道中何度か戦闘を挟んだことで予定よりも時間が掛かってしまったため、最寄りのオアシス都市に辿り着いたのは翌日の正午前のことであった。
広場の片隅に腰を下ろしたアモンの身体を、シェイドは黙々と洗い続けていた。パピルサグの返り血に塗れ、青く染まっていた彼の身体は、シェイドが時間を掛けて丁寧に洗った結果、殆ど元通りの状態にまで戻っていた。 セラフィナとキリエの二人は、汗をかいた身体を清めるべく着替え片手に水場へと向かい、シェヘラザードはパピルサグの犠牲となった駱駝の代わりを買いに厩舎へと足を運んでいるため、今この場にいるのはシェイドとアモン、マルコシアス、そして現地の子供たちや人の良さそうな行商人といった面々である。 特に現地の子供たちは、異形の大男であるアモンを見ても臆することなく、そればかりか返り血に塗れた彼の身体を一緒になって洗ってくれるなど、非常に献身的かつ親切であった。 小さな共同体だからこそ、助け合いの重要性をよく理解しているのだろうか。一緒にアモンを洗ってくれる子供たちに感謝の意を述べつつ、シェイドはそのようなことを考えた。 「……こんなところ、かな」 見違えるほど綺麗になったアモンの身体を見て、シェイドは額の汗を拭いつつほっと溜め息を吐く。臭いがまだ少し残っているが、気にするほどではない。 子供たちはどうやらアモンと遊びたかったらしく、口々にアモンに高い高いをして欲しいとせがむ。アモンも満更ではないらしく、心做しか嬉しそうである。 シェイドはマルコシアスと共に少し距離を取り、日陰からその様子を見ることにした。黄色い声を上げて喜ぶ子供たちと、保護者かと見紛うような優しい笑みを湛えているアモン。何とも微笑ましい光景だった。 マルコシアスの毛繕いをしてやりながら、ぼうっとその光景を眺めていると、人の良さそうな行商人が食べやすくカットした西瓜をそれぞれ両手に持ち、片方をシェイドに差し出しなそれから数日が経過した、ある日の夕暮れのこと。 アッカドまでの旅路、その最後の中継地点とも言える、少し前までオアシス都市だった場所。死の街と化したその都市の中心部、広場となっている場所にセラフィナたちは立っていた。 煌々と燃え盛る家々、飛び交う羽虫、鼻の曲がるような強烈な異臭、街の至る所で血を流して倒れている変わり果てた姿の人々。 そしてセラフィナたちの視線の先では、堕罪者のものと思われる複数の血塗られた生首が、無惨にも幾重もの槍の穂先に突き刺された状態で晒し者となっていた。「……この街で、一体何が起こったというの?」 その場に腰を下ろし、目を見開いたまま事切れている幼い少女の瞼をそっと閉じてやりながら、セラフィナはポツリとそう呟く。血で赤黒く染まった少女の身体には何箇所も銃創がある他、槍によるものと思われる深い刺し傷が胸部に刻まれていた。「……こんな、小さな子まで。可哀想に……」 セラフィナの隣に腰を下ろし、涙の痕が残る少女の頬を憐れむように指先で撫でながら、キリエが沈痛な面持ちで目を閉じる。「……まだ、生前の温もりが残っています。恐らく、何者かに襲われてからまだ、それほど時間が経っていないのでしょう」「だろうね。問題は"誰が何の目的で、この惨劇を引き起こしたのか"だけど。堕罪者だけならば兎も角、無辜の民まで容赦なく手に掛けるのは、とても正気の沙汰とは思えないね」「そう、だな……堕罪者を割とあっさりと殺していることを考えると、自警団か若しくは国の正規軍か。何にせよその辺の馬賊程度に、こんな大規模な殺戮は不可能だ」 シェイドの言葉に小さく頷きつつ、セラフィナはゆっくりと立ち上がる。澄んだ青い瞳の奥に、仄暗い怒りの焔が宿っているのが見えた。「──気になることは色々あるけど、取り敢えずは生存者がいないか、手分けして探そうか」 反対する者は、一人もいなかった。セラフィナ主導でそれぞ
道中何度か戦闘を挟んだことで予定よりも時間が掛かってしまったため、最寄りのオアシス都市に辿り着いたのは翌日の正午前のことであった。 広場の片隅に腰を下ろしたアモンの身体を、シェイドは黙々と洗い続けていた。パピルサグの返り血に塗れ、青く染まっていた彼の身体は、シェイドが時間を掛けて丁寧に洗った結果、殆ど元通りの状態にまで戻っていた。 セラフィナとキリエの二人は、汗をかいた身体を清めるべく着替え片手に水場へと向かい、シェヘラザードはパピルサグの犠牲となった駱駝の代わりを買いに厩舎へと足を運んでいるため、今この場にいるのはシェイドとアモン、マルコシアス、そして現地の子供たちや人の良さそうな行商人といった面々である。 特に現地の子供たちは、異形の大男であるアモンを見ても臆することなく、そればかりか返り血に塗れた彼の身体を一緒になって洗ってくれるなど、非常に献身的かつ親切であった。 小さな共同体だからこそ、助け合いの重要性をよく理解しているのだろうか。一緒にアモンを洗ってくれる子供たちに感謝の意を述べつつ、シェイドはそのようなことを考えた。 「……こんなところ、かな」 見違えるほど綺麗になったアモンの身体を見て、シェイドは額の汗を拭いつつほっと溜め息を吐く。臭いがまだ少し残っているが、気にするほどではない。 子供たちはどうやらアモンと遊びたかったらしく、口々にアモンに高い高いをして欲しいとせがむ。アモンも満更ではないらしく、心做しか嬉しそうである。 シェイドはマルコシアスと共に少し距離を取り、日陰からその様子を見ることにした。黄色い声を上げて喜ぶ子供たちと、保護者かと見紛うような優しい笑みを湛えているアモン。何とも微笑ましい光景だった。 マルコシアスの毛繕いをしてやりながら、ぼうっとその光景を眺めていると、人の良さそうな行商人が食べやすくカットした西瓜をそれぞれ両手に持ち、片方をシェイドに差し出しな
翌日── シェヘラザードに先導されつつ、セラフィナたちは駱駝の背に乗り、都市国家アッカドへと続く道なき道を進み続けていた。「…………」 水筒の水をほんの少し口に含みながら、セラフィナはそれとなく周囲の顔色や様子を窺う。 先導するシェヘラザードは、些細な変化も見逃すまいと集中力を高めているのか、セラフィナの視線に気が付く様子はない。 キリエは環境の変化に戸惑っているのか、忙しなく顔を動かしており、殿のアモンはそんなキリエを安心させようと数分に一度、彼女の隣に自らの乗る駱駝を寄せて肩を軽く叩いている。 そしてセラフィナの直ぐ隣にいるシェイドは、やや警戒した様子でシェヘラザードの小さな背中を睨み付けていた。懐に忍ばせている暗器を何時でも投げられるように体勢を維持しており、彼女が少しでも怪しい動きを見せたならば、恐らくは躊躇することなく暗器を投擲するのではないだろうか。 誰も一言も発することなく、ただ前へ前へと進むその様はさながら夢遊病患者か、死者の行軍のようであった。「…………」 ほんの少し息苦しさや、居心地の悪さを感じる。慣れない環境に置かれてストレスを感じているのは勿論のこと、若干ではあるが不和が生じているのもまた息苦しさを感じさせる要因となっているのは否めない。 セラフィナたちが宿を発ち、数多の危険が待ち受ける広大なる砂漠へと足を踏み入れたのは、夜明け前のことだった。 宿を発って間もない内は、セラフィナやアモンが先導するシェヘラザードに声を掛け、何気ない世間話をしていた。 が、さして親しい間柄もないために話すことは直ぐになくなり、日が昇った頃には誰もがすっかり口を閉ざしてしまったのである。 ふと、先導していたシェヘラザードが手綱を引いて駱駝の動きを止め、右手をすっと軽く挙げる。"要警戒"を示すハンドサインである。 キリエやシェイドの顔に緊張が走る。シェヘラザードは続けて"その場から動くな"とハンドサインを出すと、駱駝の背から舞うようにひらりと飛び降りる。 何かを見
シェイドが謎多き吟遊詩人フォルネウスより、三日月の魔女アスタロトに纏わる寓話を聞かせてもらっていた丁度その頃── シェヘラザードに案内された客室……その中央にあるソファーにゆったりと腰を下ろしながら、セラフィナは愛用品であるブーツや剣を黙々と磨いていた。 普段ならセラフィナの傍に侍っている筈のマルコシアスは、残念ながらこの場には居ない。愛玩動物の連れ込み禁止という宿の規則に則り、彼女は外にある厩舎で寝泊まりすることになったからである。 シェヘラザードはマルコシアスについて、宿の支配人と交渉することを勧めたが、セラフィナは"規則がある以上は例外を作ってはいけない"とあっさり拒否。今頃、彼女は厩舎の中で、寝藁を涙で濡らしているかもしれない。 当然であるが異性であるシェイド、異性なのかどうかは分からないがアモンは別室である。尤も、天使・堕天使に性を問うのは野暮というものだが……。 広々とした部屋の四隅には魔除けの意味合いが込められているのか、人間大のパズズ像が複数体、それぞれ窓や部屋の出入り口を睨み付けるような形で設置されている。 部屋を彩る装飾品として見ると悪趣味だが、魔除けとして見ると途端に頼もしく思えるのは、パズズの持つ守護者的な側面故だろうか。 そして向かい側のソファーにはキリエが腰掛けており、セラフィナが"日課"を終えるのを、茶菓子をつまみつつ今か今かと待っていた。 小一時間ほど前、宿の中庭でセラフィナの貸した剣を振り回すどころか逆に振り回されてひぃひぃと言っていた筈なのに、今は存外元気そうである。「……こんな所、かな」 ほっと溜め息を一つ吐くと、セラフィナは剣を磨く手を止め、顔をゆっくりと上げる。そのままキリエの方を見つめると、表情一つ変えぬまま、「……お風呂。私なんか待っていないで、先に一人で入ってくれば良かったのに」「だ、だって、慣れない場所ですし……一人で浴場まで行くのが怖かったので……」「なるほどね……大丈夫って言いたいところだけど、確かに敵か味方かも分からない人たちが、宿の中に沢山溢れ返
宿の食堂にて夕食を摂った後、シェイドは食堂に併設されている酒場のカウンターに腰掛け、独り考え事をしながら黙々とカクテルを飲んでいた。 カウンターを挟んだ向かい側では、元ハルモニア帝国軍人という異色の経歴を持つ宿の支配人が、流れるような手付きで作業をしている。聞けば"|最終戦争《ハルマゲドン》"の際に片目を負傷し、上官や部下に迷惑は掛けられないとの理由から、やむなく退役したのだという。 そしてカウンターからやや離れた場所では、シェヘラザードがシェイドの方をそれとなく気にしつつ、優雅な所作でカクテルを口に含んでいるのが見えた。その様はさながら、砂漠に咲いた一輪の白き花のようである。 パズズに見つかる恐れがあったとはいえ、初対面の相手に失礼なことをしてしまったので、詫びのしるしに是非とも酒を馳走したい──シェヘラザードはそう言って食後の酒にシェイドを誘ったのだった。 酒代をシェヘラザードが出すことについては、シェイドも何も言わなかった。しかし、シェヘラザードと一緒に酒を飲むことだけは固辞した。 まだ相手がさして親しくもない、知り合って間もない間柄というのは勿論だが、それ以上にシェイドが警戒していたのは、色仕掛けを用いた籠絡……即ちハニートラップであった。 今や良き相棒と言っても差し支えないセラフィナの神秘的、耽美的とも言える美貌の前には流石に霞んでしまうものの、シェヘラザードもまた傾国の美女と呼ぶに相応しい、珠玉の如き美貌の持ち主である。その美貌を武器として異性を誑かすのは、恐らく造作もないことだろう。 尤も、シェヘラザード本人にその気があるのか否かは現状定かではない。それでも、万が一のことを考えると彼女を警戒せざるを得ないのは、致し方のないところではあった。「──失礼」「……うん?」 シェイドが顔を上げ、声のした方へと視線を動かすと、ハープを手に携えた青年が爽やかな笑みを浮かべながら軽く手を挙げる。 出で立ちからして吟遊詩人だろうか。多くの異性からモテそうな甘い顔立ちをしているが、同時に歴戦の古豪かの如きオーラも纏っている、良く分からない雰囲気の
ハルモニア国境── 竜舎前の広場にセラフィナたちを背に乗せたドラゴンが降り立つと、親善外交の場としてよく使われている高級宿の方から数名の護衛を伴い、精霊教会の巫女装束に身を包んだ若い女が現れる。「──綺麗……まるで、白百合の花のよう」 こちらへと歩み寄ってくる女の姿を見つめ、キリエが思わずといった様子で嘆声を漏らす。 年の頃は二十歳前後、日焼けしている護衛の兵たちと比較すると明らかに肌が白く、ハルモニア人によく見られる身体的特徴がちらほらと散見される。 丁寧に薄化粧の施された顔は目鼻立ちがくっきりとしており非常に可愛らしいが、身に纏う落ち着いた雰囲気の所為だろうか、可愛さよりも綺麗さの方が優っているように感じられた。「──出迎え、ご苦労」 ドラゴンの背から軽やかな動きで飛び降りたアモンが、穏やかな声で労いの言葉を掛けると、巫女はその場に片膝を付き、胸に片手を当てながらアモンに対して深々と一礼した。「……ハルモニア式の敬礼で応えるとは見事であるな、シェヘラザード」「有り難きお言葉、痛み入ります」 シェヘラザードと呼ばれた巫女は、端正な顔に柔和な笑みを浮かべると、再度アモンに対し丁寧に一礼をする。「──彼女は何者?」 ドラゴンの背からマルコシアスと共に、軽やかな動きで飛び降りてきたセラフィナが尋ねると、アモンはシェヘラザードに近くまで来るよう促してセラフィナたちと対面させつつ、「紹介しよう。彼女は精霊教会所属、巫女長ラマシュトゥの側仕えをしている、巫女のシェヘラザードだ。彼女は若いながらもハルモニアとの親善外交の取次役も担っていてな、今回我らを精霊教会本部のある、都市国家アッカドまで案内してくれることになった」「──初めまして。シェヘラザードと申します」 シェヘラザードはくすっと笑いながら、巫女装束の裾を軽くつまみ、細い足を交差させて優雅にお辞儀をする。どうやら彼女は、ハルモニア式の儀礼に造詣が深いらしい。ハルモニアとの親善外交の取次役を任されるのも納得である。