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第 21 話

Author: 燈ちゃん
廊下を抜けてきた淡いジャスミンの香りが、彼の鼻先をくすぐった。

こんな凛を、真也は今まで一度も見たことがなかった。

整った顔立ちをしていることは知っていた。けれど、凛は普段から自分を飾り立てるような女性ではない。身につけるものも柔らかく落ち着いた雰囲気の服ばかりで、化粧をする日も少ない。ほとんどの日は素顔のまま、自然体で過ごしていた。

だからこそ、目の前の姿が余計に新鮮だった。

凛はわずかに口元を緩め、真也の目をまっすぐ見つめる。表情は優雅な笑顔。けれど、彼の腕に絡めた手は誰にも気づかれないほど強く力が込められていた。

「……私に惚れ直しちゃったの?あなた」

最後の3文字だけ、わざと強調するように言う。

凛の声が耳に届いた瞬間、真也の胸の奥がわずかに揺れた。以前は何とも思わなかった呼び方だったはずなのに、今聞くと、不思議なくらい心に残る。

真也は視線を逸らさず、口元だけをわずかに上げた。そして、彼の腕をつねっている凛の手をそのまま掴み、耳元へ顔を寄せる。「……まあ、悪くはない」

凛は小さく鼻を鳴らし、彼を睨む。「お義父さんに挨拶しに行きましょう」

……

裏庭の東屋では、英一が客人と向かい合っていた。背筋を伸ばした姿からは、年齢を感じさせない威厳が漂っている。

以前、脳卒中で倒れた英一は、懸命な治療と療養によって回復したものの、足にはまだ後遺症が残っていた。そのため、普段は車椅子で過ごしている。

白い碁石を指先で転がしながら、英一はしばらく盤面を見つめた。そして、何かを悟ったように、ゆっくりと一手を置く。

その瞬間、勝敗は決まった。

向かいに座っていた相手は身を乗り出して盤面を確認した後、苦笑しながら碁石を碁笥へ戻す。「やっぱり駄目ですね。何年経っても、英一さんには勝てません」

周囲からも、英一の腕前を称える声が次々と上がる。

そんな和やかな空気の中――

「お父さん」

声が響き、東屋にいた人々が一斉に振り返った。英一が顔を上げると、階段の下に並ぶ2人の姿が目に入る。一瞬だけ目を見開いたものの、すぐに穏やかな表情になり、手招きをした。

2人が近づくと、凛は丁寧に頭を下げる。「お義父さん、お誕生日おめでとうございます」

真也はその場にいた客人たちへ紹介した。「妻の凛です」

凛は上品な笑みを浮かべ、持っていた贈り物の箱を英一へ差し出す。「細やかなものですが、お気に召していただければ幸いです」

箱を開け、中身を見た瞬間、英一は目を細めた。そこに入っていたのは、黒を基調とした正絹の着物だった。

天然素材が使用されているためか、生地は柔らかくしなやかな風合いで、落ち着きの中に格調高さを感じさせている。

英一は着物を取り出し、丁寧に眺める。

「……いい出来だな」満足そうな笑みを浮かべ、凛へ視線を向ける。「これは、君が作ったのか?」

凛は少しだけ身を屈めた。「はい」

英一はゆっくり頷く。「ありがとう、気に入ったよ」

そのやり取りを、隣の真也は黙って見ていた。もし以前なら、彼は迷わず信じただろう。

この着物は彼女が心を込めて仕立てたものだと。だが、今の彼女との関係を考えれば、そんなふうには思えなかった。

おそらく、どこかで適当に選んできたものだろう。

真也はそう決めつけていた。

その時、ずっと黙っていた英治が、ようやく口を開いた。「真也の嫁さんはすごいな。プレゼントも着てる着物も格が違う。初対面の方から見たら、どこかの名家のお嬢様かと思うんじゃないか?」

一見すると褒めているような言葉。しかし、その声色には明らかな皮肉が滲んでいた。

凛は視線を伏せる。

――予想通り、英治は大勢の前で、自分を笑いものにするつもりだ。

凛の家柄を持ち出し、「桐生家は釣り合いの取れない嫁を迎えた」と周囲に思わせたいのだろう。

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