パンケーキを食べに行った次の日
ゴールデンウィーク二日目である今日は、朝からあまり天気が良くなく、一日中雨が降り続く予報が、テレビから聞こえていた。
時間の節目になり、番組が変わる。
そしてまたその番組では、前の番組でも報道していたことを、報道する。
特に見ているわけでもないテレビ、朝起きて身支度をするときの時計代わりである。
これはこれで案外便利だ。
こちらの要望に関係なく、今イチオシのスイーツだったり、芸能人の不倫疑惑や、新しい映画の完成披露試写会、政治家の汚職、ゴールデンウィークにおすすめのテーマパークの情報、通り魔の事件や強盗、交通事故、その他諸々。
そんなモノばかりがひっきりなしに、テレビから流れ込んでくる。
そして僕はそれらの大半に、まったくと言っていい程に興味が持てないから、身支度に集中出来るのだ。
それにしても......
昨日琴音さんからされたあの話が、まだ自分の心の中に引っ掛かっている。
琴音さんの説明通りなら、僕は現状、半分ほど人間ではなくて、人間の生き血を吸いながら生きる、吸血鬼になってしまっているのだ。
それでも、琴音さんは生き血を吸うことはないと言っていたから、大丈夫だと言っていたから、きっと大丈夫なのだろう。
なにか根拠があるわけでも、信頼とかがあるわけでも、そういう目には見えない大切なモノは、正直言ってないけれど......
それでも、少なくとも僕をこんな風にしたのは彼女なのだから、こんなことを話せるのは、彼女だけなのだから......
僕はどうなってしまっても、あの吸血鬼の異人の少女 佐柳琴音 を信じるしかないのだろう。
そんな風に考えながら自分の顔を洗っていると、傍に置いていた携帯電話にメッセージが届いていた。
画面を確認すると、そこには昨日、連絡先を交換したばかりの彼女の名前があった。
彼女とはそう、佐柳琴音 その人である(人ではないけれど......)。
『今日見に行きたい映画があるんだけれど、一緒に来てくれない?』
なんだか遠慮がなくなったように思える送られたそのメッセージの文面からは、肯定以外の返事が出来そうにない雰囲気が漂っていた。
まぁ実際、僕はそれを断れないのだけれど......
このゴールデンウィークの期間中は、外出の時は琴音さんと行動を共にするように、あの専門家から言われている。
それは不安定な存在である僕たちが、各々の場所で何かしらの問題を起こさないようにするための措置だ。
けれどどちらかと言えば、僕よりも彼女の方が、問題を起こしてしまう可能性は大きいのだろう。
なんせ元々異人で、専門家に管理されていたのは、彼女の方なのだから。
『いいですよ』と僕は返信する。
そして雨が降りしきるゴールデンウィーク二日目の外に、僕は折りたたみ傘を広げながら、いつものように歩き出した。
横浜駅には最近、駅から一歩も外に出ずに映画館に向かうことができる施設が建設された。それ以外にも様々な飲食店や書店、アパレルに家電量販店、お土産なんかにも使えそうなお菓子やケーキ、総菜、さらには野菜や果物なんかのお店もあるくらいで......
お金さえあれば、全ての買い物が駅から外に出ることなく完結できるのだ。
しかしながらその『お金』が著しく乏しい大学生という人種は、結局は行き慣れた外のお店の方に行ってしまうそうで......
まぁその話は、僕の話ではないのだけれど。
そもそも僕は、普段あまり買い物はしないし、ましてや今回のように、誰かと映画を嗜むこともしない。
だから知らなくて当然なんだけれど......
「あのさ、琴音さん」
「ん?なに?」
不思議そうにワザとらしく首を傾げながら、彼女は笑顔でこちらを見る。
そんな彼女に対して、僕はため息交じりに言葉を紡ぐ。
「僕はどちらか言えば無趣味な方だから、ヒトの趣味に対して何かを言うことは基本しない。だけど今回に限って言えば、さすがに訊かずにはいれないんだ。だからまぁ訊くけれど......」
「うん」
「......なんでこれが見たいの?」
そう言いながら、僕は彼女が見たいと言っていた映画を指差した。
そしてその指差した先には、恋愛でもなければミステリーでもなく、またアニメーション作品でもなければ、特撮でもない。
もちろんハートフルなコメディでも、情熱的な人間ドラマでもない。
そこに書かれていた作品は......
『ルージュ~血の彷彿~』
呪いの人形が主人公達を次々と残忍な殺し方で屠っていく、スプラッターとホラーを掛け合わせたような、そんな映画だったのだ。
「今Twitterで流行っているんだよ、この映画。だから見てみたいかな~って思って」
「いや......だって琴音さん......」
言い掛ける僕に、彼女は被せる様に言う。
「あっ、もしかしてホラー苦手だった?」
「あっ......いや、そういうわけではないけれど......っていうかこれ、ホラーっていうか、スプラッターの要素の方が強いよね?」
そもそも普段が吸血鬼の琴音さんは、どちらかと言えばホラー側な存在だろうに、そんな彼女が、一体どういうつもりでこの映画を見るんだ。
しかも......
「だから結構......グロイですよね、これ......」
「うん、血がいっぱい出るね!」
嬉しそうに言いやがる......
「もしかして美味しそうとか思いませんよね?」
「えーそんなことないよーぜんぜんそんなことなーい」
そんな風に、まるでそう思っていたことを隠す気がない彼女が棒読みで言葉を返すから、僕はつい言ってしまう。
「この中途半端吸血鬼め......」
まぁそれは、僕も同じなんだけれど......
二時間ほどの、鮮血が縦横無尽に飛び回る映画を堪能した後、僕たちは近くにあるファミレスで食事をすることになった。夕飯というには早く、昼食というには遅すぎるような時間帯だけれど、なんせ長時間、一つの映像作品に集中していたのだ。
だからまぁ、少しくらいは、空腹を感じる。
席に着いて、タッチパネルで注文を済ませ、それぞれドリンクバーから飲み物を用意した後、互いにそれぞれの飲み物を一口飲んで喉を潤してから、一拍間を置いて、僕は彼女に尋ねた。
「それで、どうでしたか?お目当ての映画は」
「うーん、内容はあんまりかなー」
さいですか......
「でも映画館で映画を見れたこと自体は、とても面白かったし、贅沢だった」
「贅沢って......まぁたしかに、二時間の映像に二千円近く払っているんだから、その気持ちはわからなくはないけれど......」
そう僕が言い掛けたところで、琴音さんは否定する。
「あぁ違う違う、そういうことじゃなくて......」
「ん?」
「お金のことってよりも、時間とか、設備とか、マナーとか、そういうこと」
「えっと......」
どうしよう、話の意味が少しわからない。
「......つまり、どいうこと?」
そう僕が尋ねると、彼女はまた一口ドリンクを飲んで、そして言う。
「つまりさ......私でも誠でも、毎日何かしら、やらなくてはいけないことに追われてて、そういうことを連絡したりするために、携帯とかって持ってたりするけれど、その携帯の電源を完全に切って、二時間、音響やら映像やらの機材が整った部屋で、ただひたすら、映画の世界に没頭できるって......それってかなり、贅沢なことじゃない?」
その彼女の言葉を聞いて、僕は『あぁ、そういうことか』と納得してしまった
「.....たしかに、そうかもしれないね」
つまり彼女は、考えることが多い今の世の中で、そういうことを一切合切すべて思考の外側にどかして、一つの『映画』という映像作品に、二時間近く費やせるあの空間そのものが贅沢だと、そう言っているのだ。
けれどそれだと......
「でもそれだと......わざわざあんな映画じゃなくても良かったんじゃないの?ぶっちゃけ、殺し方と鮮血の飛び散り方が凄かっただけで、内容はあまり面白くなかったよ」
本当にぶっちゃけたな、僕よ......
「でも世間的には、アレは結構絶賛されているらしいよ?」
からかうような表情で、彼女はそう言う。
だからそれに対して、僕は表情を変えないで返答する。
「それはまぁ、世の中何が流行るかなんて、わかったモンじゃないからね。『流行り物は廃り物』ってことだよ」
そんな風に、僕は自分が知っている言葉を彼女に言った後に、自分のドリンクを一口飲みながら、少しだけ考える。
この言葉は、あまり良い意味ではないよな......
結局、この日はただ本当に、映画を見ただけで終わった。ファミレスで食事をした後に、その店前で解散した。
まぁ、そもそも付き合っている恋人同士でもなければ、友人と言えるほど時間を共有していない、なんと言えばいいのかもわからない、怪しい間柄の僕たちは、その日の予定が終了したら、すぐに解散する方が、何かと都合がいい。
それを別に、僕は彼女に言ったわけでも、彼女が僕に言ったわけでもないけれど、それは多分、お互いに少なからず、そう思っているのだろう。
だから昨日のパンケーキも、そして今日の映画も、彼女の目的が達成されれば、そこで僕たちは解散したのだ。
そして解散後、家路に着いた僕は、自分が生活をしているアパートに続く、暗くて不気味な夜道を歩いていたところだった。
横浜の駅前とは、打って変わって街灯が少なく、そして住宅街だからなのだろう。
不自然なまでに静かで、暗い。
故郷である九州は、もっと早い時間にこのくらいの暗さと静けさになるけれど、それは周りに何もないから、当たり前だ。
けれどこの場所は、こんなにも様々なモノが混在しているのに、そのはずなのに、こんなにも音がしなくて、光がない。
それがとても、不気味に思えて仕方なかった。
それにまさか、こんな不気味な夜道の途中で誰かと会うことも、予想していなかったのだ。
っというよりも、予想出来るはずがない。
「やぁ荒木君、随分と遅かったねぇ。待ちくたびれたよ」
そう言いながら、その男は住宅街にある階段の手すりに腰掛けて、こんな暗い夜道でも、どんな表情をしているのかわかる程に、声を弾ませる。
そしてその声は明らかに、僕のことをからかっている様な、けれどそれでいて、観察している様な、そんな風に聞こえたのだ。
「......相模さん、でしたっけ?」
「覚えててくれたんだ、うれしいね」
「そりゃ、忘れませんよ。だって......」
「ん?」
「だって貴方は、僕と琴音さんの、ある意味では命綱のような、そういう役割の人なんですから......」
そう、この人は専門家だ。
琴音さんのような存在の、異人と言われている者達を管理する専門家。
僕がこんな、わけのわからない状況に陥っても、それを冷静に分析できる専門家。
だから今は、ある意味で色々なことが、この人頼りなのだ。
「命綱か......僕はそんな大層な役回りでは、本来ないんだけれど、でも今の君からしたら、天変地異のような今回の状況に見舞われた君からしたら、僕のことをそう見えていても、仕方ないのかもね」
そう言いながら、男は自分が腰掛けていた階段の手すりから離れる。
そして手すりから離れた男は、そのままの空気で続きを言う。
「まぁ、とりあえず現状を知りたいから話がしたいんだけれど、立ち話もなんだからさ......」
そう言って、まるで「付いて来い」と言わんばかりに、僕に視線を向ける。
そして僕はその視線を、無下に断るわけにもいかないのだ。
一日の内に、しかもそれほど時間を置かずして、ファミレスに行ったことがある人は、一体どれほどいるだろうか......いや、もしかしたらこの事象自体は、案外そんなに珍しくもないのかもしれない。
ファミレスという場所は、特に値段が張る所でもなければ、行きづらい雰囲気の所でもない。
もしもそんなファミレスが存在したら、それはただの『レストラン』で、『ファミリー』を枕に据えること自体、間違っているのだから。
それなら、こう付け加えればどうだろうか......
『人間離れした人間達と、別々のタイミングで、一対一で』
うん、これならきっと、僕ぐらいしか当てはまらないだろう。
連れて来られたファミレスで、とりあえずそれぞれドリンクバーと、摘まむための食べ物を二、三品注文し終えたら、注文を終えた時の空気のまま、何か大切な話しを始める雰囲気を作るわけでもなく、それこそ、日常的な世間話をするような空気で、彼は話し始めた。「それで、半分とはいえ異人になったわけだけれど、その後の調子はどうだい?何か変わったことや、不都合なことはあるかい?」
「えっと......そうですね......」
唐突に尋ねられたその質問に、少しだけ戸惑いながら、昨日と今日の記憶を再確認する。
「そうですね、別に昨日の今日なので、そこまで変わったり、不都合なことがあったりするわけでも、ないですけれど......」
「けれど?」
「まぁ、強いて言うなら、食欲がないくらいですかね......」
そんな風に、僕はまるで内科の問診でもしているかのような言葉を、恐る恐る口にする。
「あーそっか、まだ異人になってそこまで時間が経っていないから、その程度の影響があるくらいなのか。じゃあわざわざ、今日君に会わなくても良かったかな」
そう相模さんが言った所で、タイミングよく食べ物が運ばれてくる。
ポテトフライと、ほうれん草のソテーと、小さなピザ。
これ、まさか僕も食べなくてはいけないのだろうか......
「あの......」
「ん?」
「僕、もう今日は夕飯を済ましているんですけれど......」
そんな風に恐る恐る言う僕に、相模さんは何事もなかったかのように返答する。
「あぁ、知っているよ」
「えっと......だったらこの料理......」
「あーこれね。これは僕が食べるために頼んだだけだから、そんなに気にしないでいいよ」
そう言いながら一口、相模さんはほうれん草のソテーを口にする。
「あーそうなんですか、じゃあ、そうします」
そう言って、僕はドリンクバーから持ってきた紅茶を一口飲み込む。
なんだろ、食べなくてもいいと言われたことに安堵したからだろうか、少しだけ落ち着いてしまう。
そもそも一度夕飯を食べた後に、もう一度ファミレスに来るなんて......
アレ......
さっきの会話、何かおかしくないか......?
だって......
「あの......相模さん......」
「ん?どうしたんだい?」
「なんで僕が、
そう尋ねた僕の声に、彼はそのまま、不敵な表情を変えぬままこう言った。
「まぁ、それが仕事だからね」
食事をしながら相模さんは、まるで決まりきった言葉を復唱するように、まるでそうすることが当たり前のように、言葉を紡いだ。「知っていると思うけれど、僕の仕事は、人間の姿形をしながら、人間とは明らかに異なった性質や体質を持つ者、いわゆる『異人』を、専門的な知識を駆使して、管理することだ」
「つまり......ずっと監視していたんですか......?」
「いいや、それはないよ」
「だって......」
「こう見えてもなかなか忙しくてね、さっきまでは本当に、別件の仕事を片付けていたところだ」
そう言って一口、飲み物を飲み込んだ彼は、続けて言う。
「だから僕は昨日や今日、君が佐柳ちゃんとどんなことをしていたのか、それは知らないし、知る由もなければ、別に知りたいとも思わない。誰が好き好んで、こんな初々しい若い男女の間柄を監視するなんていう、無粋なことをするというのかね、荒木君」
「......」
いや、貴方なら好き好んでやりそうだから、僕はそれを疑ったんだけれど......
そう思いながら、未だに底が見えないこの人に、僕は少しばかりの苛立ちを覚え始めていた。
なるほど、こんな調子の人だから、琴音さんは嫌っているのだろう。
なんとなく、納得できた。
しかしこの人は、僕にそんな風に思われていることを知らずに、そのまま話を続ける。
「それに僕の仕事は、
「大変って......どう大変なことになるんですか......?」
「そんなの、決まっているでしょ」
「......」
どうもピンと来ていない僕に対して、相模さんは顔色を変えずに言う。
「まぁ最悪、死ぬだろうね」
「えっ......」
言い切った相模さんの表情は、言う前とは本当に何も変わらない。
そしてそれを聞かされた僕の表情は、見えなくとも強張っていることが理解できた。
そして僕のその表情を見て、相模さんは言う。
「あのさ荒木君。君はまだ実感が持てていないから、無理もないのかもしれないけれど、異人っていうのは、本来はかなりヤバい存在なんだ」
「ヤバイって......でも......」
「『人を殺してはいけない』『人を死なせてはいけない』、そんなのは所詮、人間である僕達が同族を絶滅させないための理屈だ。それに人間だって、自分達の都合で、色々な生き物を殺すじゃないか」
そう言いながら、相模さんは皿にわずかに残ったフライドポテトを、フォークで刺して、そしてそれを口に運ぶ。
その彼の姿が、些か怖く思えた。
しかし彼は、ただ食事をしているだけのだ。
着なれた着物を着こなして、まるで童話に出てくるような、不思議な綺麗さを持っていた少女。 あの夏休みの熱海旅行で遭遇してしまった、想い人の思いによって重さを与えられてしまった、旅人の異人となってしまっていた幽霊の少女。 そして今でも、その後遺症のせいなのか、成仏出来ずに様々な所を旅する浮遊霊的な何かになってしまった... そのせいで、彼女は僕以外からは、認識されることはない。 そこに彼女が居たとしても、そういう風には誰も見ない。 そんな存在に、そんな概念に、彼女は成ってしまったのだ。 しかし... しかしそれでも、そんな、怖くない筈がない自分の状況でも、彼女は外を見たいと思いを馳せて、遠路に花を掛けるのだ。 高貴で高尚な、桐の花を... 時刻はお昼を過ぎた十五時頃 目的の物は早々に買い終えて、そんなに時間を使わずに帰るつもりだったのに、どうやらそういうわけにはいかなくなってしまったみたいだ。 なぜなら今、僕はその浮遊霊的な彼女を連れて、普段なら確実にスルーしているであろうパンケーキのお店に、来ているからだ。 いや...この場合、連れて来られたのはむしろ僕の方なのだろう。 僕と一緒に居なければ、誰からも認知されることがない幽霊的彼女は、とりあえず今は、事ここに至っては、普通の客として周りから認知される。 それはあの時の最後もそうだった。 だから彼女は、あのときも僕と一緒に、電車に乗ることが出来たのだ。 だからなのだろう… だから彼女は、僕と会ったことをいいことに、今日まで彼女がずっと入りたいと思っていたお店に、僕と共に入ったのだろう。 そして今まさに、目の前に座る彼女は瞳を輝かせ、そのお店のメニュー表を見ているのだ。 そんな彼女に、僕は少しだけ戸惑いながら、声を掛けた。
日曜日、あまりにも急な話かもしれないが、僕は今、横浜駅前に位置するとある商業施設に来ている。 いや、まぁそうは言っても、先日花影と話した時に、結局僕と柊は、彼女に協力することになったわけで... それでもって今日は、その文化祭の実行委員で使うであろう様々な道具を買い揃える為に、この場所に来ている。 だからそう考えると、別段僕にとっては急な話というわけではなくて、むしろ明日からは本格的に仕事が始まるため、その前日にあたる今日に買い物を済ませておくことは、僕にとっては普通のことで、当たり前のことなのだ。 しかしながら... しかしながら、別に『様々』と言っても、そこまで多数のモノを買うわけではない。 強いて言うなら、ノートパソコンとその周辺機器くらいだろうか。 実は先日、文化祭実行委員の業務内容の一つであるデスクワークの大半は、皆自前のノートパソコンを使用するということを、花影に言われたのだ。 データ流出等の危険性を未然に防ぐ為の試みだそうだ。 まぁしかし、これに関してはもうそろそろ大学で貸し出されている物を使うのではなくて、自分専用のモノを買うべきだとも、思っていたところだった。 後期からはカリキュラムに『実験』が含まれたことで、その実験に関するレポートを、毎週作成して提出しなければいけないのだ。 そうなると流石にその都度大学にパソコンを借りるのは、非効率だし面倒くさい。 そう考えると、どちらかというと、実行委員の仕事のためというよりも、自分のこれからの生活の為に買うといった方がしっくりくる。 どうせ長いこと、使うであろう機械なのだから。 「ん...あれ...?」 そんなことを考えながら店に入ろうとすると、丁度目の前に、周りの人達とは一風変わった姿をしている女の子を見つけた。 まぁ『変わった姿をしている』と言っても、その姿がまるで人間離れしたモノであるとか、そういうことは一切ない。 姿というのは、いわゆる見た目というか、服装という意味で、その女の子の服装は、他の人達とは違い、着物姿だったのだ。 そう、昔ながらの、まるで日本の昔話に出てくるような、童話に出てくような、色あせた着物。 そしてそれでいて、周りからはそれを不審に思われていない様な、そんな風貌の、中学生くらいの年齢の女の子。 もしもその子が、見知らぬ女の子であるならば
「…」 「…」 その言葉で、一体何のことだかわかっていない僕と、苦笑いをしながら反応する花影。 そしてこのときは、どちらもまるで違う心境で、同じように言葉を失ったのだろう。 そしてそんな僕たちを見て、少しため息をつきながら、どうやらソフトクリームの方は食べ終えたらしい柊が、話し出す。 「文化祭が行われるのは十月の末を最終日に据えた2日間。つまり初日は十月三十日なのよ」 「あぁ、まぁそうだな」 「それで荒木君、今日は何日かしら?」 「今日は…えっと…」 唐突に言われたので、携帯で日付けを確認するのが遅れてしまう。 しかしそんな僕よりも、前に座っている花影がすぐに答えてくれた。 「十月十日です…」 「そう、つまりもう本番までに、二週間と少ししかないの。それなのにこの今の段階で、仕事がほとんど終わっていなくてはいけない筈の今の段階で、仕事どころか人員も、粗方目処が立っているという状況なのよ」 「あっ…」 そうか…そういうことか… そんな風に気が付いた僕の反応を見て、前に座る花影は、何か取り繕うのを諦めたかのように、話し始めた。 「小夜さんのおっしゃる通りです。例年であればこの時期は、設営以外の仕事は完璧に終わってなくてはいけない筈なんです。ところが数ヶ月前から少しずつ、仕事の遅れが出て来てしまっていて…気が付いた頃には、もう今居る人達ではカバー出来なくなってしまっていて…」 「具体的には何の仕事が、どのくらい遅れているの?」 「パンフレットの印刷と、露店販売に参加するサークル名簿の整理と、あと…」 「あと…?」 「開催二週間前から、参加サークルへの事前訪問をしなくていけないんですけど、そちらに回せる人員がなくて…」 「なるほどね。つまり私達は、その遅れている仕事と、二週間前から始まる事前訪問を手伝えば良いってことよね?」 「はい…その通りです…」 そう言いながら、花影はまた苦笑いを浮かべていた。 そしてそれとは対象的に、余裕そうな顔で彼女を見つめて、柊は答えた。 「…わかったわ、その仕事、私と荒木君が引き受けてあげる」 そう答える柊の表情は、なんだか少しだけ大人美て見える気がした。 けれどもその表情は、きっとこの前僕に話した、柊の悪い癖なのだろう。 そう、彼女はただ、後輩の前では格好良く在ろうとしているだけ
そんな風に、そもそも最初からそんな気がなかった癖に、そんなことを考えながら、僕はその花影の言葉に返答した。 「あぁ...まぁ僕なんかでよかったら力になるけど...でもさ、こういう行事の実行委員って、前期の時から粗方人が揃っているモノだろ。そんなところに、こんな本番直前の時期から、まるで素人の僕が加わることに、一体何の意味があるんだい?」 そう、大学の文化祭ともなると、高校や中学までのそれとは違い、桁外れに人員数や仕事量が多くなるということは、まるでそのことを知らない僕でさえも、容易に予想が出来ることだった。 有名人を呼んでの座談会や、ステージ設営の手配、新しい企画の立案に、各サークルの露店販売の申請などなど… そもそも規模が違うのだ。 そんなところに、まるでそれらの経験がない僕なんかが参加したところで、何か出来るモノなのだろうか… しかしそんな僕の問に対しての返答は、思っていたよりも気楽だった。 前に座る花影は、ニッコリと笑いながら、応えてくれる。 「荒木さん、そんな風に考えくれていたんですね。ありがとうございます。そうですね、たしかにその通りです。実を言えば人員も仕事も、今の段階で粗方問題なく、ちゃんと目処が立っているんです」 「えっ…じゃあどうして、僕を…?」 そう僕が言いかけたところで、横に座る柊がいきなり横槍を入れて来る。 「荒木君、沙織の話をちゃんと聞いていなかったの?沙織もダメじゃない。この男はちゃんと言わないとわからないわよ?」「…」 「…」 その言葉で、一体何のことだかわかっていない僕と、苦笑いをしながら反応する花影。 そしてこのときは、どちらもまるで違う心境で、同じように言葉を失ったのだろう。 そしてそんな僕たちを見て、少しため息をつきながら、どうやらソフトクリームの方は食べ終えたらしい柊が、話し出す。 「文化祭が行われるのは十月の末を最終日に据えた2日間。つまり初日は十月三十日なのよ」 「あぁ、まぁそうだな」 「それで荒木君、今日は何日かしら?」 「今日は…えっと…」 唐突に言われたので、携帯で日付けを確認するのが遅れてしまう。 しかしそんな僕よりも、前に座っている花影がすぐに答えてくれた。 「十月十日です…」 「そう、つまりもう本番までに、二週間と少ししかないの。それなのにこの今の段階で、仕事が
その柊の言葉で、また僕も、あのときのそれを思い出してしまう。 だからきっと、こんな普通なら関わらない、そんな場所に駆り出されるとしても、それは仕方がないことなのだ。 だからせめて、抗うように、僕はあのときとは違う言葉で返す。 「そうかい…そりゃよかったよ…」 時刻はお昼を差し掛かった頃だから、十二時かそのぐらいの時間だろうか。 僕は柊と大学内にある喫茶店に来ていた。 しかしながら大学内の喫茶店と言っても、別段特別にメニューが面白いわけでも、大学生向けに安価な値段で商品を提供しているわけではない。 とこにでもあるような、変わり映えのないメニューが、変わり映えのない値段で売られているだけだ。 しかしもしそんな中でも面白さを挙げろと言うのなら、我大学の名前、神野崎大学の名前が付いたソフトクリーム、『神大ソフト』が、二百円という比較的安価な値段で売られているくらいだろうか。 ただのソフトクリームに、チョコレートやらイチゴやらのソースが掛かってているだけなのだが、何故だかこの大学の名物になっているらしい。 そんなソフトクリームを注文して、黙々とそれを食べている柊と、その隣で紙コップに入ったコーヒーを啜る僕は、今一人の少女、柊の高校時代の後輩で、今は同輩であるこの少女... 花影 沙織 (はなかげ さおり) を、前にして居るのだ。 『便利な奴』と、そういう風に言われたあの日以来、そう日数を置かないうちに、僕は例の、柊の元後輩である花影を、紹介されることになった。 薄いフレームの赤渕メガネに、綺麗に切り整った肩口までの髪型で、それでいて服装は奇を衒わず、今の季節や流行を押さえた、大学内でよく見る女の子的な服装。 そして話し方は、初対面の僕や高校時代からの先輩である柊にも、なるべく適切丁寧な言葉遣いを心掛けているような、そんな印象が見受けられる、物静かな少女だった。 「小夜先輩、荒木さん、今回の話を引き受けて下さって、本当にありがとうございます。」 最初の挨拶もそこそこに、本題に入ろうとするその彼女の言葉は、なんだか少しだけ、たどたどしさを感じた気がした。 しかし彼女は、そう言いながら小さく僕たちに頭を下げるのだ。 それに柊のことを下の名前で呼んでいることから、この2人の間柄はかなり深いモノのような、そんな気もしてしまう。 これは.
大学という教育機関は、中学までのような義務教育ではなく、また高校のような場所とも違い、全国の様々な場所から、様々な年齢層の奴等が集まる場所だ。 だから別に、同期の中で多少の歳の差が生まれることも、しばしばあることなのだ。 だから僕は、そんな彼女に対して、小言の様に言うつもりはないけれど… やはり友人なら、思ったことは隠さずに言うべきなので、言おうと思う。 「あのな…そういうことは出来れば最初に言うべきじゃないのか…残念ながらもう僕は柊のことを歳上として扱うことが出来る気がしないんだけど…」 結局、小言になってしまった。 しかし当の彼女は、それを聞いても何も思うところが無いような声で、無いような表情で、応答する。 「あら、別にいいわよそんなこと。荒木君とだって学年は同じなんだし、それに今さら歳上扱いされる方が、なんか変な感じがして気が休まらないわ」 「…そういうモノなのか…?」 「そういうモノよ。それに私たち、そもそも出会いがあんなんだったんだから、そんなことにまで気が回らなかったのも無理はないでしょう?」 「あっ…」 柊のその言葉で、僕は思い出す。 彼女との出会いを、思い出す。 夏休み前の前半最終… あれはどう考えても、散々な日々だった… なぜなら僕は、今日この場に同席している僕の友人 自分のことを押し殺すことで他人をも惨殺するようになってしまった… 僕とは違い、殺人鬼の性質を持ってしまった少女… それでいて今はもう、都合よくも普通の女子大生である、謂わば元異人 あの血の匂いが絶えない、青春の日々を共に過ごしたこの少女 柊 小夜 (ひいらぎ さや) に、殺されていたからだ。 ころされて、コロサレテ、殺されて… それでいて僕もまた、死ねない身体の、不死身の体質を持った異人であるばっかりに、彼女との関係を持ち続けてしまっている。 あのときに、あんなことをされたのに… あんな風に、殺されたのに… 未だに僕は、この柊という少女との関係を、裁ち切れずに大切に持ち続けてしまっているのだ。 出会い頭に殺されて、その後は付きまとわれて、それで最後も殺されて… そんな咽返るような、血の匂いが絶えなかった、あの日々を思い出す。 女の子と共に、同じ部屋で寝た、謂わば青春の日々を… 僕はその柊の言葉で、思い出したのだ。