LOGIN朝、朝倉未月(あさくら みつき)と婚姻届を提出した。 夫婦になったのは、ほんの数時間だけだった。 昼過ぎには、今度は離婚届を書くために役所へ連れて行かれた。 二通の受理証明書を握り締めたまま、俺はその場で立ち尽くす。周囲では、未月の友人たちが遠慮なく笑い声を上げていた。 「未月、真斗のひと言だけで、本当に高城秀樹(たかしろ ひでき)と結婚して、その日のうちに離婚までしちゃったの?」 「見てよ、高城の顔真っ青!今にも泣き出しちゃいそうじゃん!」 未月はそんな声など意にも介さず、義理の弟の藤本真斗(ふじもと まさと)の胸へ飛び込むと、甘えるように見上げた。 「これで結婚も離婚もしてきたよ。もう笑ってくれるよね?」 次の瞬間、それまで冷え切っていた真斗の表情に、ようやく笑みが浮かんだ。 俺は問い詰めようと一歩踏み出した。 だが、その腕を三人の姉が力任せにつかみ、動きを封じる。 社長を務める長姉・高城鈴華(たかしろ すずか)は眉をひそめた。 「真斗を笑顔にできるのは未月だけよ。少しは思いやりを持ちなさい」 女優の次姉・高城佳澄(たかしろ かすみ)は俺を睨んで、冷たく言い放つ。 「真斗はつらい生い立ちなの。あなたは何不自由なく育ったでしょう。女一人くらい譲ってあげなさい」 生物学教授の三番目の姉・高城結花(たかしろ ゆか)も険しい顔で口を開く。 「未月はもともと真斗と結ばれるはずだったの。これ以上、二人につきまとわないで」 三姉妹は抵抗する俺を無理やり車へ押し込み、自分たちが何より大切に思う人の幸せを邪魔させまいとした。 そのとき、長い間まったく反応のなかったチートシステムが、ようやく姿を現す。 (プレイヤー、任務の達成を確認しました!ただちに元の世界へ帰還しますか?) 俺は後部座席に身を預け、窓の外をぼんやり眺める。そして、思わず笑いがこみ上げそうになった。 任務のためだけに演じ続けてきた、この報われない恋の芝居も、これで終わりだ。 これから先、あいつらの愛憎劇に俺が付き合うことは、二度とない!
View More未月が絶望に満ちた声で叫んだ。「違う!そんなはずない!あなたは戻ってきたじゃない!私たちの研究所は成果を出したの!真斗のシステムだって切り離せたのよ……!」俺は鼻で笑い、その言葉を遮る。「お前たちの『研究』は、人をもっと残酷な方法で苦しめてきただけだ。自分たちを傷つけ続けて、罪悪感から目を背けていただけじゃないか」そのときだった。病室のドアが乱暴に開き、一人の男が包丁を振りかざして飛び込んできた。「高城秀樹――!全部お前のせいだ!お前のせいで俺がこんな姿になった!」俺は目を見開いた。そこに立っているのは、見覚えがありながらも、まるで別人になってしまった真斗だった。顔中には無数の醜い傷痕が走り、片方の目は完全に潰れている。空洞になった眼窩は、見る者の背筋を凍らせた。真っ先に動いたのは未月だった。真斗が俺に飛びかかるより早く、彼女は思い切り胸を押し飛ばす。「ぐあっ!」真斗の身体は床へ激しく叩きつけられた。虐待で衰弱しきっていた彼は口から血を吐き、それでも俺を睨み続ける。「秀樹……お前なんか……地獄へ落ちろ……俺の人生を壊した……あいつら……全部、お前が――」最後まで言い切ることはできなかった。そのまま力尽き、動かなくなる。未月は一度も振り返らなかった。ただ俺だけを見つめ、震える声で言う。「秀樹……あなたの仇は取ったよ……」俺は静かに笑った。「俺を傷つけたのは、お前たちじゃないのか?」その一言だけで、四人の顔から血の気が引いた。俺は視線をベッドへ向ける。「システム。生命維持装置を止めてくれ」次の瞬間。ピーーーーッ。長く途切れない電子音が病室中に響き渡る。その音は、彼女たちが最後まで抱き続けた希望を、容赦なく打ち砕いた。誰もが信じられないという表情で俺を見つめる中、俺は静かに口を開く。「高城秀樹は、もう死んでいる。魂のない身体だけを無理やり生かし続けても、この世界を崩壊させるだけだ」しかし未月だけは黙ったままだった。その瞳に宿る執着は、むしろさらに濃くなっていく。「秀樹……私はあなたを行かせないわ」そう言ってポケットから手のひらほどの装置を取り出し、迷いなくスイッチを押した。同時にシステムが警報を鳴らす。(警告)(未
言い終えるより早く、あの懐かしい浮遊感が全身を包み込んだ。強い力で引き寄せられるような感覚に襲われ、視界は真っ白に染まる。次の瞬間、俺は病院の集中治療室の前に立っている。廊下には消毒液の匂いが充満し、思わず吐き気を覚える。ガラス越しに見えたのは、見覚えのある、けれどもう他人のようにも思える身体だった。――この世界の高城秀樹の身体。血の気を失った顔は紙のように白く、全身には無数のチューブがつながれている。生命維持装置だけが、その身体がまだ「生きている」と告げている。ベッドの脇に寄り添っていたのは、見る影もなくやせ細った一人の女性だった。三番目の姉、結花だ。いつも清潔な白衣を着こなし、穏やかな笑顔で研究室の出来事を話してくれた彼女は、もうどこにもいない。髪はぼさぼさに乱れ、額に張りつき、ぶかぶかになった白衣が、やせ細った体を痛々しく包んでいる。彼女はベッドに身を伏せたまま、眠る秀樹の手首を強く握りしめ、生命維持装置のモニターだけを虚ろな目で見つめている。まるで魂まで抜け落ちてしまったようだ。俺が病室へ入ると、結花が勢いよく顔を上げる。口を開いたものの、声にならない。壊れかけた吹子のようなかすれ声が、喉の奥からようやく漏れた。「……秀樹?」震える声で、おそるおそる問いかける。「あなたなの……?本当に、秀樹なの……?」俺は静かに息を吐いた。「ずいぶん痩せたな」その一言だけで、結花の涙があふれ出した。彼女は慌てて机の上に置いてあった菓子箱を手に取り、震える両手で俺へ差し出す。「秀樹が好きだったお菓子よ……都内のお店を全部回って集めたの。お願い、一口だけでも食べて……」俺は箱を受け取ると、そのまま脇へ置いた。「甘すぎる。もう子どもじゃないから、好きじゃない」結花の手がぴたりと止まり、涙はいっそう激しくこぼれ落ちた。俺は気に留めることなく言う。「鈴華と佳澄、それから未月も呼んでくれ。話がある」三人はすぐに駆けつけた。慌ただしい足音が廊下に響く。佳澄は杖をつき、片脚を引きずるように歩いている。顔色は結花以上に悪く、隠しきれない疲労と憔悴がにじんでいる。かつて華やかな舞台で輝き、いつも俺を守ってくれた佳澄の面影はもうなかった。そして鈴華。どん
俺は、自分が育った児童養護施設を訪れた。杉山先生が亡くなってから、この施設は資金不足のため閉鎖されてしまった。かつては子どもたちの笑い声であふれていた小さな建物も、今ではすっかり荒れ果てている。塀には青々とした苔が広がり、鉄門は赤茶けた錆に覆われていた。門の前に立つと、自然と目頭が熱くなる。まだ幼かった俺は、この施設の前に捨てられていた。そんな俺を見つけて連れ帰り、家族として育ててくれたのが杉山先生だった。先生は、俺の人生でたった一人の家族であり、唯一のぬくもりだった。けれど俺が大学生になった頃、病に倒れ、そのまま帰らぬ人となった。何一つ恩返しができないまま、この世で唯一の家族を失ったのだ。先生はいつも俺に言っていた。「秀樹くん、心に光を持った人になりなさい」その言葉は、何年経った今でも胸の奥に残っている。だから今度は、俺がそのぬくもりを守っていこうと思った。三か月をかけて、閉鎖された施設を全面的に改修した。そして、新しい名前を付けた。――陽だまり園。先生がかつて俺の人生を照らしてくれたように。今度は俺が、身寄りのない子どもたちの光になりたい。少しずつ孤児たちを迎え入れていった。おどおどしながらも、どこか期待を秘めた子どもたちの瞳を見るたびに、昔の自分の姿が重なる。俺も杉山先生のように、毎日子どもたちと向き合い、一緒に過ごした。園には、いつも隅で一人うずくまっている女の子がいた。ある日、その子が一枚のクレヨン画を恥ずかしそうに差し出してきた。絵には、たくさんの子どもたちと、その真ん中に少し背の高い男の子が描かれている。その横には、まだたどたどしい字で、【秀樹お兄ちゃんとわたしたち】と書かれていた。女の子は小さな声で言う。「秀樹お兄ちゃんの家族になれて、とってもうれしい」その一言を聞いた瞬間、俺はもう涙をこらえきれなかった。目頭が熱くなり、その小さな体をぎゅっと抱きしめる。三年ぶりだった。ようやく俺にも、帰る場所ができた。自分自身で選び取った、大切な家族ができた。……園の隣に、新しく花屋がオープンした。店主の名前は鈴木優菜(すずき ゆうな)。物腰が柔らかく、笑顔がよく似合う女性だった。彼女は剪定したばかりの花束を持って、よく園へ立ち寄
医師たちは俺を何度も検査に連れ回し、本当に異常がないと確認してから、ようやく退院を許してくれた。俺が真っ先に向かったのは銀行だった。口座に並んだ長い数字を見つめ、ようやく安堵の息を吐く。そのとき、再びシステムの声が頭の中に響いた。(プレイヤー、私はもう行きます。まだ明かしていない真相がありますが、知りたいですか?)俺はキャッシュカードを指先でこすりながら、何も答えなかった。この欠陥だらけのシステムは、俺を別の世界へ放り込んだきり、十五年間も音沙汰がなかった。それでも、俺に二度目の人生を与えてくれたのは、ほかでもないこいつだ。しばらく考えた末、俺は静かにうなずいた。(本来、あの世界の主人公だった高城秀樹は、不慮の事故で亡くなりました。そのため、世界の核が崩れ、あの世界そのものが崩壊しかけたのです。そこで私たちはやむを得ず、並行世界の中から、主人公の代わりになれる人物を探しました。主人公と同じ名前を持ち、末期の病に侵され、命が尽きかけていたあなたが、最も条件に適していたのです)無機質なシステムの声には、どこか申し訳なさそうな響きがあった。(申し訳ありません。しかし、世界の崩壊を防ぐことが、私たちの任務なのです)俺はわずかに目を見開いたが、すぐに納得した。(気にしてないよ。少なくとも、俺は健康な体と報酬を手に入れられたんだから)システムはほっとしたようだった。だが次に口を開いたとき、その声には珍しく、怒りがにじんでいる。(それから、藤本真斗は普通の人間ではありません。彼もまた、別の攻略者です。彼の任務は、あの世界の重要人物たちが持つ運を奪うことでした。あなたをあの世界へ送り込んだ直後、詳しい事情を説明する前に、私は彼のシステムからウイルスを送り込まれ、強制的にスリープ状態へ陥りました】俺は目を伏せた。今になってあの頃を振り返ると、まるで前世の出来事のように遠く感じられた。見知らぬ世界へ突然送り込まれたのだから、不安にならないはずがなかった。けれど、三人の姉たちが注いでくれた愛情と、未月の優しさが、そんな俺の不安をすべて和らげてくれた。思い出すと、胸の奥がわずかに痛んだ。あの頃の幸せが偽物だったわけではない。けれど、そのあとで受けた傷もまた、すべて本物だった。(た