大学からほど近い、『目の前』と表現するのが妥当なくらいの立地で存在するこのコンビニは、朝から夜まで休みなく、閉店することなく、二十四時間営業し続けているようだった。
まぁ、こんな目の前に大学があるのなら、昼も夜も、それこそ丑三つ時の様な夜中も、学生をはじめとする多くの人が利用するのだろう。
そんな誰もが利用するコンビニで、僕はサンドイッチを二個と、ペットボトルの飲み物を二本買って、店の外に出た。
外に出ると、流石にあの薄着の格好ではない、その上から白い大きめのパーカーを、ワンピースのように着ている女の子。
あの綺麗な深紅髪の、得体の知れない女の子。
『佐柳』と呼ばれていた少女が、待っていたのだ
「あの......」
「......」
店の窓に貼られている、『バイト募集』のチラシを見ながら。
「佐柳さん?」
「えっ......?あぁごめんごめん。ありがとね、買って来てくれて......」
「あぁ、うん。それはいいんだけどさ......」
「ん?」
そのあとに続く言葉を、続ける筈だった言葉を、僕は少しだけ考えて、飲み込んだ。
「......いや、やっぱいい......」
そう言いながら僕は、足を前に動かした。
そしてそうすると、何かを言い掛けてやめた僕のことを不思議そうに見ながら、彼女は僕の横を歩く。
僕はそれを、なるべく気にしないようにしていた。
彼女が一体、どういう存在なのか......
その時はそういうことを、なんとなく、今は本人に聞いてはいけないように思えたのだ。
「やぁ遅かったね。待ちくたびれたよ~」
そう言いながら、『専門家』の男は机に座って、もう一つ別の机には、自分が買ってきたのであろう菓子パンと珈琲を置いていた。
どうやら僕等二人が買い出しから帰ってくるのを、彼は待っていたようだ。
しかしそんな彼を見て、少女は辛辣に言い放つ。
「別に、もう消えてくれててもよかったのに......」
その彼女の言葉に、男はまた、のらりとした口調で言葉を返す。
「まぁそう言うなよ、食事は皆でした方が楽しいじゃないか~」
そしてその言葉の最後に、男は僕の方を見て言った。
「君もそう思うだろ? 荒木 誠 君」
「えっ......」
男はたしかに、そう言った。
「ん?」
教えていないはずの僕の名前を、寸分の狂いもなく、躊躇いもなく、まるで初めから知っているように、僕にそう、呼びかけたのだ。
「なんで......僕の名前、知っているんですか?」
そう聞き返した僕の言葉には、その男はくらりとした口調で言葉を返す。
「あぁ、そうか。そりゃあそうだよね。昨日のあんな出来事、まともに覚えている筈がないか......」
そう言って、男は座っていた机から降りて、そして入り口で未だに立ったままの僕たちに向かって、手招きをしながら言う。
「まぁ、とりあえずこっちにおいでよ。食べながら話そう。昨日君に何が起きたのか、僕や佐柳ちゃんは一体何者なのか、全部教えてあげるよ」
そう言いながら、不敵に口元を緩ますその男の表情が、この時はなんだか妙に、化け物染みて見えたのだ。
『食事は皆でした方が楽しい』なんて言葉を、本当に信じていたわけではないけれど、それでも、こんなにも食べ物が喉を通らないといことも、予想していなかった。元々朝食は抜きがちな生活をしているとはいえ、それでも、自分が食べるために買ったサンドイッチくらいは、ちゃんと食べられると思っていた。
今は食事をはじめて三十分くらいだろうか......
未だに一つだけ、綺麗な手付かずのサンドイッチは、開けたフィルムのビニールの上で、倒れている。
ほんとうに、食欲がまるで湧かない......
「あんまり食が進まないかい?荒木君」
既に自分の菓子パンを平らげたその大人の大学生は、まるで僕の心の中を見透かしているような台詞を吐きながら、こちらを見る。
「えぇ、まぁ元々、朝食は抜きがちな生活をしていたので、多分そのせいだと思うんですけれど......」
「ハハッ、それはあまり良くないねぇ~。食事はちゃんとしないと、何処かで倒れてしまうかもよ?」
「それは......」
それは少し、大袈裟ではないのだろうか......
そういう風な言葉を言い掛けて、それでも、その言葉を飲み込む。
あながち、それが無いとも言い切れない。
なんたって今が、こんなわけのわからない状況に、なってしまっているのだから......
「そんなことよりも、説明してくれるんですよね。えっと......」
「あぁ、相模でいいよ。
「四十歳!?」
聞き間違いだろうか、耳を疑った。
僕と同い年ではないにしても、明らかに年齢は二十代だと思っていたからだ。
その男の言葉に唖然としている僕に、隣に座る少女が口添えをする。
「気を付けた方がいいよ。そいつの顔面はマジでそれだから......」
「それを君が言うのかい、吸血鬼なんてのは、不老の最たる例だろうに」男の言葉に、少女は睨みつけるようにして無言を返す。
っていうか......今、なんて言った......
「えっと......吸血鬼って......一体......?」
その俺の言葉に、男はまた、口元を薄く緩めた表情で、彼の目の前に座る少女を、視線で示して返答する。「彼女のことだよ」
その視線の先には、当たり前だけど、『佐柳』と呼ばれているその少女しかいない。
そしてそれを肯定するように、彼女は僕から、視線を逸らす。
その様子を見ながら、男は少し呆れたような表情をしながら、「やれやれ」と言いながら、さらに続けた。
「彼女はね、世にも恐ろしいあの吸血鬼の、体質と性質を兼ね備えた、異端の生き物なんだ」
「吸血鬼の......体質と性質......?」
そう言いながら、僕はその少女を見て、「人間とは、違うのか?」と訊いてしまう。
そしてそんな僕を見て、男は返答する。
「うん、人間じゃないよ。まぁ正確に言うなら、
「つまり、お化けとか、妖怪とか......」
『化け物とか』と言おうとして、それを僕は飲み込んだ。
なんだかその言葉は、今は言ってはいけないような気がしたからだ。
けれどそれを、多分この相模という男は、僕よりも理解している。
だから理解しているその男は、さらに話を続ける。
「でも一応、姿形は人間だからね。だから僕は、彼女のような存在を、
そう言いながら、男は自分の飲みかけのコーヒー牛乳を飲み干して、飲み干した後にこう言った。
「まぁでも、いわゆる
化け物じみた顔面を持つその人は、さっき僕が飲み込んだ言葉を、いとも簡単に吐き出したのだ。
言葉の後の、数秒の沈黙。気まずい以外の何者でもないけれど、そんな僕たちの様子を見ながら、相模さんはまたそれを、弄ぶような声色で話を続ける。
「それでだ。荒木 誠 君。そんな話をどうして、君なんかにしたかって話なんだけれど......あと昨日の夜、君に何が起きたかって、話なんだけれどさ」
「あぁ、はい......」
そうだった、そういえばそれを、僕は訊かなくてはいけなかったのだ。
僕の記憶から抜け落ちてしまっている、昨日の出来事を、僕はこの人から訊かなくてはいけなかった。
それのために、わざわざこんな形で、朝食を食べているのだから。
まぁそれでも、相変わらずサンドイッチは、残ったままだけれど......
「もし君が、僕や彼女とはまったく関係のない、普通の人間なら、わざわざこんな話なんかしないんだ。異端の存在ってさ、関わらなければ関わらない方が、言ってしまえば無関係のままで居た方が安全だし、安心だから」
「はぁ、まぁそれはそうですよね......」
あれ、でもこの言い方だと、なんだかおかしくないか......
「うん、けれどね、荒木君」
まるでその言い方だと、僕がもう......
「君はもう......」
普通の人間ではなくなってしまっている様な......
「
「えっ......」
呆気をとられてというか、思いもよらないというか......
とにかくこのとき、僕はこの男から、何を言われているのか理解が出来なかった。
けれど相模さんは、さらにそのまま話を続ける。
「結論から言ってしまえば、今の君はもう、普通の人間ではなくて、異端の存在である、いわゆる異人になったんだよ」
その言葉に対しても、僕はどう反応を示するべきなのか、わからなかった。
わからなかったけれど、それでも、何か言わなくてはいけないような、そうしないと、思いもよらないこんな展開に、全て飲み込まれてしまう様な、そんな気もしたのだ。
だから僕は、自分が理解をするために、確認をするために、口を開いた。
「えっと......つまり僕は、死んでいるって......ことですか?」
そしてその、僕が吐いた言葉に対して、わざとらしく少女が笑う。
笑いながら、もう一つの事実を、僕に突きつける。
「ハハハッ......そんなわけないじゃん、私が助けたんだから」
「助けたって......どういう意味......?」
「どういう意味も、こういう意味もない。助けるために、私は君を異人にした。そうしないと、
「......」
どうすればいいだろうか......
言語としては日本語を話している彼女の言葉を、文章を、僕はこのときまるで、理解ができなかった。
そしてそれを見かねてか、相模さんがまた言う。
「まぁとりあえず。何が起きたのか、順序立てて説明しようか。もっとも......その時の当事者は、君と彼女の二人だけだけれどね」
順序立てて説明された内容はこうだった。あの晩、僕が散歩のコースとして歩いていた道の頭上、正確に言えば、すぐ傍にあった大学施設の屋上に彼女は居たらしく、僕と同じように、夜の散歩をしていたらしい。
しかしそこで、彼女は踏み外した。
漫画のようにバナナの皮で足を滑らせたとかでは決してなく、ただ単に、足がもつれてしまった影響でそうなったらしい。
しかも彼女は、屋上の淵の部分、少し身を乗り出せば飛び降りれるような所を歩いていたそうだ。
基本、大学施設の屋上は立ち入りができないようにされている。
禁止されているとかではなく、そもそも立ち入ることが出来ないのである。
一般の生徒が施設の階数を行き来する時に使うエレベーターでは、システム上入れないようにされているからだ。
もちろん、階段で行こうとすれば、そもそも扉に厳重な鍵が施されているから、入れるわけがない。
しかしそれは、
それこそ彼女のように、吸血鬼の異人の体質で授かった身体能力を用いて、
そんな彼女が、足がもつれたことで踏み外し、落ちてしまった。
そして丁度その位置に、タイミング悪く、僕の頭部があったというわけだ。
さすがに......
さすがに華奢な女の子だとしても、高い所から重力加速度的に落下速度が増した状態で、人間の頭に落下物の一番固い部分(彼女の頭)がぶち当たれば、それはミサイルに直撃したようなモノで、しかもその相手が、体質的に普通の人間よりも頑丈な吸血鬼であれば、普通の人間である僕の方がダメージを負うのは当たり前だ。
アニメや漫画のように、空から美少女が降ってくるというシチュエーションは、とても危険極まりないのである。
それこそ致命的な、絶命を余儀なくするほどのダメージを負うことになるのだから...... だから僕は、もうこの時には
しかしそこまで説明されたところで、加害者である彼女の言い訳が入る。
「いや、流石にこんな、完全に私の不注意の事故で、何の関係もない人間を殺してしまうのは気が引けたんだよね......だから......」
だから彼女は、彼女が持つ、吸血鬼の性質である『吸血』を上手く利用して、僕の『血』ではなく、『人間性』を吸い取ったのだそうだ。
そしてその代わりに、彼女の中にある『異人性』を、半分ほど僕に与えた。
吸血鬼の体質の一種である『不死身』を、このときの僕は、半分ほど彼女から貰い受けた。
その影響で僕は今、半分は人間で、半分は異人という、専門家から見ればかなり不安定な状態で、生かされているということなのだ。
しかしここまで聞いて、ようやく僕は声を大にしてこう言える。
覚えていないだけで、僕が何かやらかしたから、こういうことになってしまったのかと危惧していたが、これなら問題なくこう言える。
たとえ相手が、華奢で可憐な吸血鬼だとしても、僕は言ってやる。
「って......完全にお前のせいじゃねえか!!!」
閑話休題「さて、そんなわけだから、君は今後、僕に管理されながら生活をするわけだけれど、いかんせん、僕もずっと君の傍に居てやれるわけではない。これでも色々と忙しくてね」
「はぁ......」
傍に居て欲しいとは思わなかったけれど、それでもこんな身体になったのだから、不安がないといえば嘘になる。
そうなると、このゴールデンウィーク期間中は、大人しくしていた方がいいのだろう。
そんな風に考えていると、相模さんは思いもよらないことを言い出す。
「そこでだ、しばらくの間、少なくともゴールデンウィークの間は、君等は常に行動を共にするようにしていて欲しい」
「えっ......」
反射的に出た自分の反応の後、僕は少し間を置いて、言葉の意味を確認する。
「行動を共にって、それは一体どういう意味ですか?」
「どういう意味も、こういう意味もない。言葉通りの意味だよ」
そう言った後、相模さんは僕と僕の隣に座る少女を見比べて、話を続ける。
「僕から見れば、君もそうだけど、佐柳ちゃんも十分に不安定な状態だ。何が起きるかわからないし、何が起きても不思議じゃない。だから君たちには、互いを管理し、監視し合って欲しいんだ。」
その相模さんの言葉に、少女は意外にも同意する。
「......私は別にそれでもいいよ......っていうか、こんな専門家じゃなければ誰でもいい」
「ひどいな~そんなに嫌うなんて~おじさん傷ついちゃうぞ~」
わざとらしくおどける相模さんに、少女は冷ややかな視線を送る。
こういうときって、第三者である僕は、何を言えばいいのだろうか......
あぁ、何も言わないのが正解なのか?
「......」
うん、多分なにも伝わらねえな......
そんな風に思っていると、特に傷付いた様子がない相模さんが、さらに話を進める。
「あぁでも、『常に行動を共にしろ』とは言ったけれど、本当にずっと一緒に居る必要もなくて、なんて言うのかな......外で遊んだり、家以外の場所で過ごしたりする時は、必ず君達二人で行動して欲しいって......まぁそういうことだから」
「はぁ、まぁそれは流石にわかってますけれど......」
そう言いながら僕は少しだけ視線を外して、言葉を続ける。
「僕は特に、このゴールデンウィークに予定を立てていないので、問題はありません。でも......」
その僕の言葉で、少女は何かを察したのか、口を開く。
「私だって、別に予定があるわけじゃないよ......っていうか、昼間の予定なんて立てられるわけがなかったし......」
そう言いながら、彼女は僕の方を見る。
その彼女の視線で、彼女が何を言いたいのか、なんとなくわかってしまう。
あぁそうか
だってその頃の彼女にとって、太陽は文字通りの天敵なのだから......
一通り話し終え、残っていたサンドイッチも何とかお腹の中に収めて、時刻は既に、午前十一時近くを指していた。「それじゃあ早速だけど、今日から二人で行動するように、僕は別件でしなくてはならない仕事があるから、またそのうちに顔を見せるよ」
そう言い残して、相模さんは僕と彼女を二人、空き教室に残して、何処かに行ってしまった。
っていうか、なんだこの状況......なんだこの状況!?
ただでさえ大学では友達がいないのに、いきなりこんな女子と二人きりにされて、一体どうしろっていうんだ。
何を話せばいい?
何か話題は??
そんな風に、たぶん傍から見ればしょうもないこと(いや、僕にとっては一大事なんだけれど)に頭を巡らせている僕に向けて、少女はポツリと言う。
「あのさ......とりあえず、ここ出た方がいいよね?」
思いもよらない彼女の何気ない一言が、僕の思考を一瞬止める。
「へ?」
そして僕がそんな反応をしたから、彼女は驚いた様子で聞き返す。
「えっ?」
束の間の沈黙、ようやく思考が、再び動く。
「......うん、そうだね。そうしようか......」
僕、こんなに女の子と話せなかったっけ......
外に出た後、とりあえずどうすればいいいのか、今日一日をどう行動するべきか分からなかったから、それを彼女に尋ねようと試みる。「あの、佐柳さん......」
「琴音」
「えっ?」
「佐柳って名字、好きじゃないんだ。呼ばれるのも書くのも言うのも嫌い。だから下の名前で呼んでくれる?私も君のこと、誠って呼ぶから」
oh......
再び止まりかける思考よ、耐えてくれ......
「いや、いくらなんでもそれは、距離の詰め方がおかしくない?」
「そう?大学生って、皆そんなもんじゃない?」
皆そんなもんなの!?
友達居ねぇからわからねぇよ!!
「まさか誠、友達いないの?」
「......ちがう、作らないだけだ......」
「作れないの間違いでしょ?」
「......っ」
「あぁ、なんかごめん」
「謝られると、余計に辛いよ......」
「うん、ごめん......あっ......」
「今の絶対わざとだろ?」
「そんなことないよー、無意識だよー」
なるほど、どうやらこの吸血鬼は、無意識に人を殺せるようだ。
まぁ、今の僕はもう、人ではないらしいけれど......
そして、そんなしょうもないやり取りを終えた後、僕は再び、訊きたかったことを彼女に尋ねる。
「......それで今日はどうすればいいんだ?」
「どうすればって?」
「いや、僕は本当に今日は何も予定がないから、もし佐やn......」
「......」
一気に視線が怖くなるのは止めて欲しい......
「もし琴音さんが行きたい所とかあるなら、僕は付き合うけれど......」
そう言うと、琴音さんの表情は一気に明るくなった。
「えっ、マジで?」
表情豊かだな、この吸血鬼。
「マジで......っていうか、そうした方がいいって、あの人に言われてるし」
そう僕が言うと、彼女は携帯を取り出して、すぐさまSNSのアプリを開いて、そして何かを検索して、それを僕に見せた。
「じゃあ、ここ行きたい!」
「......」
その画面に映し出されていたのは、明らかに男が行くには場違いの、とても内装がオシャレな、パンケーキのお店だった。
どうやらこの吸血鬼は、いわゆる『イマドキの女子大生』らしい。
着なれた着物を着こなして、まるで童話に出てくるような、不思議な綺麗さを持っていた少女。 あの夏休みの熱海旅行で遭遇してしまった、想い人の思いによって重さを与えられてしまった、旅人の異人となってしまっていた幽霊の少女。 そして今でも、その後遺症のせいなのか、成仏出来ずに様々な所を旅する浮遊霊的な何かになってしまった... そのせいで、彼女は僕以外からは、認識されることはない。 そこに彼女が居たとしても、そういう風には誰も見ない。 そんな存在に、そんな概念に、彼女は成ってしまったのだ。 しかし... しかしそれでも、そんな、怖くない筈がない自分の状況でも、彼女は外を見たいと思いを馳せて、遠路に花を掛けるのだ。 高貴で高尚な、桐の花を... 時刻はお昼を過ぎた十五時頃 目的の物は早々に買い終えて、そんなに時間を使わずに帰るつもりだったのに、どうやらそういうわけにはいかなくなってしまったみたいだ。 なぜなら今、僕はその浮遊霊的な彼女を連れて、普段なら確実にスルーしているであろうパンケーキのお店に、来ているからだ。 いや...この場合、連れて来られたのはむしろ僕の方なのだろう。 僕と一緒に居なければ、誰からも認知されることがない幽霊的彼女は、とりあえず今は、事ここに至っては、普通の客として周りから認知される。 それはあの時の最後もそうだった。 だから彼女は、あのときも僕と一緒に、電車に乗ることが出来たのだ。 だからなのだろう… だから彼女は、僕と会ったことをいいことに、今日まで彼女がずっと入りたいと思っていたお店に、僕と共に入ったのだろう。 そして今まさに、目の前に座る彼女は瞳を輝かせ、そのお店のメニュー表を見ているのだ。 そんな彼女に、僕は少しだけ戸惑いながら、声を掛けた。
日曜日、あまりにも急な話かもしれないが、僕は今、横浜駅前に位置するとある商業施設に来ている。 いや、まぁそうは言っても、先日花影と話した時に、結局僕と柊は、彼女に協力することになったわけで... それでもって今日は、その文化祭の実行委員で使うであろう様々な道具を買い揃える為に、この場所に来ている。 だからそう考えると、別段僕にとっては急な話というわけではなくて、むしろ明日からは本格的に仕事が始まるため、その前日にあたる今日に買い物を済ませておくことは、僕にとっては普通のことで、当たり前のことなのだ。 しかしながら... しかしながら、別に『様々』と言っても、そこまで多数のモノを買うわけではない。 強いて言うなら、ノートパソコンとその周辺機器くらいだろうか。 実は先日、文化祭実行委員の業務内容の一つであるデスクワークの大半は、皆自前のノートパソコンを使用するということを、花影に言われたのだ。 データ流出等の危険性を未然に防ぐ為の試みだそうだ。 まぁしかし、これに関してはもうそろそろ大学で貸し出されている物を使うのではなくて、自分専用のモノを買うべきだとも、思っていたところだった。 後期からはカリキュラムに『実験』が含まれたことで、その実験に関するレポートを、毎週作成して提出しなければいけないのだ。 そうなると流石にその都度大学にパソコンを借りるのは、非効率だし面倒くさい。 そう考えると、どちらかというと、実行委員の仕事のためというよりも、自分のこれからの生活の為に買うといった方がしっくりくる。 どうせ長いこと、使うであろう機械なのだから。 「ん...あれ...?」 そんなことを考えながら店に入ろうとすると、丁度目の前に、周りの人達とは一風変わった姿をしている女の子を見つけた。 まぁ『変わった姿をしている』と言っても、その姿がまるで人間離れしたモノであるとか、そういうことは一切ない。 姿というのは、いわゆる見た目というか、服装という意味で、その女の子の服装は、他の人達とは違い、着物姿だったのだ。 そう、昔ながらの、まるで日本の昔話に出てくるような、童話に出てくような、色あせた着物。 そしてそれでいて、周りからはそれを不審に思われていない様な、そんな風貌の、中学生くらいの年齢の女の子。 もしもその子が、見知らぬ女の子であるならば
「…」 「…」 その言葉で、一体何のことだかわかっていない僕と、苦笑いをしながら反応する花影。 そしてこのときは、どちらもまるで違う心境で、同じように言葉を失ったのだろう。 そしてそんな僕たちを見て、少しため息をつきながら、どうやらソフトクリームの方は食べ終えたらしい柊が、話し出す。 「文化祭が行われるのは十月の末を最終日に据えた2日間。つまり初日は十月三十日なのよ」 「あぁ、まぁそうだな」 「それで荒木君、今日は何日かしら?」 「今日は…えっと…」 唐突に言われたので、携帯で日付けを確認するのが遅れてしまう。 しかしそんな僕よりも、前に座っている花影がすぐに答えてくれた。 「十月十日です…」 「そう、つまりもう本番までに、二週間と少ししかないの。それなのにこの今の段階で、仕事がほとんど終わっていなくてはいけない筈の今の段階で、仕事どころか人員も、粗方目処が立っているという状況なのよ」 「あっ…」 そうか…そういうことか… そんな風に気が付いた僕の反応を見て、前に座る花影は、何か取り繕うのを諦めたかのように、話し始めた。 「小夜さんのおっしゃる通りです。例年であればこの時期は、設営以外の仕事は完璧に終わってなくてはいけない筈なんです。ところが数ヶ月前から少しずつ、仕事の遅れが出て来てしまっていて…気が付いた頃には、もう今居る人達ではカバー出来なくなってしまっていて…」 「具体的には何の仕事が、どのくらい遅れているの?」 「パンフレットの印刷と、露店販売に参加するサークル名簿の整理と、あと…」 「あと…?」 「開催二週間前から、参加サークルへの事前訪問をしなくていけないんですけど、そちらに回せる人員がなくて…」 「なるほどね。つまり私達は、その遅れている仕事と、二週間前から始まる事前訪問を手伝えば良いってことよね?」 「はい…その通りです…」 そう言いながら、花影はまた苦笑いを浮かべていた。 そしてそれとは対象的に、余裕そうな顔で彼女を見つめて、柊は答えた。 「…わかったわ、その仕事、私と荒木君が引き受けてあげる」 そう答える柊の表情は、なんだか少しだけ大人美て見える気がした。 けれどもその表情は、きっとこの前僕に話した、柊の悪い癖なのだろう。 そう、彼女はただ、後輩の前では格好良く在ろうとしているだけ
そんな風に、そもそも最初からそんな気がなかった癖に、そんなことを考えながら、僕はその花影の言葉に返答した。 「あぁ...まぁ僕なんかでよかったら力になるけど...でもさ、こういう行事の実行委員って、前期の時から粗方人が揃っているモノだろ。そんなところに、こんな本番直前の時期から、まるで素人の僕が加わることに、一体何の意味があるんだい?」 そう、大学の文化祭ともなると、高校や中学までのそれとは違い、桁外れに人員数や仕事量が多くなるということは、まるでそのことを知らない僕でさえも、容易に予想が出来ることだった。 有名人を呼んでの座談会や、ステージ設営の手配、新しい企画の立案に、各サークルの露店販売の申請などなど… そもそも規模が違うのだ。 そんなところに、まるでそれらの経験がない僕なんかが参加したところで、何か出来るモノなのだろうか… しかしそんな僕の問に対しての返答は、思っていたよりも気楽だった。 前に座る花影は、ニッコリと笑いながら、応えてくれる。 「荒木さん、そんな風に考えくれていたんですね。ありがとうございます。そうですね、たしかにその通りです。実を言えば人員も仕事も、今の段階で粗方問題なく、ちゃんと目処が立っているんです」 「えっ…じゃあどうして、僕を…?」 そう僕が言いかけたところで、横に座る柊がいきなり横槍を入れて来る。 「荒木君、沙織の話をちゃんと聞いていなかったの?沙織もダメじゃない。この男はちゃんと言わないとわからないわよ?」「…」 「…」 その言葉で、一体何のことだかわかっていない僕と、苦笑いをしながら反応する花影。 そしてこのときは、どちらもまるで違う心境で、同じように言葉を失ったのだろう。 そしてそんな僕たちを見て、少しため息をつきながら、どうやらソフトクリームの方は食べ終えたらしい柊が、話し出す。 「文化祭が行われるのは十月の末を最終日に据えた2日間。つまり初日は十月三十日なのよ」 「あぁ、まぁそうだな」 「それで荒木君、今日は何日かしら?」 「今日は…えっと…」 唐突に言われたので、携帯で日付けを確認するのが遅れてしまう。 しかしそんな僕よりも、前に座っている花影がすぐに答えてくれた。 「十月十日です…」 「そう、つまりもう本番までに、二週間と少ししかないの。それなのにこの今の段階で、仕事が
その柊の言葉で、また僕も、あのときのそれを思い出してしまう。 だからきっと、こんな普通なら関わらない、そんな場所に駆り出されるとしても、それは仕方がないことなのだ。 だからせめて、抗うように、僕はあのときとは違う言葉で返す。 「そうかい…そりゃよかったよ…」 時刻はお昼を差し掛かった頃だから、十二時かそのぐらいの時間だろうか。 僕は柊と大学内にある喫茶店に来ていた。 しかしながら大学内の喫茶店と言っても、別段特別にメニューが面白いわけでも、大学生向けに安価な値段で商品を提供しているわけではない。 とこにでもあるような、変わり映えのないメニューが、変わり映えのない値段で売られているだけだ。 しかしもしそんな中でも面白さを挙げろと言うのなら、我大学の名前、神野崎大学の名前が付いたソフトクリーム、『神大ソフト』が、二百円という比較的安価な値段で売られているくらいだろうか。 ただのソフトクリームに、チョコレートやらイチゴやらのソースが掛かってているだけなのだが、何故だかこの大学の名物になっているらしい。 そんなソフトクリームを注文して、黙々とそれを食べている柊と、その隣で紙コップに入ったコーヒーを啜る僕は、今一人の少女、柊の高校時代の後輩で、今は同輩であるこの少女... 花影 沙織 (はなかげ さおり) を、前にして居るのだ。 『便利な奴』と、そういう風に言われたあの日以来、そう日数を置かないうちに、僕は例の、柊の元後輩である花影を、紹介されることになった。 薄いフレームの赤渕メガネに、綺麗に切り整った肩口までの髪型で、それでいて服装は奇を衒わず、今の季節や流行を押さえた、大学内でよく見る女の子的な服装。 そして話し方は、初対面の僕や高校時代からの先輩である柊にも、なるべく適切丁寧な言葉遣いを心掛けているような、そんな印象が見受けられる、物静かな少女だった。 「小夜先輩、荒木さん、今回の話を引き受けて下さって、本当にありがとうございます。」 最初の挨拶もそこそこに、本題に入ろうとするその彼女の言葉は、なんだか少しだけ、たどたどしさを感じた気がした。 しかし彼女は、そう言いながら小さく僕たちに頭を下げるのだ。 それに柊のことを下の名前で呼んでいることから、この2人の間柄はかなり深いモノのような、そんな気もしてしまう。 これは.
大学という教育機関は、中学までのような義務教育ではなく、また高校のような場所とも違い、全国の様々な場所から、様々な年齢層の奴等が集まる場所だ。 だから別に、同期の中で多少の歳の差が生まれることも、しばしばあることなのだ。 だから僕は、そんな彼女に対して、小言の様に言うつもりはないけれど… やはり友人なら、思ったことは隠さずに言うべきなので、言おうと思う。 「あのな…そういうことは出来れば最初に言うべきじゃないのか…残念ながらもう僕は柊のことを歳上として扱うことが出来る気がしないんだけど…」 結局、小言になってしまった。 しかし当の彼女は、それを聞いても何も思うところが無いような声で、無いような表情で、応答する。 「あら、別にいいわよそんなこと。荒木君とだって学年は同じなんだし、それに今さら歳上扱いされる方が、なんか変な感じがして気が休まらないわ」 「…そういうモノなのか…?」 「そういうモノよ。それに私たち、そもそも出会いがあんなんだったんだから、そんなことにまで気が回らなかったのも無理はないでしょう?」 「あっ…」 柊のその言葉で、僕は思い出す。 彼女との出会いを、思い出す。 夏休み前の前半最終… あれはどう考えても、散々な日々だった… なぜなら僕は、今日この場に同席している僕の友人 自分のことを押し殺すことで他人をも惨殺するようになってしまった… 僕とは違い、殺人鬼の性質を持ってしまった少女… それでいて今はもう、都合よくも普通の女子大生である、謂わば元異人 あの血の匂いが絶えない、青春の日々を共に過ごしたこの少女 柊 小夜 (ひいらぎ さや) に、殺されていたからだ。 ころされて、コロサレテ、殺されて… それでいて僕もまた、死ねない身体の、不死身の体質を持った異人であるばっかりに、彼女との関係を持ち続けてしまっている。 あのときに、あんなことをされたのに… あんな風に、殺されたのに… 未だに僕は、この柊という少女との関係を、裁ち切れずに大切に持ち続けてしまっているのだ。 出会い頭に殺されて、その後は付きまとわれて、それで最後も殺されて… そんな咽返るような、血の匂いが絶えなかった、あの日々を思い出す。 女の子と共に、同じ部屋で寝た、謂わば青春の日々を… 僕はその柊の言葉で、思い出したのだ。