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第20話

Author: 舞子
「何の誤解?」

清美の顔を立てて、華織はようやく靴を降ろす。

彼女は私の肩に手をかけ、素早く靴を履き直す。

四人は庭園の石のベンチに腰掛ける。

全員、神妙な面持ちだ。

「私と森義は、偽装婚約なんです。私は……女性が好きで、森義は女性が好きではない。だから、お互いの家を黙らせるために、協力して婚約したふりをすることにしたんです」

「な……」

華織の声が震える。

この瞬間、彼女の顔には、「なんて不幸な運命だ」とでも言いたげな表情が浮かんでいる。

「森義、西井家のお世継ぎを絶やすというのなら、いっそ、女たらしだった方が、まだマシだったかもしれないわ!

いや、だめよ、それもだめ。どっちにしろ、だめ。女たらしは許さないわ……」

森義が額に手をやる。

「その言い方は誤解を招く。俺はただ、今まで好きになる女性がいなかっただけだ。仕事の方がよほど面白かった。だから、いずれ好きでもない人と結婚して彼女を不幸にするくらいなら、清美と協力した方がいいと思ったんだ。

あの日、知ちゃんに会うまでは」

いつも冷静沈着な彼が、その顔をわずかに赤らめている。

「初めて会った時、俺は……自分自身の反応に、ひどく驚いた。

たとえ見覚えのある顔だったとしても、本来の俺なら、仕事の場で、あんな風に直接問いかけるはずがない。

なぜか分からないが、あの時は、どうしても冷静でいられなかったんだ。

その後、日々を過ごすうちに、ようやく分かった。あれが、きっと一目惚れというやつなんだろう。

だから、友ちゃん。君は、俺が初めて好きになった女性だ。西井家の家訓は、『一途であること』。俺もそうするつもりだ」

私がまだ呆然としていると、華織が遅れて状況を理解する。

「道理で、あの時、知ちゃんを娘にしたいと言ったら、あんなに反対したわけね。そういう下心があったなんて!」

彼女は期待に満ちた目で、私の手を握る。

「知ちゃん、もちろん、あなたたち二人が結ばれて、あなたのことを『お母さん』と呼んでもらえたら、と願ってるわ。でも恋愛は結局、自分に合うかどうか、自分が望むかどうか、よ。だから、あなたの心のままに。プレッシャーは感じないでね」

「そうだ。俺が君を好きなのは、俺の問題だ」

森義も真剣な口調で続ける。

「負担に思わないでくれ。君は、君のままでいてほしい」

謙介の一件を経て
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