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55:地下書庫の光

last update Date de publication: 2025-10-26 09:59:20

 結菜と樹の引っ越しは、図書館の同僚たちが総出で手伝ってくれた。

 館長が手配してくれた軽トラックに、決して多くはない家財道具と、段ボールに詰められたおもちゃや絵本が積み込まれていく。

「てぃらのくんは、ぼくがもっていくの!」

「てぃらのくん」は樹の宝物である恐竜のぬいぐるみだ。誰にも渡すまいと、小さな腕でしっかりと抱きしめていた。

 その様子に、図書館の同僚たちは微笑ましそうに笑っている。

 元のアパートから引っ越し先の市営住宅は、そんなに距離は離れていない。荷物が少ないのもあって、引っ越しは手早く済んだ。

「ママ、ここがあたらしいおうち?」

 樹が新居を探検して回っている。

「そうよ。前のところよりずっと立派ね」

 玲香の悪意によって手に入れた新しい市営住宅は、結菜がこれまで住んでいた古いアパートとは比べ物にならないほど、住心地のいい場所だった。

 結菜と樹は、マンションの一階エントランスの自動ドアを抜ける。背後でカシャンと硬質な音を立てて閉まるオー

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  • 氷のCEOは、愛の在処をもう知らない   151

    「あの子だけ、この家で瞳の色が違う。いつかそのことで、結菜さんと柚葉ちゃんが疎外感を感じて、気に病んでしまうのではないかと」 鏡子の告白に、結菜は目を見張った。 完璧を求める彼女が、そんな些細な感情の機微を気に留め、孫や嫁の心を案じていたなんて。「でも、杞憂でしたね」 鏡子は、柚葉が走り去った扉の方へ視線を向けた。「あの子は、少しも卑屈になっていませんでした。ただ、お姫様になりたいという純粋な気持ちから、違いを悔しがっていただけ。結菜さんが愛情たっぷりに、まっすぐに育ててくれたおかげです」 その眼差しに、かつて結菜を震え上がらせた「氷の女帝」としての冷たさは少しもない。 そこにあるのは、家族を深く慈しむ、一人の祖母としての温かい愛情だけだった。(この人は、きっと……) 結菜の胸の奥に、温かいものが込み上げてくる。(元々、こういう優しい人だったんだ。桐生家という大きな家と、会社を守るという重い責任を果たさなければいけないという思いが強すぎて……心を武装していただけで) 冷たい仮面の下に隠されていた、不器用だけれど深い愛情。 今はもう、大人になった智輝が立派に会社を切り盛りしている。 結菜という妻を得て、孫が2人もいる。どちらもとてもいい子だ。 エドワードが療養先から戻り、相談に乗ってくれる。 それらのお陰で、鏡子は重責を下ろせた。 だからこそ彼女は素顔を見せている。 それに気づけたことが、結菜は何よりも嬉しかった。 結菜が温かな眼差しで微笑み返すと、鏡子もまた、ふっと口元を緩めた。「結菜さん。先ほどのネックレスだけでなく、私のコレクションで気に入ったものがあれば、遠慮なく言ってください。差し上げますよ」「えっ! そんな、とんでもないです!」 結菜は慌てて両手を振った。 鏡子は少しだけ苦笑する。寂しそうでもあり、納得したような笑みだった。「私はもう、引退が近い

  • 氷のCEOは、愛の在処をもう知らない   150

     黒い布地の上に鎮座していたのは、大粒の宝石があしらわれたネックレスだった。 透き通るような深い琥珀色。光の加減で黄金色にも、濃いチョコレート色にも見える、神秘的な輝きを放っている。「これが、トパーズという宝石です」 鏡子がネックレスをつまみ上げると、金のチェーンがしゃらりと軽やかな音を立てた。 窓からの光を反射して、トパーズが柚葉の顔を優しく照らす。 光は柚葉の瞳に差し込んで、彼女は少し眩しそうに目を細めた。「わぁ……」 柚葉の瞳から涙が引いた。代わりに、好奇心と感嘆の光が灯る。 小さな口をぽかんと開けて、目の前で揺れる美しい宝石にすっかり夢中になっていた。「きれいでしょ? 柚葉ちゃんの瞳は、この宝石と同じ色をしているのですよ。とても高貴で、美しい色だわ」「ゆずのおめめ、これとおんなじ?」「ええ、そうよ。だから、泣く必要なんてどこにもないの」 鏡子の優しい言葉に、柚葉は自分の目元を小さな手でこすった。 トパーズのネックレスに向かって、おずおずと手を伸ばす。「これ、ゆずの?」 純粋な欲求に、結菜は慌てて口を挟んだ。 子供には明らかに高価過ぎる品物だ。「こら、柚葉。そんな高価なもの、おねだりしちゃ駄目よ」 しかし鏡子は結菜を制するように軽く手を上げると、柚葉に向かって微笑んだ。「今はまだ、柚葉ちゃんには少し大きすぎるわね。でも……」 鏡子はネックレスを小箱に戻し、パチンと蓋を閉めた。「あなたがもう少し大きくなって、素敵な大人の女性になった時、お祝いにプレゼントしましょう。それまで、ばぁばが大事に預かっておくわ」 その提案に、柚葉の顔がぱあっと明るく輝いた。 涙の跡が残る頬を上気させ、満面の笑みを浮かべる。「ほんと!? やくそくだよ、ばぁば!」「ええ、約束です」 柚葉は鏡子の首に小さな腕を回し、ぎゅっと抱きついた。

  • 氷のCEOは、愛の在処をもう知らない   149

    「柚葉、泣かないで。どんな色だって、柚葉は柚葉よ。パパもにぃにも、柚葉のこと大好きでしょ?」「やだやだ! ちがう色がよかったのぉぉ!」 言葉を尽くしても、興奮した娘の耳には届かない。さすがは魔の2歳児。両手で目をこすり、しゃくりあげて泣き続ける。(困った。泣き止んでくれない。どうしたらいいの) 結菜は途方に暮れた。 と、その時。「……随分と、賑やかなこと」 背後から、落ち着いた声が降ってきた。 結菜はびくりと肩をはねさせて、振り返る。 そこには、一分の隙もなく身なりを整えた鏡子が立っていた。 仕事の帰りだろうか、上質なクリーム色のスーツに身を包んでいる。 首元に光るペンダントは、彼女の瞳と同じ色。プラチナのチェーンと上品なダイヤモンドだ。 手には小さなベルベットの小箱を持っていた。(お義母さま……) 結菜の心臓が、嫌な音を立てて早鐘を打つ。手のひらにじわりと嫌な汗がにじむのを感じた。 和解したとはいえ、かつて「氷の女帝」として君臨していた彼女の厳しさは、結菜の記憶の奥底に刻み込まれている。 桐生家の規律を重んじる鏡子が、理由のないわがままで大声を出して泣く孫を許すだろうか。 厳しく叱りつけるのではないか。(柚葉を、守らなきゃ) 結菜は無意識に、泣きじゃくる娘を自分の腕の中に引き寄せ、庇うような姿勢をとった。 しかし、鏡子は結菜の警戒など気にも留めない様子で、ゆっくりと歩み寄る。2人の前で優雅にしゃがみ込んだ。「柚葉ちゃん。どうしてそんなに泣いているの?」 その声は、結菜が予想していた冷たい叱責ではなく、ひどく穏やかで温かみのあるものだった。 柚葉はしゃくりあげながら、涙で濡れた顔を上げた。「だって……ばぁばたちのおめめ、キラキラでかっこいい。ゆずだけ、茶色いどんぐりだもん。かわいくないの……ひ

  • 氷のCEOは、愛の在処をもう知らない   148

    (かわいいなぁ。女の子は男の子とまた違って、かわいい。智輝さんが何でも買ってあげちゃう気持ちも、分かるわ) 娘の愛らしい姿に、結菜の口元が自然と緩んだ。 くるりと回ってみせた柚葉は、母に向かって小さな手を振った。「ねえ、ママ! みてみて!」「ええ、とっても素敵よ。世界で一番可愛いお姫様ね」「ふふっ!」 褒められて満足したのか、柚葉はぱたぱたと足音を立てて、壁際に置かれた大きな姿見の前に向かった。 鏡に映る自分をうっとりと眺め、ティアラの位置を直す。女の子は2歳でも立派なレディだ。 結菜はソファに腰を下ろし、温かい紅茶のカップを手に取りながら、娘の無邪気な様子を目を細めて見守っていた。 ところが、鏡の前で色々なポーズをとっていた柚葉の動きが、ふと止まった。 彼女は鏡に顔を近づけ、じっと自分の顔を覗き込む。 それから、振り返って結菜を見た。その小さな顔に、不満げな色が浮かんでいる。「ママ。ゆずのおめめ、キラキラじゃない」「え?」 結菜が首を傾げると、柚葉は唇を尖らせて鏡を指差した。「パパのおめめ、キラキラでしょ。にぃにも、パパも、ひいおじいちゃんも、ばぁばも、みんな銀色のキラキラなおめめなのに。ゆずのおめめは、ただのちゃいろだもん! お姫様じゃない!」 柚葉の目は、結菜から受け継いだダークブラウンだ。ごく普通の日本人らしい色である。 桐生家の血筋を引く智輝や樹、そして鏡子やエドワードが持つ、あの特徴的な銀灰色の瞳ではない。 これまで気にした様子はなかったのに、お姫様になりきりたい2歳の心には、その違いが突然大きな不満として映ったのだろう。「そんなことないわよ。柚葉のお目々、とっても可愛いわ」 結菜はカップをテーブルに置き、柚葉のそばにしゃがみ込んだ。「ママと同じ色よ? どんぐりみたいで、可愛いでしょ?」「やだ! どんぐりやだ! ゆずも、パパたちみたいに、銀色のキラキラがいいの!」 柚葉はティアラをむしり取って床に投

  • 氷のCEOは、愛の在処をもう知らない   147:トパーズの瞳

     東京の桐生邸に越してきてから、結菜の生活は大きく変わった。 海辺の町での静かでささやかな暮らしも愛おしかったが、今の広々とした屋敷での生活も、賑やかで温かい。 何より、夫の智輝や息子の樹、そして新しく加わった娘の柚葉と共に過ごす時間は、結菜の心を深い幸福で満たしていた。 智輝の母である鏡子とは、和解を済ませた。 父である雅臣は優しい人で、最初から結菜と樹を可愛がってくれている。 祖父のエドワードはいつも微笑んでいて、懐の深さを感じさせる。 両親を既に亡くした結菜は、桐生家の人々を大事にしていた。◇ 休日の午後。日差しが柔らかく差し込むリビングの絨毯の上で、2歳になった柚葉がくるくると回っていた。「ママ、見て! ゆず、おひめさまみたい?」 柚葉は、ふんわりと広がる淡いピンク色のチュールドレスの裾をつまみ、得意げに微笑む。 すっかりおしゃまさんになった娘は、最近この「お姫様ごっこ」に夢中だ。智輝が甘やかして買ってきたティアラのおもちゃを頭に乗せ、小さい足でステップを踏んでいる。 智輝はとにかく柚葉に甘い。 樹の成長を見守れなかった分だけ大事にしていると本人は言うけれど、どう見ても娘を溺愛している。 だからお姫様のドレスは何着もあるし、ティアラも金色と銀色のものが揃っている。 桐生家は大変な資産家なので、お金には困っていない。 しかし甘やかしすぎるのはよくない。 少し引き締めないといけないと、結菜が感じるくらいだった。(樹が2歳の時は、いい子すぎるくらいいい子だったっけ。図書館司書のお給料は安かったから、ろくなおもちゃを買ってあげられなかったのに、わがままは言わなかった) たぶん樹は母親のお財布が苦しいことを、幼いながらに察していたのだろう。賢い子だと結菜は思う。 けれど結菜はおもちゃを買ってあげられない代わりに、たくさん工夫をした。 図書館で絵本を借りてきて、親子で代わる代わる登場人物になりきって読んでみ

  • 氷のCEOは、愛の在処をもう知らない   146

    「魔法の飲み物……」 樹はもう一度、カップの中のキャラメル色の液体を見つめた。 確かに魔法みたいだ。あんなに乾燥した草みたいな茶葉が、お湯とミルクでこんなに甘くて美味しい飲み物に変わるなんて。 樹は今まであまり紅茶を飲まなかったけれど、すっかり虜になってしまった。 それに、ひいおじいちゃんの顔色も、さっきよりずっと良くなっている気がする。 本当に魔法みたいだった。「ひいおじいちゃん、元気になった?」 樹が尋ねると、エドワードは力強く頷いた。「ああ。樹が一緒に作ってくれたからね。100人の医者よりも、この1杯のミルクティーの方がずっと効き目があるよ」「ほんと? やったあ!」 樹はクッキーをかじり、ミルクティーをごくりと飲んだ。  甘いクッキーとミルクティーの組み合わせは最高だ。口の中が天国みたいに幸せな味で満たされる。「樹」 エドワードが、少し真面目な顔をして名前を呼んだ。「今日は美味しい紅茶をありがとう。私はもう年寄りで、ベッドで休む日が増えてしまうかもしれない。でもね、樹がお兄ちゃんとして立派に成長していく姿を見ることが、今の私にとって一番の元気の源なんだよ」 エドワードのしわだらけの大きな手が、樹の小さな手をそっと包み込んだ。  少しごつごつしているけれど、とても温かくて安心する手。樹の大好きな手だ。「だから、お父さんやお母さんの言うことをよく聞いて、柚葉のことも守ってあげるんだよ。立派な、桐生家の男としてね」「うん! ぼく、お兄ちゃんだもん。柚葉のことも、ひいおじいちゃんのことも、ぜったい守る!」 樹が元気よく宣言すると、エドワードは声を上げて笑った。「ははは! それは頼もしい。次はロイヤルミルクティーではなく、普通の紅茶の淹れ方を教えてあげようか。ティーポットに茶葉とお湯を入れて、茶葉を踊らせるんだ」「ちがう淹れ方もあるんだね。そっちも美味しそう! また明日も、一緒に作ろうね!」「ああ、約束だ」 キッチンに、幼い男の子と老紳士の温かな笑い声が響く。  窓の外には、冬の柔らかな日差しが降り注いでいた。カップから立ち上る紅茶の甘い香りが、二人を優しく包み込んでいる。 樹は心の中で、小さな決意を固めた。  もっともっと練習して、1人で完璧なロイヤルミルクティーを淹れられるようになろう。  ひいおじいちゃんを元気

  • 氷のCEOは、愛の在処をもう知らない   126:お願い

    ※R18シーン 智輝が結菜にプロポーズをして、しばらく経った後のこと。 智輝がふと思い出した、という様子で言った。「実は俺、来週が誕生日なんだ」「えっ!」 突然の告白に、結菜は驚いた。「そうだったのね。お祝いしなきゃ!」 素直な喜びを見せる彼女に、智輝は肩を抱く。「大げさなことは必要ないよ。一つお願いを聞いてくれればいい」「ええ、いいわよ。何でも言って」「では――」 智輝は結菜の耳元に口を寄せて、囁いた。

    last updateDernière mise à jour : 2026-04-03
  • 氷のCEOは、愛の在処をもう知らない   119

    「はは。びしょびしょだ。濡れやすい体質は変わっていないな」 軽く指を入れてかき混ぜられれば、愛液があふれ出るようにこぼれてシーツを濡らした。  智輝は2本の指で秘部を押し広げるようにする。結菜の期待が高まる。「……?」 ところが、智輝は指を抜いてしまった。期待していた結菜のあそこが、ひくひくと物欲しそうに動いている。「智輝、さん……?」「どうしてほしいか、言ってごらん」「え?」「気持ちよくなりたいだろう? どうすればイケると思う?」「そ、それは」

    last updateDernière mise à jour : 2026-04-02
  • 氷のCEOは、愛の在処をもう知らない   124:パパと呼ぶ日

     プロポーズの数日後の夜のこと。樹が子供部屋で眠りにつくと、リビングには静かな時間が訪れた。  結菜は温かいお茶を2つ淹れて、ローテーブルに置く。彼女が智輝の隣に腰を下ろすと、ソファのスプリングが小さく軋んだ。「樹、すぐに寝付いてくれたわ。よほど疲れていたのね」 結菜が微笑む。「ああ。昼間、公園ではしゃいでいたからな。あの子はいつも元気いっぱいだ」 智輝も穏やかな声で応じた。「私と2人だけなら、あそこまではしゃがないの。あなたがいて、嬉しかったみたい」 しばらくの間、2人

    last updateDernière mise à jour : 2026-04-02
  • 氷のCEOは、愛の在処をもう知らない   112:5年目のプロポーズ

     KIRYUホールディングスの会議の一件から数日後。智輝が、結菜のアパートを訪れた。 あれから会議は終了になって、鏡子と重役たちはエドワードから説教をされた。「お前たちに苦労をかけたのは分かっている。だが、これはないだろう。会社という組織のために個人の幸福を潰すのならば、そんな会社こそ潰れてしまえ。KIRYUホールディングスは、社員の幸せと社会貢献を重んじる。それは今も昔も変わらない」 偉大な創業者に諭されて、全員がうなだれるばかりであった。 そうして鏡子は、決断をする。「母さんからの伝言だ」 彼は少

    last updateDernière mise à jour : 2026-04-01
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