LOGINパンケーキを食べに行った次の日
ゴールデンウィーク二日目である今日は、朝からあまり天気が良くなく、一日中雨が降り続く予報が、テレビから聞こえていた。
時間の節目になり、番組が変わる。
そしてまたその番組では、前の番組でも報道していたことを、報道する。
特に見ているわけでもないテレビ、朝起きて身支度をするときの時計代わりである。
これはこれで案外便利だ。
こちらの要望に関係なく、今イチオシのスイーツだったり、芸能人の不倫疑惑や、新しい映画の完成披露試写会、政治家の汚職、ゴールデンウィークにおすすめのテーマパークの情報、通り魔の事件や強盗、交通事故、その他諸々。
そんなモノばかりがひっきりなしに、テレビから流れ込んでくる。
そして僕はそれらの大半に、まったくと言っていい程に興味が持てないから、身支度に集中出来るのだ。
それにしても......
昨日琴音さんからされたあの話が、まだ自分の心の中に引っ掛かっている。
琴音さんの説明通りなら、僕は現状、半分ほど人間ではなくて、人間の生き血を吸いながら生きる、吸血鬼になってしまっているのだ。
それでも、琴音さんは生き血を吸うことはないと言っていたから、大丈夫だと言っていたから、きっと大丈夫なのだろう。
なにか根拠があるわけでも、信頼とかがあるわけでも、そういう目には見えない大切なモノは、正直言ってないけれど......
それでも、少なくとも僕をこんな風にしたのは彼女なのだから、こんなことを話せるのは、彼女だけなのだから......
僕はどうなってしまっても、あの吸血鬼の異人の少女 佐柳琴音 を信じるしかないのだろう。
そんな風に考えながら自分の顔を洗っていると、傍に置いていた携帯電話にメッセージが届いていた。
画面を確認すると、そこには昨日、連絡先を交換したばかりの彼女の名前があった。
彼女とはそう、佐柳琴音 その人である(人ではないけれど......)。
『今日見に行きたい映画があるんだけれど、一緒に来てくれない?』
なんだか遠慮がなくなったように思える送られたそのメッセージの文面からは、肯定以外の返事が出来そうにない雰囲気が漂っていた。
まぁ実際、僕はそれを断れないのだけれど......
このゴールデンウィークの期間中は、外出の時は琴音さんと行動を共にするように、あの専門家から言われている。
それは不安定な存在である僕たちが、各々の場所で何かしらの問題を起こさないようにするための措置だ。
けれどどちらかと言えば、僕よりも彼女の方が、問題を起こしてしまう可能性は大きいのだろう。
なんせ元々異人で、専門家に管理されていたのは、彼女の方なのだから。
『いいですよ』と僕は返信する。
そして雨が降りしきるゴールデンウィーク二日目の外に、僕は折りたたみ傘を広げながら、いつものように歩き出した。
横浜駅には最近、駅から一歩も外に出ずに映画館に向かうことができる施設が建設された。それ以外にも様々な飲食店や書店、アパレルに家電量販店、お土産なんかにも使えそうなお菓子やケーキ、総菜、さらには野菜や果物なんかのお店もあるくらいで......
お金さえあれば、全ての買い物が駅から外に出ることなく完結できるのだ。
しかしながらその『お金』が著しく乏しい大学生という人種は、結局は行き慣れた外のお店の方に行ってしまうそうで......
まぁその話は、僕の話ではないのだけれど。
そもそも僕は、普段あまり買い物はしないし、ましてや今回のように、誰かと映画を嗜むこともしない。
だから知らなくて当然なんだけれど......
「あのさ、琴音さん」
「ん?なに?」
不思議そうにワザとらしく首を傾げながら、彼女は笑顔でこちらを見る。
そんな彼女に対して、僕はため息交じりに言葉を紡ぐ。
「僕はどちらか言えば無趣味な方だから、ヒトの趣味に対して何かを言うことは基本しない。だけど今回に限って言えば、さすがに訊かずにはいれないんだ。だからまぁ訊くけれど......」
「うん」
「......なんでこれが見たいの?」
そう言いながら、僕は彼女が見たいと言っていた映画を指差した。
そしてその指差した先には、恋愛でもなければミステリーでもなく、またアニメーション作品でもなければ、特撮でもない。
もちろんハートフルなコメディでも、情熱的な人間ドラマでもない。
そこに書かれていた作品は......
『ルージュ~血の彷彿~』
呪いの人形が主人公達を次々と残忍な殺し方で屠っていく、スプラッターとホラーを掛け合わせたような、そんな映画だったのだ。
「今Twitterで流行っているんだよ、この映画。だから見てみたいかな~って思って」
「いや......だって琴音さん......」
言い掛ける僕に、彼女は被せる様に言う。
「あっ、もしかしてホラー苦手だった?」
「あっ......いや、そういうわけではないけれど......っていうかこれ、ホラーっていうか、スプラッターの要素の方が強いよね?」
そもそも普段が吸血鬼の琴音さんは、どちらかと言えばホラー側な存在だろうに、そんな彼女が、一体どういうつもりでこの映画を見るんだ。
しかも......
「だから結構......グロイですよね、これ......」
「うん、血がいっぱい出るね!」
嬉しそうに言いやがる......
「もしかして美味しそうとか思いませんよね?」
「えーそんなことないよーぜんぜんそんなことなーい」
そんな風に、まるでそう思っていたことを隠す気がない彼女が棒読みで言葉を返すから、僕はつい言ってしまう。
「この中途半端吸血鬼め......」
まぁそれは、僕も同じなんだけれど......
二時間ほどの、鮮血が縦横無尽に飛び回る映画を堪能した後、僕たちは近くにあるファミレスで食事をすることになった。夕飯というには早く、昼食というには遅すぎるような時間帯だけれど、なんせ長時間、一つの映像作品に集中していたのだ。
だからまぁ、少しくらいは、空腹を感じる。
席に着いて、タッチパネルで注文を済ませ、それぞれドリンクバーから飲み物を用意した後、互いにそれぞれの飲み物を一口飲んで喉を潤してから、一拍間を置いて、僕は彼女に尋ねた。
「それで、どうでしたか?お目当ての映画は」
「うーん、内容はあんまりかなー」
さいですか......
「でも映画館で映画を見れたこと自体は、とても面白かったし、贅沢だった」
「贅沢って......まぁたしかに、二時間の映像に二千円近く払っているんだから、その気持ちはわからなくはないけれど......」
そう僕が言い掛けたところで、琴音さんは否定する。
「あぁ違う違う、そういうことじゃなくて......」
「ん?」
「お金のことってよりも、時間とか、設備とか、マナーとか、そういうこと」
「えっと......」
どうしよう、話の意味が少しわからない。
「......つまり、どいうこと?」
そう僕が尋ねると、彼女はまた一口ドリンクを飲んで、そして言う。
「つまりさ......私でも誠でも、毎日何かしら、やらなくてはいけないことに追われてて、そういうことを連絡したりするために、携帯とかって持ってたりするけれど、その携帯の電源を完全に切って、二時間、音響やら映像やらの機材が整った部屋で、ただひたすら、映画の世界に没頭できるって......それってかなり、贅沢なことじゃない?」
その彼女の言葉を聞いて、僕は『あぁ、そういうことか』と納得してしまった
「.....たしかに、そうかもしれないね」
つまり彼女は、考えることが多い今の世の中で、そういうことを一切合切すべて思考の外側にどかして、一つの『映画』という映像作品に、二時間近く費やせるあの空間そのものが贅沢だと、そう言っているのだ。
けれどそれだと......
「でもそれだと......わざわざあんな映画じゃなくても良かったんじゃないの?ぶっちゃけ、殺し方と鮮血の飛び散り方が凄かっただけで、内容はあまり面白くなかったよ」
本当にぶっちゃけたな、僕よ......
「でも世間的には、アレは結構絶賛されているらしいよ?」
からかうような表情で、彼女はそう言う。
だからそれに対して、僕は表情を変えないで返答する。
「それはまぁ、世の中何が流行るかなんて、わかったモンじゃないからね。『流行り物は廃り物』ってことだよ」
そんな風に、僕は自分が知っている言葉を彼女に言った後に、自分のドリンクを一口飲みながら、少しだけ考える。
この言葉は、あまり良い意味ではないよな......
結局、この日はただ本当に、映画を見ただけで終わった。ファミレスで食事をした後に、その店前で解散した。
まぁ、そもそも付き合っている恋人同士でもなければ、友人と言えるほど時間を共有していない、なんと言えばいいのかもわからない、怪しい間柄の僕たちは、その日の予定が終了したら、すぐに解散する方が、何かと都合がいい。
それを別に、僕は彼女に言ったわけでも、彼女が僕に言ったわけでもないけれど、それは多分、お互いに少なからず、そう思っているのだろう。
だから昨日のパンケーキも、そして今日の映画も、彼女の目的が達成されれば、そこで僕たちは解散したのだ。
そして解散後、家路に着いた僕は、自分が生活をしているアパートに続く、暗くて不気味な夜道を歩いていたところだった。
横浜の駅前とは、打って変わって街灯が少なく、そして住宅街だからなのだろう。
不自然なまでに静かで、暗い。
故郷である九州は、もっと早い時間にこのくらいの暗さと静けさになるけれど、それは周りに何もないから、当たり前だ。
けれどこの場所は、こんなにも様々なモノが混在しているのに、そのはずなのに、こんなにも音がしなくて、光がない。
それがとても、不気味に思えて仕方なかった。
それにまさか、こんな不気味な夜道の途中で誰かと会うことも、予想していなかったのだ。
っというよりも、予想出来るはずがない。
「やぁ荒木君、随分と遅かったねぇ。待ちくたびれたよ」
そう言いながら、その男は住宅街にある階段の手すりに腰掛けて、こんな暗い夜道でも、どんな表情をしているのかわかる程に、声を弾ませる。
そしてその声は明らかに、僕のことをからかっている様な、けれどそれでいて、観察している様な、そんな風に聞こえたのだ。
「......相模さん、でしたっけ?」
「覚えててくれたんだ、うれしいね」
「そりゃ、忘れませんよ。だって......」
「ん?」
「だって貴方は、僕と琴音さんの、ある意味では命綱のような、そういう役割の人なんですから......」
そう、この人は専門家だ。
琴音さんのような存在の、異人と言われている者達を管理する専門家。
僕がこんな、わけのわからない状況に陥っても、それを冷静に分析できる専門家。
だから今は、ある意味で色々なことが、この人頼りなのだ。
「命綱か......僕はそんな大層な役回りでは、本来ないんだけれど、でも今の君からしたら、天変地異のような今回の状況に見舞われた君からしたら、僕のことをそう見えていても、仕方ないのかもね」
そう言いながら、男は自分が腰掛けていた階段の手すりから離れる。
そして手すりから離れた男は、そのままの空気で続きを言う。
「まぁ、とりあえず現状を知りたいから話がしたいんだけれど、立ち話もなんだからさ......」
そう言って、まるで「付いて来い」と言わんばかりに、僕に視線を向ける。
そして僕はその視線を、無下に断るわけにもいかないのだ。
一日の内に、しかもそれほど時間を置かずして、ファミレスに行ったことがある人は、一体どれほどいるだろうか......いや、もしかしたらこの事象自体は、案外そんなに珍しくもないのかもしれない。
ファミレスという場所は、特に値段が張る所でもなければ、行きづらい雰囲気の所でもない。
もしもそんなファミレスが存在したら、それはただの『レストラン』で、『ファミリー』を枕に据えること自体、間違っているのだから。
それなら、こう付け加えればどうだろうか......
『人間離れした人間達と、別々のタイミングで、一対一で』
うん、これならきっと、僕ぐらいしか当てはまらないだろう。
連れて来られたファミレスで、とりあえずそれぞれドリンクバーと、摘まむための食べ物を二、三品注文し終えたら、注文を終えた時の空気のまま、何か大切な話しを始める雰囲気を作るわけでもなく、それこそ、日常的な世間話をするような空気で、彼は話し始めた。「それで、半分とはいえ異人になったわけだけれど、その後の調子はどうだい?何か変わったことや、不都合なことはあるかい?」
「えっと......そうですね......」
唐突に尋ねられたその質問に、少しだけ戸惑いながら、昨日と今日の記憶を再確認する。
「そうですね、別に昨日の今日なので、そこまで変わったり、不都合なことがあったりするわけでも、ないですけれど......」
「けれど?」
「まぁ、強いて言うなら、食欲がないくらいですかね......」
そんな風に、僕はまるで内科の問診でもしているかのような言葉を、恐る恐る口にする。
「あーそっか、まだ異人になってそこまで時間が経っていないから、その程度の影響があるくらいなのか。じゃあわざわざ、今日君に会わなくても良かったかな」
そう相模さんが言った所で、タイミングよく食べ物が運ばれてくる。
ポテトフライと、ほうれん草のソテーと、小さなピザ。
これ、まさか僕も食べなくてはいけないのだろうか......
「あの......」
「ん?」
「僕、もう今日は夕飯を済ましているんですけれど......」
そんな風に恐る恐る言う僕に、相模さんは何事もなかったかのように返答する。
「あぁ、知っているよ」
「えっと......だったらこの料理......」
「あーこれね。これは僕が食べるために頼んだだけだから、そんなに気にしないでいいよ」
そう言いながら一口、相模さんはほうれん草のソテーを口にする。
「あーそうなんですか、じゃあ、そうします」
そう言って、僕はドリンクバーから持ってきた紅茶を一口飲み込む。
なんだろ、食べなくてもいいと言われたことに安堵したからだろうか、少しだけ落ち着いてしまう。
そもそも一度夕飯を食べた後に、もう一度ファミレスに来るなんて......
アレ......
さっきの会話、何かおかしくないか......?
だって......
「あの......相模さん......」
「ん?どうしたんだい?」
「なんで僕が、
そう尋ねた僕の声に、彼はそのまま、不敵な表情を変えぬままこう言った。
「まぁ、それが仕事だからね」
食事をしながら相模さんは、まるで決まりきった言葉を復唱するように、まるでそうすることが当たり前のように、言葉を紡いだ。「知っていると思うけれど、僕の仕事は、人間の姿形をしながら、人間とは明らかに異なった性質や体質を持つ者、いわゆる『異人』を、専門的な知識を駆使して、管理することだ」
「つまり......ずっと監視していたんですか......?」
「いいや、それはないよ」
「だって......」
「こう見えてもなかなか忙しくてね、さっきまでは本当に、別件の仕事を片付けていたところだ」
そう言って一口、飲み物を飲み込んだ彼は、続けて言う。
「だから僕は昨日や今日、君が佐柳ちゃんとどんなことをしていたのか、それは知らないし、知る由もなければ、別に知りたいとも思わない。誰が好き好んで、こんな初々しい若い男女の間柄を監視するなんていう、無粋なことをするというのかね、荒木君」
「......」
いや、貴方なら好き好んでやりそうだから、僕はそれを疑ったんだけれど......
そう思いながら、未だに底が見えないこの人に、僕は少しばかりの苛立ちを覚え始めていた。
なるほど、こんな調子の人だから、琴音さんは嫌っているのだろう。
なんとなく、納得できた。
しかしこの人は、僕にそんな風に思われていることを知らずに、そのまま話を続ける。
「それに僕の仕事は、
「大変って......どう大変なことになるんですか......?」
「そんなの、決まっているでしょ」
「......」
どうもピンと来ていない僕に対して、相模さんは顔色を変えずに言う。
「まぁ最悪、死ぬだろうね」
「えっ......」
言い切った相模さんの表情は、言う前とは本当に何も変わらない。
そしてそれを聞かされた僕の表情は、見えなくとも強張っていることが理解できた。
そして僕のその表情を見て、相模さんは言う。
「あのさ荒木君。君はまだ実感が持てていないから、無理もないのかもしれないけれど、異人っていうのは、本来はかなりヤバい存在なんだ」
「ヤバイって......でも......」
「『人を殺してはいけない』『人を死なせてはいけない』、そんなのは所詮、人間である僕達が同族を絶滅させないための理屈だ。それに人間だって、自分達の都合で、色々な生き物を殺すじゃないか」
そう言いながら、相模さんは皿にわずかに残ったフライドポテトを、フォークで刺して、そしてそれを口に運ぶ。
その彼の姿が、些か怖く思えた。
しかし彼は、ただ食事をしているだけのだ。
「...そうだろうな...きっと、柊ならもっと違った方法で、花影を救ってやれたのかもしれない...けれどさ、やっぱり言いにくいこともあるだろ?信頼しているからこそ、慕っているからこそ、花影にとってそれは、逆に言いにくいことだったんじゃないのかな...」 そう言いながら、僕は昨日の、あの花影の姿を思い出す。 あの狼の姿... そういえば、何かの講義...おそらく教養科目の文学だったかな... その講義で紹介された、あの有名な物語のワンフレーズ。 今思うとあれは、本当のことを言っていたのかもしれない。 だって花影の...あのときの花影の瞳は、たしかに綺麗な翡翠色をしていたように、そう思える。 しかしながら花影、それはハッキリ言って杞憂だよ... 今の僕には、どんなに親しくなろうとも、そんな風に誰かを想える気持ちは、花影のように誰かを想える気持ちは、この身体の影響なのかは知らないけれど、無いのだから。 だからこの、今僕の目の前で、黙り込んで座って居る彼女には、そして今、あのときの僕と同じように、病院のベッドの上で寝ている彼女には、とりあえずは第一に、身体よりも心のケアをして欲しいと、今は切に、そう思うのだ。 「いや~まさか本当に、全て俺が思い描いていた通りの結末になるとは思いもしなかったぜ~なんせこの目は、どんなに覗いても未来だけは、見えようがないからなぁ~」 そう言いながら下柳さんは、仕事場であるテントからは少し離れたところにある、飲み物を買うために向かった、設営されたステージが見える自販機の隣で、相変わらずの表情で、相変わらずの格好で、ピストルをクルクルと回していた。 しかしよく校内に入れたなぁ、この人... ピストル持っているのに... 「まぁでも、あの時は流石に、ビビりましたけどね...」 「あっ?あの時って...?」 「とぼけないで下さい。いくら夜だとはいえあんな住宅街ですることじゃないでしょう?まぁおかげで、花影も助かったんですけど...」 「あっ...なんだそのことか~なんだよ~まさか初めてか~?だったら悪かったなぁ~」 「思ってないでしょ...」 そう言いながら、心底、心の奥からため息をつく。 まったく...やはり異人の専門家という生き物には、今のところロクな者がいない。 そう思いながら、僕はあの夜、住宅街
「まったく...本当に馬鹿よね...」 昨日の事の顛末を聞いた柊は、そう僕に言いながら、何処かの屋台で購入したのであろう焼きそばに、舌鼓を打っていた。 そしてそんな彼女を見ながら、殺されたのは昨日の今日だけど、割と普通に動く身体を使いながら、僕は設営されたテントの下で、仕事をしていた。 ちなみに仕事内容は、来場者数の記録とパンフレットの配布 なので僕と柊は、休憩以外の数時間を、ほとんどこのテントの下で過ごして居るということになる。 まぁでも、休憩時間にはちゃっかりと、こうしてこの文化際を楽しんでいるのだ。 そして僕も、お昼ご飯として購入した焼きそばを食べながら、その彼女の言葉に応える。 「僕もそう思うよ...でもまぁ気持ちは、異人として生きて行かなければならないことを、それを強いられたことに対するアイツの気持ちは、なんとなく、わからなくもないんだよなぁ...」 そう言いながら、焼きそばを食べている僕を見て、また柊は言葉を返す。 「それがわかるのは、荒木君が結果的には沙織と同じ境遇で、それで今も異人であるからでしょう?けれど私は、そのことをとやかく言うわけではないのよ...」 「っというと...?」 「私が言いたいのは、どうして素直に、私を頼ってくれなかったのだろうって...あんな回りくどい事をしなくても、私は...」 そう言って俯きながら、柊の箸が止まる。 けれどもそんな彼女に、僕はそれこそ、わかり過ぎる程にわかるので、応えるのだ。
「だからさぁ、お前のしたことは、どういう理由があろうと、どういう意味があろうと、やってはいけないことなんだ。そんな自分の傷を他人に押し付けるような、そんなズルいこと...誰もしてはいけないし、するべきでもないんだ。だってそれは、紛れもなくお前のモノなんだから。その苦しさも、辛さも、見てられなさも、そんなモノも全部ひっくるめてお前なんだから。だから...」 そう言いながら、僕は一歩、花影に近づく。 「だからさぁ花影...もうこんなことはやめにしろよ。それでももし、誰かにそれをぶつけたくなったなら、そのときは僕にぶつけろよ。そのときは全部、暴言だろうが暴力だろうが、破壊だろうが殺戮だろうが、僕がお前のそれを、受け止めてやるさ」 そう言うと、目の前の、もはや狼と成り果てた彼女は、しかしその姿でもわかる程に、明らかな笑みを浮かべて... そしてこちらに飛びつく気満々に、足や腕、身体全体に力を溜める。 そして... 「へぇーそっかぁ...じゃあ先輩は、私のこの気持ちも、そして壊すことすらも、全部全部、たとえ死んでしまっても、受け止めてくれるんだぁー」 「あぁいいよ。僕でいいなら、僕なんかが役に立つなら、本望さ」 そう言いながら、僕はまるで彼女を受け止める様に両腕を広げる。 その姿を見た彼女はまた、ニヤリッと笑いながら言うのだ。 「そっかぁ...じゃあ...」 そしてその言葉の後に、次の言葉を彼女が言う瞬間、彼女は全部の溜めていた力を開放する。 「死んで」 そしてその言葉の後には、あの大きな、数々の現場に残されていた跡の、彼女の大きな爪が、僕の胸から上を全て薙ぎ払うようにして、放たれた。 そうされて意識が飛ぶ直前、僕の死体からは多量の鮮血が、講堂のあちこちにばらまかれるように、まき散らされて、目の前にある何もかもを、僕の血で汚して... そして月夜に、それは見事に、賢狼は事を成したのだ。
「それなら...わかりますよね...私の気持ちが、こんな姿に、何の前触れもなく成り果てて、もうどうしようもなくなって、それでも好きな人にはちゃんと見て欲しくて、でもその人は別の人と仲良さそうにしていて、それがたまらなく苦しくて、辛くて、見てられなくて、こんな馬鹿なことをしてしまう私の気持ち...あなたになら、わかりますよね?」 そんな風に言いながら、そんな姿に成りながら、それでも縋る様なその言葉に、僕は思いっきり、自分の言葉を彼女にぶつけた。 「わかるよ...わかる。自分がもう、どうしようもない者になってしまった後悔も、それをどうにかしたくてもどうにもならない歯痒さも、痛いほどよくわかる。けれどさぁ花影。そんなの、形や重さは人それぞれなんだろうけれど、みんなが抱えていて、当たり前のモノなんだ」 「当たり前...?」 その疑問符の言葉に対して、僕はさらに言葉を返す。 同じ異人の... 人とは決定的に違ったそれをもつ、そんな僕は、そんな彼女に言葉を紡ぐ。 「あぁ、僕達はこんな...こんなわけもわからない者になってしまったけれど、でもそれを赤の他人にわかってもらおうなんて、最初から無理な話なんだよ。たとえそれが、わかって欲しい大切な人だろうと、それを本当の意味で伝えることは、僕達にはできないんだ」 『できない』と、そう言いきった後に、何故だか僕は、泣きそうな気持ちになってしまう。 しかしそれでも、最後に僕は彼女のしたことを、ちゃんと叱らなければならないのだ。 一足早く異人になった僕には、それを言う義務がある。
そんな僕の言葉に、今度は彼女が鼻で笑いながら、言葉を返す。 「...うそばっかり...さっきはそんなこと、全然言っていなかったじゃないですか...はぁ、どうやら真面目に答えてはくれないようですね...まったく...困った人...それにたった数日交流しただけの人に、先輩面されたくはないモノです...」 「その言葉はブーメランだぜ、花影。僕もたった数日交流しただけの女の子に、後輩面されたくはないな...」 たとえそれが... 「たとえそれが...」 化け物だろうと... 「僕と同じ、異人であろうとさ...」 そう言われた瞬間、花影は不気味に短く、笑い出す。 「...フフッ」 そしてもう、全てを知られていることを悟ったのか、薄い赤渕の眼鏡をとって、そして明らかに、人ではない瞳に、人ではない姿に成り果てて、しかしそれでもハッキリと、柊のときとは違ってハッキリと、彼女の声で僕に言う。 「なーんだ、そういうことですか、荒木さん。あなたも私と同じで、壊れているんですね...」 そう言いながら、月灯りに照らされた彼女は、みるみるうちに狼の姿に姿を変えて、人を捨てていく。 そしてそれを見ながら、僕は自分が思っていたよりも穏やかな声で、彼女に対して言葉を紡ぐ。 「あぁ、そうかもな。僕ももう、お前と同じで人には戻れない様な、そんな者に、なったからさ...」
だからもう、僕はあの暗号には興味を持てないのだ。 たとえ次に、『さ』から始まるサークルが飛ばされて、『し』から始まるサークルが被害を受け、そこで『し』から始まる何かが壊されていようと... たとえ最後の現場で、例の満月カレンダーのような暗号が残されていて、そしてそれが今日の昼間に、全て塗りつぶされた、描かれ切ったそれが、壊された何かに貼られていようと... たとえその紙が、今回の文化際のパンフレットの最後ページの、僕と柊の名前が書かれているページの、コピーだと言われようと... それに十五夜の満月が描かれているということは、きっちりと十五番目まで、最後まで犯人が犯行を成功させたということを、意味していようと... そしてそれらを、全て花影がLINEで、僕と柊に教えてくれようと... もう、その暗号に対する興味も関心も... ついでに言えば、それを逐一LINEで伝える彼女の潔白性すらも... 既に失ってしまっているのだ。 「...なーんだ、もうそこまで、理解しているんですね...」 その彼女の言葉は、まるで取り繕うのをやめたような、それでいてもう、ただ単に話を前に進めたいだけの、そんなテキトウさすら感じてしまうような言葉に、僕は思えた。 「...」 「あれ...でも、じゃあいつから私が、犯人だと気付いていたんですか?」 この彼女の言葉に、僕はさっきまでの自分の言葉を、まるで何もかも忘れているような、そんなテキトウで、しかしながら適当な、そんな言葉で返す。 「最初から、なんとなくは気付いていたさ。僕はお前の先輩なんだぜ。だからお前が、どんなに面倒な手段を取ろうと、どんなに馬鹿げたことをしようと、見誤るわけがなだろう」 そんな僕の言葉に、今度は彼女が鼻で笑いながら、言葉を返す。