LOGIN三滝家の現在の家業は優希の祖父が興した製薬会社で、優希の父、隆一はそこの一人息子だった。
癖毛で柔らかく跳ねた毛先と目尻の垂れた優しい目元、穏やかな微笑みを浮かべる口元は優しげで、実際に物腰は柔らかく性格も穏やかだったため、結婚相手として優良、とお見合いの話が絶えなかったそうだ。 隆一は会社の跡取りとして期待されたが、祖父の反対を押し切って医者を目指した。 しかし医師国家試験間近という時期に連れていかれたクラブで優希の母、舞と出会い、慣れない酒に酔った隆一が記憶のないまま一夜を共にした結果、舞は優希を身篭ってしまったのだ。 祖父母や親戚一同その子供を諦めるよう説得したが、真面目だった隆一は舞と結婚を決め、そして医者になれば急な呼び出しや夜勤もあるため、子育てをするなら製薬会社の跡を継いだ方が良いという舞の願いを聞き入れて優希が生まれる頃に社長となった。 慣れない仕事に忙しくしながらも、隆一は優希のことを愛娘としてとても愛情深く育てた。 母親の舞は胸の形「…。」 暁春は虚ろな目で廃屋を見上げる。 かろうじて壁が一部残っているが、以前の自宅は見る影もない。 火は庭にも広がったようで、綺麗に手入れされていた芝生は大部分が焼けており、優希が好きだった石楠花の木も見当たらなかった。 しばらく焼け跡を眺めていた暁春は、やがてゆっくりと規制線をくぐり、扉のない玄関に入っていく。 玄関を入ってすぐに見えたのは、家の裏側の庭。 部屋を隔てる壁は崩れているので家全体が見渡せた。 屋根は落ち、見上げると皮肉なほど綺麗な青空が広がっており、明るい太陽の光が瓦礫の隅々を照らしている。 ぼんやりと空を眺めた暁春は、その後ゆっくりと「リビング」に向かう。
「こちらが奥様です。」 暁春は医師が示したものを見て固まる。 病院で目を覚ました暁春が「奥様はこちらにおいでです。」と医師に案内されてきたのは、地下にある部屋だった。 通された部屋にはベッドではなく冷たいステンレスの台があり、その上には白い布を被せられた「何か」が乗っていた。 医師はそれを暁春の妻だと言ったのだ。 それまで様々な感情で騒がしかった頭の中は一気に静かになり、意識は白い布の中身に集中した。 全体に布が掛けられていて詳細がわからないが、膨らみの全長は1メートルも無いように見える。 少なくとも優希はもっと大きいし、そもそもこんなところに寝ているわけがない。 そう思った暁春は、揶揄われたのかと眉根をきつく寄せ、医師を睨みつけた。 しかし医師は表情を変えず、暁春の横を通り抜けると躊躇なく布を半分めくる。 白い灯りの下に晒されたのは黒い物体。 人の頭の形をしている。
"この声ってあなたのものじゃないですか?" そう書かれたコメントには、1つの投稿が引用されていた。 有美は嫌な予感に瞼が痙攣するのを感じながら、その投稿を確認する。 一定間隔でアップされた他の投稿とは遅れ、数分前に投稿されたそれには音声データが添付されていた。 データの重さが録音時間の長さを示し、有美の背中に冷たい汗が流れる。 震える指で再生ボタンをタップすると、聞き覚えのある声が車内に響いた。 『単刀直入に言うわね。さっき私が遭遇した暴走タンクローリーは、あなたの差金かしら。』 『…動揺したわね。それは認めたということ?』 それは先ほどの屋敷でした優希との会話。 有美の背中に一気に汗が吹き出した。 タンクローリーのことは明確に肯定していないが、優希の子供がいなくなることを願う言葉ははっきり言っている。 これではイメージが悪くなってしまう。 呆然とする有美の目には、その投稿がものすごい勢いで拡散されていくのが映る。 "え、本物?これは殺人幇助になるのでは?不倫よりエグくて草" "自分の子どもすらどうでもいいって、ヤバイでしょ。" "サイコパスすぎて女神の要素皆無wこんな女好きになる男もヤバw" どこから拾ってきたのか、今日起こったタンクローリーの事故についてのネット記事も晒され、一気にコメントの雰囲気が変わった。 優希への憎しみに噛み締めた唇に、赤い血が滲む。 急いでこの音声も捏造されたものであると弁明しようとしたが、その時ちょうど電話がかかってきて、勢いで通話ボタンを押してしまった。 仕方が無いので携帯を耳に当てると、ヒステリックな声が響いた。 「ちょっとあんた、何してくれたのよ!」 電話口の桃子は非常に苛立った様子で、有美は顔をしかめる。 「あの音声データのことですか?大丈夫ですよ。あれも捏造だと宣言すればいいんです。」 「もうそんな次元じゃないわ!事が大きくなりすぎて、社内では鑑定しろという話も出てるのよ!不倫だけなら最悪あんたを切れば良いけど、ババアについても世間に晒されたら、あいつを引きずり下ろした後、母さんが表に出ていきにくくなるじゃない!!」 切れば良いという言葉に激しい苛立ちを感じた有美だが、桃子のヒステリックさに対抗するのは無駄だと知っているのでぐっと堪えた。 (このマザコンババアが…。) 「
- 澄み渡る青空を見上げ、今飛行機で飛んでいる頃かな、と隆一は微笑んだ。 庭に置いたベンチに座り、横には湯気をたてたコーヒーカップが置かれている。 隆一は顔を戻すと、目の前に植えられた梅の木を眺めながらコーヒーを啜った。 その木には不規則な間隔で傷ができている。 優希の成長を刻んだこの木は隆一の宝だった。 時折こうして眺めては、自分が突き放した娘に思いを馳せていた。 明るく少しわがままだったお姫様は、落ち着いた女性に成長した。 しかしその落ち着きは自己肯定感の低さが作り出したものだと思うと、隆一の目が陰る。 自分の指ほどの小さな手に触れた時、絶対に幸せな人生にしてあげると誓ったはずなのに。 隆一はカップを置き、木の傷をそっと撫でた。 昨晩、美緒が母親として暁春の行動を謝罪した時、本当は隆一も有美の父として謝罪をしようと思った。 しかし寸でのところで止めたのは、隆一が有美側の人間として優希の正面に立つと、優希との間に線が引かれるように感じてしまったからだ。 それが優希に寂しく思わせてしまうのではないか、と思うと、言葉を飲み込んでしまった。 もしかしたら、寂しく感じたのは自分だったのかもしれない。 しかしもう二度と、あの国際電話の夜のように優希を悲しませたくなかった。 「気をつけていっておいで。」 隆一は木の傷を撫でながら優しく言った。 昔と違って、今度は直接連絡を取れる。 永遠のさよならではないのだから、と胸に湧く寂しさを宥めつつ、もう一度空を見上げた。 - 「ああああああ!!」 有美は怒りの叫び声をあげながら、携帯を窓ガラスに投げ捨てた。 突然後ろから投げられた物体に、運転手は首を縮めて怯えた声を出した。 それさえも気に触り、有美は「五月蝿い!!」と怒鳴る。 (あのくそ女、頭いかれてんの!?) イライラと爪を噛み、怒りのまま「早く進んで!」ともう一度怒鳴った。 優希の家を飛び出した後、有美はすぐに暁春に連絡した。 しかし電話は繋がらず、しょうがないから本邸まで行って、ついでに結婚の話を老夫婦にしておこうと思い、運転手を呼んだ。 そして車に揺られながら、優希にどう仕返しをしていくか考えていた時、都からあるSNSのリンクが送られてきたのだ。 それは優希こそが暁春の妻であるという証拠。 有美は一瞬固まった後、
「社長!!!」 とにかく今は暁春を正気にしなければ、と我に返った悟は騒ぐ暁春に走り寄り声を張り上げた。 炎の熱で顔が熱く、吸い込む空気も、喉が火傷するかと思うほどだった。 「社長!!ここにいては消火活動の邪魔になります!!まずは騒ぎがこれ以上広がらないようにSNSの規制対応を取らないといけません!!」 「離せ!!中に、中に妻がいるんだ!!」 しかし暁春はその言葉に耳を貸さず、体を押さえる屈強な消防士3人を振り払おうと暴れる。 炎の中に優希を探しているのか、瞬きも忘れたように、炎に崩れ落ちる自宅を見つめる目は赤く充血し、髪を振り乱して優希の名を叫ぶ様子は悲痛そのもので、普段の冷静さの欠片も残っていない。 悟は言葉をなくし、暴れる暁春をただ見つめるしかできなかった。 その時、周囲の人間が慌しく炎から離れていく。 暁春を押さえる消防士も「急げ!!」と鋭く声を上げると、3人がかりで暁春を持ち上げて遠ざかった。 悟もそれに続いて背を向けた瞬間、背中で爆発音が響く。 「もっと離れて!!」 駆け寄ってきた消防士の1人に防護シートを被せられながら救急車の近くまで来ると、大きな音を立てて残っていた屋根が焼け落ちた。
それでも舞が優希に酷い扱いをするよりはいいかと思っていたが、ある日とうとう、その無関心が優希を危険に晒した。 優希に無関心ということは、優希の安否へも関心がないということだ。 「スカートに鼻水が付いたじゃない!」と怒鳴る舞は、縋るように伸ばされた小さな手を避けた。 階段でバランスを崩す優希を見た瞬間、全身が凍りつくのを感じた。 無我夢中で走り寄って優希を抱き上げるも、彼女は頭から血を流して激しく泣きじゃくっていた。 綾子の頭にはその時の情景が鮮明に浮かぶ。 先ほど優希の頭の傷跡を見た時、当時のことを思い出し、申し訳ない気持ちになったのだ。 結局その数年後に、娘である麗華が未婚で妊娠し、そして続く騒動で優希を見守ることができなくなってしまった。 躊躇せず引き離すべきだったという後悔は今更にしかならないが、綾子の胸には重石となってのし掛かっている。 「…あの子をきちんと見守っていてあげていれば、20年前のことも起きなかったし、今回のことも起きなかったわ…。ああ…謝りたい。」 綾子はそう言って両手で顔を覆う。 「優希は何の事情も知らないんだ。今謝罪をしても、それは優希にいらない気を使わせるだけだ。今のあの子には謝罪よりも背中を押す言葉の方が必要だろう。」 松三は静かに言った。 「俺が意地を張らずに歩み寄っていれば、綾子がここまで気を病むことはなかった…。」 綾子も、松三が長年後悔を抱えているのを知っている。 だからこそ綾子はこの言葉に何も返さず、ただ手を握り返した。 - 悟は目