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last update Last Updated: 2025-10-28 11:40:35

 地方紙の記事には「最近、地下書庫へ異動になったばかりの図書館司書・早乙女結菜さんが大発見」という一文が、ごく小さく載っていた。しかし、町の有力者たちはその一文を見逃さなかった。

 その夜、町の商工会議所の会合で、地元の建設会社の社長が、酒の席で隣に座る食品卸会社の重役に声を潜めて言った。

「おい、読んだか、今日の新聞。図書館の早乙女さん、市長から表彰されたらしいな」

「ああ。うちの孫娘も、あの人のおはなし会が大好きでね。素晴らしい発見だよ。だが、気にならんか? なぜ、あれほどの有能な人材が、つい最近、地下書庫なんぞに追いやられていたのか」

 電気工事の社長が口を挟んだ。

「……綾小路銀行だろう。図書館の指定管理会社のメインバンクは、あそこだからな」

「なるほどな。東京の大銀行様は、やることが違う。少し、うちのメインバンクも考え直す時期かもしれんな……」

「ああ。うちもだ」

 小さな町での信用は、金では買えない。玲香が父親の権力を笠に着て行った横暴な介入は、彼らの地元でのビジネス基盤を蝕み始めていた。

「玲香」

 東京の綾小路銀行頭取室。父親からの呼び出しに、玲香は優雅な足取りで入室した。図書館プロジェクト介入の件で、褒められるとでも思っていたのだろう。

 しかし彼女を迎えたのは、父親の冷たい視線だった。

「お前の軽率な行動のせいで、あの町での我が行の評判がどうなっているか、分かっているのか」

「お父様……? 何のことですの?」

「とぼけるな! 図書館の人事にまで口を出し、結果、相手に手柄を立てさせるだけならまだしも、こちらの心証まで悪化させおって。桐生家へのアピールも、全て裏目だ! お前は、私が築き上げてきたものに泥を塗ったんだぞ!」

「そ、そんな……」

「もう一つある。お前はあの町で、不動産の不当な買い占めを行ったと報告が上がってきた。どういうつもりだ?」

「あの件は、あたしも不

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  • 氷のCEOは、愛の在処をもう知らない   109

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  • 氷のCEOは、愛の在処をもう知らない   108

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     鏡子は智輝を結菜から引き離し、精神的に追い詰める。その上で最終的に樹を奪い取るための正当性を、会社を巻き込んで作り上げようとしているのだ。 それがどれだけ自分勝手で理不尽なものであるか、鏡子は気づいてもいない。 彼女はただ、桐生家の当主として、KIRYUホールディングスの重役として責任を果たしているつもりでいる。(まったく、手間のかかること。とはいえ、私が婚約者選びに失敗したのも事実ですね。綾小路銀行との縁は良いと思ったけれど、当の玲香さんがあそこまで浅はかとは。まあ、結婚相手はこれからまた探せる。今は確実に子供を手に入れておきましょう) 鏡子は窮地に立たされている息子を、無感動な目で見やっていた。◇ 会議室は、重苦しい膠着状態に陥っていた。 役員たちはただただ非難を繰り返すが、智輝も折れることはない。 話のすり替えに応じず、感情を殺して反論してみせる。 しかし役員たちもまた、鏡子の前でそう簡単に白旗を上げることもなかった。 その時、コン、コン、と控えめなノックの音が、重厚なドアを震わせた。 役員の一人が、苛立たしげに「誰だ」と声を上げる。重要な役員会の最中に許可なく入室を求める者など、通常では考えられない。 ドアがわずかに開いた。隙間から顔を覗かせたのは、若い秘書だった。彼は室内の重圧に気圧されたように青ざめている。「申し訳ございません。……お客様が、どうしてもと……」 秘書の言葉が終わるよりも早く、ドアがさらに押し開かれた。 ドアの前に立っていたのは、心配そうな、どこか安堵した表情の雅臣だった。「雅臣さん? あなたに出席の資格はないはずですけれど?」 鏡子が、驚きと非難の入り混じった声で夫の名を呼ぶ。しかし雅臣は妻の視線を無視すると、恭しく背後の人物に道を開けた。 静かなモーター音と共に、一台の電動車椅子がゆっくりと入室してくる。 それに乗っていたのは、一人の老紳士だった。90歳を超えているはずだが、その

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