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第5話

Author: 金稼
優奈がどれくらい気を失っていたのか、自分でも分からなかった。けれど「生きたい」という本能だけが、彼女を無理やり覚醒させた。

車はすでに郊外へ差しかかろうとしていた。スマホの画面には、彼女が最後に打った「助けて」という文字がそのまま残っている。

けれど圭吾からは返信も着信もなかった。

胸の奥に絶望が広がる。目は覚めても、身体は鉛のように重く、指一本まともに動かない。もうSOSを打つ力すらなかった。

それでも必死に画面を叩いた数秒後、再び闇に落ちていく。瞼が閉じる最後の瞬間、心の中で叫んでいた。

助けて。死にたくない。

次に目を開けたとき、そこは病院のベッドだった。

「起きた?どこか痛むところはない?」耳に飛び込んできたのは律人の声だった。ベッドのそばに座って、じっと彼女を見守っていた。

優奈はしばらくぼんやりしてから、自分の鼓動を確かめるように胸に手を当てる。「……私、生きてるの?」

「当たり前だろ、バカ」彼は軽く額を指で弾いた。「でもよくやったな。気を失う前に、俺にメッセージを送ってきたんだ」

「……私、メッセージ?何を?」

「文字化けみたいなやつ」律人は大きく息をついた。「今思い出しても背筋が寒くなる。ちょうど寝る前で起きていたから気づけたんだ。普段そんなことをしてこない優奈が意味不明なものを送ってくるなんて、酒に酔ってるか、事件に巻き込まれたかのどっちかだ」

彼はすぐ警察に連絡し、さらに西川家の力を借りた。十五分後、郊外でそのタクシーを止めたのだ。

運転していたのは、指名手配中の連続殺人犯だった。あと数分遅れていたら……考えるだけで背筋が凍った。

「ありがとう。本当に、命を救ってくれて」優奈が震える声で言うと、律人は笑って耳元に顔を近づけた。「忘れたのか?俺たち、今は夫婦だぞ。夫が妻を守るのは当然だ……だから礼なんかいらない」

その言い方があまりに含みを帯びていて、契約結婚だと分かっているはずの彼女の頬が一瞬で赤く染まる。

彼はそれを見て満足そうに笑い、腰を伸ばした。「会社に戻らなきゃ。急ぎの仕事があるんだ。何かあったら電話しろ」

彼が出て行ったあと、病室の空気がやけに重く感じられた。優奈は少し歩きたくなり、下の芝生広場へ向かった。

そこで目にしたのは車椅子に乗った美鈴と、それを押す圭吾だった。「脚、まだギプスしたばっかりだろ。無理してないか?」

「大丈夫。あなた、昨夜ずっとついててくれたんだし、もう休んで」美鈴は心配そうに笑いかけている。

影に立ったままの優奈は、その光景を静かに見つめた。

冷たい風が吹き抜けた瞬間、不思議と胸の奥がすっと軽くなった。

自分が生死の境にいたとき、彼はここで初恋相手のそばにいた。警察に電話一本すらしなかった。

自分の命よりも、彼女の脚のほうが大事。

そんな人間に、未練を持つ価値があるのだろうか。

優奈は小さく笑い、病室へと戻った。

廊下で、豪華な服装の女性とすれ違う。なぜか初めて会った気がしない、不思議な親近感を覚えた。

女性は立ち止まり、サングラスを外すと冷たい視線を向ける。「あなた、森下さんね」

そう言うや否や、彼女の顔にカードを叩きつけてきた。

「うちの長男とあなたのことは全部知ってるわ。外に女のひとりやふたり作るのなんて大したことじゃない。でも、もう美鈴が戻ってきた。清水家と中村家の結びつきこそがふさわしい。来週には婚約させるつもりよ。だからこれを渡すわ。1億円。分かるわよね?身を引きなさい」

鼻に赤い跡がつくほどの衝撃だ。優奈は深く息を吸い、背を向けようとした相手を呼び止めた。

「……足りない」

「は?」女性――中村里穂(なかむら りほ)が振り返る。

「足りないと言ったの。あなたの息子は破産を装い、三年間も私と付き合っていた。その間、彼の借金返済に1億2千万円。生活費も弟の分まで、全部私が払いました。計算すれば二億円が妥当です」

里穂は言葉を失ったあと、バッグから数枚のカードを引き抜き、床に投げつけた。「4億円。いい?余りは慰謝料よ。さっさと消えて」

優奈はしゃがみ、カードを拾い上げた。「ありがとうございます。さようなら。もう二度と現れません」

病室に戻ると、六時間かけて昨日の写真を仕上げ、千夏に送る。さらに一億円を振り込み、これまでの支えに心から感謝を伝えた。

そして、律人に電話をかける。「もう片付いた。今夜、私と姉を海外に送ってもらえる?」

「もちろん」

その頃、病院の庭で美鈴と魚に餌をやっていた圭吾のもとに、匠真から慌ただしい電話が入る。

「兄さん!優奈が一日中帰ってないんだ!電話も繋がらない。そっちに連絡あった?」

「そんなのいつものことだろ。仕事が立て込むと会社に泊まり込むし、電源切ってることも多い」圭吾は軽く笑った。

匠真は黙り込み、胸の奥に怒りを溜め込む。

自分たちは母・里穂の実子ではない。養子だ。里穂には娘がいたが、生まれて一か月で行方不明になった。

母親が彼らを引き取ったのは愛情からじゃなく、会社を任せる後継ぎが必要だったからだ。

子どもの頃からずっと、どんなことでも完璧にやり遂げたときだけ、母親はご褒美みたいに笑顔を見せて、ほんの一瞬だけ優しくしてくれた。彼らが与えられた温もりは、すべて条件つきのものだった。

けれど兄はラッキーだ。彼には優奈がいた。無条件に愛してくれる存在が。

それなのに、全然大切にしてなかった。

「兄さん、いい加減にしろ。三年間も優奈を騙して、今は美鈴と一緒?来週には婚約まで決めて?それでまだ優奈を縛り続けるつもりか。兄さんなんか、彼女に相応しくない!」匠真は深呼吸して吐き捨てた。「会社も探した。昨夜のうちに帰ったらしい。兄さんは初恋相手とでも戯れてろ。俺は優奈を探しに行く!」

匠真は怒って電話を切った。

圭吾は呆然と立ち尽くした。すごく不安だった。ふと、昨夜届いていた未読メッセージを思い出した。

慌てて開くと、画面に浮かび上がったのは「助けて」という文字だった。

送信時刻、午前一時半。時計を見ると、すでに夕方六時。

圭吾の呼吸が止まった。全身の血が一気に冷え、足元から凍りついていく。

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