず、手術室へ駆け込む。

目に入ったのは――白布に覆われた施設長の姿だった。

そのとき、研が晩夏の隣に来た。「晩夏……こんな結果は誰も望んでいなかった。別の場所に、もっと立派な『子どもの家』を建てよう。設備も整えよう。奈々からの償いとして」

晩夏の体から力が抜けた。

悲しみは極限に達していたが、涙は一滴も出なかった。

「償い……?どんなに立派な施設でも……施設長は戻ってこない。

施設長はそこに横たわっているのよ……もう動かないって、分からないの?」

研の胸の奥に、言葉にできない痛みが広がる。

低い声で言った。「晩夏……人は生き返らない。これは事故だ」

晩夏はゆっくりと彼を見た。

表情には悲しみも怒りもなかった。「事故……?」

研が答える前に、外から奈々の苦しそうな声が響いた。「研……お腹が痛いの……」

彼は数秒だけ迷った。だが結局、晩夏を振り返ることなく、奈々の元へ向かった。

手術室の扉を出る直前、足を止めて言った。

「賠償は榊原グループが倍でも三倍でも払う。余計なことは考えるな。

今回の件は奈々にも落ち度がある。補償はする。

後の手続きは早く済ませろ。費用はすべて榊原グループが負担する」

廊下で奈々を抱き寄せ、優しく声をかける研の姿を見ながら、晩夏は呆然と立ち尽くした。

滑稽で――

あまりにも虚しい。

もしかすると、最初から間違っていたのかもしれない。

自分と研は、決して同じ道を歩く人間ではなかった。それでも無理に一緒にいようとしたから、こんな結末になった。

研の言う通りだ。

施設長の死は、誰のせいでもない。すべて、自分のせいなのだ。

もし自分が、わざわざ榊原グループの資産を使って「子どもの家」を建てたりしなければ。

研の気を引きたいなどと、愚かな期待を抱かなければ。

いつか彼の手を取って、施設長に「生涯を共にする人に出会えたのだ」と伝えられる日が来ると、そんな夢を見たりしなければ。

そんな、身の程知らずの幻想にすがったからこそ、今の悲劇を招いてしまったのだ。

晩夏、あなたは本当に愚かだ。

だが――

もうすぐ終わる。

それだけが救いだった。

……

三日後。

智香に付き添われ、晩夏は葬儀場で施設長の遺骨を受け取った。

簡素な骨壺を胸に抱え、空港へ向かう車に乗る。

誰にも別れは告げなかった。

残された手続きをすべて終え、病院から処方された大量のモルヒネを携え、静かに人生最後の旅路へと向かう。

隣に座る智香は、どう声をかけていいか分からず、ただ晩夏の肩を抱いた。「晩夏ちゃん……悲しまないで……」

晩夏は微笑んだ。「智香……悲しくないよ。もうすぐ施設長に会えるもの。ほら……ちゃんと一緒に連れてきたし」

智香の涙があふれ出す。言葉にならない。

「泣かないで、智香。私は毎日ずっと痛みに耐えてきたの。これから解放されるのよ」

智香も分かっていた。

それでも――

晩夏のことが、ただただ可哀想でならなかった。

そのとき、研から電話がかかってきた。

晩夏は少し迷ってから、通話ボタンを押した。

受話器の向こうから、苛立った声が響く。「晩夏、どこへ行った?別荘で大人しくしていろと言ったはずだ。奈々が怯えて流産しかけている。すぐ戻って彼女の面倒を見ろ」

晩夏の声は、驚くほど静かだった。「もう戻らないわ。私たちに、もう何の関係もないでしょ。だから、もう電話をかけてこないで」

研の声は張り詰め、彼は低く脅すように言った。「晩夏、俺を怒らせるな。どこへ行こうが、お前は必ず連れ戻してやる。逃げられると思うな」

しばらく沈黙が続いた。

そして晩夏は、静かに言った。「今回は違うの、研」

それだけ言うと、彼女はそれ以上言葉を交わすことなく、一方的に通話を切った。

そして研の番号も、すべての連絡手段も、完全にブロックし削除した。

半生をかけて抱き続けてきた彼への深い愛は、十年の結婚生活――三千日以上の時間の中で、すでに燃え尽きていた。

これからの彼女の願いは、ただ一つ。

あの世に行ってさえ、研と二度と出会わないことだった。
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