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last update publish date: 2025-10-25 09:57:12

 地方都市のホテルのスイートルーム。玲香は窓の外に広がる街並みを見下ろしながら、スマートフォンのスピーカーから聞こえる担当者の声に耳を傾けていた。

『……以上で、物件の所有権移転手続きは完了いたしました』

「ご苦労様。それで、そのアパートに住んでいる早乙女結菜という女の処遇だけれど」

 玲香はティーカップを優雅に持ち上げ、唇を湿らせる。

「理由は何でもいい。そうね……『老朽化に伴う建て替え』で結構よ。弁護士名で、即時退去を命じる内容証明を送りつけてちょうだい。抵抗できないように、法的に完璧な形でね」

 電話口で代理人に指示を出す玲香の唇には、冷たい笑みが浮かんでいた。

(お義母様からのDNA鑑定要求。住む家の喪失。これで、あの女の心も折れるはず。まあもちろん、別の安アパートを探すでしょうけど)

 玲香は電話の向こうの担当者に、追加で命じた。

「この町の、彼女が借りられそうな安物件は全てリストアップしてちょうだい。オ

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  • 氷のCEOは、愛の在処をもう知らない   144

    「ほんと……?」「ああ、本当だとも。でもせっかくだ。2人で一緒に、本物の紅茶を淹れてみようじゃないか。イギリス仕込みの、とびきり美味しいやつをね」「ぼくも、いっしょにできる?」「もちろん。樹はもう立派なお兄ちゃんだろう? 2人でやれば、きっとうまくいくさ」 エドワードがウィンクをして見せると、樹の顔にようやくパッと明るい笑顔が戻った。◇「さて、まずは茶葉選びだ。紅茶には色々な種類があるが、今日は特別に『ロイヤルミルクティー』を作ろう」 エドワードの指示で、樹は食器棚の奥から別の茶葉の缶を取り出した。 ロイヤルミルクティー。なんだかとても強そうで、かっこいい名前だ。(恐竜にいそうな名前) と、樹はこっそりと思った。「この茶葉は『アッサム』というんだ。ミルクに負けない、しっかりとした濃い味と香りが特徴だよ。缶の蓋を開けて、香りを嗅いでごらん」 樹が言われた通りに鼻を近づけると、先ほどの茶葉とは違う、少し甘くて香ばしい匂いがふわりと漂ってきた。 焼き立てのクッキーみたいな、ホッとする匂い。「いい匂い!」「だろう? ミルクティーにする時は、茶葉の量は少し多めにするのがコツだ」 茶葉の缶を横に置いて、エドワードはIHヒーターへ向き直る。 先ほどポットの熱湯で火傷しそうになった樹のために、今度はエドワードが片手鍋でお湯を沸かし直してくれた。 沸騰したら、一度火を止める。 水は冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターである。「水は水道水ではなく、このミネラルウォーターを使おう」「水道のお水じゃだめなの?」「だめではないが、日本の水は軟水だからね。イギリスの硬水と比べると、風味が変わってしまう」「お水が、やわらかいとか、かたいとかあるの……?」 樹は目を白黒させている。 エドワードは微笑んだ。「マグネシウム

  • 氷のCEOは、愛の在処をもう知らない   143

     小さなスプーンで茶葉をすくい、ティーカップの中に直接入れる。 どれくらい入れればいいのか分からなかったので、とりあえず山盛りで3杯入れた。(お湯を入れる時は、熱いから気をつけて……) ポットのボタンをぎゅっと押す。じょろじょろと勢いよくお湯が出て、カップの中の茶葉がぐるぐると踊り始めた。 お湯はあっという間にカップの縁まで上がり、少しだけこぼれてカウンターを濡らしてしまった。「あちっ!」 飛び散ったお湯が手の甲に跳ねて、樹は思わず手を引っ込める。 急いで布巾でこぼれたお湯を拭き取った。(ふう、危なかった。あとは、このまま待つんだよね) ママが紅茶を淹れる時、いつも少しだけ待っていたのを思い出す。 樹はカップを覗き込んだ。 最初は薄い茶色だったお湯が、どんどん濃くなっていく。1分、2分と経つうちに、まるで泥水のように真っ黒な液体へと変わってしまった。「え……?」 樹は目を丸くした。 ひいおじいちゃんが飲んでいる紅茶は、もっとキラキラした綺麗な琥珀色だったはずだ。こんな真っ黒ではなかった。 恐る恐る、スプーンで一口すくって舐めてみる。「にがっ!!」 舌の根が痺れるような強烈な渋みと苦み。とても飲めたものではない。 樹は急いで水道の水を口に含んで、ぺっぺっと吐き出した。(どうしよう。失敗しちゃった……) せっかくひいおじいちゃんを元気にしてあげようと思ったのに。美味しい紅茶なんて、ぼくには淹れられないんだ。 そう思ったら、喉の奥に熱い塊がこみ上げてくる。視界がじわりとにじんで、カップの縁がぼやけて見えた。 唇をぎゅっと噛み締めて、涙がこぼれるのを必死にこらえる。無意識に両手を強く握りしめた。「おや、こんなところで何をしているんだい、樹」 不意に背後から声がした。 静かなモーター音と共に、車椅子に乗ったエドワードがキッチンに現

  • 氷のCEOは、愛の在処をもう知らない   142:ミルクティーの魔法

     桐生邸に新しい家族が増えて、数ヶ月が過ぎた。 妹の柚葉(ゆずは)は、ふっくらとした頬をほんのりピンク色に染めて、いつもベビーベッドですやすやと眠っている。 樹は今年で6歳になった。すっかりお兄ちゃんとしての自覚が芽生え、妹が泣けばすぐにおもちゃを持って駆けつける日々だ。 屋敷の中は赤ん坊の泣き声と大人たちの笑い声で、いつも明るい空気に包まれている。◇ ただ一つ、樹の心を暗く曇らせていることがあった。 曽祖父であるエドワードが、最近ベッドで休む日が多くなっていたのだ。(ひいおじいちゃん、どこか痛いのかな。お顔の色も、あんまり良くないし……) 樹は心配でたまらなかった。 エドワードは、イギリスの「不思議の国」のお話をたくさん聞かせてくれる、大好きなひいおじいちゃんだ。車椅子に乗っているけれど、いつも背筋をピンと伸ばして、銀灰色の瞳を優しく細めて笑ってくれていた。 それなのに、最近はリビングで一緒にお茶を飲むことも少なくなってしまった。(ぼくが、ひいおじいちゃんを元気にしてあげたい。何か、ぼくにできることはないかな……?) 子供部屋で恐竜の図鑑をパラパラとめくりながら、樹は一生懸命に考えた。 エドワードの好きなもの。 真っ先に思い浮かんだのは、琥珀色の液体が入った、綺麗な模様のティーカップだった。(そうだ! 紅茶だ!) ひいおじいちゃんは、いつも美味しそうに紅茶を飲んでいた。 甘いお菓子と一緒に、ふうふうと息を吹きかけながら飲むと、決まって嬉しそうに目を細めていた。『私の故郷は紅茶の本場でね。料理は美味しくないが、紅茶だけは美味しいとよく言われたものさ』 そんなふうに言って笑っていたものだ。(ぼくが美味しい紅茶を淹れてあげたら、きっとひいおじいちゃんも元気になる!) 思いついたら、すぐに行動だ。 樹は図鑑を放り出し、子供部屋を飛び出した。廊下をぱたぱたと走り、一階の広

  • 氷のCEOは、愛の在処をもう知らない   141

    「……さて。今日はここまで」 話の区切りをつけてエドワードが言うと、樹は急に現実に引き戻された気持ちになった。 車椅子の曽祖父の顔を見上げて、首をかしげる。「ひいおじいちゃん、もう終わりなの? それからイツキはどうなったの? もっと聞きたいよ」「終わりではないよ。続きはまた明日にしよう。さあ、そろそろ夕食の時間だ。しっかり食べて、大きくならないとね。お母さんを迎えにいってあげなさい」「ん、分かった! お話、明日また聞かせてね!」 樹は勢いよく立ち上がると、弾むような足取りでリビングを出ていった。「……お父様があんなにお話が上手とは、知りませんでしたわ」 残された鏡子がぽつりと言う。エドワードは苦笑した。「お前にも話したはずなんだが、もっとたくさん聞かせてやればよかったね。当時は仕事が忙しくて、お前のための時間をあまり取ってやれなかった。後悔先に立たずとはこのことだ」 若い頃のエドワードは単身で戦後の日本に渡り、KIRYUホールディングスを立ち上げた。 結婚した後も多忙を極めて、家族との時間が少なかったのは事実だ。 鏡子は首を振った。「もう50年以上前のことです。私も大人どころか、高齢になりました。お父様に感謝以外はありません」「そうかい? いくつになっても、親にとっては可愛い娘だ。樹のお話の次は鏡子の話をしようじゃないか」「またそのようなことを……」 鏡子は呆れ顔だが、少しだけ嬉しそうでもある。長年を仕事の責務に費やしてきた彼女にとって、今の家族の団らんは新鮮で、心が温まるものでもあった。「不思議の国のアリスの続編は、鏡の国のアリス。鏡子の鏡の字だよ。ぴったりじゃないか。どんなお話にしようか、今から腕が鳴るね」 楽しげなエドワードに、鏡子も少しだけ笑った。「……そうですね。では樹くんと一緒に聞かせてください」「ああ、そうしてくれ。可愛い娘と孫とひ孫に囲まれて、私は幸せ者だ」 エドワードはひざ掛けの下の手を握り直した。そこには1つの古びた鍵がある。 この屋敷の地下にある、エドワードの書庫の鍵だ。 普段は鍵がかけられているそこは、エドワードにとっての不思議の国。長年かけて収集した貴重な本が山ほど収められている。(鏡子は読書に興味を示さない子だった。智輝は本が好きだったようだが、途中で心を閉ざしてしまった。樹はまっすぐな目で

  • 氷のCEOは、愛の在処をもう知らない   140:不思議の国のお話

     5歳の樹は、今は東京の桐生の家で暮らしている。 4歳までは海辺の町で母親の結菜と二人暮らしだった。 突然現れた「おじさん」が実はパパだったと知らされて、最初は驚いたけど、ママが幸せそうに微笑んでいるのを見て、樹も受け入れたのだ。 それからしばらくは、パパとママと樹の三人で海辺の町で暮らしていた。 パパ――KIRYUホールディングスのCEOである智輝はいつも忙しそうだったが、少々無理をしてでも結菜と樹との時間を大事にしてくれた。 そうしているうちに、結菜の妊娠が発覚。 智輝の多忙さもあり、結菜は樹を連れて東京の桐生の家で暮らすことになった。◇「ねえ、ひいおじいちゃん。今日もイギリスのお話、聞かせて?」 結菜の出産が間近に迫ったある日、桐生邸のリビングで、樹は曽祖父に話しかけた。 曽祖父のエドワードは微笑んで、車椅子の横に座ったひ孫の頭を撫でてやる。「ああ、いいとも。何のお話をしようかな?」「図書館で『不思議の国のアリス』っていう本を読んだんだ。おもしろそうだけど、むずかしくて」 樹はぎゅっと眉を寄せた。 彼はまだ5歳。5歳としては読書家なのだが、やはり字がメインの本は年齢的に難しい。「まえがきに、イギリスのお話だと書いてあったよ。イギリスには、不思議の国があるの?」「そうだねぇ……」 エドワードは少しとぼけるように言った。「確かにある。イギリスは妖精たちが住まう国だ。森のウサギの巣穴は、時々不思議の国に繋がっている。アリスのような女の子が、巣穴に落ちて不思議の国に入ってしまうことも、たまにはあるね」「……へぇぇ!」 樹は目を輝かせたが、同じくリビングのソファに座っていた鏡子――エドワードの娘で樹の祖母――は、眉をひそめた。「お父様。いくら子供相手の物語とはいえ、嘘をつくのはどうなのですか?」 現実主義者の鏡子としては、そこが気になってしまうらしい。 エドワードはにやりと笑った。「嘘ではないよ。小さい頃のお前にも話してあげただろう。覚えていないかな?」「覚えていませんね」「それは残念。私の膝の上で、夢中になって話を聞いてくれたのに」「はぁ……」「ではお前も、樹と一緒に話を聞くといい。『不思議の国のイツキ』、さあ始まるよ」「えっ、ぼく!?」 樹は驚いて曽祖父を見上げた。「そうとも。人は誰しも、人生という物語

  • 氷のCEOは、愛の在処をもう知らない   139

     兄妹がそこまで話した時、祖父である雅臣が通りかかった。「おや、2人とも。お茶の時間かい? おじいちゃんも混ぜてもらおうかな」「もちろん! こっち座って!」 柚葉がソファの席を詰める。樹はティーカップをもう1セット持ってきて、ポットから紅茶を注いだ。「ありがとう。樹は紅茶を淹れるのが上手だよね」「うん、ひいおじいちゃん直伝だからね。……ねえ、おじいちゃん。聞きたいんだけど、パパとママは若い頃に何かあったの?」「……何か、とは?」 雅臣は慎重な目で孫を見た。  樹は自分の古い記憶を語ってみせる。  雅臣はふうと息を吐いて、カップを置いた。「まあ、色々あったねえ。楽しい話も、そうでない話もある。僕の口から言うのではなく、智輝と結菜さんから聞くべきだろうね」 祖父の思いのほか重い口調に、孫たちは目を丸くした。 ◇  そうして兄妹は、両親の秘密の過去を聞き出そうと決意した。  なかなか話したがらない父と母を説き伏せて、とうとう聞き出したのだ。  ただし結菜は、智輝が彼女を手酷く傷つけたのは黙っていた。今の智輝は良き父で、子供たちもパパが大好きだったから。  勘違いですれ違った、と言うに留めた。「ええーっ。じゃあママは5年も1人でお兄ちゃんを育てたの? 凄すぎる」 柚葉が目を丸くしている。「父さんは何やってたんだ。会社の力もあるんだし、調べようと思えば調べられただろ」 樹は不満そうだ。結菜が苦笑した。「樹が生まれたと知らせなかったから。知らなければ、調べようもないでしょ」「でも、図書館で偶然再会しなければ、ずっとすれ違ったままだったってこと?」「そういえば、そうね」「その場合、私は生まれなかったってこと!?」 柚葉が愕然としている。智輝が深いため息をついた。「そう思うとぞっとするな。あの時、もう一度結菜に出会えて本当に良かったよ」「ええ。私も心からそう思うわ」 結菜と智輝は微笑みを交わす。深い信頼と愛情で結ばれた眼差しに、柚葉が叫んだ。「出た、ラブラブ夫婦! すれ違っていたなんて、信じられないよね」 明るい笑い声が弾ける。  辛い過去はもう遠い記憶の向こう。 大きくなった子供たちと、変わらず愛する智輝に囲まれて、結菜は幸福な笑みを浮かべた。 ※これにて番外編も終了です。最後までありがとうございました。※といい

  • 氷のCEOは、愛の在処をもう知らない   48

    「分かりました。あとは、こちらで対処します」 その声には何の感情も乗っていなかった。「さすがお義母様! 頼りにしています」 玲香が満足げに帰ると、鏡子は書斎へ向かい、一分の隙もない所作で顧問弁護士に電話を入れた。「ええ、私です。以下の内容で至急、書類を作りなさい。内容は――」◇ 数日後の午後。普段と変わらぬ慌ただしさの中で、結菜の元に一通の書留が届いた。 都内の一流法律事務所のロゴが印刷された、分厚い封筒である。 事務室で一人、ペーパーナイフで封

    last updateLast Updated : 2026-03-22
  • 氷のCEOは、愛の在処をもう知らない   45:ティラノサウルスの声

     絵本コーナーの一角。智輝は、子供の存在を意識から追い出すように、ノートPCの画面に集中していた。カタカタと響くキーボードの音が、彼の苛立ちを代弁している。(なぜ俺が、この子の面倒を見なければならない……いや、面倒など見ていない。ただ、そこにいるだけだ。仕事に集中しろ) 一方、樹は智輝の冷たい空気を気にする様子もなく、お絵描きに飽きて立ち上がった。書架からお気に入りの、大きな恐竜の絵本を取り出すと、まっすぐに智輝の方へ歩いてくる。 樹は智輝のデスクの横に立ち、絵本を掲げた。「これ、よんで」

    last updateLast Updated : 2026-03-22
  • 氷のCEOは、愛の在処をもう知らない   43

    「なんだ、これは……」「綾小路玲香様のSNSアカウントの投稿でございます。本日、こちらの図書館を訪問された際のもののようですが……」 秘書は慎重に言葉を選びながら続けた。「こちらの投稿が、現在、複数のビジネス系インフルエンサーやゴシップサイトに取り上げられておりまして。株主様からも数件、お問い合わせが来ております」 タブレットに表示されていたのは、玲香の自撮り写真と、世間の嘲笑に満ちたコメントの数々だった。 仕事に没頭していた智輝の思考が、一瞬で怒りに塗り替

    last updateLast Updated : 2026-03-22
  • 氷のCEOは、愛の在処をもう知らない   42

     高級車の後部座席で、玲香は怒りに爪を噛んでいた。(あの女……! 少しも動揺しないなんて。私はおろか、智輝様まで眼中にないというの!?) 智輝の名を出した時も、指輪を見せつけた時も、結菜はちっとも取り乱したりしなかった。(智輝様も智輝様よ。結婚を5年も引き伸ばして、今も婚約者であるあたしをないがしろにしている!) 玲香はプライドがひどく傷つくのを感じた。「こうなったら……」 彼女はスマートフォンを取り出した。図書館で密かに撮っておいた、指

    last updateLast Updated : 2026-03-22
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