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第7話

作者: トマト
彼は相変わらず冷静さを保っていた。

「いい加減、騒ぐのはやめろ。帰るぞ」

私の口元には、凄涼でやるせない笑みが浮かんだ。

私は生涯、彼に見せたことのない怒りを込め、大声で叫んだ。

「あそこは私の家じゃない!」

彼の冷徹な瞳には、声を張り上げて喚く私の醜い姿だけが映っていた。

私はもう一度繰り返した。

「あそこは私の家じゃない。あなたと菜生の家よ」

彼は何も言わず、ただ静かに私を見ていた。

その瞬間、私は悟った。彼の言う愛とは、単なる独占欲、支配欲に過ぎないのだと。

彼が求めているのは対等な恋人ではなく、言うことを聞くペットなのだ。

蓮は相変わらず平然と言った。

「俺がわざわざここまで来たんだぞ。俺の許可なく、どこかへ行けるとでも思ってるのか?」

私は鼻で笑った。

「蓮、あなたはいつもそう。自分の権力や地位を使って、他人を追い詰める。あなたは愛なんてこれっぽっちも理解してない。知っているのは独占と支配だけよ」

私の言葉は彼を突き刺したようだった。

彼は呆気にとられ、その瞳に一瞬、狼狽の色が走った。従順だった私が、まさかこんな言葉を口にするとは思いもしなかったのだろう。

私は続けた。

「今回も私が大人しくあなたの元に戻ると思ってるの?

私が欲しいもの、あなたは永遠に与えられないし、与える資格もないわ」

蓮の顔色は蒼白になり、瞳から光が消えた。

何か言いたげだったが、結局は沈黙を選んだ。

そんな彼の姿を見ても、胸に快感など微塵もなく、ただ果てしない悲哀だけが広がった。

「奈緒!」

彼は唐突に口を開いた。その声は微かに震えていた。

「今回は俺が悪かった」

「菜生とはお前が思ってるような関係じゃない。ただ、お前の気を引きたかっただけなんだ。

俺が間違っていた」

私は足を止め、彼を振り返った。

その瞳は、懇願と期待に満ちていた。

こんな彼を見るのは初めてだった。あの蓮が、人に頭を下げるというのか?それとも、私を連れ戻すための芝居なのか。

心が揺らぎ始めた。

だが次の瞬間、私はひどく苦く、やるせない笑みを浮かべた。

「菜生がいなくても、また別の誰かが現れるわ」

丸九年だ。彼にとってその歳月は、たった一言の「俺が悪かった」で帳消しにできる程度のものなのか?

「あなたは何もわかってない。私が欲しいのは謝罪じゃないの
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