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第1346話

Author: 夏目八月
紫乃たち三人は湛輝親王邸にこれほど長く滞在し、文字通り建物を隅から隅まで調べ尽くしたが、何も発見できなかった。

そろそろ引き上げる潮時だと判断した。

毎日老親王と共に美食三昧では堕落の一途を辿るばかりだ。時間を無駄にしている気がして仕方がない。特に今、さくらがあれほど忙しく働いているのに、自分は何の助けにもなれずにいる。心が落ち着かなかった。

夕食の席で、紫乃は老親王に翌日の出発を告げた。

老親王は微笑みながら彼女を見つめた。「どうしたのだ?本王が美味いものを食わせてやらなかったとでも言うのか?なぜもう帰ってしまうのだ?」

紫乃は正直に答えた。「あまりにも美味しすぎて。毎日山の幸海の幸ばかりで」

「贅沢に慣れぬ田舎者よ」老親王が大笑いする。「まあよい。飽きたのなら帰るがよい」

粟原十七を呼び寄せて言った。「粟原、蔵から適当な贈り物を選んで来い。明日あやつらが帰る時に渡してやれ」

「承知いたしました。すぐに参ります」

門外で控えていた関谷がその言葉を聞いて進み出た。「親王様、私が参りましょう」

老親王は彼をちらりと見て手を振った。「うむ、お前が行け。良い物を選べよ。わしの顔に泥を塗るな」

「承知いたしました」関谷はそう言うと、踵を返して立ち去った。

紫乃は関谷を呼び止めようと顔を上げかけた。これだけ長い間居候させてもらった上に、土産まで持たせてもらうなど申し訳が立たない。

しかし関谷の後ろ姿と歩き方を目にした瞬間、紫乃の動きが止まった。

関谷の背筋がこれほど真っ直ぐで、体躯がこんなにも長身だったことに、今まで気づかなかった。歩く時に片手を背後に回し、指先を軽く曲げる仕草——まるで生まれながらに上等な暮らしを送ってきた者の、優雅な立ち振る舞いではないか。

しばらく呆然としていると、湛輝親王邸に滞在して以来、関谷がずっと老親王や自分たちの前で「私」と自称していたことを思い出した。

普段はそんな細かいことを気に留めない性分だったが、今日はなぜか関谷の後ろ姿を見た瞬間から、ふと気になり始めた。よくよく考えてみれば、関谷には粟原や他の家人たちとは明らかに違う、どこか堂々とした風格が漂っている。

「紫乃、何をぼんやりしている?」

老親王に声をかけられ、紫乃は我に返った。慌てて笑顔を作る。「いえ、そこまでお気遣いいただかなくてもと思いまして。これ
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