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作者: 酔夫人
last update 最終更新日: 2026-01-25 12:20:15

さゆりに案内されたあやめの部屋は、広く、美しかった。

そして、洋風の部屋だった。

外観が老舗旅館を思わせる日本家屋だから、あやめは意外だと思った。

(でも、とても素敵だわ)

白を基調とした内装に、淡い藤色のカーテン。

窓の外には、手入れの行き届いた日本庭園が広がっている。  

ただ、どこか“整いすぎている”気もした。

まるで、誰かのために誂えられたような空間。

なんとなく、あやめは居心地の悪さを覚えた。

「お気に召しますと、よろしいのですが」

早苗が微笑む。  

その笑顔は初めのものより柔らかいが、訓練されたもの。  

(鷹見さんといい、早苗さんといい……政略だから、仕方がないわね)

あやめを値踏みするほどではないが、早苗の目はあやめを測るような探るような目。

でも、己の領分から出ることはない、“役割”を果たす彼らにあやめは好感を抱いた。

「ありがとうございます。とても綺麗なお部屋です」

あやめもまた笑顔を返す。

測られているの分かるから尚さら、完璧な微笑みを返す。  

表に立たずとも、あやめも“柊家の娘”。

柊家の娘として長年身につけてきた仮面は、こういうときに役立った。

「お食事の時間になりましたら、お呼びいたします。ご不明な点があれば、何なりとお申し付けください」

(及第点、かな)

早苗が去ると、部屋に静寂が戻った。

あやめは、ベッドに腰を下ろし、深く息を吐いた。

 「結婚、か」

まさかという思いを多分に込めた呟きは、誰にも届かない。  

窓の外、雨が降り始めていた。  

梅雨の雨は、まるでこの屋敷の空気そのもののように、重く、静かだった。

---

夕食は、神崎冬弥とあやめの、二人きりだった。  

長いダイニングテーブルの端と端に座らされ、まるで外交会談のような距離感。  

料理は豪華だったが、味がしなかった。

「何か、不満でも?」

「この生活、ずっと続くんですか?」

「この生活、とは?」

食後の紅茶が運ばれたあと、あやめは笑った。

「私、“妻”になるのは初めてですが、この距離感は嫌だと感じています」

神崎冬弥が、ダイニングテーブルの手前から、あやめのほうを見る。

(そういう距離じゃないのだけれど)

あやめの言葉をちゃんと受け取ってくれたことは嬉しいが、やや斜めに理解する神崎冬弥にあやめの肩から力が抜けた。

力が抜けて、自分も“距離”を取っていることに気づいた。  

「他人が一緒に暮らすみたいな“距離感”は嫌ですわ」

神崎冬弥は、紅茶を一口飲んでから、静かに言った。

「他人だろう。俺たちは」

「人間としては別の個ですが、他人ではありませんわ。夫婦、一蓮托生の関係です」

あやめは、カップを見つめた。  

白磁の縁に、薄く赤い口紅が残っていた。  

あやめには、それがこの政略結婚のイメージに見えた。

「私の存在は、濃かろうが薄かろうが、確実にあなたに影響を与えます。ですから、せめてコミュニケーションはとりませんか?」

「コミュニケーション?」

神崎冬弥の訝しげな視線が自分の身体に向けられ、神崎冬弥にとって女性とのコミュニケーションは身体的なものだと認識する。

今年三十歳を迎えたというこの美丈夫なら、そのコミュニケーションが最初に出てきてもおかしくはないが、義務感と面倒臭さ満載の神崎冬弥の目にあやめは思わず笑ってしまった。 

「会話、ですよ」

「会話?」

「あなたと会話くらいはしたい、そう思っただけです」

神崎冬弥は、しばらく黙っていた。

考えているようだと思ったあやめは、黙って待った。

神崎冬弥は、やがて、低い声で言った。

「お前は、怖くないのか?」

「何がですか?」

「俺が。極道、反社会的な存在であるということが」

あやめは、少しだけ笑った。

それは、皮肉でも強がりでもなく、ただの“事実”としての笑みだった。

「怖いですよ。でも、あなたたちを怖がりながら残りの人生を過ごせと?」

あやめはまだ二十五歳。

残りの人生のほうが遥かに長い。

神崎冬弥の眉が、わずかに動いた。  

それは、驚きとも、共感ともつかない表情だった。

「お前、変わってるな」

「そうですか? あなたがそう仰るなら、あなたにとって私はそうなのでしょうね」

あやめは、紅茶を飲み干した。  

その味は、少しだけ温かかった。

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  • 氷龍の檻姫   12

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