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第2話

Author: 桃ちゃん
五年前、鈴夏はとっくに真実を話していた。

だが、彼は信じなかった。

そして五年が過ぎた今、追い詰められた彼女は、もう一度だけ必死に言葉を絞り出した。

「……光也。五年前、私は村瀬雅司(むらせ まさし)と寝てなどいません。ましてや彼と結託して、鈴野製薬の開発機密を村瀬製薬に流出させたなんて、絶対にあり得ないことです。私を刑務所に送ったのは冤罪です。そして柚乃は、間違いなくあなたの娘なんです」

「俺のことをその名で呼ぶな。お前にその資格はない」

憎悪をあらわにした光也は、証拠だけを信じる男だった。「証拠がすべて揃っている以上、誰も冤罪になど陥れていない」

しばらくして、鈴夏はようやく残された力を振り絞り、華奢な背筋をまっすぐ伸ばした。心身の痛みをこらえながら、先ほどの礼儀正しい佇まいと、切実な哀願の面持ちを取り戻す。

「小野寺さん、あの頃、柚乃はまだお腹の中にいて、証明する証拠はありませんでした。でも今なら、親子鑑定をお願いできるはずです。

愛してほしいとか、かわいがってほしいとか、そんな身の丈に合わない願いは口にしません。ただ、食べさせて、学校に通わせて、無事に成人するまで生かしてあげてほしい。それだけでいいんです。

私の言葉が信じられなくても構いません。息を吐くように嘘をつく狡い女だと思われてもいい。でも……どうかたった一度だけ、親子鑑定をしていただけませんか。お願いします!」

その声は、消え入りそうなほど弱々しく、切実だった。

言い終えると、鈴夏は急いでバッグから小箱を取り出し、光也の前に差し出した。

「柚乃の髪の毛です」

光也は、すぐには受け取らなかった。

鈴夏は身を低くして箱を差し出し続け、言葉を尽くし、すがるように続けた。

「柚乃は今年で四歳十ヶ月になります。予定日より半月遅れて生まれてきました。柚子が大好きで、蜂蜜漬けにするといくらでも食べてしまって飽きないところなんて、あなたにそっくりです。だから、柚乃と名づけました。本名は……井山柚乃といいます」

柚乃という名は、かつて光也がつけたものだった。

あの頃、光也は言っていた。もし娘が生まれたら、柚乃と名づけようと。

柚子の花のように、凛として清らかで。その心がただ一途に、愛する人と繋がっていますように。

その名を耳にした瞬間、光也の胸の奥から憎しみと痛みが波のように押し寄せ、激しく波打った。

それでも彼は、鈴夏の差し出す箱に手を伸ばさなかった。

端正な顔立ちに、冷酷な嘲笑が浮かぶ。

「鈴夏、お前の娘に、その名を名乗る資格があるとでも思っているのか」

鈴夏は言葉を失った。「あの子はあなたの娘でもあるんです。私たちが最後に授かった子なんですから」

「それ、五年前に散々やり合ったことを、今さら蒸し返すつもりか。あの夜、俺は避妊した。妊娠などするはずがない」

「でも、妊娠したんです。あの夜に」

「……いい加減にしろっ!」

怒声が、鈴夏の言葉を無残に断ち切った。

全身から血の気が引き、力が抜け落ちていくのを感じる。

「小野寺さん、どうすれば、親子鑑定を受けていただけるんですか。跪いてお願いすればいいんですか。それで済むなら、私は……」

言いながら、箱を差し出したまま、崩れるように膝をつこうとした。

その痛ましいほどの哀願は、光也の胸に何の爽快感ももたらさなかった。

彼は箱をひったくるように受け取ると、怒りに任せて言い放った。

「もういい!俺の家の絨毯を汚すな。お前の尊厳など何の価値もない。髪の毛は受け取った。さっさと帰れ」

柚乃の髪の毛は、受け取ってもらえた。

それでも鈴夏の胸の内で、不安が拭い去られることはなかった。

誠心誠意、最後の願いを込めて、さらに言葉を重ねる。

「もし親子鑑定を受けていただけるなら、心から感謝します。それから、結果が出るまでの間、今日の話を第三者には知らせないでいただけますか。どうか、お願いします!」

深くお辞儀をして、鈴夏は踵を返した。

光也の視線が手の中の小箱から離れ、去っていく彼女の背中へと落ちた。

細く痩せた影がどんどん遠ざかっていく。どれだけ手を伸ばしても届かない夢のように。

書斎の入り口では、実奈がお茶とお茶菓子を手に立っていた。ドアを開けた鈴夏は、危うくぶつかりそうになる。

「お姉ちゃん、もうお話は終わったの?お茶でも淹れていこうかと思っていたのに」

「お邪魔するつもりはなかったの。もう行くわね」

鈴夏はわずかに体を傾け、足早に外へ踏み出した。

彼女が去ると、光也は実奈の手からトレイを受け取り、二人で書斎へと戻った。

腰を下ろすなり、実奈が心配そうな面持ちで口を開く。

「光也、お姉ちゃんは何の用があったの?何かトラブルに巻き込まれてるんじゃないかしら。女手一つだし、何もなければいいのだけれど……」

光也は明言を避けた。「余計な心配はするな。誰が何を言ってこようと、俺たちの婚約には関係ない」

「お姉ちゃんのことが心配なだけよ」

実奈がそう言った時、光也はふと書斎の窓の外へ目を向けた。

ちょうど、鈴夏と柚乃の大小二つの影が、欠けた月の下、身を寄せるようにして歩き去っていくのが見えた。その姿は、痛いほどに寂しげだった。

実奈に一言返して再び窓の外を見ると、もうどこにも二人の姿はない。

そこにあるのは冷たい月光と、夜風に揺れる庭木の影だけ。がらんとしていて、何もない。まるでこの数年間、空っぽのままだった彼の心のように。

その一瞬の喪失感はすぐに消えた。けれど、実奈はしっかりとそれを見逃さなかった。顔色がすっと曇り、得体の知れない不安に駆られた。

光也は静かに視線を落とし、手の中の小箱を見つめた。

その中には、柚乃の髪の毛が入っている。

脳裏に、あの子の愛らしい顔が浮かんだ。ほんの一瞬しか見ていないのに、なぜこんなにも深く刻まれているのだろうか。

実奈が好奇心をのぞかせるように、柔らかい笑顔を作って尋ねた。「あら、その箱ってお姉ちゃんが置いていったの?中に何が入ってるの?」

光也はふと顔を上げた。

実奈はまた、ふんわりと微笑んだ。「ううん、やっぱりいいわ、聞かない。どうせあなたの心は私にあるってわかっているから」

実奈は甘えるような仕草をしながら、光也の襟元にそっと指を滑らせ、シャツの下に隠されていた赤い組紐を引き出した。その先には、古びた守り袋が結びつけられている。

「あなたが事故に遭ったあの日、私は大江寺でお百度参りをして、膝に血が滲むまで石段を上り続けて……それでようやく授かったお守りなの。最近、どうしても嫌な胸騒ぎがして……お願い、絶対に身から離さないでね?さもないと私、不安で壊れてしまいそうだわ」

「わかった、ずっとつけてるよ」胸に重いものを抱えたまま、光也は無理に微笑んでみせた。

それから、とってつけたように言う。「今夜はゲストルームで休んでいてくれ。明日、家まで送っていくから。抗がん剤の研究開発でまだ片付ける資料があって、もう少しかかりそうなんだ」

「うん、わかったわ」実奈は書斎を出る間際、もう一度念を押した。お守りは絶対に外さないでね、と。

彼女が去った後、光也はしばらくの間、柚乃の髪の毛を手にしたまま深い物思いに沈んだ。

柚乃は、本当に自分の血を分けた娘なのか。

まさか自分は、鈴夏を誤解していたのではないか。

あの子の髪の毛を使って、親子鑑定を受けるべきではないか。

小箱を見つめる光也の中で、答えが静かに固まっていった。

……

肌寒い夜風の中、鈴夏は柚乃の小さな手をしっかりと引き、古風な佇まいの高級住宅地を後にした。

いつもならおしゃべりな柚乃が、道中ずっと黙ったままだった。

やがて柚乃が立ち止まり、疲れ果てた鈴夏を不安げに見上げた。

「ねえママ、さっきの怖いおじさんって、あたしのパパなの?」
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