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第1284話

Author: 夏目八月
穂村規正は着々と賊の討伐を進めていた。

北冥親王が指摘した地域は、すでに偵察と防備を整えていたところだった。

騒乱が起きれば即座に軍を投入し、完全な制圧には至っていないものの、山賊どもは山奥へと逃げ込み、もはや里に下りて悪事を働く気配もない。

清和天皇の元にも斉藤鹿之佑からの急報が届いた。羅刹国の大軍が国境へ向けて進軍中との情報だった。

鹿之佑の報告によれば兵力は二十五万、指揮を執るのは依然としてビクターだという。

清和天皇は兵部の重臣たちを召集し、この二十五万の大軍に対して邪馬台がどの程度の勝算があるか、評価を求めた。

清家本宗には、陛下のこの問いかけ自体が的を外していると思えた。勝てるか否かと、速やかに勝利できるか否かは、まったく別の問題なのだから。

「邪馬台は長きに渡る戦乱と騒擾により、傷跡は深く、元気を失っております。この土地はまだ耐えられましょうが、民はもう耐えられません。もし戦うのであれば、一撃で撃退すべきでございます。さもなければ彼らは蝗の如く毎年襲来し、邪馬台の安寧は永遠に得られないでしょう」

「上原家軍と北冥軍では迅速な撃退は望めぬと?」清和天皇の声が冷たく響いた。

「今は上原家軍も北冥軍もございません。すべて邪馬台軍でございます」清家は慎重に言葉を選んだ。陛下に邪馬台の軍が上原家や北冥親王の指揮下にあるなどと误解されては困る。

だが天皇の疑念は拭えなかった。

もし邪馬台での戦乱が終結してから長い年月が経ち、玄武が兵権を返上してから六、七年が過ぎていれば、これほどの心配はなかっただろう。

しかし現実には甲虎は軍の信頼を得られておらず、それが邪馬台軍と呼ばれようと、上原家軍や北冥軍と呼ばれようと、実質的にはすべて玄武の号令で動いているのだ。

玄武を邪馬台へ向かわせることは、すなわち兵権を再び彼の手に委ねることを意味する。

今や燕良親王が謀反を起こし、その背後の者どもが虎視眈々と機会を窺っている。もし邪馬台が制御を失えば、玄武が同じ理由で邪馬台軍を率いて都へ攻め込んでくる可能性もある。それは枯れ木を折るように容易いことだろう。

余りにも危険すぎる。

だからこそ、玄武を再び邪馬台の戦場へ送ることは認められなかった。

「北冥親王の威名は羅刹国の兵士たちを震え上がらせております」清家は理を尽くして進言を続けた。「彼らは親王様
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