久しぶりに帰った実家。
無言のまま荷物を運ぶ大樹。玄関を開けるとすぐに、梨華が顔を出した「どうしたの?仕事は?」平日の昼間に自宅にいる梨華に、いつもの癖で言ってしまう。「どの口が言うかなあ。人のことより自分の心配をしなさいよ」嫌みっぽく言われ、私は黙るしかなかった。確かに、今の私は梨華に説教できる立場ではない。「いいから上がりなさい」後ろから母も顔を覗かせた。その瞬間涙があるれ出した私は、玄関を上がり母に抱きついた。「母さん、ごめんなさい」「いいのよ。無事でよかった」母さんも涙声になっている。リビングへとはいると、そこはいつものままだった。何ひとつ変わっていない空間に、私の緊張も少しだけほぐれる。「じゃあ、俺は仕事に戻るから」荷物を運び終えた大樹が部屋を出て行く。ああ、忙しいのに私のために迎えに来てくれたんだ。そう思うと申し訳ない気持ちで一杯になった。「樹里亜、マンションの荷物は納戸にしまってあるからな」「え?」納戸って・・・「マンションは引き払ったのよ」母が教えてくれたけれど、私は素直に受け入れることができない。「そんな、私のマンションを何で勝手に」あそこには渚との思い出が詰まっていた。私にとって大切な場所だったのに・・・「仕方ないでしょう?」梨華の冷たい言葉。確かに、勝手に家を出た私が一番悪い。わかっているから何も言い返すことができない。娘が妊娠して家出したとなれば親として実家に連れて帰るのは当然で、住んでいたマンションを引き払われても仕方がない。それでも、やはり悲しくて私はボロボロと泣いた。***その日のう父の怒りは本物のようで、私はスマホを取り上げられたまま渚との連絡できない日が続いた。さすがに1週間も連絡できないでいると不安になって、家の電話からかけてみようかとか、いっそのこと梨華にたのんでみようとか色々考えたけれど、どちらもやめた。家から電話をすれば着信からお腹の子の父親が渚とばれてしまうだろうし、梨華に頼んでも同じ事で父や母に渚のことで、正直どちらも避けたい。日々ストレスだけを溜めながら、私は実家で隠れるように過ごしていた。そんなある日、「樹里亜、お客さんよ」と母に呼ばれた。「お客さん?」当然、心当たりのない私は聞き返してしまった。母がお客さんと言うからには、知らない人なのだろう。一体誰だろうかと不安に思いながら玄関に向かうと、そこには見知った顔があった。「も、桃子さん」驚いてその先の言が出てこない。本当に意外だった。病院に勤めていた時にだってそんなに親しくしていたわけではなかったし、話をしたのも数回だけだ。そんな桃子さんがわざわざ訪ねてきてくれるとは思ってもいなかった。「そんなに驚かないでください。ただお見舞いに来ただけですから」驚いた私に、桃子さんはいつもの通りあっさりした口調。「わざわざ、ありがとう」なんだか久しぶりに知り合いに会えたのが嬉しくて、ウルッとしてしまう。その時、桃子さんの後ろから小さな女の子が顔を出した。「お嬢さん?」「はい。娘の、結衣(ゆい)です」「こんにちわ、結衣ちゃん」「こんにちわ」桃子さんの後ろからはにかみなが挨拶をする結衣ちゃんがすごくかわいい。「とにかくどうぞ、おあがりください」母さんがすすめてくれて、桃子さんと結衣ちゃんは私の部屋に向かったのだが、すぐに梨華が現れた。「結
久しぶりに帰った実家。無言のまま荷物を運ぶ大樹。玄関を開けるとすぐに、梨華が顔を出した「どうしたの?仕事は?」平日の昼間に自宅にいる梨華に、いつもの癖で言ってしまう。「どの口が言うかなあ。人のことより自分の心配をしなさいよ」嫌みっぽく言われ、私は黙るしかなかった。確かに、今の私は梨華に説教できる立場ではない。「いいから上がりなさい」後ろから母も顔を覗かせた。その瞬間涙があるれ出した私は、玄関を上がり母に抱きついた。「母さん、ごめんなさい」「いいのよ。無事でよかった」母さんも涙声になっている。リビングへとはいると、そこはいつものままだった。何ひとつ変わっていない空間に、私の緊張も少しだけほぐれる。「じゃあ、俺は仕事に戻るから」荷物を運び終えた大樹が部屋を出て行く。ああ、忙しいのに私のために迎えに来てくれたんだ。そう思うと申し訳ない気持ちで一杯になった。「樹里亜、マンションの荷物は納戸にしまってあるからな」「え?」納戸って・・・「マンションは引き払ったのよ」母が教えてくれたけれど、私は素直に受け入れることができない。「そんな、私のマンションを何で勝手に」あそこには渚との思い出が詰まっていた。私にとって大切な場所だったのに・・・「仕方ないでしょう?」梨華の冷たい言葉。確かに、勝手に家を出た私が一番悪い。わかっているから何も言い返すことができない。娘が妊娠して家出したとなれば親として実家に連れて帰るのは当然で、住んでいたマンションを引き払われても仕方がない。それでも、やはり悲しくて私はボロボロと泣いた。 ***その日のう
ピンポーン。ピンポン、ピンポーン。けたたましく、玄関のチャイムが鳴る。んん?時計を見ると、時刻は午前5時半。まだみんな寝ている時間だ。ドンッ、ドンッ、ドンッ。今度は玄関を叩く音。もー。私は布団を出て、部屋着のまま玄関に向かった。鍵を開けると、すぐに玄関の戸が開いた。「大樹」現れたのは怖い顔をした兄。じっと私を睨み、ゆっくりと近づいて来る。「ごめんなさい」その表情は思わず謝ってしまうくらいの凄みがあった。「どれだけ心配したと思っているんだ」唾のかかりそうな距離で言われ、私は俯くしがない。「あら大樹、おはよう。随分早いのね」一方、起きてきた美樹おばさんが呑気に声をかける。「樹里亜、荷物を持ってこい」「え?」このまま帰る気なの?だって、まだ部屋着のままだし・・・「大樹、樹里亜も起きたばかりなんだから、まずは上がりなさい」おばさんはいつも通り話しかけるけれど、大樹の顔は険しいまま。「大体、おばさんが庇うからこんなに長引いたんですよ。みんな心配していたのに、あんまりです」「まって、悪いのは私で美樹おばさんは悪くないわ」「そんなことは分かっているんだっ」「・・・」強い口調で言われ、私は口をつぐんだ。逃げ出してでも考える時間は私にとって必用だった。けれど、大樹や両親にとっては心配な時間だったんだろうと、この時になって実感した。それにしても、こんなに怒ってしまった大樹をどうしたものかと思い悩んでいたが、美樹おばさんの方がもう一枚上手だった。「大樹こそ何を言ってるの。そもそも樹里亜が家を出ようと考えたのは、あなた達にも責任があるんじゃないの?」
約束通り、渚は1週間東京にいてくれた。その間、私もおばさんの家とシェルターを行き来した。何度か大樹からの連絡もあったが、美樹おばさんが誤魔化してくれたようだ。「今日戻ります。お世話になりました」東京を離れる日、渚が美樹おばさんに挨拶をする。「みのりとは、ちゃんと話せたの?」美樹おばさんも、そのことが心配そう。渚はここにいる間に何度かみのりさんに会っていた。どんな話をしたかは分からないけれど、これからのことを話していたようだし、渚からはまずは病院に戻り仕事の整理をしてから沖縄の実家に帰るつもりだと聞いた。どうやらみのりさんも、近いうちに沖縄へ帰るらしい。「母とは話しました。父にも報告しないといけませんから、沖縄に帰ってから改めて樹里亜の家に挨拶に行きます」「そう、それがいいわね」おばさんもそれ以上は何も言わなかった。***渚を見送った後、私は大樹に連絡を取った。「今どこにいるんだ」「美樹おばさん家」はあぁー。電話の向こうから、深い深い溜息が聞こえた。「お前、覚悟はできているんだろうな」「うん」これだけのことをした以上、ただで済むとは思ていない。もう、竹浦の家には戻れないかもしれないと覚悟している。「いいか、そこから1ミリも動くな」長い沈黙の後、大機はそう言って電話が切った。電話をかけたのは夕方。電車や飛行機の時刻を考えると、明日の日中には大樹は来てしまうだろう。それまでにと、私はもう一度乳児院へと向かった。***乳児院を訪れた私は、みのりさんの元を尋ねた。「色々とお世話になりました」「実家に帰るの?」「はいまずはそれぞれの両親にちゃんと報告してから将来の話をしよ
「で、どうするんだ?」真っ直ぐに渚が私を見ている。「どうって?」「俺は樹里亜を連れ戻すつもりで来たんだ」「うん」分かってる。コソコソ隠れてるなんて、渚が大嫌いなことだものね。「でも、それどころではなくなりそうだ」本当に困った顔。ふと、渚はこのまま逃げるんじゃないかと思った。大学卒業の時、お父さんから逃げたように。でも、それはダメ。「渚、みのりさんとちゃんと話をして」「・・・」返事は帰ってこない。「じゃないと、私がまた逃げるよ」「ダメだっ。それは許さない」強い口調。「じゃあ、みのりさんと話してくれる?」「・・・」渚は黙り込む。いくら血を分けた親子でも、長い時間の経ったわだかまりは簡単には消えないんだろうか?きっと、渚なりに苦しんでいるんだなあと感じた。「なあ、樹里亜」「何?」「子供は、産むんだよな?」「うん」もう迷わない。たとえ私1人でも、産むと決めた。「俺たち、親になるんだな」えっ。胸が、ドクンッと鳴った。「生んでも良いの?」恐る恐る聞いてしまった。「当たり前じゃないか。樹里亜の体調が許すなら、生んで欲しい」「渚・・・」私は渚の肩に手をかけた。そして、ゆっくりと渚が近づいてくる。お互い正座のまま、唇が重なった。渚の暖かさが伝わってきて、ああここが私の一番落ち着く場所だと実感する。「俺、おふくろと話すよ」静かな声で渚が言い、「うん。私も家に帰る」気が付けばそう言っていた。
みのりさんが帰り、美樹おばさんの用意してくれた部屋で、私と渚は横になっていた。約1ヶ月ぶりの二人きりの時間。言いたいことも、聞きたいことも一杯あったのに、今は何も言えない。渚に会えて嬉しくて仕方がないのに、笑顔にもなれない。それは、さっき見たみのりさんの涙が私の頭を離れないから。「なあ、樹里亜」「何?」「・・・」呼んだ渚も、返事をした私も次の言葉が出てこない。私は起き上がり、渚の方を見た。つられたように渚も起き上がる。二人で正座して、お互いを見合った。「ごめんな」え?「何で渚が謝るのよ」「・・・」渚はまた黙ってしまう。色んな事がありすぎて、私も渚も気持ちが溢れそうになっていた。「みのりさんが、渚のお母さんだったのね?」「ああ」「ここに来てから、ずっと良くしてもらったのよ」「うん」「私、美樹おばさんとみのりさんがいなかったら・・・」今度は私が言葉に詰まった。ここに来たときには、先のことが何も考えられなかった。子供のことも、自分のことも、渚のことも、すべてが曖昧で決められないでいた。でも、ここでみのりさんやシェルターに暮らす人達を見ているうちに、自分はなんて幸せなんだろうと思えた。自分で暮らしていくだけの力があって、やりがいのある仕事があって、愛してくれる家族がいて、愛する人の子供もいて、贅沢すぎるくらい幸せ。今までなぜそのことに気が付かなかったんだろうと思った。「樹里亜」「ん?」「おふくろから、俺のことを聞いた?」「うん。・・・少しだけ」大学卒業と同時に音信不通になった、バカ息子。そう言っていた。でも、とても会いたいと。「おやじもおふくろも、俺に沖縄の病