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last update Last Updated: 2025-11-19 19:48:01

 その夜、疲れ果てて臨時作業室に戻った私の机に、湊さんが音もなく、一枚の薄いファイルを置いた。

「パリから、最初の草稿が届きました」

 私は、ほとんど無意識にそのファイルを開いた。

 そこには尊敬するルソー先生が、流麗なフランス語で私のデザイン哲学を絶賛する文章が綴られていた。

『このデザインは、単なる空間設計ではない。現代に生きる我々が失いかけた、時間への敬意を取り戻すための、詩的な試みである――』

 その一文から目を離すことができない。ひどい消耗戦の果てに差し込んだ、力強くて美しい光。

 私が顔を上げると、湊さんは頷いた。

「あなたの戦う場所は、こんな紙の山の上ではない。もう少しの辛抱です」

 ファイルを持つ指先にぎゅっと力がこもる。湊さんが取り付けてきてくれた、一枚の紙の確かな重み。

 ここ数日、私を縛り付けていた疲労がふっと軽くなる感覚があった。顔を上げると、あれほど私を追い詰めていた書類の山が、ただの背景のように遠ざかっていた。

 千代田区役所の特別会議室は、無機質な空間だった。

 張り詰めた空気の中、長テーブルを挟んで私たちは向かい合っていた。こちら側には私と湊さん、そして弁護士の桐咲先生たち。向こう側には検査官の戸樫と、その上司である建築指導課の課長が座っている。

 審議が始まると、戸樫は自信に満ちた態度で立ち上がり、これまでの査察結果を報告し始めた。

「これだけの是正勧告にもかかわらず、設計者側からは、条例の完全な遵守を証明する、十分な資料が提出されなかった」

 彼が指し示したのは、私がこの数日間、睡眠時間を削って作り上げた書類の山だった。その厚みには目もくれず、彼は淡々と報告を続ける。

「結論として、本プロジェクトには、看過できない重大な欠陥が存在する。よって、業務停止命令の継続が妥当であると判断します」

 勝ち誇ったようにそう宣告した。

 湊さんは微動だにしない。ただ、隣の桐咲先生に目配せをした。

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