Share

第332話

Author: 佐藤 月汐夜
  その話を聞いて、話の矛先が自分に向けられたことに気づいた翔吾は、困ったように頭をかきながら、助けを求める視線を佐和に向けた。

 しかし、佐和は何も言わなかった。翔吾が桃にとってどれほど大切な存在か、佐和にはよくわかっていた。今日、あの子がこんなに無茶をして逃げ出したのは、ただ事ではない。

 だからこそ、佐和もあまりあの子のわがままを許すわけにはいかなかった。

 佐和が助けてくれないと分かった翔吾は、仕方なく桃を見つめ、無邪気に瞬きをしながら、「僕はただ、雅彦さんがママをいじめるのを見たくなかっただけだよ」と言った。

 桃は少し驚いた。翔吾が帰国して以来、彼に雅彦のことを話したことは一度もなかった。それなのに、どうしてこの子は雅彦のことを知っているのだろう?

 それとも、翔吾は他にも何かを知っているのだろうか?

 桃の心には疑問が生まれた。彼女は急いで翔吾を連れて家に帰り、しっかり問いただすつもりだった。

 佐和はもともと彼らを家まで送るつもりだったが、突然、生命の危機にある患者から治療の依頼が来た。

 佐和は今回の帰国で仕事をする予定はなかったが、国際的に著名な医師であるため、国内で治療ができない患者が彼を頼ってくることが少なくなかった。

 「行ってください、私が彼を連れて帰ります」桃は佐和の仕事の重要さを理解しており、彼を急かして立ち去らせた。

 佐和が去った後、桃は翔吾を連れて駐車場に向かい、車を発進させて家へと帰った。

 桃は心に引っかかるものがあり、急いでいたせいで、周りに気を配る余裕はなかった。

 車が出た後、月は信じられない様子で隣の車から降りてきた。彼女は桃の車をじっと見つめていた。

 この数日間、美穂の強い要望で、雅彦は月を国外に追放することを思いとどまっていたが、彼女とは一切接触を拒んでいた。

 月はそれでも諦めず、毎日雅彦に会おうと菊池グループの前で待っていた。

 まさか今日ここで桃と出くわすとは思わなかったが、それ以上に驚いたのは、桃が小さな男の子を連れていたことだった。

 その子の背丈を見る限り、どう見ても五歳くらいに見える。

 まさか、あの時桃のお腹にいた子が流産しなかったのか?彼女は逃げ出しただけでなく、無事に出産までしていたというのか?

 そう考えただけで、月の手は震えだした。

 自分の推測を確
Continue to read this book for free
Scan code to download App
Locked Chapter

Latest chapter

  • 植物人間の社長がパパになった   第1163話

    雅彦は桃を抱えて救急車に乗り込み、そのまま傍らに付き添い、医師が彼女の傷を手当てするのを見守っていた。桃の体は傷だらけだったが、命に関わらない擦り傷や打撲にかまっている余裕はなく、医師は後頭部の処置に全力を注いでいた。血で真っ赤に染まったガーゼが次々と取り替えられ、床に落ちていく。その鮮やかな赤は目をそむけたくなるほどだった。雅彦は横に座り、何ひとつ手助けできないまま、ただ押し寄せる無力感に胸を締めつけられていた。これほど自分が無力だと感じたことはなかった。すべてが指の間をすり抜けていくようで、自分はただ事の成り行きを見ているしかない。もし桃がこのまま永遠に自分のもとから去ってしまったら――考えるだけで手が震え、恐怖が全身を覆った。不吉な想像を頭から振り払い、彼は昏睡したままの桃をじっと見つめていた。まばたきすら惜しむように。今にも目の前から消えてしまいそうで怖かった。やがて救急車は病院に到着した。医療スタッフはすでに待ち構えていて、車が止まるや否や、桃は担ぎ込まれ、手術室へと押し運ばれていった。雅彦は必死に後を追ったが、冷たい手術室の扉が前に立ちはだかり、そこで足を止めざるを得なかった。ほんの一枚の扉を隔てただけなのに、その向こうはまるで別世界のように遠かった。少しして、莉子もやって来た。彼女はこの状況に直面して、改めて自分の車椅子を憎んだ。何をするにも誰かの助けが要り、思うように動けない。扉の前で魂の抜けたように立ち尽くす雅彦を見て、桃の容体が決して良くないことを悟り、胸の奥で「どうか手術台から降りられませんように」とひそかに願った。だが顔に出たのは沈痛な色で、彼のもとへゆっくり近づき、声をかけた。「雅彦……桃さんは、どうなの?」雅彦は我に返り、傷だらけの莉子の姿を見た。だが気を遣う余裕などなく、苛立ちをにじませて言った。「まだ手術中だ。どうしてここまで来たんだ。海のそばで待っていろと伝えたはずだろう」彼の心はいま桃の安否だけでいっぱいだった。莉子には海が付き添っているし、ここにいても足手まといになるだけだった。「わ、私……ただ雅彦が心配で」莉子は涙ぐみ、今にも泣き出しそうな顔で言った。「焦りすぎて、もし何かあったらと思うと……それに桃さんの容体も気になって。邪魔したいわけじゃないの……」「……」以前な

  • 植物人間の社長がパパになった   第1162話

    深夜の空気は刺すように冷たかった。とりわけ長く日が差さないこの場所では、底冷えする寒さが骨の髄にまで染み込んでくる。雅彦は体が強張っていくのを感じながらも、それどころではなかった。彼はただ桃を抱きかかえ、息を荒げながら必死に、さっき飛び降りた場所まで走り戻った。どうやって桃を連れて上に戻るか思案していたとき、頭上から救助隊の声が響く。「雅彦さん! どこですか、聞こえますか!」海は雅彦の身に異変があったと知ると、すぐに最も経験豊富な隊員たちを率いて駆けつけていた。隊員たちは腰にロープを巻き、額に灯りをつけて、一人ずつ降下して雅彦を探していた。「ここだ!」雅彦は顔を上げ、呼びかけに応じるように、必死に声を張った。海も心配で自ら降りてきた。雅彦の声を聞いた瞬間、胸を締めつけていた不安がほどけ、急いで近くまで下りて怪我がないか確かめようとした。だが雅彦はそれを遮り、低くきっぱりと言った。「時間を無駄にするな。彼女を先に上げろ!」その腕にぐったりと気を失った桃を抱いているのを見て、海は一瞬驚いたが、すぐに頷いた。海は自分を支えるロープを外し、雅彦に結びつけた。何よりもまず、傷ついた者を救い出すのが最優先だった。雅彦も余計な言葉は省き、桃と自分をしっかりと一つに縛り合わせた。ロープに支えられ、上からも力強く引かれるおかげで、登るのは格段に容易になった。ほかの隊員たちも加勢し、二人がかりで雅彦を支え落下を防ぎ、先頭には道を確認する者が立つ。そうしていくつもの苦しい瞬間を越え、ようやく雅彦は桃を抱えたまま山の上へ戻ることに成功した。そこには、すでに待ちきれない様子の莉子がいた。二人の姿を見つけるや、慌てて駆け寄る。「雅彦!大丈夫?怪我は?」だが今の雅彦に応じる余裕はなかった。「俺は平気だ。海はまだ下にいる。ここを見張れ。全員が上がるまで動くな。――負傷者がいる!」視線の先には救急車が停まっていた。おそらく海が事前に手配していたのだろう。雅彦は桃を抱き直し、急いで駆け寄った。とにかく頭の傷の手当てが先だった。そこでようやく莉子も、雅彦の腕に抱かれているのが桃だと気づいた。その瞳が大きく見開かれ、信じられないものを見るように震えた。桃が……生きている?本来なら、もう死んでいるはずなのに。「も……桃さん?どういう

  • 植物人間の社長がパパになった   第1161話

    雅彦は拳を固く握りしめ、胸の鼓動がやけに鮮明に響いていた。周囲は不気味なほど静まり返り、意識はただ桃を探すことだけに向かい、ほかの思考は一切なかった。どれほど歩いたのかも分からない。息が詰まりそうな重苦しさに押し潰されそうになったそのとき――雅彦の視界に、少し先で横たわる桃の姿が飛び込んできた。「桃!」見開いた目で名を叫び、我を忘れて駆け出す。転がる石に足を取られかけても、痛みすら感じていない。よろめきながらも必死に桃へと近づいていった。たどり着くと、桃は静かに地面に横たわっていた。血の気を失った顔に小さな傷がいくつも刻まれ、ところどころ血がにじんでいる。衣服は無惨に裂け、乾いた血に覆われ、その姿はあまりに痛ましかった。その光景を目にした瞬間、いつも冷静な雅彦でさえ呼吸が乱れ、胸を締めつけられた。震える指先を伸ばし、彼女の鼻先にそっと手を当て、かすかな息を探る。――生きている。かろうじて感じられる呼吸に、止まりかけていた心臓が再び打ち始める。だがその息づかいはあまりにも弱く、危うい状態であることを物語っていた。雅彦は素早く自分の上着を脱ぎ、桃の身体に掛ける。触れた体は氷のように冷たく、まるで魂を失った殻のようだった。彼は桃をそっと抱き上げた。だがその瞬間、見えない傷口から新たに血がにじみ出す。鼻をつく血の匂いに、彼は凍りついた。無闇に動かせないと悟り、再び桃を地面に横たえる。そこで初めて、後頭部に深い裂傷があるのに気づいた。倒れた際に突き出た石に頭を打ちつけたのだろう。手の震えは止まらない。べっとりとついた血の赤が目に焼きつき、心臓を抉り、息を奪う。このままではいけない。出血が続けば、桃は助からない。彼は自分の服を裂き、頭に応急の包帯を巻きつけた。しかし薬もなく、こんな簡易な処置で血が止まるはずもない。すぐに彼の手は赤く染まった。不用意に動かすこともできない。雅彦は自分の衣服を次々に脱ぎ、桃に掛けていった。せめて体温だけでも守ろうとして。「桃……死んじゃだめだ。耐えてくれ……まだ翔吾や太郎、それにお母さんにも会わなきゃいけないだろ?」そう言いながら、彼自身でも皮肉だと感じた。こんなときでさえ、桃を引き留めるために、彼女が最も大切にする者たちの名を持ち出すほかないとは。なんと卑劣で、情けな

  • 植物人間の社長がパパになった   第1160話

    「何を突っ立ってるの、早く救援隊に連絡して!早く!」莉子は我に返ると、後ろの運転手に向かって怒鳴った。運転手はようやく我に返り、慌てて「はい!」と答え、すぐに電話をかけ助けを求めに走った。……雅彦は飛び降りたといっても、ただ無謀に身を投げたわけではなかった。落ちる先をしっかりと見極め、足をつけられる場所を選んでいたのだ。もともとアウトドアのサバイバル競技を好み、ロッククライミングにも慣れていた雅彦にとって、この行動は衝動ではなく、積み重ねた経験に裏打ちされたものだった。懐中電灯で足元を照らしながら、焦りを抱えつつも冷静さを失わず、一歩一歩、谷底へと進んでいく。下りながら、雅彦は必死に桃の名を呼び続けた。だが、その声に応えるものはなかった。深夜の闇の中、彼の瞳は鋭く光った。乱れてはならない――そう自分に言い聞かせ、心を奮い立たせる。やがて谷の底に降り立つと、枝や茨に体を引っかけて至るところに切り傷を負っていた。血が滲み、高価なスーツは赤く染まっていく。惨めなほどに。それでも痛みなど意に介さず、地面に足を着けた瞬間、雅彦は懐中電灯を走らせ、人の痕跡を探した。「桃!どこだ!返事をしろ!」闇に沈む森は黙り込んだまま。声に驚いた鳥が甲高く鳴き立てるだけで、その鳴き声は静けさをやわらげるどころか、かえって寒々しさを増すばかりだった。応えはない。雅彦はただ一筋の光に頼り、慎重に前へ進む。――そのとき、鼻をつくガソリンの匂いに気づき、思わず眉をひそめた。匂いを追うと、やがて菊池家の車が横転しているのが目に入った。胸が一気に沈む。駆け寄り、車内を覗き込む。だが――そこに人影はなかった。桃の姿も、運転手の姿も。雅彦の目にかすかな陰が走る。信じられなかった。これほどの事故なら、血痕のひとつは残っていてもおかしくない。それなのに跡形もない。――これは、ただの事故じゃない。確信はしたが、立ち止まっている暇はなかった。雅彦は踵を返し、再び森の奥へ踏み込んだ。最悪の可能性は――桃は最初から車に乗っていなかったということ。そうだとすれば、これは彼女の巧妙な逃走手段で、もう無事に逃げ切ったのかもしれない。かつてなら、その事実は雅彦を激怒させただろう。だが今は、むしろその方がいいとすら思えた。生きていると分かるなら、それでいい

  • 植物人間の社長がパパになった   第1159話

    それでも雅彦は冷静だった。車の速度を落とし、周囲を一通り探してみたが、あの車の痕跡はどこにも見当たらない。仕方なく、再び現場へと戻った。車を降りた雅彦は懐中電灯を取り出し、欄干に残された跡を丹念に調べた。願うように――これは今日ついたものではなく、ずっと前からあった跡であってほしい、と。だが断面はあまりに新しかった。その希望はあっけなく打ち砕かれる。思い返せば、海が言っていた。あの車はここにしばらく停まっていたと。だが、どう探しても車が存在した痕跡は残されていない。残された可能性はただ一つ。桃の乗った車は、ここから突っ込み、谷底へと落ちた。胸を何かに強く締めつけられるようで、雅彦は息が詰まる感覚に襲われた。桃を見つけられなかったときには、ただ怒りだけがあった。だが彼女が谷に落ち、命を失ったかもしれないと悟った瞬間、憎しみも怒りも一気に消え去り、残ったのは途方もない空虚と、どうしようもない無力感だけだった。桃は――本当に、ここで死んでしまったのか?その思いがよぎっただけで、雅彦の体は小刻みに震えた。「桃……そこにいるのか?返事をしてくれ!」突如、狂ったように声を張り上げ、桃の名を叫び続ける。だが返ってきたのは沈黙だった。死を思わせるほどの、重い沈黙。雅彦は拳を握りしめ、額に青筋を浮かべながら足元の斜面を見下ろした。傾斜は急だが、降りられないわけではない……強い確信があった。桃はきっと、この下にいる。どうやって降りるか考えていたそのとき、ようやく莉子が駆けつけた。雅彦が危険な場所に足を踏み入れようとしているのを見て、我を忘れ、運転手に車椅子を押させて慌てて飛び込んできた。「雅彦、落ち着いて!こんな暗闇の中でどうやって降りるの?下がどんな状況かもわからないのに、無謀に動いたら危険すぎるよ!」制止され、雅彦の表情はすっと冷えた。莉子を見据えるその瞳には一片の温度もなく、背筋が凍るほどだった。莉子の胸に、理由のない後ろめたさがよぎった。心の奥では叫びたかった。――桃はもう死んでいる、完全に。雅彦が降りても無駄だ、と。だが口にはできなかった。表向き、莉子は相変わらず「雅彦のため」を装った。「雅彦、気持ちは痛いほどわかる。でも、桃さんが本当にここにいるかは確かめようがない。それに、一人で降りても砂漠で砂粒を探

  • 植物人間の社長がパパになった   第1158話

    莉子は雅彦に乱暴に突き飛ばされ、危うく車椅子から落ちそうになった。それでもなお彼の袖をつかみ、放そうとはしなかった。「……放せ」雅彦の声は冷ややかだったが、その奥には怒りがはっきりとにじんでいた。「雅彦、彼女の心は最初からあなたのものじゃない。どうしてそこまで追いかけるの?いっそ手放したほうが、お互いにとってもいいことじゃない」「俺のことに、部外者が口を出す必要はない」そう言い放った雅彦の表情はさらに険しくなり、莉子の手を乱暴に振り払うと、一度も振り返らず病室を出ていった。突き飛ばされた勢いで車椅子が揺れ、莉子は思わず立ち上がって追いかけようとした。だが理性がその衝動を押しとどめる。消えていく背中を見つめるしかなく、悔しさのままに車椅子の肘掛けを強く叩きつけた。……雅彦は病室を出ると、すぐに海へ電話をかけた。雅彦が目を覚ましたと知り、海はようやく胸をなで下ろす。「それで、結局どういうことだったんだ?」雅彦の声は淡々としていたが、海には爆発寸前であることがはっきり分かった。「監視カメラの映像を調べました。今回の逃亡を仕組んだのは心音のようです。彼女は女の使用人を桃さんの身代わりにして、変装させた桃さんを連れ出しました。今、心音と運転手は行方不明です。おそらく責任を追及されるのを恐れて逃げたのでしょう」雅彦の顔色はまったく変わらなかった。「その二人の行方を全力で探せ。それから……桃は?足取りはつかめたか」「まだです。ただ、彼女が乗った車には以前仕込んだ位置情報システムが残っていて、確認したところ、長いあいだ同じ場所に停まっていました。そこで何が起きているのかは不明です」雅彦は目を細める。「位置を送れ。俺が直接行く」「雅彦、ここは他の人に任せて。起きたばかりなんだから、まずは自分の体を大事にして」ちょうど病室を出てきた莉子は、雅彦が出発しようとしているのを耳にした。せっかく二人きりになれる機会だったのに、ここで行かれてしまうのは耐えられない。思わず声をあげ、必死に止めようとした。しかし雅彦は彼女の言葉など聞こえていないかのように、海に位置を送るよう命じると、そのまま迷いなく病院を後にした。今の彼に莉子を相手にする余裕などない。彼女に口を挟まれる筋合いもなかった。完全に空気のように無視され――その態度が莉子

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status