Share

第1086話

Auteur: 佐藤 月汐夜
「誰があなたの奥さんよ、ふざけたこと言わないで!」

桃は顔を真っ赤にして怒鳴ったが、周囲の人々はどこか納得したような様子を見せた。

なぜなら、この男は、ただ立っているだけでも目を引く存在感がある。整った顔立ちに、洗練された雰囲気。どう見ても、女性に困るタイプじゃない。だからこそ、誰も突っ込んだりせず、ただ苦笑いでその場をやり過ごした。

その隙を突いて、雅彦は桃の腕を取り、そのまま車へと連れ込んだ。

助手席に押し込まれた桃は、何度もドアの取手に手を伸ばして外へ出ようとした。だが、そのたびに雅彦が素早くロックをかける。

どうやら本気で、簡単には帰すつもりがないらしい。桃は無理に逃げようとするのを諦め、深く息を吸って気持ちを落ち着けた。「……で、いったい何がしたいの?」

「俺は……」聞きたいことは山ほどあった。けれど、警戒心を隠そうともしない桃の目を前にすると、言葉が詰まる。「今回のこと、本当に知らなかった。ちゃんと専門の医師に診てもらうように手配する。お……おばさんのために」

雅彦は危うく「おかあさん」と言いそうになり、慌てて言い換えた。かつては自然にそう呼んでいた。でも、もうそういう関係じゃない。自分にそう言い聞かせるように、呼び方を変えた。

「偽善のつもり?同情なんていらない。母のことは私がどうにかする。菊池家の人間なんて、誰ひとり信用できない」桃はきっぱりと言い切った。迷いなんて、一切なかった。

もう彼とは、完全に敵同士。そんな相手に、母の命を預けられるはずがない。

たとえ雅彦自身が手を出さないとしても――美穂が関わっている以上、警戒は必要だ。あの女が他人の命を何とも思っていないことなんて、とっくに知っていた。何をしでかすか分からない。

「俺が、そんなふうに見えるのか?おばさんに危害を加えるような人間に……」雅彦は、傷ついたように桃を見つめた。彼女の家族のことも含めて、できる限り気を配ってきたつもりだった。

たとえ今、関係がこじれてしまっていても、香蘭が自分に見せてくれた優しさはずっと心に残っていた。医者を探すと言い出したのも、その気持ちからだった。ただの思いやり。

なのに――今、彼女の目には、まるで怪物でも見るような眼差しが向けられている。

「……あなたがどんな人なのか、もう私には分からない。見えないの。だから、お母さんのことで、あな
Continuez à lire ce livre gratuitement
Scanner le code pour télécharger l'application
Chapitre verrouillé

Latest chapter

  • 植物人間の社長がパパになった   第1091話

    永名は何度か電話をかけたが、どれも応答はなかった。そしてようやく、桃の気持ちを察した。話し合いで解決できるのならまだしも、相手にその気がないのなら、いっそ現実の残酷さを思い知らせるしかない。そうすれば、菊池家に報復しようなどというくだらない考えも、いずれ消え去るはずだ——……やがて、桃のスマートフォンが静かになった。画面を確認すると、それ以降、永名からの着信やメッセージはなかった。もしかすると、本当に自分が金では折れないと、理解したのかもしれない。桃の表情は淡々としていたが、その奥に滲む疲れを、美乃梨は見逃さなかった。「……ねえ、桃ちゃん。もう、やることはやったんだし、あまり考えすぎないで。少し身体、休めよ?」桃は小さくうなずいた。実際、身体は鉛のように重かった。時計を見ると、そろそろ食事の時間だった。桃に食欲があるとは思えないが、何か口にしなければ、体力がもたない。「じゃあ、私、食堂で何か買ってくるね。すぐ戻るから」桃はまた静かにうなずき、美乃梨は病室を後にした。桃はそのまま、付き添い用の簡易ベッドに横になろうとした――そのとき、ドアがノックされ、看護師が一人、静かに入ってきた。「桃さん、お母様のご容体についてですが……先生が、少し希望が見えてきたかもしれないとおっしゃってます。お話がありますので、ご案内してもよろしいですか?」桃はすぐに立ち上がり、看護師の後について医師のもとへ向かった。医師が見せてくれたのは、香蘭の脳のCT画像だった。画像には後頭部に血腫が映っており、それが彼女が目を覚まさない原因だという。手術で取り除くことは可能だが、当然リスクも伴う。ただ、ごく稀ではあるが、時間の経過とともに自然吸収され、意識が戻ることもある。その説明を聞いた瞬間、桃の脳裏に雅彦の姿が浮かんだ。そういえば、あの人も長い間眠り続け、ある日突然、理由もわからぬまま目を覚ましたのだった。その記憶が、桃の胸に小さな希望の灯をともした。彼女はすぐに医師に頼み込み、この分野で最前線に立つ専門医を探してもらうよう依頼した。同時に、神頼みでもしてみようかという思いが頭をよぎる。非科学的だとしても、今はそれすらも頼りたい気持ちだった。――今できることは、すべてやっておきたい。そんな思いが、彼女を突き動かしていた。考えごと

  • 植物人間の社長がパパになった   第1090話

    雅彦は一瞬、呆然とした。しかし、海がこの件で冗談を言うような人間でないのはわかっていた。気を取り直し、雅彦はすぐに海とともにホテルへと戻った。戻るとすぐに、永名から事情を聞かされた。画面に映る動画を見つめ、目を覆いたくなるような血の跡に、胸が締めつけられる。ようやく、桃が以前口にしていた言葉の意味を理解する。――もし自分が同じ目に遭っていたら、恨まずにいられるだろうか?だが、永名はすでに腹を決めていた。「お前はすぐに母さんと子どもたちを連れて帰国しろ。こんなこと、子どもたちには絶対に知られてはならん」雅彦は唇を動かし、何か言いかけたが、そのとき永名の厳しい視線が彼をじっと捉えた。「まさか、お前……親族を罪に問うつもりじゃないだろうな? 実の母親が警察に連れていかれるのを、黙って見ていろと?」雅彦は言葉を失った。確かに、自分にはそれはできない。だが、ただ黙って去ることもできるのか?桃はきっと自分を恨むだろう。彼女は、最初から自分がすべてを知っていながら黙認していたと思うだろう。「お前が何を考えていようと関係ない。だがな、お前の母親はもう非難に耐えられない。もし取り調べなんかされたら、また病気がぶり返すかもしれない。お前、それでも息子か? たかが一人の女のために、母親を犠牲にする気か?」雅彦は黙り込んだ。何も言えなかった。「しかも、その女はお前を裏切ったんだぞ。そんな女のために、親不孝までして……本当に、それで彼女が感謝してくれると思っているのか?」永名の言葉は、鋭く胸を貫いた。雅彦の顔色はますます暗くなり、やがて静かに頷いた。それが、彼なりの承諾のしるしだった。反論してこない息子を見て、永名はようやく安堵の息をつき、すぐに最短の便を手配させた。雅彦に母と子どもたちを連れて、一足先に帰国させるつもりだった。彼らを空港まで見送ったあと、永名は美穂に優しく声をかけた。「心配しなくていい。私がきちんと処理する。君に危害が及ぶようなことは絶対にない」美穂は無言で頷いた。珍しく、今回は彼の申し出を拒まなかった。彼らが搭乗するのを見届けると、永名の顔から笑みが消えた。そして、隣に立つ海に目を向ける。「今の状況はどうなってる?報道関係はもう押さえられているのか?」海は眉をひそめながら答えた。「メディアの多くは

  • 植物人間の社長がパパになった   第1089話

    桃は何も言わず、ただ静かに彼を見つめた。そして淡々と口を開いた。「もし、今この瞬間、病室のベッドに横たわっているのがあなたの最愛の家族で、目を覚ますかどうかも分からない状態だったら。そんなときでも、あなただってそんなふうに冷静に言えるの?お金のために何もなかったことにするの?」永名はしばらく黙り込んだ。――そんなことは、できない。彼には無理だった。もしそれが自分の家族のことなら、全力で相手に責任を取らせようとするに違いない。だが、人間は結局、ダブルスタンダードだ。どんなに理屈が正しくても、身内を切り捨てることなどできない。少なくとも、自分は桃が美穂を刑務所に送ろうとしているのを、ただ見過ごすことはできなかった。「私は違う。自分のやりたいことをやる力がある。だが君はどうだ?桃……君の気持ちは分かる。だが、本当に清志が君を助けてくれると思っているのか?君は彼にとって、ただの駒にすぎない。利用価値がなくなれば、ためらいもなく切り捨てられるだろう」「それでもいいわ。私だって彼を利用しているだけ。お互い様よ。感情なんて入り込む余地はない」そう言って桃は踵を返し、そのまま立ち去った。彼女のあまりの強硬さに、永名の表情は徐々に険しくなっていった。そのとき、海から電話が入った。美穂が人を突き飛ばして重傷を負わせた証拠映像が、岐光グループ傘下のメディアによって公開されたという。ニュースはすでに世間の注目を集め始めていた。そして清志も、この好機を逃さず菊池グループに反撃を仕掛けた。レストランを出るやいなや映像を拡散し、自社のメディアを総動員して大々的に報道。その矛先は、菊池家が権力を振りかざして一般市民を踏みにじっているという非難に向けられた。海も頭を抱えていた。ここまで急激な攻勢に、何の準備もできていない。しかも岐光グループは当地最大の財閥だ。影響力のあるメディアを多数抱えており、敵を潰す際にはそのネットワークを最大限に活用してくる。通常の方法で動画を削除させたり、騒動を収束させたりするのは、もはやほぼ不可能だった。しかもこんなときに限って、雅彦には何度電話しても繋がらない。仕方なく海は永名に連絡を取り、今後どう対応するつもりか尋ねた。まさか桃がこんなに早く動くとは――永名は予想外の展開に驚きを隠せなかった。彼女は本気で美穂の社会的立場を潰そう

  • 植物人間の社長がパパになった   第1088話

    相手が桃だと聞いた瞬間、永名の怒りはさらに燃え上がった。あの女がしでかしたことは、到底許されるものではない。だが、子どもたちのことを考え、責めるのをやめ、見逃すことにしたのだ。まさか、ここまで図々しくなるとは。完全に自分を侮っているとしか思えない。「まあ、私にも非はあったのよ。あの日、彼女の母親が突然会社に来て、『子どもたちを返してほしい』って強く迫ってきたの。もちろん断ったわ。言い争いになって、つい手が出てしまって……彼女、転倒して頭を打ったの。そのまま意識が戻らなくて」語る声には、やるせなさが混じっていた。「悪いのは私よ。殴って気が済むなら、それでもよかった。でも、あの子、そのあと岐光グループの清志に接触していたのよ。もし、うちの情報を漏らしていたとしたら……その影響は計り知れないわ」最初、美穂が桃の母を突き飛ばしたと聞いたとき、さすがの永名も何か言おうとしていた。だが、会社の機密が絡むとなれば話は別だ。もはや私情だけで済ませられる問題ではない。「本当にあの女と会ったのか? つまり……菊池家に正面から牙を剥くつもりだと?」「ええ。あの子、私を憎んでいるの。慰謝料を提示したときも、断固として受け取らなかった。私を刑務所に送りたいって、本気で思ってるみたい」「ふざけるな!」永名は、弱りきった美穂の姿を見つめながら、怒りを露わにした。彼女のように誇り高く気丈な人間が、もし罪を背負って服役するようなことになれば、立ち直れなくなるかもしれない。「この件は、私が責任を持って処理する。おまえは心配せずに帰れ。私がいる限り、おまえを刑務所になど行かせはしない」そう言って彼は美穂を安心させ、自宅へ戻るように手配した車に乗せた。その直後、永名は桃の母・香蘭が入院している病院を調べさせ、無駄な時間を惜しむように車を走らせた。病室に着くと、香蘭のベッドのそばには桃が座っていた。隣には美乃梨もおり、二人で今日あった出来事を話している最中だった。そのとき、病室のドアがノックされた。振り返った桃の目に映ったのは永名だった。彼が自分に好意など持っていないことは、桃もよくわかっている。こんなふうにわざわざ訪ねてくるなんて、ろくな話ではないに決まっている。そう思いながら、桃は立ち上がった。「私に用ですか?話があるなら、外でお願いします」美

  • 植物人間の社長がパパになった   第1087話

    雅彦は、突然、胸が締めつけられるような不安に襲われた。いまさらのように気づいた――自分と桃は、もう本当に他人になってしまったのだ、と。かつては、泣きながら必死に信じてほしいとすがってきた彼女が、今はもう、一言たりとも無駄にしたくないと言わんばかりの、冷めた態度をとっている。言葉にならない喪失感が、胸の奥から込み上げてくる。かつて感じたことのない強烈な痛みを伴っていた。ふいに、桃の視線が雅彦に向けられた。その表情に不安の色を読み取り、思わず彼女は鼻で笑った。不安?この男が?不安になる理由なんてどこにあるのだろう。欲しいものはすべて手に入れ、子どもたちは彼のもとへ。自分は家から追い出されたのに、彼は相変わらず堂々とした顔で、何ひとつ失ってなどいない。自分はただ、踏みにじられた土くれみたいなもの。そんな彼が、足元の泥の気持ちなんて気にするはずがない。「言うべきことは、全部言ったわ。もう行ってもいいかしら?母の介護もあるの。あなたとこんな場所で時間を潰している暇なんてない」「……」雅彦は何も言わず、しかしドアを開ける素振りも見せなかった。その様子に、桃は冷ややかに鼻で笑った。「それとも……また、あの手を使うつもり?人目のないところに連れていって、好き放題にするつもり?いいじゃない、どうせ私はもう汚れた女なんでしょう?他の男と寝た私なんて、あなたにとっては気持ち悪いだけじゃないの?それでもまだ、私を縛ろうとするなんて……菊池家の御曹司にしては、ずいぶんと未練がましいのね」自由になるためなら、自分をどれだけ貶めたってかまわない。――どうせ、この男は何を言っても信じないのだから。ならば、弁解など無意味だ。彼女には、まだやらなければならないことが山ほどある。もしこのままどこかへ連れ去られでもすれば――そこで、すべてが終わる。雅彦の目の色が、徐々に曇っていく。桃が、何の迷いもなく裏切りを認めたことに、怒りよりも先に、深い寂しさが胸を満たした。「……つまり、俺たちの関係なんて、君にとっては何の価値もなかったってことか?」その言葉に、桃は思わず吹き出しそうになった。関係?いまさらそんな都合のいい言葉を持ち出すなんて。自分がどれだけ追い詰められてたか、わかって言ってるの?「雅彦。もし人生をやり直せるのなら、私はあなたと出会

  • 植物人間の社長がパパになった   第1086話

    「誰があなたの奥さんよ、ふざけたこと言わないで!」桃は顔を真っ赤にして怒鳴ったが、周囲の人々はどこか納得したような様子を見せた。なぜなら、この男は、ただ立っているだけでも目を引く存在感がある。整った顔立ちに、洗練された雰囲気。どう見ても、女性に困るタイプじゃない。だからこそ、誰も突っ込んだりせず、ただ苦笑いでその場をやり過ごした。その隙を突いて、雅彦は桃の腕を取り、そのまま車へと連れ込んだ。助手席に押し込まれた桃は、何度もドアの取手に手を伸ばして外へ出ようとした。だが、そのたびに雅彦が素早くロックをかける。どうやら本気で、簡単には帰すつもりがないらしい。桃は無理に逃げようとするのを諦め、深く息を吸って気持ちを落ち着けた。「……で、いったい何がしたいの?」「俺は……」聞きたいことは山ほどあった。けれど、警戒心を隠そうともしない桃の目を前にすると、言葉が詰まる。「今回のこと、本当に知らなかった。ちゃんと専門の医師に診てもらうように手配する。お……おばさんのために」雅彦は危うく「おかあさん」と言いそうになり、慌てて言い換えた。かつては自然にそう呼んでいた。でも、もうそういう関係じゃない。自分にそう言い聞かせるように、呼び方を変えた。「偽善のつもり?同情なんていらない。母のことは私がどうにかする。菊池家の人間なんて、誰ひとり信用できない」桃はきっぱりと言い切った。迷いなんて、一切なかった。もう彼とは、完全に敵同士。そんな相手に、母の命を預けられるはずがない。たとえ雅彦自身が手を出さないとしても――美穂が関わっている以上、警戒は必要だ。あの女が他人の命を何とも思っていないことなんて、とっくに知っていた。何をしでかすか分からない。「俺が、そんなふうに見えるのか?おばさんに危害を加えるような人間に……」雅彦は、傷ついたように桃を見つめた。彼女の家族のことも含めて、できる限り気を配ってきたつもりだった。たとえ今、関係がこじれてしまっていても、香蘭が自分に見せてくれた優しさはずっと心に残っていた。医者を探すと言い出したのも、その気持ちからだった。ただの思いやり。なのに――今、彼女の目には、まるで怪物でも見るような眼差しが向けられている。「……あなたがどんな人なのか、もう私には分からない。見えないの。だから、お母さんのことで、あな

Plus de chapitres
Découvrez et lisez de bons romans gratuitement
Accédez gratuitement à un grand nombre de bons romans sur GoodNovel. Téléchargez les livres que vous aimez et lisez où et quand vous voulez.
Lisez des livres gratuitement sur l'APP
Scanner le code pour lire sur l'application
DMCA.com Protection Status