Masuk啓太は突然堰を切ったように涙を流し、絞り出すような声で言った。「若葉、俺が悪かった。俺がすべて間違っていた。お願いです。もう一度だけ、若葉を抱きしめさせてください」監査官は冷ややかな目で啓太を見下ろし、吐き捨てるように言った。「この3人を連れて行け」睦月は狂ったように抵抗し、鬼のような形相で若葉を罵っていた。だがすぐに、別の激怒する声が睦月の罵倒を掻き消す。それは啓太だった。怒り狂った啓太が、睦月に黙るよう怒鳴りつけていたのだ。その後、二人の声は激しい言い争いへと変わり、やがて冷たい風の中に消えていった。……若葉が埋葬された日、また大雪が降った。見渡す限り、純白の世界。葬儀を執り行ってくれたのは、監査官と綾だった。二人は若葉の遺言通り、彼女を家族の墓のそばに埋葬した。若葉の墓石を撫でながら、綾は息も絶え絶えに泣きじゃくる。「若葉さん、安らかに眠ってくださいね。松田局長と夏川さんには、ちゃんと報いが下りましたから」監査官の声もひどくしゃがれていた。彼は若葉の父親の墓石を見つめ、声を詰まらせながら言った。「すまない。娘さんを守り切ってやれなかった」若葉が残したあの離婚届は、啓太との最後の繋がりを完全に断ち切った。墓石には、ただ若葉の家族である白石家5人の名だけが清らかに刻まれている。それはまるで、若葉が暗闇を抜け出し、永遠に家族の愛に包まれたままの一人の少女に戻ったかのようだった。組織内で独自に行われた啓太と睦月の処罰審査の結果が、厳かな声で読み上げられる。「調査の結果、松田啓太および夏川睦月は、計画的殺人、職権濫用、医療文書偽造の罪など……複数の罪状により、無期懲役、終身刑に処する」松林の外れ、白石家の墓石へと向かい合うところに、局員たちがレンガで二つの粗末な独房を作り上げた。啓太と睦月は木の柱に後ろ手に手錠をかけられ、膝は深く積もった雪の中に埋もれている。その場所からは、ちょうど白石家5人の墓石がはっきりと見えるようになっていた。北風によって鉄格子からは雪が吹き込み、独房の中に積もってゆく。啓太と睦月のコートはとうに剥ぎ取られ、薄っぺらな囚人服は凍りそうなほど冷え、髪の毛から垂れる氷の結晶が、二人のすすり泣きに合わせてかすかに揺れていた。「雪かきの時間
その言葉を聞いて、啓太は激しく抵抗し始めた。「それはやめてください。俺は若葉のそばにいなきゃならないんです。若葉には俺が必要なんです……」すると、綾がついに堪えきれず罵声を浴びせた。「今更いい夫のふりなんかしないでください!本当に愛していたなら、騙したりなんかして、若葉さんに心臓を提供させたりしますか?若葉さんはね、死ぬ時でさえ離婚届を握りしめていたんですよ?それがどういう意味か、まだ分からないんですか!若葉さんはすべてを知っていたんです。だから、死んでもあなたとは縁を切りたかったんじゃないですか?」その言葉は、啓太の心を完全にへし折る最後の一撃となった。彼はその場に呆然と立ち尽くし、抵抗することすら忘れてしまったようだ。そこへ、別の同僚がやってきた。「書斎で、奥さんが残した日記を見つけました」【10月21日。啓太が心臓病を患ったと聞き、胸が張り裂けそう。でも、啓太を愛しているから、彼のためならどんなことでもする覚悟はある】【10月24日。適合する心臓が見つかれば、移植手術で治ると啓太が言った。海外の専門医を探し出し、確実な返答をもらえた時、私は本当に嬉しかった】【10月26日。病院で適合検査を受けた。運命か私の心臓は啓太と適合した。怖くないと言えば嘘になるけど、それ以上の喜びがあった。私は啓太を愛している。彼の命は、私の命よりもずっと尊い】【今日、真実を知った。私の子宮は、啓太と夏川さんが事故を装って奪い取ったものだったらしい。あの日、私のお腹には3ヶ月の命が宿っていたというのに。私はもう二度と、『ママ』と呼ばれることはない。胎盤さえも、夏川さんの病を治すための特効薬の材料にされたみたい。それに、夏川さんの病気。ただ夏川さんが病気だというだけで、啓太は仮病を使い、私の心臓を騙し取って彼女に与えた。啓太は私の夫なのに、なぜここまで私を陥れるのだろう?本当に理解ができない】日記の最後の一文は、強い筆圧で書き殴られており、まるで鋭い剣のように、その場にいた全員の心に深く突き刺さった。涙もろい者はすでに声を上げて泣き崩れ、厳格な監査官でさえも目頭を赤くし、怒りに震えながら啓太と睦月を睨みつけた。「私が若葉さんを殺したようなものです」綾が、嗚咽を漏らしながら泣き崩れた。「若葉さんに松田局長を
睦月は途端に慌てふためき、青斗を呼び止めようとしたが、同僚に強く押さえ込まれる。「ねえ、一昨日お母さんと松田局長がどこへ行ったか、教えてくれるかな?」青斗は目をキョロキョロとさせるだけで、口を開こうとしない。すると、監査官は表情を厳しくし、低い声で脅すように言った。「もし答えないと、夜中に悪い妖怪が来て、君を攫っていってしまうぞ」まだ6歳の子供だ。そんなことを言われた青斗は、途端に大声で泣き出した。「知らない!でも、ママが言ってたんだ。松田パパが病院でママに手術を受けさせてくれるって。悪い女が、ママに心臓をくれるんだって」「心臓を?なぜ心臓などを……」監査官は啓太と睦月を睨みつける。「君たち、局に隠れて一体何をやったんですか?」若葉の死は、啓太の心を完全に打ち砕いたようで、彼は生ける屍のように若葉の遺体を抱きしめ、泣き崩れた。「全部俺のせいだ。若葉に心臓の提供なんてさせるべきじゃなかった」「心臓の提供だと?」真司の顔色が途端に険しくなった。全員の視線が一斉に睦月へと突き刺さる。睦月も空気の異変を悟り、慌てて弁解した。「私には関係ありません。啓太さんが若葉さんを騙して、心臓を提供させたんですから」その一言は、すべての責任を啓太に押し付けるものだった。だが啓太は何も聞こえていないかのように、ただひたすら呟き続けている。「俺が若葉を殺したんだ。睦月の病気を治すために、若葉の心臓なんか奪うべきじゃなかった」「病気?何の病気ですか?」真司が怒りを露わにし怒鳴った。「夏川さんが病気ですって?毎年の健康診断の結果を見ていますが、誰よりも健康そのものですよ!」その言葉に、その場にいた全員が凍りついた。睦月の顔からは完全に血の気が引いている。彼女は啓太を見て、狼狽と焦りに顔を歪めた。「違うの、啓太さん、聞いて……」しかし啓太は睦月の言い訳を聞くことはなく、若葉の遺体を抱きしめたまま、信じられないという目で彼女を見つめていた。次の瞬間、啓太の表情は一変し、瞳の奥に裏切られたことへの激しい怒りと絶望が燃え上がった。彼は立ち上がると、誰も反応できないほどの速さで睦月の腹に強烈な蹴りを見舞い、彼女を数メートル先へと吹き飛ばした。「よくも俺を騙したな!」睦月は腹を押さえて雪の
「そうだ……妻は気絶しているだけだ。医者が来れば良くなる」完全に正気を失っている啓太を見て、何人かは耐えきれずに顔を背ける。彼らは厳しい現場をくぐり抜け、死体というものを何度も目にしてきた人間たちだ。だからこそ、若葉がすでに死んでいることは誰の目にも明らかだった。だが、啓太のあまりの憔悴ぶりに、真実を突きつけることは誰にもできなかったのだ。ほどなくして、局の監査官と医師が駆けつけてきた。啓太はすぐに二人を振り返り、すがるような目を向ける。「お願いします。早く妻を助けてください」監査官と医師は若葉の体を一瞥しただけで、すでに手遅れであることを悟った。しかし、啓太の絶望と狂気に満ちた眼差しを前に、二人は無言で若葉のそばへと歩み寄るしかなかった。「松田局長、まずは奥さんを離していただけますか?診察しますので」医師の宮本真司(みやもと しんじ)にそう諭され、啓太はようやく名残惜しそうに若葉の体を離した。真司はとりあえず安堵の息をつき、手慣れた様子で聴診器を取り出すと、若葉の胸に当てた。心音は完全に聞こえない。脈も一切感じられない。呼吸もとうの昔に停止していた。すべての診察を終えた真司の表情は、見る見るうちに険しくなっていった。自分を唯一の希望として見つめる啓太を振り返り、ひどく言いづらそうに顔を歪める。「松田局長。ご愁傷様です。奥様の死因は心不全のようです」「心不全?」その言葉を聞いた周囲の目に戸惑いが広がった。「心不全なんてあり得ないですよ。だって、奥さんが心臓病だなんて、一度も聞いたことがないですもん」「そうです。毎年、局内の健康診断も受けていたのに、心不全で亡くなるなんておかしすぎます」しかし、真司の言葉は巨大なハンマーのように、啓太の胸を打ち砕いていた。啓太はふらふらと数歩後ずさり、背後の木にぶつかると、ついにその場へ崩れ落ちた。「そんなはずはない。ただの手術だったはずだ……」「手術?何の手術ですか?」監査官は、啓太の言葉の違和感を敏感に感じ取る。だが啓太は魂を抜かれたように、それ以上何も答えなかった。その時、一人の部下が、雪の上に落ちている血に染まった紙切れに気づいた。拾い上げ、彼は声を上げた。「これは……離婚届のようです」その言葉が終わるや
部下の言葉は、静かな水面に落とされた爆弾のように、人々の間に大きな波紋を巻き起こした。啓太の顔色は一瞬にして蒼白になり、手にしていたグラスを地面に落としてしまい、飛び散った酒とガラスの破片が睦月に飛び散ってしまった。睦月は慌てて後ずさる。「ちょっと!啓太さん!」だが啓太は全く耳を貸さず、目を血走らせながら、そこに立ち尽くしている部下を突き飛ばして若葉の部屋へと急いだ。部屋はもぬけの殻で、若葉の姿はどこにもない。ただベッドの上には大量の血痕が残り、真っ白なシーツを赤く染め上げていた。それを見た啓太は、全身の震えを止めることができなかった。そのまま、弾かれたように庭へ飛び出し、真っ白な雪の世界へと駆け出して行く。「若葉!」啓太は叫びながら、辺りを見回して若葉の姿を探した。庭にいた他の者たちもやっと我に返り、すぐに啓太の後を追って若葉を探し始める。すると、一人が声を上げた。「局長、ここに血が!」啓太が駆けつけると、雪の上には林の奥へと続く血の跡が残っており、啓太の顔はさらに青くなった。彼は狂ったように、その血の跡を辿って走り出した。そして、4つ並んだ墓石と、そのうちの一つに寄りかかるように倒れている若葉を見つけたのだった。啓太はふらつきながら若葉の前に座り込み、その腕に彼女を抱き寄せる。しかしその体は、骨の髄まで凍りついているように冷たい。啓太はどうしたらいいのか分からなかった。若葉の体を何度も揺さぶりながら、叫ぶ。「若葉!若葉、目を覚ましてくれ。頼むから、目を開けてくれよ……」だがどれほど叫ぼうと、若葉は目を閉じたまま、ただ静かに横たわっているだけだった。その頃には他の者たちも駆けつけ、目の前の光景に信じられないという表情を浮かべ、深い哀悼の眼差しを啓太に向けた。若葉の土色の顔と硬直した体から、すでに死を迎えていることは誰の目にも明らかだった。しかし、睦月だけは違った。他の者が悲しみに暮れ現実を受け入れられずにいる中、睦月の目にははっきりとした狂喜の色が浮かんでいたのだ。そんな彼女の視線を、睦月の後ろにいた3人の同僚は敏感に感じ取っていた。普段の優しく控えめな睦月とは、まるで別人だ。そのため、同僚たちの目には思わず睦月に対する疑念と冷ややかな観察の色が混じる。
啓太と睦月は揃って服を新調し、まるで新婚夫婦のような出で立ちで、そこに青斗も加わり、まるで絵に描いたような幸せな家族に見えた。そんな中、古ぼけたコートを着ている私は、とても浮いている。彼らの引き立て役になるのは、もう限界だ。背を向け立ち去ろうとした時、睦月の媚びるような声が聞こえてきた。「啓太さん、これ重くて運べないから手伝ってくれる?」すると、啓太が愛おしそうに微笑み、甲斐甲斐しく彼女を助けに向かった。睦月はハンカチを取り出し、まるで妻のような顔をして啓太の汗を拭う。周囲の同僚や部下たちもこぞって囃し立てた。「局長、やりますね!」「本当だよ。夏川さんともっと早く出会っていれば、奥さんは夏川さんだったのに」「局長、お二人で乾杯したらどうですか?」「そうだそうだ!乾杯しておけ!」周りの声は激しさを増し、睦月の笑顔もますます輝きを放つ。私はもう振り返ることもなく、震える足取りで、一歩一歩ゆっくりと、両親の眠る墓地へと向かった。胸の傷から溢れた血が、道端に点々と跡を残していく。母の形見のコートに身を縮め、自分から聞こえる途切れ途切れの呼吸に耳を澄ませた。次第に、世界からすべての音が消えた。真っ白な雪景色の中に、建てられた4つの墓石。私を静かに見つめている。すると、ランプの灯りの下で兄に読み書きを教えている父と、鼻歌を歌いながら妹の髪を整えている母が見えてきた。すると、赤いリボンをつけた小さな女の子が駆け寄ってきて、無邪気に私を見上げた。「ママ、抱っこして……」私は愛おしさに手を伸ばしたが、次の瞬間には力尽き、両親の墓前に崩れ落ちたのだった。それはまるで生まれた時のように、二人の腕の中に還るみたいで……全身を貫くような激痛に襲われていたが、これでいいのだと、心の底から思えた。意識が遠のき、体は羽のように軽くなっていく。血に染まった離婚届が指先からこぼれ落ち、枯れ葉のように地面に落ちていった。私の目が開くことは、もう二度となかった。すべては、啓太の望み通りに。……その頃、睦月の引越し祝いパーティーは盛り上がっており、啓太と睦月は笑い合っていた。睦月は恥じらうように微笑み、啓太の瞳には熱い想いが宿る。二人が見つめ合っていたその時、一人の若い部下が口を開いた