LOGIN大学からほど近い、『目の前』と表現するのが妥当なくらいの立地で存在するこのコンビニは、朝から夜まで休みなく、閉店することなく、二十四時間営業し続けているようだった。
まぁ、こんな目の前に大学があるのなら、昼も夜も、それこそ丑三つ時の様な夜中も、学生をはじめとする多くの人が利用するのだろう。
そんな誰もが利用するコンビニで、僕はサンドイッチを二個と、ペットボトルの飲み物を二本買って、店の外に出た。
外に出ると、流石にあの薄着の格好ではない、その上から白い大きめのパーカーを、ワンピースのように着ている女の子。
あの綺麗な深紅髪の、得体の知れない女の子。
『佐柳』と呼ばれていた少女が、待っていたのだ
「あの......」
「......」
店の窓に貼られている、『バイト募集』のチラシを見ながら。
「佐柳さん?」
「えっ......?あぁごめんごめん。ありがとね、買って来てくれて......」
「あぁ、うん。それはいいんだけどさ......」
「ん?」
そのあとに続く言葉を、続ける筈だった言葉を、僕は少しだけ考えて、飲み込んだ。
「......いや、やっぱいい......」
そう言いながら僕は、足を前に動かした。
そしてそうすると、何かを言い掛けてやめた僕のことを不思議そうに見ながら、彼女は僕の横を歩く。
僕はそれを、なるべく気にしないようにしていた。
彼女が一体、どういう存在なのか......
その時はそういうことを、なんとなく、今は本人に聞いてはいけないように思えたのだ。
「やぁ遅かったね。待ちくたびれたよ~」
そう言いながら、『専門家』の男は机に座って、もう一つ別の机には、自分が買ってきたのであろう菓子パンと珈琲を置いていた。
どうやら僕等二人が買い出しから帰ってくるのを、彼は待っていたようだ。
しかしそんな彼を見て、少女は辛辣に言い放つ。
「別に、もう消えてくれててもよかったのに......」
その彼女の言葉に、男はまた、のらりとした口調で言葉を返す。
「まぁそう言うなよ、食事は皆でした方が楽しいじゃないか~」
そしてその言葉の最後に、男は僕の方を見て言った。
「君もそう思うだろ? 荒木 誠 君」
「えっ......」
男はたしかに、そう言った。
「ん?」
教えていないはずの僕の名前を、寸分の狂いもなく、躊躇いもなく、まるで初めから知っているように、僕にそう、呼びかけたのだ。
「なんで......僕の名前、知っているんですか?」
そう聞き返した僕の言葉には、その男はくらりとした口調で言葉を返す。
「あぁ、そうか。そりゃあそうだよね。昨日のあんな出来事、まともに覚えている筈がないか......」
そう言って、男は座っていた机から降りて、そして入り口で未だに立ったままの僕たちに向かって、手招きをしながら言う。
「まぁ、とりあえずこっちにおいでよ。食べながら話そう。昨日君に何が起きたのか、僕や佐柳ちゃんは一体何者なのか、全部教えてあげるよ」
そう言いながら、不敵に口元を緩ますその男の表情が、この時はなんだか妙に、化け物染みて見えたのだ。
『食事は皆でした方が楽しい』なんて言葉を、本当に信じていたわけではないけれど、それでも、こんなにも食べ物が喉を通らないといことも、予想していなかった。元々朝食は抜きがちな生活をしているとはいえ、それでも、自分が食べるために買ったサンドイッチくらいは、ちゃんと食べられると思っていた。
今は食事をはじめて三十分くらいだろうか......
未だに一つだけ、綺麗な手付かずのサンドイッチは、開けたフィルムのビニールの上で、倒れている。
ほんとうに、食欲がまるで湧かない......
「あんまり食が進まないかい?荒木君」
既に自分の菓子パンを平らげたその大人の大学生は、まるで僕の心の中を見透かしているような台詞を吐きながら、こちらを見る。
「えぇ、まぁ元々、朝食は抜きがちな生活をしていたので、多分そのせいだと思うんですけれど......」
「ハハッ、それはあまり良くないねぇ~。食事はちゃんとしないと、何処かで倒れてしまうかもよ?」
「それは......」
それは少し、大袈裟ではないのだろうか......
そういう風な言葉を言い掛けて、それでも、その言葉を飲み込む。
あながち、それが無いとも言い切れない。
なんたって今が、こんなわけのわからない状況に、なってしまっているのだから......
「そんなことよりも、説明してくれるんですよね。えっと......」
「あぁ、相模でいいよ。
「四十歳!?」
聞き間違いだろうか、耳を疑った。
僕と同い年ではないにしても、明らかに年齢は二十代だと思っていたからだ。
その男の言葉に唖然としている僕に、隣に座る少女が口添えをする。
「気を付けた方がいいよ。そいつの顔面はマジでそれだから......」
「それを君が言うのかい、吸血鬼なんてのは、不老の最たる例だろうに」男の言葉に、少女は睨みつけるようにして無言を返す。
っていうか......今、なんて言った......
「えっと......吸血鬼って......一体......?」
その俺の言葉に、男はまた、口元を薄く緩めた表情で、彼の目の前に座る少女を、視線で示して返答する。「彼女のことだよ」
その視線の先には、当たり前だけど、『佐柳』と呼ばれているその少女しかいない。
そしてそれを肯定するように、彼女は僕から、視線を逸らす。
その様子を見ながら、男は少し呆れたような表情をしながら、「やれやれ」と言いながら、さらに続けた。
「彼女はね、世にも恐ろしいあの吸血鬼の、体質と性質を兼ね備えた、異端の生き物なんだ」
「吸血鬼の......体質と性質......?」
そう言いながら、僕はその少女を見て、「人間とは、違うのか?」と訊いてしまう。
そしてそんな僕を見て、男は返答する。
「うん、人間じゃないよ。まぁ正確に言うなら、
「つまり、お化けとか、妖怪とか......」
『化け物とか』と言おうとして、それを僕は飲み込んだ。
なんだかその言葉は、今は言ってはいけないような気がしたからだ。
けれどそれを、多分この相模という男は、僕よりも理解している。
だから理解しているその男は、さらに話を続ける。
「でも一応、姿形は人間だからね。だから僕は、彼女のような存在を、
そう言いながら、男は自分の飲みかけのコーヒー牛乳を飲み干して、飲み干した後にこう言った。
「まぁでも、いわゆる
化け物じみた顔面を持つその人は、さっき僕が飲み込んだ言葉を、いとも簡単に吐き出したのだ。
言葉の後の、数秒の沈黙。気まずい以外の何者でもないけれど、そんな僕たちの様子を見ながら、相模さんはまたそれを、弄ぶような声色で話を続ける。
「それでだ。荒木 誠 君。そんな話をどうして、君なんかにしたかって話なんだけれど......あと昨日の夜、君に何が起きたかって、話なんだけれどさ」
「あぁ、はい......」
そうだった、そういえばそれを、僕は訊かなくてはいけなかったのだ。
僕の記憶から抜け落ちてしまっている、昨日の出来事を、僕はこの人から訊かなくてはいけなかった。
それのために、わざわざこんな形で、朝食を食べているのだから。
まぁそれでも、相変わらずサンドイッチは、残ったままだけれど......
「もし君が、僕や彼女とはまったく関係のない、普通の人間なら、わざわざこんな話なんかしないんだ。異端の存在ってさ、関わらなければ関わらない方が、言ってしまえば無関係のままで居た方が安全だし、安心だから」
「はぁ、まぁそれはそうですよね......」
あれ、でもこの言い方だと、なんだかおかしくないか......
「うん、けれどね、荒木君」
まるでその言い方だと、僕がもう......
「君はもう......」
普通の人間ではなくなってしまっている様な......
「
「えっ......」
呆気をとられてというか、思いもよらないというか......
とにかくこのとき、僕はこの男から、何を言われているのか理解が出来なかった。
けれど相模さんは、さらにそのまま話を続ける。
「結論から言ってしまえば、今の君はもう、普通の人間ではなくて、異端の存在である、いわゆる異人になったんだよ」
その言葉に対しても、僕はどう反応を示するべきなのか、わからなかった。
わからなかったけれど、それでも、何か言わなくてはいけないような、そうしないと、思いもよらないこんな展開に、全て飲み込まれてしまう様な、そんな気もしたのだ。
だから僕は、自分が理解をするために、確認をするために、口を開いた。
「えっと......つまり僕は、死んでいるって......ことですか?」
そしてその、僕が吐いた言葉に対して、わざとらしく少女が笑う。
笑いながら、もう一つの事実を、僕に突きつける。
「ハハハッ......そんなわけないじゃん、私が助けたんだから」
「助けたって......どういう意味......?」
「どういう意味も、こういう意味もない。助けるために、私は君を異人にした。そうしないと、
「......」
どうすればいいだろうか......
言語としては日本語を話している彼女の言葉を、文章を、僕はこのときまるで、理解ができなかった。
そしてそれを見かねてか、相模さんがまた言う。
「まぁとりあえず。何が起きたのか、順序立てて説明しようか。もっとも......その時の当事者は、君と彼女の二人だけだけれどね」
順序立てて説明された内容はこうだった。あの晩、僕が散歩のコースとして歩いていた道の頭上、正確に言えば、すぐ傍にあった大学施設の屋上に彼女は居たらしく、僕と同じように、夜の散歩をしていたらしい。
しかしそこで、彼女は踏み外した。
漫画のようにバナナの皮で足を滑らせたとかでは決してなく、ただ単に、足がもつれてしまった影響でそうなったらしい。
しかも彼女は、屋上の淵の部分、少し身を乗り出せば飛び降りれるような所を歩いていたそうだ。
基本、大学施設の屋上は立ち入りができないようにされている。
禁止されているとかではなく、そもそも立ち入ることが出来ないのである。
一般の生徒が施設の階数を行き来する時に使うエレベーターでは、システム上入れないようにされているからだ。
もちろん、階段で行こうとすれば、そもそも扉に厳重な鍵が施されているから、入れるわけがない。
しかしそれは、
それこそ彼女のように、吸血鬼の異人の体質で授かった身体能力を用いて、
そんな彼女が、足がもつれたことで踏み外し、落ちてしまった。
そして丁度その位置に、タイミング悪く、僕の頭部があったというわけだ。
さすがに......
さすがに華奢な女の子だとしても、高い所から重力加速度的に落下速度が増した状態で、人間の頭に落下物の一番固い部分(彼女の頭)がぶち当たれば、それはミサイルに直撃したようなモノで、しかもその相手が、体質的に普通の人間よりも頑丈な吸血鬼であれば、普通の人間である僕の方がダメージを負うのは当たり前だ。
アニメや漫画のように、空から美少女が降ってくるというシチュエーションは、とても危険極まりないのである。
それこそ致命的な、絶命を余儀なくするほどのダメージを負うことになるのだから...... だから僕は、もうこの時には
しかしそこまで説明されたところで、加害者である彼女の言い訳が入る。
「いや、流石にこんな、完全に私の不注意の事故で、何の関係もない人間を殺してしまうのは気が引けたんだよね......だから......」
だから彼女は、彼女が持つ、吸血鬼の性質である『吸血』を上手く利用して、僕の『血』ではなく、『人間性』を吸い取ったのだそうだ。
そしてその代わりに、彼女の中にある『異人性』を、半分ほど僕に与えた。
吸血鬼の体質の一種である『不死身』を、このときの僕は、半分ほど彼女から貰い受けた。
その影響で僕は今、半分は人間で、半分は異人という、専門家から見ればかなり不安定な状態で、生かされているということなのだ。
しかしここまで聞いて、ようやく僕は声を大にしてこう言える。
覚えていないだけで、僕が何かやらかしたから、こういうことになってしまったのかと危惧していたが、これなら問題なくこう言える。
たとえ相手が、華奢で可憐な吸血鬼だとしても、僕は言ってやる。
「って......完全にお前のせいじゃねえか!!!」
閑話休題「さて、そんなわけだから、君は今後、僕に管理されながら生活をするわけだけれど、いかんせん、僕もずっと君の傍に居てやれるわけではない。これでも色々と忙しくてね」
「はぁ......」
傍に居て欲しいとは思わなかったけれど、それでもこんな身体になったのだから、不安がないといえば嘘になる。
そうなると、このゴールデンウィーク期間中は、大人しくしていた方がいいのだろう。
そんな風に考えていると、相模さんは思いもよらないことを言い出す。
「そこでだ、しばらくの間、少なくともゴールデンウィークの間は、君等は常に行動を共にするようにしていて欲しい」
「えっ......」
反射的に出た自分の反応の後、僕は少し間を置いて、言葉の意味を確認する。
「行動を共にって、それは一体どういう意味ですか?」
「どういう意味も、こういう意味もない。言葉通りの意味だよ」
そう言った後、相模さんは僕と僕の隣に座る少女を見比べて、話を続ける。
「僕から見れば、君もそうだけど、佐柳ちゃんも十分に不安定な状態だ。何が起きるかわからないし、何が起きても不思議じゃない。だから君たちには、互いを管理し、監視し合って欲しいんだ。」
その相模さんの言葉に、少女は意外にも同意する。
「......私は別にそれでもいいよ......っていうか、こんな専門家じゃなければ誰でもいい」
「ひどいな~そんなに嫌うなんて~おじさん傷ついちゃうぞ~」
わざとらしくおどける相模さんに、少女は冷ややかな視線を送る。
こういうときって、第三者である僕は、何を言えばいいのだろうか......
あぁ、何も言わないのが正解なのか?
「......」
うん、多分なにも伝わらねえな......
そんな風に思っていると、特に傷付いた様子がない相模さんが、さらに話を進める。
「あぁでも、『常に行動を共にしろ』とは言ったけれど、本当にずっと一緒に居る必要もなくて、なんて言うのかな......外で遊んだり、家以外の場所で過ごしたりする時は、必ず君達二人で行動して欲しいって......まぁそういうことだから」
「はぁ、まぁそれは流石にわかってますけれど......」
そう言いながら僕は少しだけ視線を外して、言葉を続ける。
「僕は特に、このゴールデンウィークに予定を立てていないので、問題はありません。でも......」
その僕の言葉で、少女は何かを察したのか、口を開く。
「私だって、別に予定があるわけじゃないよ......っていうか、昼間の予定なんて立てられるわけがなかったし......」
そう言いながら、彼女は僕の方を見る。
その彼女の視線で、彼女が何を言いたいのか、なんとなくわかってしまう。
あぁそうか
だってその頃の彼女にとって、太陽は文字通りの天敵なのだから......
一通り話し終え、残っていたサンドイッチも何とかお腹の中に収めて、時刻は既に、午前十一時近くを指していた。「それじゃあ早速だけど、今日から二人で行動するように、僕は別件でしなくてはならない仕事があるから、またそのうちに顔を見せるよ」
そう言い残して、相模さんは僕と彼女を二人、空き教室に残して、何処かに行ってしまった。
っていうか、なんだこの状況......なんだこの状況!?
ただでさえ大学では友達がいないのに、いきなりこんな女子と二人きりにされて、一体どうしろっていうんだ。
何を話せばいい?
何か話題は??
そんな風に、たぶん傍から見ればしょうもないこと(いや、僕にとっては一大事なんだけれど)に頭を巡らせている僕に向けて、少女はポツリと言う。
「あのさ......とりあえず、ここ出た方がいいよね?」
思いもよらない彼女の何気ない一言が、僕の思考を一瞬止める。
「へ?」
そして僕がそんな反応をしたから、彼女は驚いた様子で聞き返す。
「えっ?」
束の間の沈黙、ようやく思考が、再び動く。
「......うん、そうだね。そうしようか......」
僕、こんなに女の子と話せなかったっけ......
外に出た後、とりあえずどうすればいいいのか、今日一日をどう行動するべきか分からなかったから、それを彼女に尋ねようと試みる。「あの、佐柳さん......」
「琴音」
「えっ?」
「佐柳って名字、好きじゃないんだ。呼ばれるのも書くのも言うのも嫌い。だから下の名前で呼んでくれる?私も君のこと、誠って呼ぶから」
oh......
再び止まりかける思考よ、耐えてくれ......
「いや、いくらなんでもそれは、距離の詰め方がおかしくない?」
「そう?大学生って、皆そんなもんじゃない?」
皆そんなもんなの!?
友達居ねぇからわからねぇよ!!
「まさか誠、友達いないの?」
「......ちがう、作らないだけだ......」
「作れないの間違いでしょ?」
「......っ」
「あぁ、なんかごめん」
「謝られると、余計に辛いよ......」
「うん、ごめん......あっ......」
「今の絶対わざとだろ?」
「そんなことないよー、無意識だよー」
なるほど、どうやらこの吸血鬼は、無意識に人を殺せるようだ。
まぁ、今の僕はもう、人ではないらしいけれど......
そして、そんなしょうもないやり取りを終えた後、僕は再び、訊きたかったことを彼女に尋ねる。
「......それで今日はどうすればいいんだ?」
「どうすればって?」
「いや、僕は本当に今日は何も予定がないから、もし佐やn......」
「......」
一気に視線が怖くなるのは止めて欲しい......
「もし琴音さんが行きたい所とかあるなら、僕は付き合うけれど......」
そう言うと、琴音さんの表情は一気に明るくなった。
「えっ、マジで?」
表情豊かだな、この吸血鬼。
「マジで......っていうか、そうした方がいいって、あの人に言われてるし」
そう僕が言うと、彼女は携帯を取り出して、すぐさまSNSのアプリを開いて、そして何かを検索して、それを僕に見せた。
「じゃあ、ここ行きたい!」
「......」
その画面に映し出されていたのは、明らかに男が行くには場違いの、とても内装がオシャレな、パンケーキのお店だった。
どうやらこの吸血鬼は、いわゆる『イマドキの女子大生』らしい。
そんな風に、話しながらなんとなく歩いた先には、大学の近くでも見る様なコンビニが見えたので、朝食も食べていない僕達は、何も相談することはなく店内へと吸い込まれた。 そしてそれぞれ買い物をして数分後、そのコンビニから少しばかり歩いた先に置かれていたベンチに二人並んで腰掛けて、おにぎりとかサンドイッチとか、そういうモノを口にする。 口にしながら、柊は僕に言う。「荒木君って、男の子の割にはかなり食が細いわよね?そんな調子で大丈なの?」 その柊の台詞は、僕の手元にある小さなおにぎり向けられていた。 もっとも僕が、食べ物はそれぐらいしか購入していないから、そんな台詞が出たのだろう。 手元のおにぎりを平らげて、僕は言う。「男の割にって……そういう言い方は今のご時世的にはどうなんだ?まぁもともと太い方ではないけれど、この体質になってからは尚更かな……」「尚更って……不死身になったらさらに食が細くなるの?どういう理屈?」「どういう理屈なんだろうねぇ……相模さんは曰く、今の僕の身体は、全体の約八割が異人で、残り二割が人間という組成らしくて……そしてそれ故に、人間的な欲求が薄れているということらしい。だから食欲とかも昔よりさらに減少したっていう……まぁでも、この身体にそんな理屈が、どれほど当てはまるのかも、正直なところわからない」そう言い切って、購入していたお茶に口を付ける。流れ込む液体は、人間の時に感じていたモノと変わらない。食事ではないけれど、それに付随するからなのだろうか。コンビニ売られているペットボトル飲料の緑茶の味、そのモノである。 なのに、やはり、どうしても……人間の時に飲んでいたモノよりも幾分、美味しさを感じづらくなっているように思えるのだ。口を話して、僕は言葉を続ける。「まぁ僕の場合は、本来の異人とは違って、成り方が特殊らしいくてさ……なんて言うのかな、異人に成り果てた切っ掛けが、あまりにも直接的過ぎるって……」 そこまで話して、思い出したのは、やはり琴音のことだった。拳銃を突き付けた時の彼女の表情と、その後に落下した彼女を抱き止めた光景と、それと……「気持ち悪い顔しているわよ、荒木君。まるで初めてのキスでも思い出している様な顔をしているわ」 言いながら柊は、自分が食べていたサンドイッチの最後の一口を食べ終える。 そして僕は
それなりの時間を費やして歩いた先に見えた景色は、昨日と同様の海だった。 しかし早朝というだけあって、さすがに観光地とは言え、昨日程は人が居ない。 故に昨日よりも、海や砂浜が、幾分広く思えるのだ。 そんな景色を視界に映して、ゆったりとした歩幅で歩きながら、少しだけ前を歩く柊に、声を掛ける。「悪くないなぁ……散歩……」 そう言うと柊は、僕の方を振り向いて、言葉を返す。「そうでしょ。でも今日は特別よ、場所がいいわ」「あぁ、まぁそうだろうなぁ……横浜駅の辺りは散歩していても、こんな気持ちにはならないだろうし……」「えぇ……あんな所の早朝なんて、見るに堪えないから……」「……」 彼女が言葉を返した後に、また数分ほど、僕と柊は無言で歩く。 例えとして出した場所が、良くなかった。 僕が挿された場所を、琴音が殺した場所を、彼女の兄が殺された場所を、例えにするべきではなかったのだ。 ただ単に、大学近辺に住む奴に話すのとは違うのだ。 そんな風に考えていると、柊は再びコチラを振り返り、僕に言う「口にした後に、後悔しても遅いわよ」「……あぁ、ごめん」 そう言いながら、僕は彼女から視線を外す。「……そんな風にされたら、私も気まずいわ。もう全部、済んでしまったことなのだから……仕方ないわよ」 そう言いながら、視線を外している僕の方に向けて、いつも通りの声色で彼女は言う。 ほんとうにいつも通りで、冷たい温度を孕ませて…… だから僕も、いつもの様に言葉を紡いだ。「仕方ない……のかもしれないけれど……それでも僕は、やっぱり柊に、ちゃんと謝るべきだ。僕があのとき刺されなければ、柊の家族は死なずに済んだのかもしれないし、少なくともこんなおかしな、異人なんかに関わる様なことには、ならなかっただろう。そう考えると結局、僕が切っ掛けで、柊をこんなおかしな所に連れてきてしまった様な、そんな風に思えて仕方ないんだ……だから……」 そこまで話して、後は最後に『ごめん』と付け足すだけだった。しかし柊は、そんな僕の言葉を待たずに、返答するのだ。「あら、つまりアナタは、自分のせいで私がおかしくなったって、だから責任を感じているって、勝手にそこまで思い詰めていて……けれどそこまで思い詰めはしたけれど、反省の仕方が思いつかないから、とりあえずは謝罪の言葉を述べようと……そ
明朝、耳元に届いた冷たい声は、些か怪訝さを含んでいた。「荒木君……」 しかしその声が、あまりに分かりやすいそれだったから、僕は眠気眼の状態で、声の主に返事をする。「ん……あぁ、あれ……柊、おはよう……」「おはよう……って、あなた……どうしてこんな所で熟睡しているの?」「っ……あぁ、まぁ……色々あって……」 言いながら、身体をゆっくりと動かすと、寝ていた状態が良くなかったのだろうか、はたまたこんなフロントのソファなんかで寝るべきではなかったのだろうか、鈍く重い痛みが身体を襲う。 悲しいことに、そんな痛みが原因で、上手いこと身体を起こすことが出来ないのが現状である。 そしてそんな状態の僕を見ながら、わざわざ視線を合わせるためにしゃがみこんで、柊は僕に言葉を返す。「色々って……ほんと、よく通報されなかったモノね……」「えっ、僕通報されるの?」「されるでしょ、少なくとも私が従業員ならしているわ」「ひどくない?」「深夜に部屋じゃなくフロントのソファで寝ている不審者が居れば、誰だって通報するのは当然じゃないかしら?」 そう言いながら柊は、身体を起こそうとしている僕なんかよりも早い動きで立ち上がり、手をコチラに差し出す。「一応客なんだがなぁ……しかしそう言われると、何も言い返せない気がする」 そう言って、僕は柊のその手を取って、無理矢理身体を起き上がらせた。 起き上がりながら視界に入ったフロントの時計の時刻は、六時を指していた。「それにしても、早くないか?」 その声に対して、柊も時計の方に視線を送って、言葉を返す。「いつもこの時間に目が覚めるのよ……せっかくだから散歩でもしようかと思って、外に出たの」「あぁ、だからそんな……」 そう言い掛けた所で、僕は口を噤んだ。 いつもより明らかに、外に出るには無頓着な格好をしている彼女の装いに対して、危うく口を滑らすところだった。 しかしそんな僕を見て、彼女は言う。「賢明よ、荒木君。それ以上口を滑らせていたら、うっかり殺していたかもしれないわ」 そう言いながら、コチラに視線を送った後に、彼女は外に向かって歩き出した。「だから何も言っていないだろ。うっかり殺されるのは納得がいかない」 そう言いながら僕も、彼女の後を追う様にして、ゆっくりと歩き出す。 どうせ起きてしまったわけだから、同
大浴場での入浴を終えた後、部屋に戻ると、既に灯は消されていた。まぁ旅行初日に、あそこまで予想外な展開になったのだから、それも仕方ない。きっとしばらくしたら、僕も他の奴等と同様、すぐに意識を失って、意図も簡単に眠りにつけるのだろう。「……」 あーまぁ、そうだよね。 この身体になってから、食欲とか性欲とか睡眠欲とか……いわゆる人間の三大欲求が薄れているわけなのだから…… だからまぁ、こうなることは、想像に難くない。「……眠れないなぁ」 天井に向けて呟いた言葉は、空気に溶けて消えていく。 しかしその独り言が、少しばかりうるさかったのだろうか、隣に眠る奴等が、同時に寝返りを打つ。 右隣には柊、左隣には琴音……「……?」 アレ?なんだこの状況? 部屋に戻った段階では、どちらも真ん中には背を向けて寝ていた。 それで僕が眠るのは、もう真ん中のスペースしか見当たらなかった。 だからそのスペースに身を任せて仰向けになった。 うん、大丈夫、ここまでは至って普通の行動である。 しかしそこから数分後、今の様な状況になるわけなのだが…… これはあれか?ん?あっ、そうか……寝返りを打ったのか?「……フゥ」 今度は上を向いたまま、小さく息を吐く。 不幸中の幸いなのは、先に述べたように、今の僕は不死身の異人であるが故に、人間の三大欲求が通常よりも薄れているという点で、異人というモノは、人間とは異なるが故に、人間らしい欲求からは遠ざかっている……らしい…… いや、コレはたぶん、今までの経験からも、そうであると言える筈だ。 ゴールデンウィークの時に、琴音とラブホに行った時も、夏休み前に、柊を家に泊めた時もそうだった。 だからまぁ、この様な状況になったとしても、僕は特に、何も思わない。 そんな風に考えていると、両隣からどういうわけか、薄っすらと異なる甘い匂いが、同じタイミングで鼻に届く。 ほんとうにどういうわけなのだろうか……皆同じシャンプーだろうに…… あぁ、ダメだ、コレはいくらなんでも、たとえ人間でなくても……コレはよくない。「……っ」 僕は静かに身体を起こし、部屋を出た。 出た所で、行く宛などはないけれど、しかしあのままあの状態で、ずっと横になり続けても、眠れるわけがない。 ならいっそ、少しばかりホテルの廊下を歩いて、ロビーでジュース
そんな風に考えていた矢先、僕の思考を読んだのか、それとも単に、からかうのが目的の表情で、紡いだだけなのだろうか、いつも通りの表情ではあるけれど、先程までと明らかに違う声色で、彼は言う。「それはそうと、荒木君。今日は随分と楽しかったそうじゃないか。佐柳ちゃんだけでなく、年端もいかない現地の女の子までひっかけるなんて、まったくさすがだよ。大学生はそうではなくてはいけない」 そう言いながら、湯船に浸かりつつ、しかし身体ごと僕の方に向き直る相模さんに対して、逆に視界に入れない様に身体を逸らして、僕は言い返す。「一体大学生にどんな偏見を持っているのか気になるところではありますけれど……それに、誤解というか、語弊だらけな気がするので訂正しますけれど、あの子とは偶然、一緒に行動することになっただけですよ。それ以上でもそれ以下でもありません。だって……」「だって普通の女の子だから……かい……?」「……」「まぁ、現段階ではそうだろうね。今のところは本当に普通の少女だ。君や佐柳ちゃんが関わったというだけで、それ以外は、当たり前だが何もわからない」 そう言いながら、身体を湯舟から上げて、しかしその動きの最中、言葉は続ける。「そもそも、君が関係を持つ者全てが、異人に成り果てていくなんて、そんな傍迷惑な話になってしまうのは、コチラとしても勘弁していただきたい」「……そうですよ。彼女はいたって普通の女の子です。それ以上でもそれ以下でもない」 言いながら、湯面に映る自分の顔に視線を合わせて、僕は彼に続ける。「それよりも、明日は琴音が例のカウンセリング、受けるんですよね?」 そう僕が尋ねた時、彼は露天風呂から室内に戻ろうとしていた。 だが僕の声が聞こえたからだろう。 扉に手を掛けて、コチラに視線を合わせながら、彼は言う。「あぁ、そうだよ。順番も、スケジュールも変更はしない。君は最後だ、荒木君。だからせいぜい、明日は柊ちゃんと二人で、熱海観光を楽しめばいい。あぁでも、あまり下手なエスコートはしない方がいい。怒らせたら本当に、怖かったからねぇ……」 そう言い残して、彼は露天風呂を後にした。 言い残された僕は、露天風呂に一人、取り残されながら想いを馳せる。 僕等と別れた後に、柊がどれだけ激昂したのかは、正直なところ測り知れないけれど、しかしそれでも、さっきまでの
けれど相模さんときたら、その向けたられた視線に、投げ掛けられた質問に、相変わらずの微笑を浮かべながら、また一段と深く湯舟に身体を沈めて、言葉を紡ぐ。「フフッ、説明……説明か……そうだねーなんて説明するのが正しいのかなぁ……」「……」 視線に対して、少しばかり合わせたかと思えば、またすぐに切って、けれどまた合わせて。 そんなことを二回か三回繰り返した後に、彼は静かに、口を開く。「そんなに睨むなよ……どこまで白状するべきなのか、僕としても判断が難しくてね。なんせコレは、僕個人の動きではなくて、組合という組織が関わっていることだ。下手に口を割ってしまうのは、非常に不味い」 そう言って、言い終えたのか、もしくはその後の言葉が出て来ていないだけなのか、数秒の空白が横たわる。 だから僕も、彼と同じ速度で、言葉を返す。「ずいぶんと……」「ん?」「ずいぶんと、白状なんですね。この旅行を企画してくれたのは貴方なのに、別行動することが前提で、しかもそれでいて、その目的やら詳細は、あまり話せないなんて……」 そう言い終えると、その後の言葉が出てこない僕は、数秒の沈黙を横たわらせる。 すると相模さんは、ため息交じりに、けれど声色は上向きに、言葉を紡ぐ。「まぁ、申し訳ないとは思っているよ。騙し討ちをした様なモノだしね……けれどこうでもしないと、君等三人を効率良くカウンセリングするのが難しいのも事実だ。特に柊ちゃん」 彼のその言葉に、僕はつい、反応してしまう。「柊が……ですか……?」「……意外そうだね」「えぇ……だって、どちらかといえば、僕や琴音の方が、異人としても人間としても、存在が不安定なわけですから、問題視されるなら、僕等二人の方だと、そんな風に思っていましたし……」 そう僕が言い淀むと、彼は訂正する。「あぁ、その認識は間違っていないよ。その通り、君や佐柳ちゃんの方が、異人としても人間としても不安定な存在で、警戒しなくてはいけないのも、問題視しなくてはいけないのも事実だ。けれどそれなら、問題視することが決まっている分、対処も予め考えられる。早いうちに手を打てるなら、考えられる時間が多い分、対処も楽になる」「だが彼女は、柊ちゃんは、まだ未確定な部分が多過ぎる。暫定的に人間であるだけで、異人性が抑えられているだけだと、僕は君に説明したと思うけれど、正
気がかりだった着替えの件は、近くのコンビニに売られている物を使うということになり、それを買いに行くときは一人でいいから家に居ろと、そう言って彼女は再び僕の家を出ていった。 僕の家から徒歩数分のところに、一軒だけコンビニがあるから、おそらくそこに向かったのだろう。 出て行ってから三十分と経たない間に、柊は部屋に戻ってきた。 そして部屋に入るなり、彼女は言う。「汗をかいたから、シャワーを浴びたいわ」 そう言いながら僕の方を見つめる彼女は、数秒のわざとらしい沈黙の後に、睨みが利いていない無表情な顔で言い放つ。「覗いたら殺すわよ?」「誰が覗くか!」 そういうのはもう少し、表情
現時点での時刻は、おおよそ十六時頃だろうか...... 「......っ」「......」 いや、もしかしたらもう既に、そこから一時間程経過して、十七時になってしまっているのかもしれない。 なぜなら、今いるこの場所を訪れた時よりも、少しだけ周りの人間の数が、多くなって居るからだ。 しかしまぁ、今僕達が居るこの場所を思えば、この時間帯にこれだけ人が集まる現象は、実はそこまで珍しい事柄でもない。 なぜならこの場所は......「......あ、あのさ......」「なに?」「いや......とりあえず、何か頼まないか?」 大学から程近い、所謂ファミリーレストランと言われる
パンケーキを食べに行った次の日 ゴールデンウィーク二日目である今日は、朝からあまり天気が良くなく、一日中雨が降り続く予報が、テレビから聞こえていた。 時間の節目になり、番組が変わる。 そしてまたその番組では、前の番組でも報道していたことを、報道する。 特に見ているわけでもないテレビ、朝起きて身支度をするときの時計代わりである。 これはこれで案外便利だ。 こちらの要望に関係なく、今イチオシのスイーツだったり、芸能人の不倫疑惑や、新しい映画の完成披露試写会、政治家の汚職、ゴールデンウィークにおすすめのテーマパークの情報、通り魔の事件や強盗、交通事故、その他諸々。 そんなモノばかり
流石に朝起きたままの格好で、みなとみらいのオシャレなパンケーキ屋に行くわけにはいかないということになったので、各々一度家に戻り、シャワーを浴びて、再び大学から一番近い駅に集合することになった。 しかしまぁ、急転直下とは、まさしく今日のような日を言うのだろう。 朝目覚めたら、入った覚えのない大学の教室で、見知らぬ少女とおっさんが居て、そして人間であるはずの僕は、異人とかいう化け物になっていて...... まったく、一夜にして色々なことが起き過ぎている。 女子とパンケーキ屋に行くという、今までにないことを経験できると考えれば、この状況も案外そこまで悪くないのかもしれないけれど、それでも