LOGIN流石に朝起きたままの格好で、みなとみらいのオシャレなパンケーキ屋に行くわけにはいかないということになったので、各々一度家に戻り、シャワーを浴びて、再び大学から一番近い駅に集合することになった。
しかしまぁ、急転直下とは、まさしく今日のような日を言うのだろう。
朝目覚めたら、入った覚えのない大学の教室で、見知らぬ少女とおっさんが居て、そして人間であるはずの僕は、異人とかいう化け物になっていて......
まったく、一夜にして色々なことが起き過ぎている。
女子とパンケーキ屋に行くという、今までにないことを経験できると考えれば、この状況も案外そこまで悪くないのかもしれないけれど、それでも流石に、『もう君は人間ではない』と、そんな風に言われるこの状況は、明らかに異常な筈である。
そう、異常なのだ。
それなのに......
「どうして僕は、こんなにも落ち着いているのだろう......」
ポツリと、シャワーを浴び終えた僕は問い掛ける。
しかしそれに応える声は、なにもない。
当たり前だ。
だって完全に、それは僕が一人だけの空間で言い放ったモノなのだから。
いわゆる自問自答。
端的に言えば『独り言』
身支度をしながら、僕は考える。
昨日の状況を聞いてみても、僕に落ち度があるようには思えなかった。
強いて言うなら、夜中に大学の敷地内に入ったくらいで、それ以外は何もない。
何もないのに、殺された。
要はそういうことだ。
今の僕はココに居るけれど、人間としての僕は、あまりにも理不尽な形でこの世を去ったらしい。
それなのに......
それなのにどうして僕は、それをなんとなく、納得してしまっているのだろうか......
納得して、受け入れて、理解しようとしているのだろうか......
わからない。
どんなに考えてみても、それに的確な答えを出すことは出来なかった。
っというよりも、最初から出せるわけがなかった。
だって今の僕は、自分が殺されたことも、自分が一度死んだことも、自分が人間ではなくなったことも、自分が異人という化け物になったことさえも、それら何一つに、実感が持てないでいるのだから。
そんな状態で、答えなんて出せるわけがないだろう。
「考えるだけ、時間の無駄だな......」
そんな風に、身支度を一通り終えた僕は、また独り言を呟いて外に出る。
そして外に出て、待ち合わせの駅に向かって歩くとき、不意に快晴である青空を見上げて、何故だか僕はこう思った。
なんだか、気持ち悪い天気だな......
待ち合わせ場所に着いたとき、既に彼女はそこに居た。しかしその時の彼女の姿は、出会ったときのような寒々しい薄着の格好でもなければ、一緒にコンビニに行った時のようなラフな格好でもない。
彼女の華奢な細身のスタイルが、それでいて、たぶん女の子の中ではそれなりに高いのであろう彼女の身長が、春を少しばかり通り過ぎた今の季節に着るような、いわば普通に可愛く、普通に美人な、女子大生の春ファッションを着こなしていたのだ。
しかしそれを、彼女が着こなせば。
人間ではない彼女が着れば、その洋服もまた、人間味を無くしてしまう。
人間味を無くして、通常性を無くして、異常なまでの綺麗さを、異常なまでの美しさを、その洋服に与えてしまう。
そう思えるほどに、駅前で佇む彼女の姿は、目立っていたのだ。
「ごめん、待たせた」
声に気付いた彼女は、携帯電話から視線を僕に移して、一言
「おそい」
ごめんって......
電車で数駅ほど乗って、みなとみらい駅に到着する。
異常なまでの近い距離に、こんな観光地があることに、変な気分になってしまう。
実家のある九州は、都会の人から見ればそれなりの観光地なんだろうけれど、それが常に近い所にある感覚はなかった。
むしろそういうモノは、物理的な距離は近くても、精神的な距離は遠かったのだ。
だからかもしれない。
僕は少しだけ、ワクワクしていた。
「それで琴音さん、そのお店の場所って一体......?」
少しだけ気を引きながら名前を呼んで、ついでに店の場所も聞く。
しかしそれらは、案外雑に返された。
「いや、私も昼間にここに来るのは初めてで......あっ、ちょっとまってね......」
そう言いながら彼女は、再び携帯電話を取り出して、地図アプリで場所を検索する。
なんだろう、普通こういうことは、男である僕がやるべきなのだろうか......
しかし馴染みのない場所で慣れていない事をすれば、琴音さんに迷惑を掛けてしまうかもしれない、けれど普通に考えて、全て彼女に任せっきりなのもどうなのだろう......
んー......わからん......
「あーここら辺か、よしわかった」
そんなことを僕が考えている間に、どうやら琴音さんの方は道が分かったようだ。
「おーい誠、道わかったから行くよ~」
「えっ......あ、うん......」
戸惑いながら、考えをまとめられないでいる僕は、彼女の後ろを付いていく。
それがどれだけ異常なことなのかを、知る由もない状態で......
その話は唐突だった。みなとみらいの海沿いを歩きながら、唐突にそういう話になった。
もし周りの人が聞いていたら、きっと変に思うだろうに、彼女はそういうことを一切考えず、一切考慮せず、ついでに言えば、その話題になる前に、何かしらの前置きだとか予兆があったわけでも決してなく、彼女は唐突に言い出したのだ。
「誠はさ、やっぱり人間に戻りたい?」
前を歩いていた彼女は、こちらを少しだけ振り向いて、僕にそう尋ねた。
「えっ......」
それに対して僕は、どう言葉を返せば良いのか、わからなかった。
でもその時の彼女に、テキトウな言葉を返してはいけないと、それだけはなんとなく、わかった気がした。
だから僕は、自分の今の心境を、そのまま彼女に伝えた。
「......正直、わからない......」
その僕の視線を逸らした解答に対して、琴音さんは少し笑って言い返す。
「わからないってなんだよ。自分のことだろ?」
「......いや、そうなんだけど、なんか......」
「ん?」
「今だに実感が持てないんだ。自分がその『人間じゃなくなった』っていう......だから......」
言葉を迷いながら話している僕に、彼女は平然とした様子で言葉を返す。
「誠の場合は『異人』になったっていうよりも、
そう言いながら、潮風に髪をなびかせて、彼女は僕を見ていた。
そしてそんな彼女に対して、僕は訊いてしまう。
「こっち側って......?」
そして訊かれた彼女は、まるでそれが当たり前のことの様に、平然と言い切る。
「決まっているでじょ、異人っていう化け物、私達のことだよ」
「......」
自分のことをそういう風に自覚しているからなのか、それともそれが当たり前だからなのか、もしくはその両方か......
とにかく彼女は、このとき悲観的な表情でもなければ、化け物じみた表情でもなくて、ただの、本当にただの女子大生だったのだ。
もしかしたら『異端の存在』というのは、案外こんな感じなのだろう......
このときの彼女を見て、僕はそう思った。
そして少し間を置いて、彼女はまた言葉を続ける。
「まぁでも、誠は人間に戻れるから、大丈夫だよ」
「えっ、そうなの?」
そう尋ねた僕の表情は一体どのようなモノだったのだろうか、安堵していたのだろうか、それとも残念そうにしていたのだろか......
自分ではどうしても、わからないモノである。
けれど尋ねた僕の言葉に対して、彼女は少し笑ってこう言った。
「あぁ、保障するよ」
そしてその言葉を最後に、彼女はまた振り返って、目的地であるパンケーキ屋を目指して再び、歩き始めたのだ。
目的地到着生クリームがこれでもかという程に盛られたパンケーキを見て、目の前に座る吸血鬼は瞳を輝かせて、それの写真を何枚か撮った後に、満足そうな表情で食べていた。
なんだかこうしていると、本当に何度も思うのだけれど......
本当に何度もそう見えてしまうのだけれど......
やはり普通の女の子に、見えてしまうのだ。
それこそ、彼女が吸血鬼だということも、彼女が好んで飲む筈の人間の血のような......
それら自体が真っ赤な嘘だと思えてしまう。
そう思えるほどに、今すごい勢いでパンケーキを食べている彼女は、どこにでもいるような女子大生、そのものなのだ。
しかし、そんな彼女とは裏腹に、僕はというと......
「なぁ、誠は本当に食べなくて良かったの?」
ほんとうに、どうしたものだろうか......
「あぁ、今はそんなにお腹は空いていないんだ......」
そう言いながら、僕は自分が頼んだコーヒーを口に含む。
なんだろう......
今僕が空腹ではないということは、たしかに紛れもない事実なんだけれど、しかしそれ以上に、どうしても嫌悪してしまう。
別に甘いモノが嫌いなわけでも、特別に生クリームがダメなわけでもない筈なのに......
それなのになぜか、このお店に入った途端に、
これでは少し、お店に申し訳ない気がしてしまう。
しかしそんな僕を気にもせず、目の前の彼女はそれを、とても美味しそうに食べて、幸せそうな顔をしている。
そんな彼女の表情が、あまりにも絵に描いた様なそれだったのだで、僕はつい一言、彼女に言った。
「ほんとうに好きなんだな......」
「いいや、そうでもないよ」
「えっ......」
思っていた言葉とは違う言葉が返ってきたので、僕は少し困惑してしまう。
しかし彼女は、そのまま話を続ける。
「いつもよりは美味しそうに見えるだけで、味は凄く美味しいって程、感じられない」
「感じられないって......どういうこと?」
「んーなんて言えばいいのかな.....」
少し考える彼女は、パンケーキを切る手を止めて、僕の方をしっかり見据えて、説明する。
「私は今、誠に異人性を半分渡して、逆に誠から半分、人間性を吸い取っている状態で......だから私と誠は、今は半分人間で、半分は異人の、不安定な状態で生きている」
「あぁ、それはさっき、あの相模さんっていう専門家が言ってたよね......」
その名前を出すと、彼女は少しだけ嫌そうな表情をする。
どんだけ嫌いなんだよ......
「うん、だからさ......」
その後に続いた彼女の言葉で、僕は少しだけ怖くなった。
しかし怖くなったのは、吸血鬼としての彼女に対してでもなければ、専門家である相模さんに対してでもでない。
「普段の、完全な吸血鬼の異人の私だったら、きっと
確実に半分だけ、異人に成り代わっている、僕自身に対してだ。
琴音さんから話されたことをまとめると、こういうことだ。普段の完全な、吸血鬼の異人である琴音さんは、そもそも人間が食べるような食事ができない。
人間が甘いと感じるモノや苦いと感じるモノ、もっと簡単に言ってしまえば、美味しいと感じられるモノや不味いと感じられるモノ。
それら全てが、普段の吸血鬼の異人である彼女にとっては、味や匂い以前に、
たとえるなら、人間は肉を食べるけれど、それは豚や鶏や牛が殆どで、それ以外のモノを、たとえ同じような肉だとしても、食べようとはしない。
まぁ、人間の場合は生まれ育った環境に影響されるところもあるけれど、それでも、たとえばペットとして飼っている犬や猫、さらには同じ人間を、肉ではあるのかもしれないけれど、食べようとは思わない。
それが彼女にとっての、『パンケーキ』なのだ。
食後の紅茶を飲みながら、彼女は少しだけ、ため息交じりに口を開く。
「人間が食べているから、それが食べ物であることは理解できる。知識としても、小麦粉から作った生地や、果物から作ったソース、牛乳を原料としている生クリームやバター。それらが人の手によって、美味しいケーキになることも、理解はできる。でも......」
そう言って、一拍置いて、彼女は僕を見据えて言う。
「でもそれを、普段の私はどうしても、
けれど今の彼女は、僕の人間性を半分吸い取って生きている。
そしてそれが、普段よりも半分ほど、彼女のことを人間らしくしているということで、だから今の彼女は、普段の彼女よりも、パンケーキを食べ物として認識して、食べることが出来るのだ。
それを話した直後の、僕を見据えていた彼女の視線は、人間離れしたモノになっていて、そしてそれを感じたから、僕は彼女に訊いてしまった。「......じゃあ」
「ん?」
「じゃあ普段の、吸血鬼の異人である琴音さんは、一体何を食べ物だと認識しているの?」
そう尋ねた僕の言葉は、あまりにも稚拙だった。っというよりも、『なんでこんな当たり前のことを訊いてしまったのだろう』と、そう後悔するべきことである。
だって返答は、言わずもがな、あまりにも当然な回答だったからだ。
「そんなの決まっているだろ?」
そう言いながら、彼女の口元には、到底人間のモノとは思えない鋭い牙が、存在していた。
初めて正面で彼女のことを見据えたから、それは僕の視界に入ったのだろう。
けれど彼女は、そんなことは一切気にせずに、そのまま続きを僕に話す。
「人間の血だよ」
そしてそれはあまりにも、当然な回答だったのだ。
「けれどそれは逆に、誠にも当てはまることなんだよ?」そう言いながら、彼女は口元を少しだけ緩ませる。
その彼女の表情は、僕があまりにも見事に、その事実に気付いていないから、それを嘲笑していたのだ。
そして本当に気付いていない僕は、間抜けにもその彼女に尋ねてしまう。
「......それは、どういう意味......?」
「言ったでしょ?今の私は半分ほど、誠から吸い取った人間性を持っている。でもそれは、逆に言えば今の誠は、半分ほど人間性を失って、その代わりにその半分を、私から流し込んだ異人性で、補って生きているんだよ。だからきっと、いつもよりも、普段食べている人間の食事に、食欲を刺激されなかったんじゃないの?」
そう言われて、今までのことに少しだけ、納得した。
あぁ、そうか......
だからだったんだ......
だから僕は、朝食に買ったサンドイッチも、彼女が食べていたパンケーキも、そこまで食べたいと思えなかったんだ。たしかにそれなら、納得できる。
しかしそれだと、今度は別のことが気になるのだ。
いや、問題定義の括りとしては、もしかしたら一緒なのかもしれないけれど、それでもまだ、感覚的には人間側であるはずの僕は、やはりそれを別問題として捉えるべきである。
だから僕は、それを少しだけ、今までよりも丁寧な声色で質問した。
「じゃあ、もしかしたら今の僕は、人間の血を吸いたいと、そんな風に思ってしまうのか......?」
その僕の言葉は、もしかしたらそれを当たり前として生きてきた、彼女の生き方そのものを侮辱してしまう様な、そんな風な声に聞こえたかもしれない。
それを怖がって訊いてしまっている時点で、彼女にそう受け取られていても仕方ない。
しかしきっと、僕がそれに予め気付いていたとしても、僕は彼女に、こんな風に尋ねたのだろう。
けれど尋ねられた彼女は、そんな僕とは対照的に、あっけらかんとした声で言う。
「安心してよ、そんなわけないから」
「......ほんとうに?」
「ほんとうだよ。そもそも私も、普段から人間の生き血を吸って生きているわけじゃない。あの顔面詐欺の専門家に頼んで、専用の血液パックを送って貰って、それで補給してるの」
専用の血液パックって......
「えっ、そんなのがあるの?」
「そうだよ。それで補給して、吸血衝動を緩和する。そうしないと、私みたいな吸血鬼の異人なんて、こんな普通に暮らせないでしょ?」
そう言って、彼女はもう一度紅茶を口にする。
そしてその時の彼女の口元には、あの人間離れした吸血鬼の牙は、見事に姿を隠していて、まるでそうすることに、彼女自身が慣れている様な、そんな風に、僕には見えたのだ。
大学という教育機関は、中学までのような義務教育ではなく、また高校のような場所とも違い、全国の様々な場所から、様々な年齢層の奴等が集まる場所だ。 だから別に、同期の中で多少の歳の差が生まれることも、しばしばあることなのだ。 だから僕は、そんな彼女に対して、小言の様に言うつもりはないけれど… やはり友人なら、思ったことは隠さずに言うべきなので、言おうと思う。 「あのな…そういうことは出来れば最初に言うべきじゃないのか…残念ながらもう僕は柊のことを歳上として扱うことが出来る気がしないんだけど…」 結局、小言になってしまった。 しかし当の彼女は、それを聞いても何も思うところが無いような声で、無いような表情で、応答する。 「あら、別にいいわよそんなこと。荒木君とだって学年は同じなんだし、それに今さら歳上扱いされる方が、なんか変な感じがして気が休まらないわ」 「…そういうモノなのか…?」 「そういうモノよ。それに私たち、そもそも出会いがあんなんだったんだから、そんなことにまで気が回らなかったのも無理はないでしょう?」 「あっ…」 柊のその言葉で、僕は思い出す。 彼女との出会いを、思い出す。 夏休み前の前半最終… あれはどう考えても、散々な日々だった… なぜなら僕は、今日この場に同席している僕の友人 自分のことを押し殺すことで他人をも惨殺するようになってしまった… 僕とは違い、殺人鬼の性質を持ってしまった少女… それでいて今はもう、都合よくも普通の女子大生である、謂わば元異人 あの血の匂いが絶えない、青春の日々を共に過ごしたこの少女 柊 小夜 (ひいらぎ さや) に、殺されていたからだ。 ころされて、コロサレテ、殺されて… それでいて僕もまた、死ねない身体の、不死身の体質を持った異人であるばっかりに、彼女との関係を持ち続けてしまっている。 あのときに、あんなことをされたのに… あんな風に、殺されたのに… 未だに僕は、この柊という少女との関係を、裁ち切れずに大切に持ち続けてしまっているのだ。 出会い頭に殺されて、その後は付きまとわれて、それで最後も殺されて… そんな咽返るような、血の匂いが絶えなかった、あの日々を思い出す。 女の子と共に、同じ部屋で寝た、謂わば青春の日々を… 僕はその柊の言葉で、思い出したのだ。
「さて......こういう時は一体、何から話せばいいんだろうね......」 そう言いながら佳寿さんは、手元にある食事の類から一度視線を完全に外して、僕の方を見る。 見られている僕は、その視線に身に覚えがあるから、佳寿さんとは対照的に、視線を外す。 そして苦し紛れに、口にするのだ。「いや、そんなこと......僕に言われても困りますよ......大体アルバイト自体が初めてで、何を質問すればいいのかさえ、わからないんですから......」「......」「......っ」 何も嘘は吐いていないから、問題はないだろうけれど、それでもやはり、この人のこの視線に覗かれることだけは、やはりどうしても、避けたいと思う。 なんせ覗かれれば最後、コチラの考えていることを全て、抜き取られてしまうからだ。 抜き取られて、取り除かれてしまうかもしれないからだ。「いいや、そんなことはしないから安心しな、不死身の兄ちゃん」 唐突に、そんな風な思考を巡らせていた僕に対して、佳寿さんはそう口にする。「......っ」 そしてそう口にされた僕は、やはりどうしても、こういう風になってしまうのかと、少しばかりの落胆の後に、相当量の諦観が、自分の気持ちを占めていることを自覚して、もうどうにもならないと思いながら、彼女の方に視線を向ける。 けれど彼女は、そんな僕のその視線に対して、まるで何も考えていない様な声色で、言葉を返すのだ。「ん?なんだい?」「いいえ......べつに......」 言った後に僕は、自分の手元に運ばれてきたウーロン茶を一口、ゆっくりと流し込む。 そして佳寿さんは、そんな僕とは対照的に、恐らく彼女にとっては普通の速度で、手元のビールを空にするのだ。 空にした後に、僕の方を見ながら、また口にする。「まぁ......無いなら無いで構わないよ。質問は随時受け付けてやる。その方が仕事の進みもいいだろうから、アタシ的にも好都合だしね......」 言いながら、静かに口元に余裕を添えるその表情は、やはり姉弟だからで、しかも双子だから当然なのかもしれないけれど...... まったくと言って良い程に、同じそれなのだ。 そう思っていると、その思考に対しての返答を、佳寿さんは口にする。「まぁ、不本意だが仕方ないわな。あんな愚弟でも、双子の弟であることは変わら
『嘘をつく子供』というイソップ寓話を、皆はご存知だろうか いや......もしかしたら『羊飼いと狼』や『オオカミ少年』というタイトルの方が、聞き馴染みがあるのかもしれない。 もしくはタイトルを覚えてはいないが、そんな感じの御話を、どこか遠い昔に聞いたことがあるという人も、それなりにいるだろう。 物語の内容は、羊飼いの少年が、退屈しのぎに『狼が来たぞ!!』と嘘をついて騒ぎを起こし、その嘘に騙された村人は武器を持って外に出るが徒労に終わり、その大人たちの姿を見た少年は面白がって、繰り返しにそんな嘘を吐き続け、いつしか村の誰からも信用されなくなり、最後は本当に狼が来た時には誰からも助けてもらえず、村の羊は全て狼に食べられてしまった。 そんな御話しである。 なんだろう...... なんだかこういう風に語ってしまうと、物凄く簡単で明瞭で、まるで当たり前のような結末で、随分と単純な物語のように思えてしまう。 まぁ実際、「嘘を吐けば信用を無くす」なんてことは、簡単で明瞭で当たり前のことなのだから、それはそれで間違いではないのだろう。 そう、なにも深い意味など考えなくても、この御話が伝えたいことは「嘘吐きは信用を無くす」というモノで、概ね間違いではない。 さらに付け加えるならば、「嘘吐きは信用を無くすから、人は常日頃から正直に生きるべきである」という、人として生きるなら、誰しもが心掛けるべき、当たり前のそれらなのだ。 けれど僕は、この歳になってからこの寓話を聞くと、どうしても考えてしまう。 どうして誰も、狼が村の羊を襲う時の外の異変には、見向きもしなかったのだろうか。 どうして誰も、その少年の言葉を嘘だと信じて、疑わなかったのだろうか。 たしかに嘘を吐き続ければ、それで信用がなくなることも理解できるし、それでたまに言う本当のことも、それがどんなに重要なこであろうと、誰からも信じてもらえないということも、理解できる。 しかしながら...... しかしながらそれでも、村の羊が全て食い尽くされる時に、外に何も異変が起きないなんてことは、果たしてあるのだろうか...... いや、常識的に考えれば、そんなことは、ある筈がないのだ。 だからそのときに、もし誰かが一人でも外の様子を確認して、「おい、本当に狼だぞ!!」という風に言ってしまえば、村の羊が全て
顔色があまりにも悪過ぎていたらしく、目を覚ますや否や、先に起きて身支度を済ましていた若桐に心配された。 まぁ......あんな夢を見た後なら、そうもなるだろう。 覚えている限りではあるけれど......いや、ずっとすごい剣幕で睨まれ続けていたことだけは、夢の中だろうが、すごく覚えている。 妹のことを想うが故なのだろうけれど...... それでもずっと......ずぅっとだ......「はぁ......」 溜め息を吐く僕の方を見て、心配そうに見つめながら若桐が、言葉を紡ぐ。「あの、荒木さん......大丈夫ですか......?」 「あぁ......うん。大丈夫だよ......心配かけてごめんね......」 そう言いながら、彼女の小さな頭を優しく撫でる。 そしてゆっくりと、眠気眼のまま布団から身体を起こして、洗面台まで行き、顔を洗う。 冷たい水しぶきで、次第に正気に戻る頭をゆっくりと、ゆったりと巡らせながら、僕は若桐の方に向けて、言う。「朝ごはんでも、食べに行こうか......」 そんな僕の提案に、少しだけ驚いた彼女の表情は、次の瞬間にはパッと晴れて、しかしその後に、僕の体調を心配している。 ほんとうに、せわしなく表情をコロコロと変える彼女は、今こうしている僕なんかよりも、ちゃんと生きている様な、そんな気さえしてしまう。 でも、だからだろう...... だからこの 若桐 薫 という少女は、死してなお、この世に残された想いの強さに引っ張られて、それ故に、自身の重さを残してしまったのだ。 表情豊かで、感情豊かの、浴衣姿の女の子。 あんな兄に愛されたのはまぁ、家族であるのだから良しとして...... 最早結末を、今回のこの一件のネタバレを、そんな兄から夢の中で聞かされたモノだから、今はこんな風に思うのだ。 ほんとうに、どうしようもない程に、傍迷惑な三文芝居でもしている様な、そんな気分である......と...... まったく..
「若桐」 通話を切った後、海辺を歩く若桐に近づいて、僕は彼女を呼び止める。 そして呼び止められた若桐は、小さく進めていた歩みを止めて、静かにコチラを振り返る。「......」「......若桐、お前......」 けれど振り返る彼女の瞳には、戸惑いや不安や焦りという類のモノはなくて、代わりに、何かを決めた様な......そういう類のモノがあった。 そしてその瞳のまま、彼女は言う。「荒木さん、もう......やめましょう......こんなこと......」「えっ......」 こちらを見つめる彼女の瞳には、薄っすらと涙膜が張られていて、けれどそれを、決して僕の前では溢していけない様にしている彼女は、僕から視線を逸らして、言葉を紡ぐ。「ごめんなさい。こんなに付き合わせてしまって......勝手なことを言っている自覚はあります。でもこれ以上......こんなことをしても、もう意味がないんだって......わかってしまって......」 そう言いながら、今まで見たことがない様な、強く自らの拳を強く握りしめている彼女のその姿は、その小さな姿には似つかわしくないほどの、静かな苛立ちを孕ませていた。 そしてそうなると、やはりここに来ても、此処まで来ても、彼女は何も思い出すことが出来なかったのだろう。 そう思いながら、僕は言葉を選びながら、彼女に言う。「そんな......また違う場所に行けば、今度こそは何か思い出せるかもしれないだろ?まだ行けていない所があるなら、そこを訪れてから結論を出してもいいんじゃないのか?」「......」「......それに今更、そんな気を遣わないでくれ。僕だって乗りかかった船だ。ちゃんと最後まで若桐に付き合うつもりで......」「違うんです!!」「えっ......?」 言い掛けた僕の言葉に対して、彼女は顔を横に振って、僕の言葉をハッキリと、食い気味に否定した。 そしてそんな彼女の言葉に、彼女の様子に、少しばかり驚いてい
その日の夜、寝床に着いてからしばらくして見た夢は、悲痛なモノだった。 身体中が、まるで鉛で出来ている様に重く、炎で焼かれている様に熱く、それでいて、そんな自分を見届ける者は、きっと家族なのだろう。 多くは居るけれど、その中に一番傍に居て欲しかった人間が居ない現実が、堪らなく悔しくて、悲しい。 けれどそんな心境を知る由もない、傍に居てくれる誰かが、自分の手を取って、何か話す。 けれど音は、少しづつ擦れて、まるで水の中に居る様な、そんな感覚で......薄れていく感覚は、だんだんと、その体温を奪う様に冷たくなって...... 夢の中にしては、あまりにもその生な感覚と心境が、僕をどうしょうもない程に、理解させた。 あぁ......そうか...... ほんとうに死ぬ間際というのは、こういうモノなのか...... 不死身の異人である僕は、幾度となく殺されはしたけれど、死ぬことは出来ない僕が、恐らく今のままでは一生、こんな一生が続く限りは永遠に、縁がない様な、そんな感覚。 重苦しさと、熱さと、悔しさと、怖さと、冷たさと...... そんなモノ達がまるで、渦を巻いて一つの化け物に姿を変えて、自分のことを食い荒らしている様な...... そんな感覚だった。 朝、目が覚めると、見知らぬ天井に視線を向ける。 布団から身体を起こして、正面に視線を向けると、もう身支度を整え終えた若桐の姿が、そこにはあった。 布団から身体を起こした僕に気が付き、彼女は言う。「あぁ、おはようございます。荒木さん」「......」「荒木......さん......?」 そう言いながら、俯く僕の顔を覗き込む彼女を、僕は何も言わずに、静かに抱き寄せた。「えっ、どうしたんですか......」「......」「......荒木さん、震えてますよ......?」「あぁ......大丈夫......大丈夫だよ......」「えぇ......あ