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取材とご飯の境界線

ผู้เขียน: 中岡 始
last update ปรับปรุงล่าสุด: 2025-06-29 16:31:51

「うち一人分作っても余るから、食う?」

その一言が出た瞬間、湊は息をのみそうになった。湯呑を持ち上げた手を中途半端に止めたまま、返事がすぐに出てこなかったのは、たぶん質問の意図が単純すぎたからだった。誰かと食事をすることに、特別な意味などない。ないはずだった。なのに、言葉にされただけで、何かに触れられた気がした。

「じゃあ…いただきます」

湊はそう答えた。透は何も言わず、すっと立ち上がると台所へ向かった。冷蔵庫の中から何かを取り出す音、電子レンジの軽い開閉音、陶器がぶつかる微かな音。それらの生活音が、部屋の空気を少しずつ満たしていく。ふたりの間に流れていた“取材”の緊張感が、ふいにゆるんで、生活の手触りに変わっていく。

ほどなくして、テーブルに皿が並んだ。ひと皿目は、鰯の梅煮。つややかに照り返す身が、梅の果肉と一緒に煮込まれて、ふわりと香る酸味が鼻をかすめた。もうひと皿は、ほうれん草のおひたし。かつお節がふんわりと乗せられていて、出汁の染みた匂いがじんわりと漂う。

「ほんま適当やで。冷蔵庫にあったんで、ちゃちゃっと煮ただけや」

透は肩をすくめて笑った。その笑い方も、箸を差し出す仕草も、やけに自然だった。湊は手を合わせ、小さく呟いた。

「いただきます」

箸を持つのは久しぶりだ、と湊は思った。最近の食事といえば、コンビニのおにぎりか、研究棟のカフェテリアで取る定食。もしくは冷凍のパスタ。味に意識を向ける余裕など、ほとんどなかった。だが、今目の前にある料理は、ひとつひとつに手がかかっていることが、見ただけで伝わってきた。盛り付けに派手さはないけれど、箸の置き方、器の選び方、煮崩れないように盛られた魚の位置まで、どれも丁寧だった。

湊は箸先でそっと鰯の身をほぐし、口に運んだ。ふわりと舌の上でほぐれる。梅の酸味がやさしく染みていて、骨まで軟らかい。調味料の主張は控えめで、出汁と素材の味が前に出ていた。

「……美味しい、です」

気づけば声に出していた。透は「そうか?」と照れくさそうに笑って、ご飯をひと口かき込む。

「冷凍の鰯やけどな。圧力鍋で煮たらすぐやし、まぁ楽なもんや」

「それでも、この味を出せるのは、すごいと思います」

言ってから、自分がいまどんな顔をしているのかが気になった。取材中よりも真剣かもしれない。湊は目線を落とし、次はおひたしを箸でつまんだ。口に入れると、かつお節の香りと醤油の優しさが舌に広がった。茹で加減もちょうどいい。柔らかすぎず、固くもない。湊はただ咀嚼し、飲み込んで、またひと口。黙って食べている自分に気づいて、そっと視線を横に送ると、透が静かに笑っていた。

「食べるときって、なんも考えんでもええ時間になるな」

ぽつりと透が言った言葉に、湊は頷いた。たぶん、だからこそ今、こんなにも“何か”を感じているのだと思った。鰯の梅煮に包まれた香りが、感情の奥の方に触れてくる。食卓の端に置かれた湯呑から立ちのぼる、ほうじ茶の香ばしさ。すべてがやさしく、ゆるやかに、心の内側を溶かしていく。

湊はふと、考えてしまった。この味を、また食べたいと思っている自分がいることに。取材が終わったあとも、何か理由をつけてこの部屋に来たいと願っている自分に。そう気づいた瞬間、顔の内側がかっと熱くなった。

(何を考えてるんだ、俺は)

これは論文のための取材だ。対象者との適切な距離を保たなければならない。そう、何度も自分に言い聞かせてきたのに、いま目の前にいるこの人の“生活”に、もっと触れたいと思ってしまっている。

透は、ご飯を食べ終えると湯呑に手を伸ばし、残った茶を飲み干した。ごくごくと喉を鳴らして飲む音が、妙に心に残る。食後の静けさが、ふたりの間に落ち着きをもたらしていた。湊も、湯呑に口をつける。まだ温かい。けれど、心の内側には別の熱が残っていた。

「ごちそうさまでした。ほんとに、美味しかったです」

「そらよかった。なんや、食堂のよりマシやったか?」

「ずっと、です。食堂よりずっと、良かったです」

その言葉に、透は少しだけ目を細めた。何かを思い出すような顔だった。それが何かを尋ねる勇気は、まだ湊にはなかった。ただ、もうこの“ご飯”を、取材と切り離せるとは思えなかった。

部屋を出るとき、透が言った。

「また、余ったら声かけるわ。飯な」

湊は、頷くだけで精一杯だった。胸のどこかが、ゆっくりと疼いていた。これは恋ではない、そう言い聞かせながらも、生活に入りたいという欲が、確かに存在していた。湊はドアを閉めたあと、胸の前で深く息を吐いた。

食卓に残る香りだけが、まだ鼻腔に残っていた。何度も振り返りそうになりながら、湊は自室へと戻った。冷めた夜気の中で、自分の気持ちがすこしだけ、形になりかけていることを知っていた。恋ではない、ただ、気になるだけ。その言葉が、もう言い訳になりつつあることにも、気づいていた。

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