LOGIN大学からほど近い、『目の前』と表現するのが妥当なくらいの立地で存在するこのコンビニは、朝から夜まで休みなく、閉店することなく、二十四時間営業し続けているようだった。
まぁ、こんな目の前に大学があるのなら、昼も夜も、それこそ丑三つ時の様な夜中も、学生をはじめとする多くの人が利用するのだろう。
そんな誰もが利用するコンビニで、僕はサンドイッチを二個と、ペットボトルの飲み物を二本買って、店の外に出た。
外に出ると、流石にあの薄着の格好ではない、その上から白い大きめのパーカーを、ワンピースのように着ている女の子。
あの綺麗な深紅髪の、得体の知れない女の子。
『佐柳』と呼ばれていた少女が、待っていたのだ
「あの......」
「......」
店の窓に貼られている、『バイト募集』のチラシを見ながら。
「佐柳さん?」
「えっ......?あぁごめんごめん。ありがとね、買って来てくれて......」
「あぁ、うん。それはいいんだけどさ......」
「ん?」
そのあとに続く言葉を、続ける筈だった言葉を、僕は少しだけ考えて、飲み込んだ。
「......いや、やっぱいい......」
そう言いながら僕は、足を前に動かした。
そしてそうすると、何かを言い掛けてやめた僕のことを不思議そうに見ながら、彼女は僕の横を歩く。
僕はそれを、なるべく気にしないようにしていた。
彼女が一体、どういう存在なのか......
その時はそういうことを、なんとなく、今は本人に聞いてはいけないように思えたのだ。
「やぁ遅かったね。待ちくたびれたよ~」
そう言いながら、『専門家』の男は机に座って、もう一つ別の机には、自分が買ってきたのであろう菓子パンと珈琲を置いていた。
どうやら僕等二人が買い出しから帰ってくるのを、彼は待っていたようだ。
しかしそんな彼を見て、少女は辛辣に言い放つ。
「別に、もう消えてくれててもよかったのに......」
その彼女の言葉に、男はまた、のらりとした口調で言葉を返す。
「まぁそう言うなよ、食事は皆でした方が楽しいじゃないか~」
そしてその言葉の最後に、男は僕の方を見て言った。
「君もそう思うだろ? 荒木 誠 君」
「えっ......」
男はたしかに、そう言った。
「ん?」
教えていないはずの僕の名前を、寸分の狂いもなく、躊躇いもなく、まるで初めから知っているように、僕にそう、呼びかけたのだ。
「なんで......僕の名前、知っているんですか?」
そう聞き返した僕の言葉には、その男はくらりとした口調で言葉を返す。
「あぁ、そうか。そりゃあそうだよね。昨日のあんな出来事、まともに覚えている筈がないか......」
そう言って、男は座っていた机から降りて、そして入り口で未だに立ったままの僕たちに向かって、手招きをしながら言う。
「まぁ、とりあえずこっちにおいでよ。食べながら話そう。昨日君に何が起きたのか、僕や佐柳ちゃんは一体何者なのか、全部教えてあげるよ」
そう言いながら、不敵に口元を緩ますその男の表情が、この時はなんだか妙に、化け物染みて見えたのだ。
『食事は皆でした方が楽しい』なんて言葉を、本当に信じていたわけではないけれど、それでも、こんなにも食べ物が喉を通らないといことも、予想していなかった。元々朝食は抜きがちな生活をしているとはいえ、それでも、自分が食べるために買ったサンドイッチくらいは、ちゃんと食べられると思っていた。
今は食事をはじめて三十分くらいだろうか......
未だに一つだけ、綺麗な手付かずのサンドイッチは、開けたフィルムのビニールの上で、倒れている。
ほんとうに、食欲がまるで湧かない......
「あんまり食が進まないかい?荒木君」
既に自分の菓子パンを平らげたその大人の大学生は、まるで僕の心の中を見透かしているような台詞を吐きながら、こちらを見る。
「えぇ、まぁ元々、朝食は抜きがちな生活をしていたので、多分そのせいだと思うんですけれど......」
「ハハッ、それはあまり良くないねぇ~。食事はちゃんとしないと、何処かで倒れてしまうかもよ?」
「それは......」
それは少し、大袈裟ではないのだろうか......
そういう風な言葉を言い掛けて、それでも、その言葉を飲み込む。
あながち、それが無いとも言い切れない。
なんたって今が、こんなわけのわからない状況に、なってしまっているのだから......
「そんなことよりも、説明してくれるんですよね。えっと......」
「あぁ、相模でいいよ。
「四十歳!?」
聞き間違いだろうか、耳を疑った。
僕と同い年ではないにしても、明らかに年齢は二十代だと思っていたからだ。
その男の言葉に唖然としている僕に、隣に座る少女が口添えをする。
「気を付けた方がいいよ。そいつの顔面はマジでそれだから......」
「それを君が言うのかい、吸血鬼なんてのは、不老の最たる例だろうに」男の言葉に、少女は睨みつけるようにして無言を返す。
っていうか......今、なんて言った......
「えっと......吸血鬼って......一体......?」
その俺の言葉に、男はまた、口元を薄く緩めた表情で、彼の目の前に座る少女を、視線で示して返答する。「彼女のことだよ」
その視線の先には、当たり前だけど、『佐柳』と呼ばれているその少女しかいない。
そしてそれを肯定するように、彼女は僕から、視線を逸らす。
その様子を見ながら、男は少し呆れたような表情をしながら、「やれやれ」と言いながら、さらに続けた。
「彼女はね、世にも恐ろしいあの吸血鬼の、体質と性質を兼ね備えた、異端の生き物なんだ」
「吸血鬼の......体質と性質......?」
そう言いながら、僕はその少女を見て、「人間とは、違うのか?」と訊いてしまう。
そしてそんな僕を見て、男は返答する。
「うん、人間じゃないよ。まぁ正確に言うなら、
「つまり、お化けとか、妖怪とか......」
『化け物とか』と言おうとして、それを僕は飲み込んだ。
なんだかその言葉は、今は言ってはいけないような気がしたからだ。
けれどそれを、多分この相模という男は、僕よりも理解している。
だから理解しているその男は、さらに話を続ける。
「でも一応、姿形は人間だからね。だから僕は、彼女のような存在を、
そう言いながら、男は自分の飲みかけのコーヒー牛乳を飲み干して、飲み干した後にこう言った。
「まぁでも、いわゆる
化け物じみた顔面を持つその人は、さっき僕が飲み込んだ言葉を、いとも簡単に吐き出したのだ。
言葉の後の、数秒の沈黙。気まずい以外の何者でもないけれど、そんな僕たちの様子を見ながら、相模さんはまたそれを、弄ぶような声色で話を続ける。
「それでだ。荒木 誠 君。そんな話をどうして、君なんかにしたかって話なんだけれど......あと昨日の夜、君に何が起きたかって、話なんだけれどさ」
「あぁ、はい......」
そうだった、そういえばそれを、僕は訊かなくてはいけなかったのだ。
僕の記憶から抜け落ちてしまっている、昨日の出来事を、僕はこの人から訊かなくてはいけなかった。
それのために、わざわざこんな形で、朝食を食べているのだから。
まぁそれでも、相変わらずサンドイッチは、残ったままだけれど......
「もし君が、僕や彼女とはまったく関係のない、普通の人間なら、わざわざこんな話なんかしないんだ。異端の存在ってさ、関わらなければ関わらない方が、言ってしまえば無関係のままで居た方が安全だし、安心だから」
「はぁ、まぁそれはそうですよね......」
あれ、でもこの言い方だと、なんだかおかしくないか......
「うん、けれどね、荒木君」
まるでその言い方だと、僕がもう......
「君はもう......」
普通の人間ではなくなってしまっている様な......
「
「えっ......」
呆気をとられてというか、思いもよらないというか......
とにかくこのとき、僕はこの男から、何を言われているのか理解が出来なかった。
けれど相模さんは、さらにそのまま話を続ける。
「結論から言ってしまえば、今の君はもう、普通の人間ではなくて、異端の存在である、いわゆる異人になったんだよ」
その言葉に対しても、僕はどう反応を示するべきなのか、わからなかった。
わからなかったけれど、それでも、何か言わなくてはいけないような、そうしないと、思いもよらないこんな展開に、全て飲み込まれてしまう様な、そんな気もしたのだ。
だから僕は、自分が理解をするために、確認をするために、口を開いた。
「えっと......つまり僕は、死んでいるって......ことですか?」
そしてその、僕が吐いた言葉に対して、わざとらしく少女が笑う。
笑いながら、もう一つの事実を、僕に突きつける。
「ハハハッ......そんなわけないじゃん、私が助けたんだから」
「助けたって......どういう意味......?」
「どういう意味も、こういう意味もない。助けるために、私は君を異人にした。そうしないと、
「......」
どうすればいいだろうか......
言語としては日本語を話している彼女の言葉を、文章を、僕はこのときまるで、理解ができなかった。
そしてそれを見かねてか、相模さんがまた言う。
「まぁとりあえず。何が起きたのか、順序立てて説明しようか。もっとも......その時の当事者は、君と彼女の二人だけだけれどね」
順序立てて説明された内容はこうだった。あの晩、僕が散歩のコースとして歩いていた道の頭上、正確に言えば、すぐ傍にあった大学施設の屋上に彼女は居たらしく、僕と同じように、夜の散歩をしていたらしい。
しかしそこで、彼女は踏み外した。
漫画のようにバナナの皮で足を滑らせたとかでは決してなく、ただ単に、足がもつれてしまった影響でそうなったらしい。
しかも彼女は、屋上の淵の部分、少し身を乗り出せば飛び降りれるような所を歩いていたそうだ。
基本、大学施設の屋上は立ち入りができないようにされている。
禁止されているとかではなく、そもそも立ち入ることが出来ないのである。
一般の生徒が施設の階数を行き来する時に使うエレベーターでは、システム上入れないようにされているからだ。
もちろん、階段で行こうとすれば、そもそも扉に厳重な鍵が施されているから、入れるわけがない。
しかしそれは、
それこそ彼女のように、吸血鬼の異人の体質で授かった身体能力を用いて、
そんな彼女が、足がもつれたことで踏み外し、落ちてしまった。
そして丁度その位置に、タイミング悪く、僕の頭部があったというわけだ。
さすがに......
さすがに華奢な女の子だとしても、高い所から重力加速度的に落下速度が増した状態で、人間の頭に落下物の一番固い部分(彼女の頭)がぶち当たれば、それはミサイルに直撃したようなモノで、しかもその相手が、体質的に普通の人間よりも頑丈な吸血鬼であれば、普通の人間である僕の方がダメージを負うのは当たり前だ。
アニメや漫画のように、空から美少女が降ってくるというシチュエーションは、とても危険極まりないのである。
それこそ致命的な、絶命を余儀なくするほどのダメージを負うことになるのだから...... だから僕は、もうこの時には
しかしそこまで説明されたところで、加害者である彼女の言い訳が入る。
「いや、流石にこんな、完全に私の不注意の事故で、何の関係もない人間を殺してしまうのは気が引けたんだよね......だから......」
だから彼女は、彼女が持つ、吸血鬼の性質である『吸血』を上手く利用して、僕の『血』ではなく、『人間性』を吸い取ったのだそうだ。
そしてその代わりに、彼女の中にある『異人性』を、半分ほど僕に与えた。
吸血鬼の体質の一種である『不死身』を、このときの僕は、半分ほど彼女から貰い受けた。
その影響で僕は今、半分は人間で、半分は異人という、専門家から見ればかなり不安定な状態で、生かされているということなのだ。
しかしここまで聞いて、ようやく僕は声を大にしてこう言える。
覚えていないだけで、僕が何かやらかしたから、こういうことになってしまったのかと危惧していたが、これなら問題なくこう言える。
たとえ相手が、華奢で可憐な吸血鬼だとしても、僕は言ってやる。
「って......完全にお前のせいじゃねえか!!!」
閑話休題「さて、そんなわけだから、君は今後、僕に管理されながら生活をするわけだけれど、いかんせん、僕もずっと君の傍に居てやれるわけではない。これでも色々と忙しくてね」
「はぁ......」
傍に居て欲しいとは思わなかったけれど、それでもこんな身体になったのだから、不安がないといえば嘘になる。
そうなると、このゴールデンウィーク期間中は、大人しくしていた方がいいのだろう。
そんな風に考えていると、相模さんは思いもよらないことを言い出す。
「そこでだ、しばらくの間、少なくともゴールデンウィークの間は、君等は常に行動を共にするようにしていて欲しい」
「えっ......」
反射的に出た自分の反応の後、僕は少し間を置いて、言葉の意味を確認する。
「行動を共にって、それは一体どういう意味ですか?」
「どういう意味も、こういう意味もない。言葉通りの意味だよ」
そう言った後、相模さんは僕と僕の隣に座る少女を見比べて、話を続ける。
「僕から見れば、君もそうだけど、佐柳ちゃんも十分に不安定な状態だ。何が起きるかわからないし、何が起きても不思議じゃない。だから君たちには、互いを管理し、監視し合って欲しいんだ。」
その相模さんの言葉に、少女は意外にも同意する。
「......私は別にそれでもいいよ......っていうか、こんな専門家じゃなければ誰でもいい」
「ひどいな~そんなに嫌うなんて~おじさん傷ついちゃうぞ~」
わざとらしくおどける相模さんに、少女は冷ややかな視線を送る。
こういうときって、第三者である僕は、何を言えばいいのだろうか......
あぁ、何も言わないのが正解なのか?
「......」
うん、多分なにも伝わらねえな......
そんな風に思っていると、特に傷付いた様子がない相模さんが、さらに話を進める。
「あぁでも、『常に行動を共にしろ』とは言ったけれど、本当にずっと一緒に居る必要もなくて、なんて言うのかな......外で遊んだり、家以外の場所で過ごしたりする時は、必ず君達二人で行動して欲しいって......まぁそういうことだから」
「はぁ、まぁそれは流石にわかってますけれど......」
そう言いながら僕は少しだけ視線を外して、言葉を続ける。
「僕は特に、このゴールデンウィークに予定を立てていないので、問題はありません。でも......」
その僕の言葉で、少女は何かを察したのか、口を開く。
「私だって、別に予定があるわけじゃないよ......っていうか、昼間の予定なんて立てられるわけがなかったし......」
そう言いながら、彼女は僕の方を見る。
その彼女の視線で、彼女が何を言いたいのか、なんとなくわかってしまう。
あぁそうか
だってその頃の彼女にとって、太陽は文字通りの天敵なのだから......
一通り話し終え、残っていたサンドイッチも何とかお腹の中に収めて、時刻は既に、午前十一時近くを指していた。「それじゃあ早速だけど、今日から二人で行動するように、僕は別件でしなくてはならない仕事があるから、またそのうちに顔を見せるよ」
そう言い残して、相模さんは僕と彼女を二人、空き教室に残して、何処かに行ってしまった。
っていうか、なんだこの状況......なんだこの状況!?
ただでさえ大学では友達がいないのに、いきなりこんな女子と二人きりにされて、一体どうしろっていうんだ。
何を話せばいい?
何か話題は??
そんな風に、たぶん傍から見ればしょうもないこと(いや、僕にとっては一大事なんだけれど)に頭を巡らせている僕に向けて、少女はポツリと言う。
「あのさ......とりあえず、ここ出た方がいいよね?」
思いもよらない彼女の何気ない一言が、僕の思考を一瞬止める。
「へ?」
そして僕がそんな反応をしたから、彼女は驚いた様子で聞き返す。
「えっ?」
束の間の沈黙、ようやく思考が、再び動く。
「......うん、そうだね。そうしようか......」
僕、こんなに女の子と話せなかったっけ......
外に出た後、とりあえずどうすればいいいのか、今日一日をどう行動するべきか分からなかったから、それを彼女に尋ねようと試みる。「あの、佐柳さん......」
「琴音」
「えっ?」
「佐柳って名字、好きじゃないんだ。呼ばれるのも書くのも言うのも嫌い。だから下の名前で呼んでくれる?私も君のこと、誠って呼ぶから」
oh......
再び止まりかける思考よ、耐えてくれ......
「いや、いくらなんでもそれは、距離の詰め方がおかしくない?」
「そう?大学生って、皆そんなもんじゃない?」
皆そんなもんなの!?
友達居ねぇからわからねぇよ!!
「まさか誠、友達いないの?」
「......ちがう、作らないだけだ......」
「作れないの間違いでしょ?」
「......っ」
「あぁ、なんかごめん」
「謝られると、余計に辛いよ......」
「うん、ごめん......あっ......」
「今の絶対わざとだろ?」
「そんなことないよー、無意識だよー」
なるほど、どうやらこの吸血鬼は、無意識に人を殺せるようだ。
まぁ、今の僕はもう、人ではないらしいけれど......
そして、そんなしょうもないやり取りを終えた後、僕は再び、訊きたかったことを彼女に尋ねる。
「......それで今日はどうすればいいんだ?」
「どうすればって?」
「いや、僕は本当に今日は何も予定がないから、もし佐やn......」
「......」
一気に視線が怖くなるのは止めて欲しい......
「もし琴音さんが行きたい所とかあるなら、僕は付き合うけれど......」
そう言うと、琴音さんの表情は一気に明るくなった。
「えっ、マジで?」
表情豊かだな、この吸血鬼。
「マジで......っていうか、そうした方がいいって、あの人に言われてるし」
そう僕が言うと、彼女は携帯を取り出して、すぐさまSNSのアプリを開いて、そして何かを検索して、それを僕に見せた。
「じゃあ、ここ行きたい!」
「......」
その画面に映し出されていたのは、明らかに男が行くには場違いの、とても内装がオシャレな、パンケーキのお店だった。
どうやらこの吸血鬼は、いわゆる『イマドキの女子大生』らしい。
「...そうだろうな...きっと、柊ならもっと違った方法で、花影を救ってやれたのかもしれない...けれどさ、やっぱり言いにくいこともあるだろ?信頼しているからこそ、慕っているからこそ、花影にとってそれは、逆に言いにくいことだったんじゃないのかな...」 そう言いながら、僕は昨日の、あの花影の姿を思い出す。 あの狼の姿... そういえば、何かの講義...おそらく教養科目の文学だったかな... その講義で紹介された、あの有名な物語のワンフレーズ。 今思うとあれは、本当のことを言っていたのかもしれない。 だって花影の...あのときの花影の瞳は、たしかに綺麗な翡翠色をしていたように、そう思える。 しかしながら花影、それはハッキリ言って杞憂だよ... 今の僕には、どんなに親しくなろうとも、そんな風に誰かを想える気持ちは、花影のように誰かを想える気持ちは、この身体の影響なのかは知らないけれど、無いのだから。 だからこの、今僕の目の前で、黙り込んで座って居る彼女には、そして今、あのときの僕と同じように、病院のベッドの上で寝ている彼女には、とりあえずは第一に、身体よりも心のケアをして欲しいと、今は切に、そう思うのだ。 「いや~まさか本当に、全て俺が思い描いていた通りの結末になるとは思いもしなかったぜ~なんせこの目は、どんなに覗いても未来だけは、見えようがないからなぁ~」 そう言いながら下柳さんは、仕事場であるテントからは少し離れたところにある、飲み物を買うために向かった、設営されたステージが見える自販機の隣で、相変わらずの表情で、相変わらずの格好で、ピストルをクルクルと回していた。 しかしよく校内に入れたなぁ、この人... ピストル持っているのに... 「まぁでも、あの時は流石に、ビビりましたけどね...」 「あっ?あの時って...?」 「とぼけないで下さい。いくら夜だとはいえあんな住宅街ですることじゃないでしょう?まぁおかげで、花影も助かったんですけど...」 「あっ...なんだそのことか~なんだよ~まさか初めてか~?だったら悪かったなぁ~」 「思ってないでしょ...」 そう言いながら、心底、心の奥からため息をつく。 まったく...やはり異人の専門家という生き物には、今のところロクな者がいない。 そう思いながら、僕はあの夜、住宅街
「まったく...本当に馬鹿よね...」 昨日の事の顛末を聞いた柊は、そう僕に言いながら、何処かの屋台で購入したのであろう焼きそばに、舌鼓を打っていた。 そしてそんな彼女を見ながら、殺されたのは昨日の今日だけど、割と普通に動く身体を使いながら、僕は設営されたテントの下で、仕事をしていた。 ちなみに仕事内容は、来場者数の記録とパンフレットの配布 なので僕と柊は、休憩以外の数時間を、ほとんどこのテントの下で過ごして居るということになる。 まぁでも、休憩時間にはちゃっかりと、こうしてこの文化際を楽しんでいるのだ。 そして僕も、お昼ご飯として購入した焼きそばを食べながら、その彼女の言葉に応える。 「僕もそう思うよ...でもまぁ気持ちは、異人として生きて行かなければならないことを、それを強いられたことに対するアイツの気持ちは、なんとなく、わからなくもないんだよなぁ...」 そう言いながら、焼きそばを食べている僕を見て、また柊は言葉を返す。 「それがわかるのは、荒木君が結果的には沙織と同じ境遇で、それで今も異人であるからでしょう?けれど私は、そのことをとやかく言うわけではないのよ...」 「っというと...?」 「私が言いたいのは、どうして素直に、私を頼ってくれなかったのだろうって...あんな回りくどい事をしなくても、私は...」 そう言って俯きながら、柊の箸が止まる。 けれどもそんな彼女に、僕はそれこそ、わかり過ぎる程にわかるので、応えるのだ。
「だからさぁ、お前のしたことは、どういう理由があろうと、どういう意味があろうと、やってはいけないことなんだ。そんな自分の傷を他人に押し付けるような、そんなズルいこと...誰もしてはいけないし、するべきでもないんだ。だってそれは、紛れもなくお前のモノなんだから。その苦しさも、辛さも、見てられなさも、そんなモノも全部ひっくるめてお前なんだから。だから...」 そう言いながら、僕は一歩、花影に近づく。 「だからさぁ花影...もうこんなことはやめにしろよ。それでももし、誰かにそれをぶつけたくなったなら、そのときは僕にぶつけろよ。そのときは全部、暴言だろうが暴力だろうが、破壊だろうが殺戮だろうが、僕がお前のそれを、受け止めてやるさ」 そう言うと、目の前の、もはや狼と成り果てた彼女は、しかしその姿でもわかる程に、明らかな笑みを浮かべて... そしてこちらに飛びつく気満々に、足や腕、身体全体に力を溜める。 そして... 「へぇーそっかぁ...じゃあ先輩は、私のこの気持ちも、そして壊すことすらも、全部全部、たとえ死んでしまっても、受け止めてくれるんだぁー」 「あぁいいよ。僕でいいなら、僕なんかが役に立つなら、本望さ」 そう言いながら、僕はまるで彼女を受け止める様に両腕を広げる。 その姿を見た彼女はまた、ニヤリッと笑いながら言うのだ。 「そっかぁ...じゃあ...」 そしてその言葉の後に、次の言葉を彼女が言う瞬間、彼女は全部の溜めていた力を開放する。 「死んで」 そしてその言葉の後には、あの大きな、数々の現場に残されていた跡の、彼女の大きな爪が、僕の胸から上を全て薙ぎ払うようにして、放たれた。 そうされて意識が飛ぶ直前、僕の死体からは多量の鮮血が、講堂のあちこちにばらまかれるように、まき散らされて、目の前にある何もかもを、僕の血で汚して... そして月夜に、それは見事に、賢狼は事を成したのだ。
「それなら...わかりますよね...私の気持ちが、こんな姿に、何の前触れもなく成り果てて、もうどうしようもなくなって、それでも好きな人にはちゃんと見て欲しくて、でもその人は別の人と仲良さそうにしていて、それがたまらなく苦しくて、辛くて、見てられなくて、こんな馬鹿なことをしてしまう私の気持ち...あなたになら、わかりますよね?」 そんな風に言いながら、そんな姿に成りながら、それでも縋る様なその言葉に、僕は思いっきり、自分の言葉を彼女にぶつけた。 「わかるよ...わかる。自分がもう、どうしようもない者になってしまった後悔も、それをどうにかしたくてもどうにもならない歯痒さも、痛いほどよくわかる。けれどさぁ花影。そんなの、形や重さは人それぞれなんだろうけれど、みんなが抱えていて、当たり前のモノなんだ」 「当たり前...?」 その疑問符の言葉に対して、僕はさらに言葉を返す。 同じ異人の... 人とは決定的に違ったそれをもつ、そんな僕は、そんな彼女に言葉を紡ぐ。 「あぁ、僕達はこんな...こんなわけもわからない者になってしまったけれど、でもそれを赤の他人にわかってもらおうなんて、最初から無理な話なんだよ。たとえそれが、わかって欲しい大切な人だろうと、それを本当の意味で伝えることは、僕達にはできないんだ」 『できない』と、そう言いきった後に、何故だか僕は、泣きそうな気持ちになってしまう。 しかしそれでも、最後に僕は彼女のしたことを、ちゃんと叱らなければならないのだ。 一足早く異人になった僕には、それを言う義務がある。
そんな僕の言葉に、今度は彼女が鼻で笑いながら、言葉を返す。 「...うそばっかり...さっきはそんなこと、全然言っていなかったじゃないですか...はぁ、どうやら真面目に答えてはくれないようですね...まったく...困った人...それにたった数日交流しただけの人に、先輩面されたくはないモノです...」 「その言葉はブーメランだぜ、花影。僕もたった数日交流しただけの女の子に、後輩面されたくはないな...」 たとえそれが... 「たとえそれが...」 化け物だろうと... 「僕と同じ、異人であろうとさ...」 そう言われた瞬間、花影は不気味に短く、笑い出す。 「...フフッ」 そしてもう、全てを知られていることを悟ったのか、薄い赤渕の眼鏡をとって、そして明らかに、人ではない瞳に、人ではない姿に成り果てて、しかしそれでもハッキリと、柊のときとは違ってハッキリと、彼女の声で僕に言う。 「なーんだ、そういうことですか、荒木さん。あなたも私と同じで、壊れているんですね...」 そう言いながら、月灯りに照らされた彼女は、みるみるうちに狼の姿に姿を変えて、人を捨てていく。 そしてそれを見ながら、僕は自分が思っていたよりも穏やかな声で、彼女に対して言葉を紡ぐ。 「あぁ、そうかもな。僕ももう、お前と同じで人には戻れない様な、そんな者に、なったからさ...」
だからもう、僕はあの暗号には興味を持てないのだ。 たとえ次に、『さ』から始まるサークルが飛ばされて、『し』から始まるサークルが被害を受け、そこで『し』から始まる何かが壊されていようと... たとえ最後の現場で、例の満月カレンダーのような暗号が残されていて、そしてそれが今日の昼間に、全て塗りつぶされた、描かれ切ったそれが、壊された何かに貼られていようと... たとえその紙が、今回の文化際のパンフレットの最後ページの、僕と柊の名前が書かれているページの、コピーだと言われようと... それに十五夜の満月が描かれているということは、きっちりと十五番目まで、最後まで犯人が犯行を成功させたということを、意味していようと... そしてそれらを、全て花影がLINEで、僕と柊に教えてくれようと... もう、その暗号に対する興味も関心も... ついでに言えば、それを逐一LINEで伝える彼女の潔白性すらも... 既に失ってしまっているのだ。 「...なーんだ、もうそこまで、理解しているんですね...」 その彼女の言葉は、まるで取り繕うのをやめたような、それでいてもう、ただ単に話を前に進めたいだけの、そんなテキトウさすら感じてしまうような言葉に、僕は思えた。 「...」 「あれ...でも、じゃあいつから私が、犯人だと気付いていたんですか?」 この彼女の言葉に、僕はさっきまでの自分の言葉を、まるで何もかも忘れているような、そんなテキトウで、しかしながら適当な、そんな言葉で返す。 「最初から、なんとなくは気付いていたさ。僕はお前の先輩なんだぜ。だからお前が、どんなに面倒な手段を取ろうと、どんなに馬鹿げたことをしようと、見誤るわけがなだろう」 そんな僕の言葉に、今度は彼女が鼻で笑いながら、言葉を返す。