(……またこのひとだよ……)
わたしは、夢中で〝ドア中のドア〟を設計中の二人から、そっと離れて、裏庭に出ると、通話相手のいる王都の尖塔を眺めながら電話に出た。「お待たせしました。相川です」『息災か。相川るん』 魔王の声もどこかしら明るく聞こえる。 わたしは、おかげさまでと答えた。『昨日送ったアプリだがな、明細を確認してみるとよい』 わたしは言われるまま、画面をスクロールする。 すると、「本日付」と表示された項目に目が止まった。【+1,033 :犬男の素顔にドキドキ】【+30:スライム用のドア設置】【残高:‑500,103 ▶︎ ‑499,043】「……は?」 まさか、と思いながら魔王に問いかける。「ねえ魔王、これって……?」『そうだ』「じゃあ、やっぱりこの胸のきらめく感覚が、創造の力ってこと?」『魂のエネルギーが上向きになっているとも言える』 魔王は満足げに続ける。『今回、お前が修理に際してした選択は、育む心に根付くものだ』 壊れたものごとを、マイナスに捉えず、遊び心を加えて、そこに新たな価値を生み出した。『見事な〝遊び心〟だ。褒めて遣わす。お前は魔界に一つ、創造の種を蒔いた』「そりゃ、どうも……」 手放しで褒められていることが、ちょっと照れくさい。 口元の緩みを擦って打ち消した。 それでも、魔王が言いたいことも、なんとなくわかる。 この数分で、自分の気持ちが確かに、少しだけ変わった気がしていた。なんかこう、心臓が輝いていた気がする。「なるほどね。心が輝くって、こう言うことか」 それでも、別件では気がかりもある。「ところで、肝心なドアの修繕費のことなんですけど(……またこのひとだよ……) わたしは、夢中で〝ドア中のドア〟を設計中の二人から、そっと離れて、裏庭に出ると、通話相手のいる王都の尖塔を眺めながら電話に出た。「お待たせしました。相川です」『息災か。相川るん』 魔王の声もどこかしら明るく聞こえる。 わたしは、おかげさまでと答えた。『昨日送ったアプリだがな、明細を確認してみるとよい』 わたしは言われるまま、画面をスクロールする。 すると、「本日付」と表示された項目に目が止まった。【+1,033 :犬男の素顔にドキドキ】【+30:スライム用のドア設置】【残高:‑500,103 ▶︎ ‑499,043】 「……は?」 まさか、と思いながら魔王に問いかける。「ねえ魔王、これって……?」『そうだ』「じゃあ、やっぱりこの胸のきらめく感覚が、創造の力ってこと?」『魂のエネルギーが上向きになっているとも言える』 魔王は満足げに続ける。『今回、お前が修理に際してした選択は、育む心に根付くものだ』 壊れたものごとを、マイナスに捉えず、遊び心を加えて、そこに新たな価値を生み出した。『見事な〝遊び心〟だ。褒めて遣わす。お前は魔界に一つ、創造の種を蒔いた』「そりゃ、どうも……」 手放しで褒められていることが、ちょっと照れくさい。 口元の緩みを擦って打ち消した。 それでも、魔王が言いたいことも、なんとなくわかる。 この数分で、自分の気持ちが確かに、少しだけ変わった気がしていた。なんかこう、心臓が輝いていた気がする。「なるほどね。心が輝くって、こう言うことか」 それでも、別件では気がかりもある。「ところで、肝心なドアの修繕費のことなんですけど
昼食後、ドアの修理が本格的にはじまった。 ヒコはメガネを外し、大きな虫眼鏡を使ってオークの角材をチェックしている。 うっかりその素顔を覗き見すると、やっぱり良すぎてドキドキする。 正視できないから、そそくさとその背中側に回り込んだ。 ささくれて歪んでいた穴は、今や綺麗な長方形へと整えられている。 そこに、ぴったりと角材を並べて収めるべく、ヒコの背中が慎重な作業を進めている。 膝もとに敷いた布切れの上で、角材の並びが、木目として自然になるように。 だけど、そこで虫眼鏡で覗き込んでいたヒコが、ふと手を止めてわたしを振り返った。「……そういえば、るんちゃんって、絵の人だっけ?」 わたしは、その目に見つめられて、赤面し、硬直した。(だから、顔が良すぎるんだってば……) ちょっとだけ視線を外して、なんとか、うなずく。「……い、いまは、ちょっと描けないけど。勉強は……してたよ」 ヒコは場所を空けて、わたしを手招いた。「じゃあ、ちょっとここを、るんちゃんにお願いしようかな」 なんだか分からないまま、乾いた布巾の前にしゃがみ込む。足もとで布巾の上に並んでいるのは、アオがアトリエから運んできた角材だ。 生地のままの表面が、淡い黄みを帯びたベージュ色をしている。 数年の乾燥で、昔よりも軽く感じる。 ヒコも、わたしの横で腰をかがめた。「ドアとおなじ正目になるように、木目を並べてみたけど、おれ、この通り目がよくないでしょ」 その破壊的に可愛い黒目がちなド近眼が細まると、なおさら愛らしくなることは分かった。わかったから……! 顔立ちのよさが邪魔で、わたしは思わずそっぽを向いて言った。「──じ、じゃあ、木目を出来るだけ合わせたいってことだね?」「うん。でも完全に合わせるんじゃなくて、遊
父が昔、額縁を仕上げしているとき、子供のわたしもかたわらで、こんな匂いと音にひたっていた記憶がある。 それは今のアオのように、そばでああしているだけだったけれど、手仕事を見ているだけで、なめらかに心がほどけていくような気がし、飽きずに眺めていられた。 小窓でも取り付けても似合いそうなほど、きっちり四角く整形した穴のふちを、ヒコは、指先でゆっくりと横になぞっていく。 「よし。まずまずだな。」 その肩の上からアオが尋ねる。 「板をはめこむときは、釘でトントンするの?」 「ううん。接着剤を使うよ」 耐水の木工用ボンドだ。 あの酸っぱいような匂いを、わたしも思い出す。 父もよく使っていた。 「で、るんちゃん。」 そうヒコに聞かれて、わたしは我にかえった。 「あ、はい?」 ヒコはメガネの奥で、困ったように言った。 「板をはめ込み、あとは表面を削って調整すれば……今日中に応急処置まではできると思うんだけれど……」 言いながらヒコは、耳元を掻いた。 「……けれど?」 「うん。材料をどうするかなって」 ヒコはそう言うと、わたしに思案顔を上げた。 「オークの板材は、いま手持ちがなくて」 彼の家にはマツ材しか今、ないらしい。 仮にマツを使ったとしても、カンナがけをして仕上げ後にはオイルステンをかけるから、補修の跡や材料の違いで起きる継ぎ目は遠目にも分からないくらいにはなるけど……。と、彼は言った上で、 「でも、せっかくのお父さんのドアだし、やっぱり、はめ込む板もオーク
ちょっと気恥ずかしい角の向こうへと、肩にアオを乗せたまま、わたしは顔を出してみる。 ヒコが、ドアの前で、折りたたみのノコギリを広げるのが見えた。 集中している姿は、メガネ有りでも、別の意味でかっこいい。 まるで本職の大工さんだ。 犬耳を小刻みに動かしながら、グリグリメガネの奥の真剣な目で、ドアに引いた鉛筆の直線まで、大胆かつ慎重に、ノコギリを入れていく。 けれど、さっき彼は自分のことを大工ではなく、〝村のなんでも屋〟だと自嘲していた。 なんでも屋さんって、なんですかと尋ねると、「魔法使いのお婆さん家の庭掃除をしたり、馬車で王都までの買い物に付き合ったり、鼻で探し物の指輪を見つけたり、子守りをしたり、ときには探偵の真似事なんかも……」 そう答えてヒコは、はにかんだ。「平たく言うと、無職だね」 ふと手を止めたヒコが、こちらに気付いたのか、振り向いていた。 わたしは、つい、腫れた目を、そらしたけど、「……おかえりなさいっす」 ちょっとだけ、耳を寝かせてヒコは優しい微笑みを見せてくれた。 気恥ずかしくもあるけど、わたしも微笑んだ。「だいぶ落ち着かれました?」 わたしはまた頷いてから、肩の上にいるアオに目をやった。「この子、アオっていいます。スライムです。居候中の……」「へえ」と、ヒコがメガネをなおしかけたとき、アオが肩の上でツンと顔をふくらませた。「居候じゃないよ! ぼくは、るんの婚約者!」 膨らんだままのアオに、ヒコは目をぱちくりさせた。 玄関先にしゃがんでいる彼には、きっと遠くて、アオがよく見えていないことだろう。わたしはアオのほっぺたをつついてたしなめる。「もう。婚約者っていうか、育成枠でしょ、アオ」 そう言ってやんわり否定の笑顔をするわたしにも、肩の上でむく
ヒコが慌てる様子が分かった。 でも、こうなると、止められなくて…… そんなわたしの顔を、ヒコは覗き込んで来た。「……どうかした? え、顔色……」 思わず、わたしは顔をそむけた。「……なんでも、ないんです」 そのまま、彼へと背中を向ける。「ドアは、新品に変えてもらっていいです……」 すると、ヒコは語尾を濁らせた。「たしかに、そっちのほうが安くつくけど……」 修繕にきてくれたヒコに対して申し訳ない気持ちが、過呼吸を加速する。 父は、あなたが想像した通り、優しくて、物と、そこに宿る物語を大切にする人だった。 でも、それだけに、そんな父を変えてしまったのがわたしの絵だったと思うと……。 「──ちょっと、父のこと、思い出しちゃって…… 失礼します」 苦しくて、言い置くと、わたしは裏手に走った。 父への思いが、愛情と痛みとに分裂している。 一方は、この家ごと、わたしたちを温かく包んでくれた父そのもの。 でもその足もとに、絵にいきずまり画業に絶望した、もう一方の父の影がある。 ヒコの視線を背中に感じながら、わたしは家の裏庭に駆け込んだ。 逃げるように裏庭へと回ったわたしは、ふらつきながら、縁側のテラスに、やっとのことで腰を下ろした。 きっと目は赤かったことだろう。今にも涙がこぼれそうだった。 目が良くないとヒコさんは言っていたけれど、ああも声が震えていては、心配をかけないなんていうことは、とても無理だ。 深くため息が出た。 そこ
犬男のヒコは、グリグリメガネをかけ直し、慎重にハルト像の首にロープを巻きつけていった。 そして、わたしに向きなおって言った。「ドアを突き破っていますけど、幸い像にドアが噛んじゃったりしてないので、これで引っ張ればなんとかなると思うんだよね」 そしてまず、彼はひとりでロープの先を、慎重に引きはじめた。「るんちゃんは離れてて。大丈夫だとおもうけど、念のためね」 みしり、と木製の玄関ドアは音を立てた。 ハルトの銅像は、台座を支点にして、たしかに少し浮き上がっているように見えた。 首に巻きついたロープに触れながら、ぐるじい……と、どこかでハルトが言っているような気がして辺りを見回したけれど、相手は銅像だ。気のせいにちがいない。 ヒコのシャツの背中は、引っ張っているロープに筋肉が膨らんでみえる。 なんか、目のやり場に困った。 アプリの通知を消しておいて助かった。 胸のドキドキを抑えながら、「どうです? いけそうですか」 手伝いましょうかと、わたしはヒコに背中から声をかけた。 ヒコは、「いいかんじかも、たぶん行けそう」と答えながら、ロープをギリリと引いた。 すると彼の計画通り、ハルトの頭部はドアの裂け目を抜けだした。 慎重にロープを引きながら、ヒコは銅像に近づいていく。 そして横から支えて、ハルトの像を地面に屹立させた。 白いロープが首に巻きついているハルトは、どう見ても穏やかじゃないけど、ようやく立ち上がった姿の銅像に、青空が映えている。 とりあえずわたしは、ほっと胸を撫で下ろすことができた。 犬耳を揺らしながら、ヒコは玄関ドアに開いたバレーボール大の穴を覗き込む。 そのすぐ後ろで、わたしも木製ドアの厚みを初めて知った。
しょんぼりとした声で、犬耳を寝かせ、ヒコが言う。「……いやホントにおれ、気づいてなかったんです」 話しかけていた相手が銅像だったとしてもだ。 ドア突き破って頭をつっこんでいる時点でオカシイとは思わないのだろうか。 「ブフ……!」わたしはうっかり噴き出した。 そんなことって、あるだろうか。「だって、どこから見たって銅像ですよ。ヒコさんって天然さんで可愛いんですね」 しかし彼は両耳を伏せて言った。 「いや、おれ、目が悪くって……」 ヒコは、鼻先をハルトの像に近づけて、グリグリメガネの奥で目を凝らしたあと、さらに指の先で顔に触れた。 そして、驚いたように跳ね退いた。「ほんとだ!! これ、銅像だ!!」犬耳が伏せている。しっぽが怯えたように股ぐらへ丸まっている。 わたしはたまらず、またお腹を抱えた。 そのイヌ顔に、グリグリメガネが、信じられないくらいに似合っている。 頭の上で忙しい犬耳の先が垂れているのは、このひとの普段なのかな。 なんだかフレンドリーだったり、しょぼくれたり、驚いて飛び退いたり、感情豊かで面白いけど、どこかかわいそうで、可愛い。 あんまり笑って悪いから、わたしは手を合わせた。「ドアからはずそうにも……。銅像ですからね、そのまま置いておいたんです。なんかごめんなさいね」 重すぎて、ハルトは手に負えなかった。 するとヒコも、同じように眉毛をさげて笑った。「銅像ですもんね。どおりで、なんかずっと無視されてるな〜とは、思ってたんですよね……」 またこの、しょんぼりと笑う表情が、かわいそうで、かわ良い。「まぁでも、その上であれだけグイグイいけるの、ハート強いなって思います」 ヒコは恥ずかしそうにミミを隠した。
洗面所であわてて前髪を直し、わたしは急いで玄関へ向かった。 今しがたチャイムの音がして、元気な声が「おはようございますー!」なんて叫んでいたからだ。 きっと、昨日魔王に頼んだドアの修理業者だろう。 ……と思ったのだけれど。 ハルト像の頭が突き出ているドアの内鍵に、手をかけると、玄関の表で、なにやら楽しげな話し声が聞こえていた。 わたしは、土間にそっと下りて、玄関ドアに耳をつけてみた。 すると、表では、若い男性がお喋りしている様子だが、そのやり取りが、やけに一方的な様子だ。 でも、そうなると、──え? 誰かもうひとりいる? ……いやいや。それにしては合いの手の間がまったく聞こえない。 となると、電話かな……。 いずれにしても、気になる。 そこでわたしは、そのままドアの向こう側へ聞き耳を立て続けた。「……いやー、今日はいい天気ですねぇ! 朝からこんな晴れると、気分も上向きますよね? って、あれ、やっぱ無言ですか。あ、そうか、シャイなんですか? いやちがうのか。じゃあ、もしかしてあなたも玄関の修理に?」 若い男性の声は、フレンドリーすぎる。人懐っこい調子で楽しげに話しかけているが、そう。まるで、ずっと誰かに無視されているみたいだ。 わたしの背中に寒いものが走る。 やっばいのが来ちゃってるのかもしれない……。 返事が返ってきていないのに、めちゃくちゃ普通に話しかけ続けている。 わたしはなんだか、かわいそうを通り越して、怖くなってきた。 首をすくめて、土間から後ずさる。 ……こわい。ってか、スマホはあるけど、魔界って110番はあるのか……?! でも、ドア越しにわたしは、恐る恐る声をかけた。「&h
ただし、そのお金持ちな吸血鬼は気位が高く、相手にもその爵位相応の教養を求めているらしい。「そうなんだ」わたしは言った。「でも、こっちにはそんな教養ないよ」 ウィスカーは、電話の向こうで鼻を鳴らす。『……またそんなことを。では我がウィスカー商会の婚活セミナーを受講されてはいかがですか?』 だけど、そもそも、わたしは乗り気じゃない。「ウィスカーさん、せっかくだけど、わたしお金持ちとか、あんま興味ないんだよね」 そこも、実際結婚して子育てをするなら、きっと大事だ。 でも、一回死んじゃったうえで人生をやり直しているわたしには、徒歩圏内にいる好きな人のほうが、ずっと大事な気がする。……って、言おうとした顔に、ふとドアの修繕費のことがよぎる。「──いやいや、」 わたしは首を振る。「……それにね、吸血鬼ってだけで、こっちはだいぶアウトなんだけど」 血とか、抜かれそうじゃん。 ウィスカーは、電話口で慌てている様子を見せた。『で、ですが、この伯爵様、実は、相川様にかなりご執心とのことで…… 実質の成婚レベルはぐっと下がる好案件かと……』 問題はそこじゃあない。この婚活業者、やっぱりどっかずれてるよな…… わたしは頭を掻きながら言った。「ていうかウィスカーさん、またなんか隠そうとしてない?」『うっ……』 ……図星か?「じゃあこっちもズバリいうわよ。その〝伯爵さまのご執心〟って、要はわたしの血か年齢なんじゃないの?」 そう言うと、ウィスカーは沈黙した。『……はい。伯爵さまは相川さまのご年齢をいたくお気に入りで……』&nb