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第2話

Author: スイカスイカビッグスイカ
宗真の腕にはまだ美咲の香水の匂いが残っていた。澄乃は何年も愛してきた男を、初めて力いっぱい突き飛ばした。

「美咲のために、私たちの子を『父親不明』の子にするつもり?あの子の名誉は守るのに、私の名誉はどうでもいいってわけ?」

宗真はしばらく黙り、声を出そうとして、のどがわずかに震えた。声はひどくかすれていた。

「あの時だ……三年前のパーティーで、美咲が俺に知らせてくれなかったら、おまえは……だから、美咲が非難されるのを黙って見ていられない」

三年前、澄乃は誰かに強い薬を盛られ、裏通りで不良たちに囲まれかけた。その寸前に美咲が宗真を呼び、助け出された。

その後、宗真は藤崎家に十数件の取引と10億円もの現金を渡し、礼を尽くした。

それでも足りないと感じたのか、この三年間、藤崎家の事業を手助けし、美咲に高額なジュエリーを贈り、風邪をひけば真っ先に駆けつけた。

止めようとするたび、宗真は「美咲はおまえを救った。放っておけない」と言い返した。

今になって澄乃は思った。その恩を、この人は一生かけて返すつもりなのだと。

そして気づいた。宗真を想い続けてきた心臓が、音もなく冷えていくのを。

愛が消えるというのは、こういうことなのか。

その時、美咲が腹を押さえて悲鳴を上げた。

「宗真さん、お腹が……!私たちの子、どうしちゃったのかしら?」

澄乃は息を吐くように笑った。それは笑いというより、ため息に近かった。

「行けばいい。後悔しないように」

宗真は複雑な表情のまま澄乃を放し、美咲を抱き上げて診察室へ走っていった。

澄乃は涙を拭き、心に三つの決意を刻んだ。

ひとつ、この子と別れるための手術を予約する。

ふたつ、弁護士に離婚協議書を作らせる。

みっつ、半月後の海外行きのチケットを買う。

宗真は美咲のためなら、自分の実の子に「父親不明」というレッテルを貼ることも厭わない。けれど澄乃には、それはできなかった。この子にそんな屈辱を背負わせるくらいなら、いっそ、生まれてこないほうがいい。

そして、この結婚にもはや続ける意味はないと悟った。

半月後、澄乃はこの傷だらけの場所を離れる。二度と、戻るつもりはなかった。

手術は三日後に決まった。

予約票を受け取って廊下に出ると、美咲と鉢合わせた。

「お姉ちゃんのお腹の子なんて、所詮『父親不明』でしょ。健診する意味ある?」

宗真がいないと、美咲はすぐ本性を見せる。

「知らないでしょ?私、わざと健診日をお姉ちゃんと同じ日にしてるの。で、宗真さんは毎回、私を先に連れてってくれるの。家まで送ってくれるまで安心しないんだって。この前なんか、それでお姉ちゃんの健診が遅れたでしょ?」

澄乃の拳が震える。

思い返せば、健診のたび宗真の仕事が急に入り、帰宅は深夜になった。

そんなことを考えた途端、澄乃はこみ上げる吐き気に襲われ、腹の奥まで鈍い痛みが走った。

美咲の挑発に構っている余裕なんてない。ただ一刻も早くベッドに戻って休みたかった。

だが、美咲は口の端をわずかに吊り上げると、次の瞬間、わざとらしく「不注意」を装い、後ろへと倒れ込んだ。

「美咲!」

宗真が飛び込み、床に着く前に抱きとめた。

「私が悪いの。お姉ちゃん怒らせちゃったから……私、嫌われてるし、この子も……でも、わざとじゃないの……」

――まただ。あの日と同じ芝居。

「違う!私は何も……」

「美咲、澄乃を責めるな。俺からも謝るから」

澄乃は絶句した。

説明の機会も与えず、最初から彼は美咲の味方だった。

「違う!私は触ってもいない!あそこに防犯カメラがある、見ればわかる!」

澄乃は廊下の隅に設置された監視カメラを指さした。

予想外の場所に監視があると知り、美咲の顔から血の気が引く。彼女は宗真の腕にしがみつき、全身を震わせながら泣きじゃくった。

それでも宗真は、ただ眉間を押さえてため息をつくだけだった。

「澄乃……おまえが不満なのはわかってる。美咲に謝れなんて言わない。でも、もう刺激するのはやめてくれ。な?」

その瞬間、澄乃ははっきり聞いた。心が砕ける音を――

あの冬の夜、凍える路上から抱き上げ、そっとコートをかけ、「一生、おまえを信じる」と誓った少年は、結局その約束を破った。

美咲は澄乃に勝ち誇った笑みを見せ、次の瞬間、宗真の胸に飛び込んで泣きまねをする。

「宗真さん、ちょっと気分が悪いの……先に送ってくれない?」

宗真は一瞬だけ澄乃を見て、言った。

「美咲を先に送る。すぐ迎えに来るから、ここで待ってて」

そう言って彼女を抱き上げ、出口へ向かう。振り返りもしない。

通りすがりの看護師たちが、宗真と美咲の背中を羨ましそうに見送った。

「すごいね、あの旦那さん!診察室って十六階でしょ?エレベーターも待たずに抱えて走ってくなんて……私もあんな旦那さんに出会いたいなあ」

「いい旦那さんなんて、そうそう見つからないわよ。ほら、あそこ見て……あの妊婦さん、顔が真っ白。旦那さんも付き添ってないし、可哀想に……」

「えっ、ちょっと待って……どうしたの!?誰か!廊下で妊婦さんが倒れてる!」

意識が闇に落ちる直前、澄乃が見たのは、看護師の青ざめた顔だった。
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