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47難目:生産休止

last update Last Updated: 2025-05-17 11:00:24

「おい、新人君……新人君、起きろって……」

 耳元で繰り返される低温ボイス。それに続いて、肩を何度も揺すられる感覚がして――僕はようやく、ぼんやりと目を開けた。

「ん……?」

 目の前にネイヴァンの端正な顔がある。布団の下で伝わってくる熱い体温。上向きに寝た自分の手の甲が、意図せずその素肌に触れていた。

「うっ、ぁあっ、ぁあ……!」

 奇妙な悲鳴を上げてネイヴァンの下から這い出る。そのまま転がり落ちるようにダブルベッドを下りた。心臓が猛烈な勢いで脈打ち、全身に血が巡る。

 当然ながらネイヴァンは、今朝も全裸だった。ベッドの中で片肘をついて半身起こしたまま、僕の反応に不本意そうな顔をしている。

「うなされてたから起こしたんだが……余計だったか?」

「へっ?」

「いやな、悪夢でも見てるのかと思って」

 ネイヴァンは至極真面目に言う。確かに全身には汗が滲んでいたが、これは起きて以降の動揺のせいだ。自分が悪夢を見ていたという自覚はまったくない。

「いえ、そんな覚えは……」

「ならいいんだがな」

 ネイヴァンは軽く肩をすくめると、布団から全裸のまま起き上がり、シャワールームへ向かった。

 ちょうどその時、部屋のドアがノックされる。

「あ、ネイヴァンさん!」

 僕の制止は間に合わず、ネイヴァンは何の躊躇いもなく全裸でドアを開けてしまった。

 どういう神経をしているんだ…&he

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     僕たちはその後、夕飯を取るために外へ出た。 町のほとんどの飲食店は閉まっているようだったが、中心地の通りを歩いて明かりの漏れている酒場を見つける。軒先の看板には『ミッドナイトドロップ』という店名が記されていた。 中に入ると、数組の客が静かに酒を飲んでおり、吊りランタンが店内を柔らかく照らしていた。「悪くないな。メニューは……っと」 僕たちは空いていたテーブルにつく。ネイヴァンが店員を呼んで注文を始めた。「羊肉のパイ、山菜とポテトのグリル、パンプキンスープ、それから俺は適当な地酒をくれ。お前は?」「えっと、僕は黒果実のスカッシュを……」「ノンアルだってぇ? つまらないこと言うなよ。いいから一緒に飲め。コイツには林檎酒《アップルブレイズ》を」 押し切られてしまい、結局僕の前には、グラスの縁が粉砂糖で装飾された焼きリンゴ添えの甘口リキュールが運ばれてきた。『イバラの雫』なる辛口の地酒を手にしたネイヴァンと、二人でグラスを合わせる。 乾杯。 ネイヴァンは小さめのグラスに入ったそれを一気に飲み干し、すぐに二杯目を注文する。「大丈夫ですか、そんなスピードで……」「俺を誰だと思ってる。これくらいで酔うかよ」 誰だと、と言われても、ネイヴァンの飲酒事情など僕は知らない。知っているのは職業と性格と使える魔法くらいだ。 対して僕は、口を湿らす程度にしか飲まず、主に料理を味わっていた。羊肉のパイは香草が利いていて薫り高く、山菜とポテトのグリルは塩と油の加減が絶妙だった。冷たいパンプキンスープもクリーミーで喉越しが良い。すべて、ハッと目を剥くような劇的な美味さではないが、素朴で、優しい味わ

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  • 生きた魔モノの開き方   43食目:美食家と偏食家は紙一重

     走り出した列車の窓外には帝都サン=カディアの石造りの街並みが流れ、その屋根瓦が晴天の陽光に照らされてきらきらと輝いていた。 僕はネイヴァンに、先ほどエルドリスにも話したラシュトの正体をかいつまんで語った。双子が融合して魔物になったこと、そしてその記憶を識嚥《シエ》で辿ったこと。「なるほどなぁ。やっぱり魔物と人間ってのは、思っているより境界が曖昧なんだろうな」 ネイヴァンは面白がるように顎を撫でた。「ネイヴァンさんは黒魔法について詳しいですか?」 エルドリスに拒否された話題を持ち出すと、ネイヴァンの表情が少し曇った。「あー、まあ、多少は知ってるけどな。深入りしないほうがいい世界だぞ」「でも、実際に黒魔法を使って人間が魔物になるケースがあるなら、知っておいたほうがいいと思うんです」「知ってどうするんだ? きみが魔物になるつもりでもあるまい」「そりゃ、なりはしないですけど……」「まっとうな役人になりたいなら、やめとけ。黒魔法なんて口にするだけで、脛に傷のあるヤツだと思われる」「そうなんですか? あ、もしかしてネイヴァンさんは黒魔法、使ったことあったりして?」「ああ、一度だけな。でも、もうこりごりだ。二度と使うことはない」 ネイヴァンは軽く笑って肩をすくめ、「冗談だよ、それより」と巧みに話題を逸らす。「識嚥《シエ》だが、そんな危険な記憶ばかりじゃなくて、もっと面白いものの記憶を再生してみたらどうだ? 例えば、皇宮の執事が記録した"歴代皇帝の癖や好み集"とか、昔の詐欺師が詐欺電話に使ってた魔導通信機の記憶とか。それこそ、一つの番組になりそうじゃないか」 僕は眉をひそめて即座に首を横に振った。「嫌ですよ。それ僕、無機

  • 生きた魔モノの開き方   42旅目:永いお使い

     往復十八時間の旅。ぼうっとしている時間はない。いや正確には、乗り物にさえ乗ってしまえば、あとはぼうっと本でも読んでいるしかなくなるのだが。 とにもかくにも、次のミラニア行きの高速船に絶対に乗りたい。僕は急いで寮の自室へと戻った。 監獄を離れるときにしか着ない私服は、生成りのシャツに、細身の紺色のパンツ、そして履きなれた革靴だ。それらに着替えて、旅用のバッグにシャツの替えと手回り品を詰め、港へ走る。出港間際の高速船に、なんとか滑り込んだ。 予定どおり二時間かけてミラニアに着き、そこからも駅まで走って、帝都行きの鉄道に乗り込む。帝都行きはいつも混むので大変だった。乗ってから一時間は席に座れず、車両と車両の連結部分でバッグを抱えて立っていた。 へとへとになりながら帝都へ到着し、西部行きの特急列車に乗り換えようと、セントラルステーションをまたもや走っていると、聞き慣れた声に呼び止められた。「おーっと、これは奇遇。新人君じゃあないか」 振りむくと、そこにはネイヴァンが楽しげな笑みを浮かべて立っていた。「ネイヴァンさん、偶然ですね。じゃ、僕は急ぎますので」 最短で会話を終わらせて立ち去ろうとすると、肩を掴まれる。「おいおいおい、それはないだろう。共に死線を乗り越えた俺と君の仲じゃないかぁ」 面倒だなと思いつつ、ここで適当にあしらっては余計に引き留められると思い、僕は正直に旅の経緯を話すことにした。つまり、三日間の休みが取れたのでエルドリスに何か街で欲しいものはないかと尋ねたところ、往復十八時間かかる田舎町でしか売っていない菓子を指定されて急いで買いに走っている、と。 ネイヴァンは腹を抱えて笑った。その無遠慮さがいっそ、すがすがしい。 ひとしきり笑うと彼は僕の両肩に手を置いた。

  • 生きた魔モノの開き方   41菓目:蜜月の琥珀糖

     僕が、血文字から再生した記憶のすべてを語り終えると、エルドリスは深く息を吐いた。「なるほどな。ラシュトという存在は、実際にはラシュトとエンリオの双子の兄弟が融合したモノだったわけか」 エルドリスの表情にはわずかな驚きとともに、ある種の納得が浮かんでいた。「つまりあれこそが"元人間の魔物"。まるで人間と変わりなかった。ああいうモノがこの世に存在すると確かめられたことは、ひとつの大きな成果だな」「でも、まさか転生の魔法なんてものがあるなんて……」 僕の呟きに、エルドリスの目が鋭くなる。「それは黒魔法の類だ。深く知らない方がいい」 僕はその反応に興味を惹かれ、身を乗り出す。「黒魔法って、そんなに危険なんですか?」「いいから、もう聞くな。お前が知っても得することはない」「ですけど、転生の魔法がメジャーな黒魔法なんだとしたら、他にもそれを使って魔物になった人間が大勢いるのかも」「メジャーなわけがないだろう、黒魔法だぞ。その意味を知っているか? 禁忌だ。それについて知ろうとするだけで刑罰ものだ」 エルドリスは話を強引に終わらせるように、背伸びをして大きな欠伸をひとつした。「私はこれから仮眠を取る。お前も仕事に戻ったらどうだ」 このままでは追い出されると思った僕は、とっさに話題を探して口にした。「あ、あのっ! 実は僕、今日から三日間、非番なんです。何か欲しいものがあれば街で買ってきますよ!」 必死さが伝わったのか、エルドリスは僕の申し出を無下にはせず、しばらく考える仕草をしたあと、ふっと目を細めた。「それなら、『蜜月の琥

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