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第 13 話

Author: 燈ちゃん
――知らないままのほうがいい。

彼女はそう思った。

家族の不幸で、優しくしてくれた人まで傷つけたくなかった。

……

ナースステーションで用件を伝えると、当直の看護師はすぐに頷き、奥の保管室へ向かった。

凛はその場で静かに待つ。その時、看護師たちの噂話が耳に入った。

他人の話を盗み聞きする趣味はないが、話題に上がっている人物の名前を聞くと、どうしても気になってしまった。

「間違いない、あれは桐生真也さんだった。前にテレビで見たことがある」

「じゃあ、さっき隣にいた人って……もしかして奥さん?」

「そうじゃない?桐生さんって3年前に結婚したって聞いたけど、まさか奥さんがあんなに綺麗な人だなんてね」

「義理のお父さんの入院手続きまでしてくれてるんでしょう?顔がいいだけじゃなくて、心も優しい人なのね」

彼女たちの話に出ていた真也の「奥さん」。それは伊織のことだろうと、凛は思った。伊織のためなら、真也が病院まで付き添うことも不思議ではない。

ましてや、伊織の父親は手術を終えたばかりだ。一人で看病する彼女の負担を思い、真也が父親をこの病院へ転院させたのだろう。

凛の睫毛が、ほんのわずかに揺れる。しかし、その表情にはもう何の感情も浮かばなかった。

どうせ、もうすぐ離婚するのだ。これから真也が誰のために何をしようと、自分には関係ない。

看護師から渡された袋を受け取り、凛はそのまま背を向ける。その時、ちょうど病室から出てきた人物と鉢合わせた。

「……」

哲也だった。

凛の姿を見た瞬間、哲也の目に一瞬だけ動揺が走る。

彼は慌てて病室のドアを閉めたが、一瞬だけ過ぎる中の光景を、凛は見逃さなかった。

――真也が、剥いたりんごを切り分けていた。一切れを伊織の父親へ。もう一切れを伊織へ。

伊織の父に何か言われたのだろう。伊織は、照れたように顔を伏せながら笑っていた。

病室にいる3人は、まるで本当の家族のようだった。

哲也は気まずそうな表情を浮かべながら、凛のもとへ歩み寄る。「……奥様」

声をかける彼の表情には、隠しきれない罪悪感が滲んでいた。

それが妙に可笑しく感じられる。当事者の真也が堂々としているのに、なぜか彼の側近が申し訳なさそうにしている。

凛が視線を下げると、哲也の手には書類が握られていることに気づく。だが、彼女は何も聞かず、ただ軽く会釈し、そのまま立ち去ろうとした。

その時――

「奥様……」哲也が凛を呼び止めた。少し迷ったあと、彼は真也を庇うように口を開く。「その……木下さんたちとは昔からの付き合いですので、社長が見舞いに来るのも、当然の礼儀というか……」

確かにその通りだった。

なのに、凛の父が3年間入院していた間、真也が見舞いに来たのは、たったの2度ほど。

そのうち一度は、桐生グループの視察で病院を訪れた時だった。凛が無理に頼み込み、一緒に病室まで来てもらった。

無理もない。真也と伊織は幼馴染で、家同士の繋がりもある。けれど――

自分と父は、最初から彼らと違う世界に住んでいた。

家柄も、立場も。そして、愛情の深さも、最初から対等なものではなかった。

凛は静かに頷く。その表情は、湖の水面のように穏やかだった。「離婚届……早めに署名してもらえるよう、催促しておいてください」

それだけを言って、哲也の返事を待たずに歩き出す。

哲也はその場に立ち尽くした。やがて、廊下の角へ消えていく凛の細い背中を見つめ、小さく息を吐く。

「……どうして、こんなことになったんだろうな」

本当なら、あんなにもお似合いの2人だったのに。

病室の扉が開き、白いワンピースを着ている細身の女性が姿を現した。廊下で立ち尽くしている哲也に気づくと、穏やかな笑みを浮かべて声をかける。「金城さん、どうされました?検査結果に何か問題でもありましたか?」

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