LOGIN身体の弱い子供だった頃から、振り返ると「危うかった」と思う思春期を何とか乗り切って上京するまで、自分の成長に誰よりも寄り添ってくれた愛犬アルシオーネの葬儀のために帰郷した涼香。 人並みに二十一歳の大学生としてキャンパスライフを楽しんでいたはずの涼香は、葬儀から帰った実家の自室で独りになった途端に溢れる涙を止めることができず、そのまま泣き疲れて寝入ってしまう。 なぜか懐かしいと感じる声に名前を呼ばれて目を覚ました涼香の目の前には、イヌの頭部と人間の身体を持つ獣頭人身の獣人がいた。 涼香は恐怖をまったく感じなかった。その獣人の瞳がアルシオーネのものだったから――
View More涼香を軽々と抱きかかえたアルフは、コンラートと襲撃者との戦闘を涼香が直視するのを避けるのと、万一の際にはこの場から素速く離脱できるように、コンラートからは視線を外さずに身体をひねって半身に構えた。 生まれて初めてのお姫様だっこに鼓動が激しいビートを刻んでいた涼香の視線は、アルフの配慮を飛び越えて素直な好奇心のままコンラートが三人の襲撃者を瞬く間に殴り飛ばす姿に向けられた。「ごぶっ……!」 人間同士の格闘とは次元の違う強烈な打撃の標的となった黒豚の頭部を持つ獣人たちは、断末魔の叫びを上げることさえ赦されずに大量の鮮血だけを口から吐き出して息絶えた。 身長は百七十センチほどだが太めで図体は大きく見える三人の襲撃者を容易く三発のパンチで倒してしまったコンラートが、呼吸の乱れる様子も見せずに襲撃者が突入してきた障子窓から外の様子を確認する。 現実から離れたアニメの戦闘シーンを見ているような錯覚を覚えた涼香は、「すご……」 とごく短い感嘆だけを小さな口から漏らした。 コンラートが三人の襲撃者を片付け、周囲に敵対する気配がないことを確認したアルフは、抱きかかえていた涼香の両足をそっと床へ降ろすと頭を下げて謝罪した。「すまない。咄嗟の判断とはいえ、スズカ嬢をいきなり抱き上げるかたちとなってしまった。言い訳をさせてもらうなら、他にも襲撃者がいる可能性と、こちらに注意を払うことでコンラートの力を削ぐ事態を避けるために離脱する可能性に備えた対応だった」 真っ先に自分の安全を優先してくれたアルフが謝っている姿に慌てた涼香は、「あやまらないで。あたしを護ってくれようとしたんでしょ? 逆にあたしがお礼する立場だよ。ありがと」 と早口になっている自分を感じながらも、お礼の言葉を返した。 「ありがとう。スズカ嬢が聡明なのは本当に助かる」「あの、さ……そのスズカ嬢って呼び方やめない? スズカでいいよ?」「分かった。では、今後はスズカと呼ばせてもらおう」 アルフの素直な反応が嬉しかった涼香は、間近で目にしたコンラートの異様な強さへの率直な感想を口にした。「コンラートさんって、めちゃくちゃ強いんだね。あたしたちを気にする必要がなければゼッタイ勝つって、アルフが信頼してるのも納得だよ」 涼香の言葉に対して一瞬だけ感心する表情をみせたアルフは、「スズカは言葉の意
「急かすようで申し訳ないが、応接間へ案内してもいいだろうか? ヒロキ殿を待たせているんでね」 涼香とアルシオーネの様子を黙って見守っていたアルフが、涼香の表情が落ち着くのを見計らって声を掛けた。「あっ、はい。だいじょうぶです」 バッと勢いよく顔を上げて答えた涼香に微笑を向けたアルフが、「敬語はいらないよ」 と柔らかい声で伝えながら、涼香の前に右手を差し出した。 (目を細めても瞳がクッキリしてるとかどこまでイケメン!? ってか今気付いたけど、目尻に泣きぼくろまであるとか美形フル装備すぎでしょ……) 落ち着いたと思った矢先にアルフのイケメンぶりを再認識してしまった涼香は、顔が火照るのを感じながらもアルフが差し出した右手にそっと自分の左手を乗せた。「う、うん……じゃ、案内してもらう」「ありがとう。ではエスコートさせてもらうとしよう」 大きさも厚みも自分の手と比べれば倍はありそうだと涼香が感じたアルフの手が、そっと大切なものを包むように涼香の左手を握ると、この世界で目覚めたベッドの上に座ったままだった涼香をゆっくりと引き寄せる。 力強いのに強引な感じが全くしないアルフの右手にひかれてベッドを降りた涼香は、ひんやりとした板張りの床に立ったことで目の前のアルフの大きさをあらためて実感することになった。(でっか……身長差四十センチぐらい? てか、胸板ぶ厚っ! マジで雄っぱいじゃん、こんなんもう……!) もう少し渋みがあったら完璧なのに……などと肉弾系紳士キャラがド真ん中に刺さるせいで思考がついつい夢方向へ飛んでしまった涼香を、現実に引き戻したのはアルフの声だった。「そのスリッパを使ってほしい」「あっ、はい……じゃなかった、うん。ありがと」 脳内が妄想方面に走りかけていたことを誤魔化すように、涼香がすすめられた生成りのスリッパに慌てて足を突っ込む。(やばいやばいっ! 夢見とかしてる場合じゃないでしょ……この状況でも妄想できるとかどんだけ図太いんだよ、あたし……?) 涼香が胸の内で自分にツッコみを入れている間にアルフは部屋のドアに手を掛け、アルシオーネもベッドから降りて涼香が履いたものと揃いのスリッパを履き終えていた。「準備はいいかな?」 ドアに手を掛けたまま振り向いたアルフの確認する声に、涼香が「うん」と小さくうなずきを返す。 アルフが
「戦線の処理って……この国は今、どこかの国と交戦状態にあるってことですか……?」 アルフが口にした「戦線」という言葉に反応した涼香が、その部分を指摘するように訊くとアルフは首肯してみせた。「ああ、その通りだ。膠着してはいるが、イヌの国はイノシシの国と交戦状態にある」「……日本と同じ地形って言ってましたけど、あたしたちがいるのは日本だとどこになるんですか?」「京都だよ。地名は元の世界とほぼ同じものが、そのままこの世界でも使われてる。それと、言いそびれてたけど俺に対して敬語は必要ない。ラクに話してくれると嬉しい」 この世界の状況について説明を聞いている中で、アルフが差し挟んだ唐突な申し出に戸惑った涼香は、「でも、年上ですよね?」 とだけ短く答えを返した。 端的な返答を聞いて表情を緩めたアルフは、涼香に向けて微笑を浮かべてみせた。「この世界に転生した獣人は元の世界での年齢とは関係なく、ヒトの十代後半から五十代の半ばに相当する獣人として新たな人生を始める。始めの年齢が違う理由は分からないが、神たるドラゴンの意思ってことにして受け入れてる。俺やアルシオーネ卿みたいに元の世界で寿命を全うした獣人もいれば、一年と経たずに元の世界での生を終えた獣人もいる。そもそもベースになってる獣の寿命が全く違うから元の世界で生きた年数は、この世界じゃ記憶以外の意味を持ってない。そして、俺たち獣人はこの世界で歳をとらないんだ」 打ち明ける口調でアルフが口にした「獣人たちが生きる世界の有り様」を聞いた涼香は驚きを隠せなかった。 目を丸くする涼香に対して、微苦笑を浮かべてみせたアルフがもう一つの「世界の有り様」を伝える。「俺たち獣人はこの世界に転生したときの年齢と能力に応じた役割を、死ぬまで続けるってことになる。子孫を残すこともなく、ね」 思わず「え!?」と驚きの声を漏らした涼香に、アルフは微かな憂いを帯びた微笑を向けた。「俺たちの生殖器官は機能しないんだよ。形としては存在するしそういった行為も可能だが本来の役割は持ってない。自分の遺伝子を持った子孫を残すっていう生物としての本能を奪われてる。それが、この世界の獣人たちなんだ……他の本能って言い方が合ってるのか俺には分からない。ただ、情動とか欲求なんて言い方に代えても中身は変わらないとは思う。老いることも出来ない獣人たち
「革命の乙女ってさあ……もう響きからして最期は裏切られて火あぶりか凶弾に倒れそうじゃん……っていうか、アルシオーネの言い方だとあたしがこの世界に来るってこと、来る前から分かってた感じに聞こえるんですけど……?」 強く拒否する気も起きずに感想を口にした涼香に対して、アルシオーネはすんなりと答えた。「ええ、知っていたのよ。あたちがこの世界へ転生した時にドラゴンも同時に顕現して、この国の国王に告げたのよ。あたちと共に暮らしていたスズカという人間を転移させる召喚の術式を下賜するってね」 またしても急展開する話の流れに驚き疲れた涼香が、ぽかんと小さな口を開けて小首を傾げる。 涼香の反応を見たアルフが説明を補足をするために口を開いた。「最初に言った話へと戻るんだが……このイヌの国との同盟を結ぶ立役者となった、ネコの国の参謀であるヒロキ殿がこの世界に召喚された経緯も同様だったらしい。オニキス卿というネコの獣人が転生した際に、その飼い主だったヒロキという名の人間を召喚するための術式を下賜すると、この世界の神たるドラゴンはネコの国の国王陛下へと告げられた。信心深い陛下は神で在られるドラゴンのお告げは福音であろうと考え、召喚術式の行使を決定された」 涼香が説明に付いてきているか確認するように間を置いたアルフは、涼香の表情を確認してから説明を続けた。「ヒロキ殿の有能ぶりに感心していたこの国の国王陛下は、アルシオーネ卿の転生とともにドラゴンから下賜された召喚術式を行使すると即決された。そして、ドラゴンのお告げ通りにスズカ嬢がこの世界へと召喚されたってのが、かいつまんだ経緯になる」 アルフの説明を聞き、ふうと短い溜め息を漏らした涼香は、「いきなり獣人さんたちの世界に来たら参謀とか革命の乙女とか言われるって、話が急すぎるんですけど?」 と諦観した口調で答えた。「そこは本当に申し訳ないと思っている。本来ならスズカ嬢が落ち着くのを待ってから説明に入るべきだ。ただ、不躾なお願いだと承知の上で、俺たちの事情が切迫しているのもスズカ嬢には酌んでもらえるとありがたいんだが……」 アルフの凜々しい眼差しにわずかな憂いが浮かぶのを見て思わずドキッとしてしまった涼香は、「まあ、アルシオーネに会えたのはホントに嬉しいし、異世界ものは好きだし、取り敢えず身の危険も無さそうだし」 と早口