流石に朝起きたままの格好で、みなとみらいのオシャレなパンケーキ屋に行くわけにはいかないということになったので、各々一度家に戻り、シャワーを浴びて、再び大学から一番近い駅に集合することになった。
しかしまぁ、急転直下とは、まさしく今日のような日を言うのだろう。
朝目覚めたら、入った覚えのない大学の教室で、見知らぬ少女とおっさんが居て、そして人間であるはずの僕は、異人とかいう化け物になっていて......
まったく、一夜にして色々なことが起き過ぎている。
女子とパンケーキ屋に行くという、今までにないことを経験できると考えれば、この状況も案外そこまで悪くないのかもしれないけれど、それでも流石に、『もう君は人間ではない』と、そんな風に言われるこの状況は、明らかに異常な筈である。
そう、異常なのだ。
それなのに......
「どうして僕は、こんなにも落ち着いているのだろう......」
ポツリと、シャワーを浴び終えた僕は問い掛ける。
しかしそれに応える声は、なにもない。
当たり前だ。
だって完全に、それは僕が一人だけの空間で言い放ったモノなのだから。
いわゆる自問自答。
端的に言えば『独り言』
身支度をしながら、僕は考える。
昨日の状況を聞いてみても、僕に落ち度があるようには思えなかった。
強いて言うなら、夜中に大学の敷地内に入ったくらいで、それ以外は何もない。
何もないのに、殺された。
要はそういうことだ。
今の僕はココに居るけれど、人間としての僕は、あまりにも理不尽な形でこの世を去ったらしい。
それなのに......
それなのにどうして僕は、それをなんとなく、納得してしまっているのだろうか......
納得して、受け入れて、理解しようとしているのだろうか......
わからない。
どんなに考えてみても、それに的確な答えを出すことは出来なかった。
っというよりも、最初から出せるわけがなかった。
だって今の僕は、自分が殺されたことも、自分が一度死んだことも、自分が人間ではなくなったことも、自分が異人という化け物になったことさえも、それら何一つに、実感が持てないでいるのだから。
そんな状態で、答えなんて出せるわけがないだろう。
「考えるだけ、時間の無駄だな......」
そんな風に、身支度を一通り終えた僕は、また独り言を呟いて外に出る。
そして外に出て、待ち合わせの駅に向かって歩くとき、不意に快晴である青空を見上げて、何故だか僕はこう思った。
なんだか、気持ち悪い天気だな......
待ち合わせ場所に着いたとき、既に彼女はそこに居た。しかしその時の彼女の姿は、出会ったときのような寒々しい薄着の格好でもなければ、一緒にコンビニに行った時のようなラフな格好でもない。
彼女の華奢な細身のスタイルが、それでいて、たぶん女の子の中ではそれなりに高いのであろう彼女の身長が、春を少しばかり通り過ぎた今の季節に着るような、いわば普通に可愛く、普通に美人な、女子大生の春ファッションを着こなしていたのだ。
しかしそれを、彼女が着こなせば。
人間ではない彼女が着れば、その洋服もまた、人間味を無くしてしまう。
人間味を無くして、通常性を無くして、異常なまでの綺麗さを、異常なまでの美しさを、その洋服に与えてしまう。
そう思えるほどに、駅前で佇む彼女の姿は、目立っていたのだ。
「ごめん、待たせた」
声に気付いた彼女は、携帯電話から視線を僕に移して、一言
「おそい」
ごめんって......
電車で数駅ほど乗って、みなとみらい駅に到着する。
異常なまでの近い距離に、こんな観光地があることに、変な気分になってしまう。
実家のある九州は、都会の人から見ればそれなりの観光地なんだろうけれど、それが常に近い所にある感覚はなかった。
むしろそういうモノは、物理的な距離は近くても、精神的な距離は遠かったのだ。
だからかもしれない。
僕は少しだけ、ワクワクしていた。
「それで琴音さん、そのお店の場所って一体......?」
少しだけ気を引きながら名前を呼んで、ついでに店の場所も聞く。
しかしそれらは、案外雑に返された。
「いや、私も昼間にここに来るのは初めてで......あっ、ちょっとまってね......」
そう言いながら彼女は、再び携帯電話を取り出して、地図アプリで場所を検索する。
なんだろう、普通こういうことは、男である僕がやるべきなのだろうか......
しかし馴染みのない場所で慣れていない事をすれば、琴音さんに迷惑を掛けてしまうかもしれない、けれど普通に考えて、全て彼女に任せっきりなのもどうなのだろう......
んー......わからん......
「あーここら辺か、よしわかった」
そんなことを僕が考えている間に、どうやら琴音さんの方は道が分かったようだ。
「おーい誠、道わかったから行くよ~」
「えっ......あ、うん......」
戸惑いながら、考えをまとめられないでいる僕は、彼女の後ろを付いていく。
それがどれだけ異常なことなのかを、知る由もない状態で......
その話は唐突だった。みなとみらいの海沿いを歩きながら、唐突にそういう話になった。
もし周りの人が聞いていたら、きっと変に思うだろうに、彼女はそういうことを一切考えず、一切考慮せず、ついでに言えば、その話題になる前に、何かしらの前置きだとか予兆があったわけでも決してなく、彼女は唐突に言い出したのだ。
「誠はさ、やっぱり人間に戻りたい?」
前を歩いていた彼女は、こちらを少しだけ振り向いて、僕にそう尋ねた。
「えっ......」
それに対して僕は、どう言葉を返せば良いのか、わからなかった。
でもその時の彼女に、テキトウな言葉を返してはいけないと、それだけはなんとなく、わかった気がした。
だから僕は、自分の今の心境を、そのまま彼女に伝えた。
「......正直、わからない......」
その僕の視線を逸らした解答に対して、琴音さんは少し笑って言い返す。
「わからないってなんだよ。自分のことだろ?」
「......いや、そうなんだけど、なんか......」
「ん?」
「今だに実感が持てないんだ。自分がその『人間じゃなくなった』っていう......だから......」
言葉を迷いながら話している僕に、彼女は平然とした様子で言葉を返す。
「誠の場合は『異人』になったっていうよりも、
そう言いながら、潮風に髪をなびかせて、彼女は僕を見ていた。
そしてそんな彼女に対して、僕は訊いてしまう。
「こっち側って......?」
そして訊かれた彼女は、まるでそれが当たり前のことの様に、平然と言い切る。
「決まっているでじょ、異人っていう化け物、私達のことだよ」
「......」
自分のことをそういう風に自覚しているからなのか、それともそれが当たり前だからなのか、もしくはその両方か......
とにかく彼女は、このとき悲観的な表情でもなければ、化け物じみた表情でもなくて、ただの、本当にただの女子大生だったのだ。
もしかしたら『異端の存在』というのは、案外こんな感じなのだろう......
このときの彼女を見て、僕はそう思った。
そして少し間を置いて、彼女はまた言葉を続ける。
「まぁでも、誠は人間に戻れるから、大丈夫だよ」
「えっ、そうなの?」
そう尋ねた僕の表情は一体どのようなモノだったのだろうか、安堵していたのだろうか、それとも残念そうにしていたのだろか......
自分ではどうしても、わからないモノである。
けれど尋ねた僕の言葉に対して、彼女は少し笑ってこう言った。
「あぁ、保障するよ」
そしてその言葉を最後に、彼女はまた振り返って、目的地であるパンケーキ屋を目指して再び、歩き始めたのだ。
目的地到着生クリームがこれでもかという程に盛られたパンケーキを見て、目の前に座る吸血鬼は瞳を輝かせて、それの写真を何枚か撮った後に、満足そうな表情で食べていた。
なんだかこうしていると、本当に何度も思うのだけれど......
本当に何度もそう見えてしまうのだけれど......
やはり普通の女の子に、見えてしまうのだ。
それこそ、彼女が吸血鬼だということも、彼女が好んで飲む筈の人間の血のような......
それら自体が真っ赤な嘘だと思えてしまう。
そう思えるほどに、今すごい勢いでパンケーキを食べている彼女は、どこにでもいるような女子大生、そのものなのだ。
しかし、そんな彼女とは裏腹に、僕はというと......
「なぁ、誠は本当に食べなくて良かったの?」
ほんとうに、どうしたものだろうか......
「あぁ、今はそんなにお腹は空いていないんだ......」
そう言いながら、僕は自分が頼んだコーヒーを口に含む。
なんだろう......
今僕が空腹ではないということは、たしかに紛れもない事実なんだけれど、しかしそれ以上に、どうしても嫌悪してしまう。
別に甘いモノが嫌いなわけでも、特別に生クリームがダメなわけでもない筈なのに......
それなのになぜか、このお店に入った途端に、
これでは少し、お店に申し訳ない気がしてしまう。
しかしそんな僕を気にもせず、目の前の彼女はそれを、とても美味しそうに食べて、幸せそうな顔をしている。
そんな彼女の表情が、あまりにも絵に描いた様なそれだったのだで、僕はつい一言、彼女に言った。
「ほんとうに好きなんだな......」
「いいや、そうでもないよ」
「えっ......」
思っていた言葉とは違う言葉が返ってきたので、僕は少し困惑してしまう。
しかし彼女は、そのまま話を続ける。
「いつもよりは美味しそうに見えるだけで、味は凄く美味しいって程、感じられない」
「感じられないって......どういうこと?」
「んーなんて言えばいいのかな.....」
少し考える彼女は、パンケーキを切る手を止めて、僕の方をしっかり見据えて、説明する。
「私は今、誠に異人性を半分渡して、逆に誠から半分、人間性を吸い取っている状態で......だから私と誠は、今は半分人間で、半分は異人の、不安定な状態で生きている」
「あぁ、それはさっき、あの相模さんっていう専門家が言ってたよね......」
その名前を出すと、彼女は少しだけ嫌そうな表情をする。
どんだけ嫌いなんだよ......
「うん、だからさ......」
その後に続いた彼女の言葉で、僕は少しだけ怖くなった。
しかし怖くなったのは、吸血鬼としての彼女に対してでもなければ、専門家である相模さんに対してでもでない。
「普段の、完全な吸血鬼の異人の私だったら、きっと
確実に半分だけ、異人に成り代わっている、僕自身に対してだ。
琴音さんから話されたことをまとめると、こういうことだ。普段の完全な、吸血鬼の異人である琴音さんは、そもそも人間が食べるような食事ができない。
人間が甘いと感じるモノや苦いと感じるモノ、もっと簡単に言ってしまえば、美味しいと感じられるモノや不味いと感じられるモノ。
それら全てが、普段の吸血鬼の異人である彼女にとっては、味や匂い以前に、
たとえるなら、人間は肉を食べるけれど、それは豚や鶏や牛が殆どで、それ以外のモノを、たとえ同じような肉だとしても、食べようとはしない。
まぁ、人間の場合は生まれ育った環境に影響されるところもあるけれど、それでも、たとえばペットとして飼っている犬や猫、さらには同じ人間を、肉ではあるのかもしれないけれど、食べようとは思わない。
それが彼女にとっての、『パンケーキ』なのだ。
食後の紅茶を飲みながら、彼女は少しだけ、ため息交じりに口を開く。
「人間が食べているから、それが食べ物であることは理解できる。知識としても、小麦粉から作った生地や、果物から作ったソース、牛乳を原料としている生クリームやバター。それらが人の手によって、美味しいケーキになることも、理解はできる。でも......」
そう言って、一拍置いて、彼女は僕を見据えて言う。
「でもそれを、普段の私はどうしても、
けれど今の彼女は、僕の人間性を半分吸い取って生きている。
そしてそれが、普段よりも半分ほど、彼女のことを人間らしくしているということで、だから今の彼女は、普段の彼女よりも、パンケーキを食べ物として認識して、食べることが出来るのだ。
それを話した直後の、僕を見据えていた彼女の視線は、人間離れしたモノになっていて、そしてそれを感じたから、僕は彼女に訊いてしまった。「......じゃあ」
「ん?」
「じゃあ普段の、吸血鬼の異人である琴音さんは、一体何を食べ物だと認識しているの?」
そう尋ねた僕の言葉は、あまりにも稚拙だった。っというよりも、『なんでこんな当たり前のことを訊いてしまったのだろう』と、そう後悔するべきことである。
だって返答は、言わずもがな、あまりにも当然な回答だったからだ。
「そんなの決まっているだろ?」
そう言いながら、彼女の口元には、到底人間のモノとは思えない鋭い牙が、存在していた。
初めて正面で彼女のことを見据えたから、それは僕の視界に入ったのだろう。
けれど彼女は、そんなことは一切気にせずに、そのまま続きを僕に話す。
「人間の血だよ」
そしてそれはあまりにも、当然な回答だったのだ。
「けれどそれは逆に、誠にも当てはまることなんだよ?」そう言いながら、彼女は口元を少しだけ緩ませる。
その彼女の表情は、僕があまりにも見事に、その事実に気付いていないから、それを嘲笑していたのだ。
そして本当に気付いていない僕は、間抜けにもその彼女に尋ねてしまう。
「......それは、どういう意味......?」
「言ったでしょ?今の私は半分ほど、誠から吸い取った人間性を持っている。でもそれは、逆に言えば今の誠は、半分ほど人間性を失って、その代わりにその半分を、私から流し込んだ異人性で、補って生きているんだよ。だからきっと、いつもよりも、普段食べている人間の食事に、食欲を刺激されなかったんじゃないの?」
そう言われて、今までのことに少しだけ、納得した。
あぁ、そうか......
だからだったんだ......
だから僕は、朝食に買ったサンドイッチも、彼女が食べていたパンケーキも、そこまで食べたいと思えなかったんだ。たしかにそれなら、納得できる。
しかしそれだと、今度は別のことが気になるのだ。
いや、問題定義の括りとしては、もしかしたら一緒なのかもしれないけれど、それでもまだ、感覚的には人間側であるはずの僕は、やはりそれを別問題として捉えるべきである。
だから僕は、それを少しだけ、今までよりも丁寧な声色で質問した。
「じゃあ、もしかしたら今の僕は、人間の血を吸いたいと、そんな風に思ってしまうのか......?」
その僕の言葉は、もしかしたらそれを当たり前として生きてきた、彼女の生き方そのものを侮辱してしまう様な、そんな風な声に聞こえたかもしれない。
それを怖がって訊いてしまっている時点で、彼女にそう受け取られていても仕方ない。
しかしきっと、僕がそれに予め気付いていたとしても、僕は彼女に、こんな風に尋ねたのだろう。
けれど尋ねられた彼女は、そんな僕とは対照的に、あっけらかんとした声で言う。
「安心してよ、そんなわけないから」
「......ほんとうに?」
「ほんとうだよ。そもそも私も、普段から人間の生き血を吸って生きているわけじゃない。あの顔面詐欺の専門家に頼んで、専用の血液パックを送って貰って、それで補給してるの」
専用の血液パックって......
「えっ、そんなのがあるの?」
「そうだよ。それで補給して、吸血衝動を緩和する。そうしないと、私みたいな吸血鬼の異人なんて、こんな普通に暮らせないでしょ?」
そう言って、彼女はもう一度紅茶を口にする。
そしてその時の彼女の口元には、あの人間離れした吸血鬼の牙は、見事に姿を隠していて、まるでそうすることに、彼女自身が慣れている様な、そんな風に、僕には見えたのだ。
コンビニを後にして数分......いや、そんなに時間が経っていない筈なので、どんなに多く見積もったとしても、時間は数十秒といったところだろう。 僕から一方的ではあるけれど、友人とひとしきり、他愛ない話をして買い物を済ませてから、たったほんの数十秒歩いただけの帰り道...... だからまぁ、予想しようと思えば出来たは筈で、むしろこの場合、こんなことを言ってしまう僕の方がおかしいのかもしれないと、そんな風にも思ってしまう。 しかしながらそれでも......「あのさ......」 まさかまだ、変わらずにそれを携えて居るとは、まだ家に帰らずに、よりにもよって僕の帰り道に居るとは...... そんなこと、思わないじゃないか......「あら、偶然ね......」 そう言いながら、手元の包丁をこちらに見せて、しかしながら彼女自身はそれを全くと言っていい程に、それこそ、その鋭利な凶器すらも自分の身体の一部の様な扱いをしている。 だからきっと僕が、彼女が持つそれに対して多少なりとも気遣いをしたとしても、彼女はそれを、そのことをまったく、気にしない。 気にせずにまっすぐと、こちらを見据えて来る。「......」 何も話さず、何も喋らず、ただまっすぐと......「......」 さっき会ったばかりの、剝き出しの包丁を携えている女の子に見つめられていると、たとえその子の容姿が、一般的にとても綺麗な部類だとしても、その姿は恐怖の対象でしかない。 だから僕は、平然を装いながらも強引に、話を進めたのだ。「それで......こんな所で何してるんだよ?」 もしもこの言葉が、見知らぬ女の子に対してのモノだったら、まるで僕がナンパでもしている様に捉えられてしまうかもしれないが、しかし包丁を手に持っている彼女に対してなら、そんなことはないだろう。 そもそも、その話しかけた女の子が、さっき初めて知り合った女の子なのだから、そういう意味では、
殺人鬼...... 僕はこの言葉の意味を、もういつだったかも、どうしてだったかも忘れてしまったけれど、辞書か何かで調べたことがあって、そしてそこには、『むやみに人を殺す鬼のような悪人』と、書かれていたのだ。 まぁ人間の社会では、殺人というモノが最も重く、最も罪深い行為として認識されている以上、それをむやみに行うような輩は、鬼のような悪人と例えられても、そう言われたとしても、仕方がないのだろう。 人は殺せば息絶える...... そんな当たり前の現象が存在する以上、殺人と言われる罪がなくなることは、決してないのだろう。 しかしながらあくまで、それは『鬼のような悪人』と書かれていたのだ。 それはつまり、殺人鬼という言葉が、その殺人という行為をむやみに行う輩が、鬼のようなその輩が、あくまで人間であるという定義の上で、この言葉は成り立っているということになる。 まぁ、それもそうだろう...... 考えなくても当たり前のことだ。 今ここでこんなことを語っている世界には、人間以上に知識が発達した生き物は存在しないのだから、そんな生き物である人間は、逆に言えば、この世界で『罪』を犯すことができる、唯一の生き物なのだ。 しかしそうなると今度は、そもそも『罪』というモノが何なのかという話にもなってしまう。 もしもそれらが、善と悪の隔たりを決めることが出来る人間が、自らを戒めるために作った様なモノだとしたら...... 果たしてそれらは、明らかに人間とは特異的な違いを持つ者に対しても、当てはまるのだろうか...... 自らのその行為を罪と捉えることが、果たして出来るのだろうか...... あぁ、ダメだ...... こういう言い方をしてしまうと、自らの行いを罪だと自覚できる生き物は、後にも先にも人間だけだという話に、行き着いてしまう。 行き着いて、収束してしまう。 ゴールデンウィークの、急転直下な、あの黄金色の数日間を経て、人間とは程遠い『不死身』という体質になってしまった僕にとって、そういう収束の仕方はあまりにも、都合が悪い。 だからきっと...... これからするこの御話は、そういう都合が悪いモノを捻じ曲げて、引き裂いて、流血を流しに流して、殺されながら前に進む。 痛くて、苦しくて、重くて、辛い...... むせかえる程に酷い血まみ
この場所は、あまりにも寒かった。 時刻はとっくに、深夜を通り過ぎて朝日が昇る手前の時間だ。 これは相模さんからのアドバイスである。『家に帰り、夕食を済ませたら、布団で寝て、そして朝日が昇る直前に、それを持って、この場所に行けばいい、そうすれば君は、彼女に会える。そして彼女に会って、それを使って、君が決めたことを、やればいいさ』 そう言いながら渡された、新聞紙に包まれた物と一緒に渡された小さな紙切れには、ある場所が記されていた。 こんな所に、こんな時間に、女の子が一人で居るのは、それはあまりにもおかしなことだと、普通では考えられないことだと、そう思った。 けれど...... もしもその女の子が『吸血鬼の異人』という存在ならば、きっとそれは異常なまでに、正常な光景なのだろう。 月の姿は見えなくとも、空の冷たい空気と、彼女の姿があまりにも、それがあまりにも、似合い過ぎているのだから...... だからきっと、今彼女はこの場所に居て、然るべきなのかもしれない。 そう思いながら、階段を登り終えた先に視線を移すと、やはり彼女はそこに、風を感じるようにして立って居た。 そして僕は、そんな彼女に声を掛けた。「琴音さん、こんな所で何をしているの?」 その僕の声に気付いた彼女は、振り返り、少し驚いた表情をした後に、言葉を紡ぐ。「なんで......なんで君が、ココに居るの......?」「そんなの、決まっているでしょ?琴音さんを探しに来たんだよ......だからさ......」 そう言いながら、僕は彼女に一歩近づく。 しかしそうすると、彼女は二歩程退いて、僕が近づくことすら拒む。「ダメだよ......来ないで......」「どうして......?」「どうしてって......もう知っているでしょ?私は、人を殺したんだよ......」「うん、知っているよ......僕を刺した通り魔を、あの場で、殺したんでしょ?」 そう僕が言うと、彼女はまた二歩程後ろに退いて、そして僕とは視線を合わせずに、弱々しい声で言う。「そうだよ......殺したんだよ......今まではちゃんと、上手くやっていたのに、それなのに、それなのに私は、あの一瞬だけはどうしても......どうしても抑えられなかった......」「それはどうして......?」「......わ
相模さんが僕に手渡した紙切れは、新聞紙だった。 そしてそれが新聞紙であるならば、おのずとそれには、必然的に記事の内容が書かれていたのだ。 もっとも、このとき相模さんが僕に手渡した紙切れが、本当にただの、何も書かれていない白紙の新聞紙なら話は別だが、しかしそこには、見出しであるのだろう、色彩に富んだ大きな文字で、こう書かれていたのだ。『横浜の夜、吸血鬼あらわる!!連続通り魔を殺害か!?』 その紙切れを見て、そして相模さんの言葉を訊いて、僕は数秒、おそらく本当の意味で、息を吞んだ。「これって......」 そう言いながら、言葉を失う僕に向けて、相模さんは淡々とした口調で言葉を紡いで、僕に事の顛末を説明してくれた。 あのあと、僕が殺された直後に、相手の通り魔の男性は首を吹き飛ばされてしまったらしい、しかしそれを見た周囲の人間は、あまりにも起きたことが異端すぎて、あまりもその光景が異常過ぎていて、まるでそれが、映画か何かの撮影だと思い込んだ人間の方が多くて、すぐに警察や救急車を呼ぶことを判断できた者は、ほとんど居なかったらしいのだ。 しかしそれでも、誰が見ても明らかな首無し死体と、不意を突かれて刺された僕の醜態と、通り魔の首を吹き飛ばした吸血鬼の異人である琴音さんが、その場にそんなモノが三つも居れば、それこそ必然的に、その場はパニックの中心になり果てる。 そしてその場がパニックになった直後、琴音さんはその場から、人間では考えられないような身体能力を駆使して、姿を消したのだ。 そしてその結果が、この新聞記事である。 昨日のことを一通り話した相模さんは、その口調のまま僕に言う。「琴音ちゃんの状態は、謂わばバランスを保っていて、どちらにも倒れない天秤のような状態だった」「天秤......ですか......」「あぁ......片方には君から吸い取った人間性、そしてもう片方には、元からあった、吸血鬼の異人としての異人性だ。けれど君が刺されて殺された現場を、一番近くで目撃した彼女は、そのときの君の血液を、一番近くで目の当たりにした彼女は、彼女の中にあったその半分の吸血鬼の異人性を、一気に膨れ上がらせて、暴走したんだ」「......」 無言で俯いている僕は、そのときの彼の言葉でようやく、相模さんが言っていた、『自覚的であるべきだ』という言葉の意味を、言
矛盾が生じてしまう恐れがあるので、予め言っておくと、僕は彼女のことを、とても綺麗で特別な存在だと、それは間違いなく、今でも思っているのだけれど...... なんだろう、それはなんとなく、そう理解しているに過ぎないのだ。 欲求だとか、下心だとか、色気だとか、そういうモノをまだ、微かになんとなく感じることが出来る筈なのに...... それなのに、ただ綺麗なモノを、綺麗だなって...... 僕は彼女に対して、そういう風な気持ちにしか、ならないのだ。「ねぇ......」「えっ?」 考え込んでいたところに、不意に声を掛けられたから、一瞬だけ思考が鈍くなる。「誠、私に話があるって言ってたでしょ?何の話?」「あぁ、うん......」 一拍置いて、少しだけ言葉を考えて、話し出す。「昨日さ、あのあと相模さんに会ったんだ......」「えっ、アイツに会ってたの?」 そう言いながら、彼女の視線は厳しく、冷たく、鋭さを増す。「あっ......」 言葉選び大失敗。 彼女にとっては、名前を出すべきではない人の名前を、僕は真っ先に言ってしまったのだから...... しかしこの話は、やはりあの専門家である相模さんの名前を出さない事には始まらない。 だから僕は、その彼女の視線に臆せずに、そのまま話を続ける。「うん、昨日あの後の帰り道、偶然会って、そのあとファミレスで少しだけ話をしたんだ」「偶然?へぇーそれで?」 明らかに不機嫌な態度をとる彼女に、やはり僕はそのまま話を続ける。「うん、吸血鬼の異人がどういう存在で、そしてこれから先、琴音さんや僕が、どういう風になってしまう恐れがあるのかも、多分全部ではないけれど、粗方訊いたんだ」 そう言うと、彼女は少しだけ表情を真剣なそれにして、口を開く。「そう......それで、誠はそれを訊いて、怖くなっちゃったの?」 その彼女の言葉に、僕は何故か、とても素直に返事をした。「......うん、そうだね。怖くなった......」 そう言いながら、僕は彼女の視線を見つめる。 その見つめた視線に、彼女が合わせながら話してくれる。「そっか......そりゃそうだよね......」「うん......まだ全然、自分が人間ではなくなったなんてこと、ちゃんと自覚はしていないけれど、でも......それでも緩やかに、けれ
「......でも、琴音さんは別に、人間を襲うわけじゃないんでしょ?」 そう言った僕の声は、自分でも驚く程に小さくて、弱々しかった。 まるで、さっき相模さんが言ったようなことに、彼女が含まれていないことを確認するような言葉を選んでいて、それでいて声は明らかに、僕自身が言った台詞が、相模さんに肯定されることを願っているような...... 何かに縋っているような、そういう物言いを、僕はしていたのだ。 しかしそんな僕の気持ちとは裏腹に、相模さんはそれを、真っ向から否定する。「いいや、それは彼女も例外ではないよ。少なくとも吸血鬼の異人である彼女にとって、人間は