LOGINパンケーキを食べに行った次の日
ゴールデンウィーク二日目である今日は、朝からあまり天気が良くなく、一日中雨が降り続く予報が、テレビから聞こえていた。
時間の節目になり、番組が変わる。
そしてまたその番組では、前の番組でも報道していたことを、報道する。
特に見ているわけでもないテレビ、朝起きて身支度をするときの時計代わりである。
これはこれで案外便利だ。
こちらの要望に関係なく、今イチオシのスイーツだったり、芸能人の不倫疑惑や、新しい映画の完成披露試写会、政治家の汚職、ゴールデンウィークにおすすめのテーマパークの情報、通り魔の事件や強盗、交通事故、その他諸々。
そんなモノばかりがひっきりなしに、テレビから流れ込んでくる。
そして僕はそれらの大半に、まったくと言っていい程に興味が持てないから、身支度に集中出来るのだ。
それにしても......
昨日琴音さんからされたあの話が、まだ自分の心の中に引っ掛かっている。
琴音さんの説明通りなら、僕は現状、半分ほど人間ではなくて、人間の生き血を吸いながら生きる、吸血鬼になってしまっているのだ。
それでも、琴音さんは生き血を吸うことはないと言っていたから、大丈夫だと言っていたから、きっと大丈夫なのだろう。
なにか根拠があるわけでも、信頼とかがあるわけでも、そういう目には見えない大切なモノは、正直言ってないけれど......
それでも、少なくとも僕をこんな風にしたのは彼女なのだから、こんなことを話せるのは、彼女だけなのだから......
僕はどうなってしまっても、あの吸血鬼の異人の少女 佐柳琴音 を信じるしかないのだろう。
そんな風に考えながら自分の顔を洗っていると、傍に置いていた携帯電話にメッセージが届いていた。
画面を確認すると、そこには昨日、連絡先を交換したばかりの彼女の名前があった。
彼女とはそう、佐柳琴音 その人である(人ではないけれど......)。
『今日見に行きたい映画があるんだけれど、一緒に来てくれない?』
なんだか遠慮がなくなったように思える送られたそのメッセージの文面からは、肯定以外の返事が出来そうにない雰囲気が漂っていた。
まぁ実際、僕はそれを断れないのだけれど......
このゴールデンウィークの期間中は、外出の時は琴音さんと行動を共にするように、あの専門家から言われている。
それは不安定な存在である僕たちが、各々の場所で何かしらの問題を起こさないようにするための措置だ。
けれどどちらかと言えば、僕よりも彼女の方が、問題を起こしてしまう可能性は大きいのだろう。
なんせ元々異人で、専門家に管理されていたのは、彼女の方なのだから。
『いいですよ』と僕は返信する。
そして雨が降りしきるゴールデンウィーク二日目の外に、僕は折りたたみ傘を広げながら、いつものように歩き出した。
横浜駅には最近、駅から一歩も外に出ずに映画館に向かうことができる施設が建設された。それ以外にも様々な飲食店や書店、アパレルに家電量販店、お土産なんかにも使えそうなお菓子やケーキ、総菜、さらには野菜や果物なんかのお店もあるくらいで......
お金さえあれば、全ての買い物が駅から外に出ることなく完結できるのだ。
しかしながらその『お金』が著しく乏しい大学生という人種は、結局は行き慣れた外のお店の方に行ってしまうそうで......
まぁその話は、僕の話ではないのだけれど。
そもそも僕は、普段あまり買い物はしないし、ましてや今回のように、誰かと映画を嗜むこともしない。
だから知らなくて当然なんだけれど......
「あのさ、琴音さん」
「ん?なに?」
不思議そうにワザとらしく首を傾げながら、彼女は笑顔でこちらを見る。
そんな彼女に対して、僕はため息交じりに言葉を紡ぐ。
「僕はどちらか言えば無趣味な方だから、ヒトの趣味に対して何かを言うことは基本しない。だけど今回に限って言えば、さすがに訊かずにはいれないんだ。だからまぁ訊くけれど......」
「うん」
「......なんでこれが見たいの?」
そう言いながら、僕は彼女が見たいと言っていた映画を指差した。
そしてその指差した先には、恋愛でもなければミステリーでもなく、またアニメーション作品でもなければ、特撮でもない。
もちろんハートフルなコメディでも、情熱的な人間ドラマでもない。
そこに書かれていた作品は......
『ルージュ~血の彷彿~』
呪いの人形が主人公達を次々と残忍な殺し方で屠っていく、スプラッターとホラーを掛け合わせたような、そんな映画だったのだ。
「今Twitterで流行っているんだよ、この映画。だから見てみたいかな~って思って」
「いや......だって琴音さん......」
言い掛ける僕に、彼女は被せる様に言う。
「あっ、もしかしてホラー苦手だった?」
「あっ......いや、そういうわけではないけれど......っていうかこれ、ホラーっていうか、スプラッターの要素の方が強いよね?」
そもそも普段が吸血鬼の琴音さんは、どちらかと言えばホラー側な存在だろうに、そんな彼女が、一体どういうつもりでこの映画を見るんだ。
しかも......
「だから結構......グロイですよね、これ......」
「うん、血がいっぱい出るね!」
嬉しそうに言いやがる......
「もしかして美味しそうとか思いませんよね?」
「えーそんなことないよーぜんぜんそんなことなーい」
そんな風に、まるでそう思っていたことを隠す気がない彼女が棒読みで言葉を返すから、僕はつい言ってしまう。
「この中途半端吸血鬼め......」
まぁそれは、僕も同じなんだけれど......
二時間ほどの、鮮血が縦横無尽に飛び回る映画を堪能した後、僕たちは近くにあるファミレスで食事をすることになった。夕飯というには早く、昼食というには遅すぎるような時間帯だけれど、なんせ長時間、一つの映像作品に集中していたのだ。
だからまぁ、少しくらいは、空腹を感じる。
席に着いて、タッチパネルで注文を済ませ、それぞれドリンクバーから飲み物を用意した後、互いにそれぞれの飲み物を一口飲んで喉を潤してから、一拍間を置いて、僕は彼女に尋ねた。
「それで、どうでしたか?お目当ての映画は」
「うーん、内容はあんまりかなー」
さいですか......
「でも映画館で映画を見れたこと自体は、とても面白かったし、贅沢だった」
「贅沢って......まぁたしかに、二時間の映像に二千円近く払っているんだから、その気持ちはわからなくはないけれど......」
そう僕が言い掛けたところで、琴音さんは否定する。
「あぁ違う違う、そういうことじゃなくて......」
「ん?」
「お金のことってよりも、時間とか、設備とか、マナーとか、そういうこと」
「えっと......」
どうしよう、話の意味が少しわからない。
「......つまり、どいうこと?」
そう僕が尋ねると、彼女はまた一口ドリンクを飲んで、そして言う。
「つまりさ......私でも誠でも、毎日何かしら、やらなくてはいけないことに追われてて、そういうことを連絡したりするために、携帯とかって持ってたりするけれど、その携帯の電源を完全に切って、二時間、音響やら映像やらの機材が整った部屋で、ただひたすら、映画の世界に没頭できるって......それってかなり、贅沢なことじゃない?」
その彼女の言葉を聞いて、僕は『あぁ、そういうことか』と納得してしまった
「.....たしかに、そうかもしれないね」
つまり彼女は、考えることが多い今の世の中で、そういうことを一切合切すべて思考の外側にどかして、一つの『映画』という映像作品に、二時間近く費やせるあの空間そのものが贅沢だと、そう言っているのだ。
けれどそれだと......
「でもそれだと......わざわざあんな映画じゃなくても良かったんじゃないの?ぶっちゃけ、殺し方と鮮血の飛び散り方が凄かっただけで、内容はあまり面白くなかったよ」
本当にぶっちゃけたな、僕よ......
「でも世間的には、アレは結構絶賛されているらしいよ?」
からかうような表情で、彼女はそう言う。
だからそれに対して、僕は表情を変えないで返答する。
「それはまぁ、世の中何が流行るかなんて、わかったモンじゃないからね。『流行り物は廃り物』ってことだよ」
そんな風に、僕は自分が知っている言葉を彼女に言った後に、自分のドリンクを一口飲みながら、少しだけ考える。
この言葉は、あまり良い意味ではないよな......
結局、この日はただ本当に、映画を見ただけで終わった。ファミレスで食事をした後に、その店前で解散した。
まぁ、そもそも付き合っている恋人同士でもなければ、友人と言えるほど時間を共有していない、なんと言えばいいのかもわからない、怪しい間柄の僕たちは、その日の予定が終了したら、すぐに解散する方が、何かと都合がいい。
それを別に、僕は彼女に言ったわけでも、彼女が僕に言ったわけでもないけれど、それは多分、お互いに少なからず、そう思っているのだろう。
だから昨日のパンケーキも、そして今日の映画も、彼女の目的が達成されれば、そこで僕たちは解散したのだ。
そして解散後、家路に着いた僕は、自分が生活をしているアパートに続く、暗くて不気味な夜道を歩いていたところだった。
横浜の駅前とは、打って変わって街灯が少なく、そして住宅街だからなのだろう。
不自然なまでに静かで、暗い。
故郷である九州は、もっと早い時間にこのくらいの暗さと静けさになるけれど、それは周りに何もないから、当たり前だ。
けれどこの場所は、こんなにも様々なモノが混在しているのに、そのはずなのに、こんなにも音がしなくて、光がない。
それがとても、不気味に思えて仕方なかった。
それにまさか、こんな不気味な夜道の途中で誰かと会うことも、予想していなかったのだ。
っというよりも、予想出来るはずがない。
「やぁ荒木君、随分と遅かったねぇ。待ちくたびれたよ」
そう言いながら、その男は住宅街にある階段の手すりに腰掛けて、こんな暗い夜道でも、どんな表情をしているのかわかる程に、声を弾ませる。
そしてその声は明らかに、僕のことをからかっている様な、けれどそれでいて、観察している様な、そんな風に聞こえたのだ。
「......相模さん、でしたっけ?」
「覚えててくれたんだ、うれしいね」
「そりゃ、忘れませんよ。だって......」
「ん?」
「だって貴方は、僕と琴音さんの、ある意味では命綱のような、そういう役割の人なんですから......」
そう、この人は専門家だ。
琴音さんのような存在の、異人と言われている者達を管理する専門家。
僕がこんな、わけのわからない状況に陥っても、それを冷静に分析できる専門家。
だから今は、ある意味で色々なことが、この人頼りなのだ。
「命綱か......僕はそんな大層な役回りでは、本来ないんだけれど、でも今の君からしたら、天変地異のような今回の状況に見舞われた君からしたら、僕のことをそう見えていても、仕方ないのかもね」
そう言いながら、男は自分が腰掛けていた階段の手すりから離れる。
そして手すりから離れた男は、そのままの空気で続きを言う。
「まぁ、とりあえず現状を知りたいから話がしたいんだけれど、立ち話もなんだからさ......」
そう言って、まるで「付いて来い」と言わんばかりに、僕に視線を向ける。
そして僕はその視線を、無下に断るわけにもいかないのだ。
一日の内に、しかもそれほど時間を置かずして、ファミレスに行ったことがある人は、一体どれほどいるだろうか......いや、もしかしたらこの事象自体は、案外そんなに珍しくもないのかもしれない。
ファミレスという場所は、特に値段が張る所でもなければ、行きづらい雰囲気の所でもない。
もしもそんなファミレスが存在したら、それはただの『レストラン』で、『ファミリー』を枕に据えること自体、間違っているのだから。
それなら、こう付け加えればどうだろうか......
『人間離れした人間達と、別々のタイミングで、一対一で』
うん、これならきっと、僕ぐらいしか当てはまらないだろう。
連れて来られたファミレスで、とりあえずそれぞれドリンクバーと、摘まむための食べ物を二、三品注文し終えたら、注文を終えた時の空気のまま、何か大切な話しを始める雰囲気を作るわけでもなく、それこそ、日常的な世間話をするような空気で、彼は話し始めた。「それで、半分とはいえ異人になったわけだけれど、その後の調子はどうだい?何か変わったことや、不都合なことはあるかい?」
「えっと......そうですね......」
唐突に尋ねられたその質問に、少しだけ戸惑いながら、昨日と今日の記憶を再確認する。
「そうですね、別に昨日の今日なので、そこまで変わったり、不都合なことがあったりするわけでも、ないですけれど......」
「けれど?」
「まぁ、強いて言うなら、食欲がないくらいですかね......」
そんな風に、僕はまるで内科の問診でもしているかのような言葉を、恐る恐る口にする。
「あーそっか、まだ異人になってそこまで時間が経っていないから、その程度の影響があるくらいなのか。じゃあわざわざ、今日君に会わなくても良かったかな」
そう相模さんが言った所で、タイミングよく食べ物が運ばれてくる。
ポテトフライと、ほうれん草のソテーと、小さなピザ。
これ、まさか僕も食べなくてはいけないのだろうか......
「あの......」
「ん?」
「僕、もう今日は夕飯を済ましているんですけれど......」
そんな風に恐る恐る言う僕に、相模さんは何事もなかったかのように返答する。
「あぁ、知っているよ」
「えっと......だったらこの料理......」
「あーこれね。これは僕が食べるために頼んだだけだから、そんなに気にしないでいいよ」
そう言いながら一口、相模さんはほうれん草のソテーを口にする。
「あーそうなんですか、じゃあ、そうします」
そう言って、僕はドリンクバーから持ってきた紅茶を一口飲み込む。
なんだろ、食べなくてもいいと言われたことに安堵したからだろうか、少しだけ落ち着いてしまう。
そもそも一度夕飯を食べた後に、もう一度ファミレスに来るなんて......
アレ......
さっきの会話、何かおかしくないか......?
だって......
「あの......相模さん......」
「ん?どうしたんだい?」
「なんで僕が、
そう尋ねた僕の声に、彼はそのまま、不敵な表情を変えぬままこう言った。
「まぁ、それが仕事だからね」
食事をしながら相模さんは、まるで決まりきった言葉を復唱するように、まるでそうすることが当たり前のように、言葉を紡いだ。「知っていると思うけれど、僕の仕事は、人間の姿形をしながら、人間とは明らかに異なった性質や体質を持つ者、いわゆる『異人』を、専門的な知識を駆使して、管理することだ」
「つまり......ずっと監視していたんですか......?」
「いいや、それはないよ」
「だって......」
「こう見えてもなかなか忙しくてね、さっきまでは本当に、別件の仕事を片付けていたところだ」
そう言って一口、飲み物を飲み込んだ彼は、続けて言う。
「だから僕は昨日や今日、君が佐柳ちゃんとどんなことをしていたのか、それは知らないし、知る由もなければ、別に知りたいとも思わない。誰が好き好んで、こんな初々しい若い男女の間柄を監視するなんていう、無粋なことをするというのかね、荒木君」
「......」
いや、貴方なら好き好んでやりそうだから、僕はそれを疑ったんだけれど......
そう思いながら、未だに底が見えないこの人に、僕は少しばかりの苛立ちを覚え始めていた。
なるほど、こんな調子の人だから、琴音さんは嫌っているのだろう。
なんとなく、納得できた。
しかしこの人は、僕にそんな風に思われていることを知らずに、そのまま話を続ける。
「それに僕の仕事は、
「大変って......どう大変なことになるんですか......?」
「そんなの、決まっているでしょ」
「......」
どうもピンと来ていない僕に対して、相模さんは顔色を変えずに言う。
「まぁ最悪、死ぬだろうね」
「えっ......」
言い切った相模さんの表情は、言う前とは本当に何も変わらない。
そしてそれを聞かされた僕の表情は、見えなくとも強張っていることが理解できた。
そして僕のその表情を見て、相模さんは言う。
「あのさ荒木君。君はまだ実感が持てていないから、無理もないのかもしれないけれど、異人っていうのは、本来はかなりヤバい存在なんだ」
「ヤバイって......でも......」
「『人を殺してはいけない』『人を死なせてはいけない』、そんなのは所詮、人間である僕達が同族を絶滅させないための理屈だ。それに人間だって、自分達の都合で、色々な生き物を殺すじゃないか」
そう言いながら、相模さんは皿にわずかに残ったフライドポテトを、フォークで刺して、そしてそれを口に運ぶ。
その彼の姿が、些か怖く思えた。
しかし彼は、ただ食事をしているだけのだ。
大学という教育機関は、中学までのような義務教育ではなく、また高校のような場所とも違い、全国の様々な場所から、様々な年齢層の奴等が集まる場所だ。 だから別に、同期の中で多少の歳の差が生まれることも、しばしばあることなのだ。 だから僕は、そんな彼女に対して、小言の様に言うつもりはないけれど… やはり友人なら、思ったことは隠さずに言うべきなので、言おうと思う。 「あのな…そういうことは出来れば最初に言うべきじゃないのか…残念ながらもう僕は柊のことを歳上として扱うことが出来る気がしないんだけど…」 結局、小言になってしまった。 しかし当の彼女は、それを聞いても何も思うところが無いような声で、無いような表情で、応答する。 「あら、別にいいわよそんなこと。荒木君とだって学年は同じなんだし、それに今さら歳上扱いされる方が、なんか変な感じがして気が休まらないわ」 「…そういうモノなのか…?」 「そういうモノよ。それに私たち、そもそも出会いがあんなんだったんだから、そんなことにまで気が回らなかったのも無理はないでしょう?」 「あっ…」 柊のその言葉で、僕は思い出す。 彼女との出会いを、思い出す。 夏休み前の前半最終… あれはどう考えても、散々な日々だった… なぜなら僕は、今日この場に同席している僕の友人 自分のことを押し殺すことで他人をも惨殺するようになってしまった… 僕とは違い、殺人鬼の性質を持ってしまった少女… それでいて今はもう、都合よくも普通の女子大生である、謂わば元異人 あの血の匂いが絶えない、青春の日々を共に過ごしたこの少女 柊 小夜 (ひいらぎ さや) に、殺されていたからだ。 ころされて、コロサレテ、殺されて… それでいて僕もまた、死ねない身体の、不死身の体質を持った異人であるばっかりに、彼女との関係を持ち続けてしまっている。 あのときに、あんなことをされたのに… あんな風に、殺されたのに… 未だに僕は、この柊という少女との関係を、裁ち切れずに大切に持ち続けてしまっているのだ。 出会い頭に殺されて、その後は付きまとわれて、それで最後も殺されて… そんな咽返るような、血の匂いが絶えなかった、あの日々を思い出す。 女の子と共に、同じ部屋で寝た、謂わば青春の日々を… 僕はその柊の言葉で、思い出したのだ。
「さて......こういう時は一体、何から話せばいいんだろうね......」 そう言いながら佳寿さんは、手元にある食事の類から一度視線を完全に外して、僕の方を見る。 見られている僕は、その視線に身に覚えがあるから、佳寿さんとは対照的に、視線を外す。 そして苦し紛れに、口にするのだ。「いや、そんなこと......僕に言われても困りますよ......大体アルバイト自体が初めてで、何を質問すればいいのかさえ、わからないんですから......」「......」「......っ」 何も嘘は吐いていないから、問題はないだろうけれど、それでもやはり、この人のこの視線に覗かれることだけは、やはりどうしても、避けたいと思う。 なんせ覗かれれば最後、コチラの考えていることを全て、抜き取られてしまうからだ。 抜き取られて、取り除かれてしまうかもしれないからだ。「いいや、そんなことはしないから安心しな、不死身の兄ちゃん」 唐突に、そんな風な思考を巡らせていた僕に対して、佳寿さんはそう口にする。「......っ」 そしてそう口にされた僕は、やはりどうしても、こういう風になってしまうのかと、少しばかりの落胆の後に、相当量の諦観が、自分の気持ちを占めていることを自覚して、もうどうにもならないと思いながら、彼女の方に視線を向ける。 けれど彼女は、そんな僕のその視線に対して、まるで何も考えていない様な声色で、言葉を返すのだ。「ん?なんだい?」「いいえ......べつに......」 言った後に僕は、自分の手元に運ばれてきたウーロン茶を一口、ゆっくりと流し込む。 そして佳寿さんは、そんな僕とは対照的に、恐らく彼女にとっては普通の速度で、手元のビールを空にするのだ。 空にした後に、僕の方を見ながら、また口にする。「まぁ......無いなら無いで構わないよ。質問は随時受け付けてやる。その方が仕事の進みもいいだろうから、アタシ的にも好都合だしね......」 言いながら、静かに口元に余裕を添えるその表情は、やはり姉弟だからで、しかも双子だから当然なのかもしれないけれど...... まったくと言って良い程に、同じそれなのだ。 そう思っていると、その思考に対しての返答を、佳寿さんは口にする。「まぁ、不本意だが仕方ないわな。あんな愚弟でも、双子の弟であることは変わら
『嘘をつく子供』というイソップ寓話を、皆はご存知だろうか いや......もしかしたら『羊飼いと狼』や『オオカミ少年』というタイトルの方が、聞き馴染みがあるのかもしれない。 もしくはタイトルを覚えてはいないが、そんな感じの御話を、どこか遠い昔に聞いたことがあるという人も、それなりにいるだろう。 物語の内容は、羊飼いの少年が、退屈しのぎに『狼が来たぞ!!』と嘘をついて騒ぎを起こし、その嘘に騙された村人は武器を持って外に出るが徒労に終わり、その大人たちの姿を見た少年は面白がって、繰り返しにそんな嘘を吐き続け、いつしか村の誰からも信用されなくなり、最後は本当に狼が来た時には誰からも助けてもらえず、村の羊は全て狼に食べられてしまった。 そんな御話しである。 なんだろう...... なんだかこういう風に語ってしまうと、物凄く簡単で明瞭で、まるで当たり前のような結末で、随分と単純な物語のように思えてしまう。 まぁ実際、「嘘を吐けば信用を無くす」なんてことは、簡単で明瞭で当たり前のことなのだから、それはそれで間違いではないのだろう。 そう、なにも深い意味など考えなくても、この御話が伝えたいことは「嘘吐きは信用を無くす」というモノで、概ね間違いではない。 さらに付け加えるならば、「嘘吐きは信用を無くすから、人は常日頃から正直に生きるべきである」という、人として生きるなら、誰しもが心掛けるべき、当たり前のそれらなのだ。 けれど僕は、この歳になってからこの寓話を聞くと、どうしても考えてしまう。 どうして誰も、狼が村の羊を襲う時の外の異変には、見向きもしなかったのだろうか。 どうして誰も、その少年の言葉を嘘だと信じて、疑わなかったのだろうか。 たしかに嘘を吐き続ければ、それで信用がなくなることも理解できるし、それでたまに言う本当のことも、それがどんなに重要なこであろうと、誰からも信じてもらえないということも、理解できる。 しかしながら...... しかしながらそれでも、村の羊が全て食い尽くされる時に、外に何も異変が起きないなんてことは、果たしてあるのだろうか...... いや、常識的に考えれば、そんなことは、ある筈がないのだ。 だからそのときに、もし誰かが一人でも外の様子を確認して、「おい、本当に狼だぞ!!」という風に言ってしまえば、村の羊が全て
顔色があまりにも悪過ぎていたらしく、目を覚ますや否や、先に起きて身支度を済ましていた若桐に心配された。 まぁ......あんな夢を見た後なら、そうもなるだろう。 覚えている限りではあるけれど......いや、ずっとすごい剣幕で睨まれ続けていたことだけは、夢の中だろうが、すごく覚えている。 妹のことを想うが故なのだろうけれど...... それでもずっと......ずぅっとだ......「はぁ......」 溜め息を吐く僕の方を見て、心配そうに見つめながら若桐が、言葉を紡ぐ。「あの、荒木さん......大丈夫ですか......?」 「あぁ......うん。大丈夫だよ......心配かけてごめんね......」 そう言いながら、彼女の小さな頭を優しく撫でる。 そしてゆっくりと、眠気眼のまま布団から身体を起こして、洗面台まで行き、顔を洗う。 冷たい水しぶきで、次第に正気に戻る頭をゆっくりと、ゆったりと巡らせながら、僕は若桐の方に向けて、言う。「朝ごはんでも、食べに行こうか......」 そんな僕の提案に、少しだけ驚いた彼女の表情は、次の瞬間にはパッと晴れて、しかしその後に、僕の体調を心配している。 ほんとうに、せわしなく表情をコロコロと変える彼女は、今こうしている僕なんかよりも、ちゃんと生きている様な、そんな気さえしてしまう。 でも、だからだろう...... だからこの 若桐 薫 という少女は、死してなお、この世に残された想いの強さに引っ張られて、それ故に、自身の重さを残してしまったのだ。 表情豊かで、感情豊かの、浴衣姿の女の子。 あんな兄に愛されたのはまぁ、家族であるのだから良しとして...... 最早結末を、今回のこの一件のネタバレを、そんな兄から夢の中で聞かされたモノだから、今はこんな風に思うのだ。 ほんとうに、どうしようもない程に、傍迷惑な三文芝居でもしている様な、そんな気分である......と...... まったく..
「若桐」 通話を切った後、海辺を歩く若桐に近づいて、僕は彼女を呼び止める。 そして呼び止められた若桐は、小さく進めていた歩みを止めて、静かにコチラを振り返る。「......」「......若桐、お前......」 けれど振り返る彼女の瞳には、戸惑いや不安や焦りという類のモノはなくて、代わりに、何かを決めた様な......そういう類のモノがあった。 そしてその瞳のまま、彼女は言う。「荒木さん、もう......やめましょう......こんなこと......」「えっ......」 こちらを見つめる彼女の瞳には、薄っすらと涙膜が張られていて、けれどそれを、決して僕の前では溢していけない様にしている彼女は、僕から視線を逸らして、言葉を紡ぐ。「ごめんなさい。こんなに付き合わせてしまって......勝手なことを言っている自覚はあります。でもこれ以上......こんなことをしても、もう意味がないんだって......わかってしまって......」 そう言いながら、今まで見たことがない様な、強く自らの拳を強く握りしめている彼女のその姿は、その小さな姿には似つかわしくないほどの、静かな苛立ちを孕ませていた。 そしてそうなると、やはりここに来ても、此処まで来ても、彼女は何も思い出すことが出来なかったのだろう。 そう思いながら、僕は言葉を選びながら、彼女に言う。「そんな......また違う場所に行けば、今度こそは何か思い出せるかもしれないだろ?まだ行けていない所があるなら、そこを訪れてから結論を出してもいいんじゃないのか?」「......」「......それに今更、そんな気を遣わないでくれ。僕だって乗りかかった船だ。ちゃんと最後まで若桐に付き合うつもりで......」「違うんです!!」「えっ......?」 言い掛けた僕の言葉に対して、彼女は顔を横に振って、僕の言葉をハッキリと、食い気味に否定した。 そしてそんな彼女の言葉に、彼女の様子に、少しばかり驚いてい
その日の夜、寝床に着いてからしばらくして見た夢は、悲痛なモノだった。 身体中が、まるで鉛で出来ている様に重く、炎で焼かれている様に熱く、それでいて、そんな自分を見届ける者は、きっと家族なのだろう。 多くは居るけれど、その中に一番傍に居て欲しかった人間が居ない現実が、堪らなく悔しくて、悲しい。 けれどそんな心境を知る由もない、傍に居てくれる誰かが、自分の手を取って、何か話す。 けれど音は、少しづつ擦れて、まるで水の中に居る様な、そんな感覚で......薄れていく感覚は、だんだんと、その体温を奪う様に冷たくなって...... 夢の中にしては、あまりにもその生な感覚と心境が、僕をどうしょうもない程に、理解させた。 あぁ......そうか...... ほんとうに死ぬ間際というのは、こういうモノなのか...... 不死身の異人である僕は、幾度となく殺されはしたけれど、死ぬことは出来ない僕が、恐らく今のままでは一生、こんな一生が続く限りは永遠に、縁がない様な、そんな感覚。 重苦しさと、熱さと、悔しさと、怖さと、冷たさと...... そんなモノ達がまるで、渦を巻いて一つの化け物に姿を変えて、自分のことを食い荒らしている様な...... そんな感覚だった。 朝、目が覚めると、見知らぬ天井に視線を向ける。 布団から身体を起こして、正面に視線を向けると、もう身支度を整え終えた若桐の姿が、そこにはあった。 布団から身体を起こした僕に気が付き、彼女は言う。「あぁ、おはようございます。荒木さん」「......」「荒木......さん......?」 そう言いながら、俯く僕の顔を覗き込む彼女を、僕は何も言わずに、静かに抱き寄せた。「えっ、どうしたんですか......」「......」「......荒木さん、震えてますよ......?」「あぁ......大丈夫......大丈夫だよ......」「えぇ......あ