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第5話

작가: 六月の猫
梨花は、全身の力が抜けてしまった。壁にもたれかかり、苦しそうに大きく息をついた。

翼が振り向いたのを見て、彼女は慌ててベッドに戻り、寝たふりをした。

翼はベランダから戻ってくると、ベッドのそばに立った。そして、梨花の顔をじっと見つめた。

梨花は、寝たふりだとばれないように、ぎゅっと手のひらをつねった。

今の彼女には、どんな顔をして翼に会えばいいのか、分からなかった。

さいわい、翼は長居しなかった。

彼はそっとかがむと、優しく梨花の布団をかけ直した。そして、静かに部屋を出て行った。

翼が遠くに行ったのを確認すると、梨花はベッドから起き上がり、急いで山崎家の屋敷へと向かった。

彼女は、剛の前にひざまずいた。

「おじいさん、どうか翼と離婚させてください」梨花の声は低くかすれて、今にも倒れそうなほど弱々しい。「美羽さんの存在も、おじいさんがひ孫を望んでいることも知っています。でも、私は嫌です」

剛は黙っていた。彼が簡単にうなずくはずがない。

梨花は覚悟を決めて、スマホを剛の前に差し出した。「おじいさんの欲しいものを持っています。ただ翼と離婚させてください。財産は一切いただきませんから!」

剛のまなざしが、かすかに変わった。その視線が、梨花とスマホの間を行ったり来たりする。

ガランとしたリビングは、しんと静まり返っている。剛から放たれる冷たい空気、その圧倒的な威圧感に、梨花は思わず震えた。

梨花はこぶしを固く握りしめる。心臓の鼓動が速くなって、息をするのも苦しくなってきた。

彼女が気を失いそうになった、その時だった。剛が口を開いた。「それを使えば、もっと多くのものを手に入れられたはずだ。何もいらないなんて、損だとは思わないのかね?」

梨花はひそかに安堵のため息をもらすと、首を横に振った。そして、きっぱりと言う。「私は、翼と別れることだけを望んでいます」

剛は梨花をじっと見つめ、約束した。「よかろう。俺が話をつけてやる」

梨花はほっと胸をなでおろした。すぐに親友に連絡し、離婚協議書を持ってきてもらうと、それを剛に手渡した。

梨花は病院には戻らなかった。その足で不動産屋へ向かい、自分名義の家を売りに出す手続きをした。

それは全部、亡くなった母親が彼女のために残した財産だった。だから、ここを離れる前に、すべて現金に換えておきたかったのだ。

不動産屋を出たときだった。梨花は、広場で翼と美羽の姿を見かけた。

翼は目立たないラフな服装に着替えていた。マスクとキャップで顔を隠し、美羽のチラシ配りに付き合っている。

美羽は、ずっと笑顔だ。翼に話しかけながら、道行く人にチラシを手渡している。

通りすがりの人に断られても、ひどい言葉を投げつけられても、彼女は天真らんまんな笑顔を崩さない。

翼は、ただ黙って彼女の隣に立っているだけ。手出しも口出しもせず、美羽を愛おしそうに見つめていた。

梨花は息が詰まった。いつか翼にも、あんなふうに隣にいて、自分を支えてほしいと願ったことがあったから。

でも、もういい。そんなことはどうでもいい。心なんて、とっくにずたずたに引き裂かれているのだから。

目の前が、ぐらりと暗くなる。なんとかその場を離れようと足を動かしたが、そのまま膝から崩れ落ち、意識を失った。

次に目を覚ました時、目の前に翼がいた。

彼はいつもの格好に戻っていた。シャツのボタンは一番上まできっちり留められ、その顔からは表情が消えている。

梨花と視線がかち合った瞬間、翼の目にふと妙な色が浮かんだ。

「どうして道で倒れたりしたんだ?」どこか罪悪感でもあるのか、彼の口調は少しおかしかった。

「不動産屋に、家を売りに行ってたの」

「そうか。まだ体調は万全じゃないんだから、もううろつかないでくれ」翼は淡々と答えた。梨花が何を言ったのか、まるで気にも留めていない様子だ。

梨花は自嘲するように笑った。もう何も言う気になれない。この男は自分の体を気遣ってはくれる。でも、自分の心には、まったく興味がないのだ。

また、二人の間に気まずい沈黙が流れた。

ピコン。

タイミングよく、梨花のスマホが鳴った。

剛から写真が送られてきたのだ。そこには、署名済みの離婚協議書が写っていた。

梨花はその写真を一瞬ぼうぜんと見つめた。でもすぐに、これでやっと生まれ変われるんだ、という解放感が胸に広がった。

「何をみているんだ?」珍しく翼から話しかけられて、梨花の指がこわばる。とっさに画面を消した。

梨花は顔を上げ、まっすぐに翼を見つめた。「私たちの、離婚協議書よ」
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