Chapter: 不死身青年と賢狼烈女の悪戯Ⅱ_01 着なれた着物を着こなして、まるで童話に出てくるような、不思議な綺麗さを持っていた少女。 あの夏休みの熱海旅行で遭遇してしまった、想い人の思いによって重さを与えられてしまった、旅人の異人となってしまっていた幽霊の少女。 そして今でも、その後遺症のせいなのか、成仏出来ずに様々な所を旅する浮遊霊的な何かになってしまった... そのせいで、彼女は僕以外からは、認識されることはない。 そこに彼女が居たとしても、そういう風には誰も見ない。 そんな存在に、そんな概念に、彼女は成ってしまったのだ。 しかし... しかしそれでも、そんな、怖くない筈がない自分の状況でも、彼女は外を見たいと思いを馳せて、遠路に花を掛けるのだ。 高貴で高尚な、桐の花を... 時刻はお昼を過ぎた十五時頃 目的の物は早々に買い終えて、そんなに時間を使わずに帰るつもりだったのに、どうやらそういうわけにはいかなくなってしまったみたいだ。 なぜなら今、僕はその浮遊霊的な彼女を連れて、普段なら確実にスルーしているであろうパンケーキのお店に、来ているからだ。 いや...この場合、連れて来られたのはむしろ僕の方なのだろう。 僕と一緒に居なければ、誰からも認知されることがない幽霊的彼女は、とりあえず今は、事ここに至っては、普通の客として周りから認知される。 それはあの時の最後もそうだった。 だから彼女は、あのときも僕と一緒に、電車に乗ることが出来たのだ。 だからなのだろう… だから彼女は、僕と会ったことをいいことに、今日まで彼女がずっと入りたいと思っていたお店に、僕と共に入ったのだろう。 そして今まさに、目の前に座る彼女は瞳を輝かせ、そのお店のメニュー表を見ているのだ。 そんな彼女に、僕は少しだけ戸惑いながら、声を掛けた。
Last Updated: 2025-09-08
Chapter: 不死身青年と賢狼烈女の悪戯Ⅰ_07日曜日、あまりにも急な話かもしれないが、僕は今、横浜駅前に位置するとある商業施設に来ている。 いや、まぁそうは言っても、先日花影と話した時に、結局僕と柊は、彼女に協力することになったわけで... それでもって今日は、その文化祭の実行委員で使うであろう様々な道具を買い揃える為に、この場所に来ている。 だからそう考えると、別段僕にとっては急な話というわけではなくて、むしろ明日からは本格的に仕事が始まるため、その前日にあたる今日に買い物を済ませておくことは、僕にとっては普通のことで、当たり前のことなのだ。 しかしながら... しかしながら、別に『様々』と言っても、そこまで多数のモノを買うわけではない。 強いて言うなら、ノートパソコンとその周辺機器くらいだろうか。 実は先日、文化祭実行委員の業務内容の一つであるデスクワークの大半は、皆自前のノートパソコンを使用するということを、花影に言われたのだ。 データ流出等の危険性を未然に防ぐ為の試みだそうだ。 まぁしかし、これに関してはもうそろそろ大学で貸し出されている物を使うのではなくて、自分専用のモノを買うべきだとも、思っていたところだった。 後期からはカリキュラムに『実験』が含まれたことで、その実験に関するレポートを、毎週作成して提出しなければいけないのだ。 そうなると流石にその都度大学にパソコンを借りるのは、非効率だし面倒くさい。 そう考えると、どちらかというと、実行委員の仕事のためというよりも、自分のこれからの生活の為に買うといった方がしっくりくる。 どうせ長いこと、使うであろう機械なのだから。 「ん...あれ...?」 そんなことを考えながら店に入ろうとすると、丁度目の前に、周りの人達とは一風変わった姿をしている女の子を見つけた。 まぁ『変わった姿をしている』と言っても、その姿がまるで人間離れしたモノであるとか、そういうことは一切ない。 姿というのは、いわゆる見た目というか、服装という意味で、その女の子の服装は、他の人達とは違い、着物姿だったのだ。 そう、昔ながらの、まるで日本の昔話に出てくるような、童話に出てくような、色あせた着物。 そしてそれでいて、周りからはそれを不審に思われていない様な、そんな風貌の、中学生くらいの年齢の女の子。 もしもその子が、見知らぬ女の子であるならば
Last Updated: 2025-09-07
Chapter: 不死身青年と賢狼烈女の悪戯Ⅰ_06「…」 「…」 その言葉で、一体何のことだかわかっていない僕と、苦笑いをしながら反応する花影。 そしてこのときは、どちらもまるで違う心境で、同じように言葉を失ったのだろう。 そしてそんな僕たちを見て、少しため息をつきながら、どうやらソフトクリームの方は食べ終えたらしい柊が、話し出す。 「文化祭が行われるのは十月の末を最終日に据えた2日間。つまり初日は十月三十日なのよ」 「あぁ、まぁそうだな」 「それで荒木君、今日は何日かしら?」 「今日は…えっと…」 唐突に言われたので、携帯で日付けを確認するのが遅れてしまう。 しかしそんな僕よりも、前に座っている花影がすぐに答えてくれた。 「十月十日です…」 「そう、つまりもう本番までに、二週間と少ししかないの。それなのにこの今の段階で、仕事がほとんど終わっていなくてはいけない筈の今の段階で、仕事どころか人員も、《《粗方目処が立っている》》という状況なのよ」 「あっ…」 そうか…そういうことか… そんな風に気が付いた僕の反応を見て、前に座る花影は、何か取り繕うのを諦めたかのように、話し始めた。 「小夜さんのおっしゃる通りです。例年であればこの時期は、設営以外の仕事は完璧に終わってなくてはいけない筈なんです。ところが数ヶ月前から少しずつ、仕事の遅れが出て来てしまっていて…気が付いた頃には、もう今居る人達ではカバー出来なくなってしまっていて…」 「具体的には何の仕事が、どのくらい遅れているの?」 「パンフレットの印刷と、露店販売に参加するサークル名簿の整理と、あと…」 「あと…?」 「開催二週間前から、参加サークルへの事前訪問をしなくていけないんですけど、そちらに回せる人員がなくて…」 「なるほどね。つまり私達は、その遅れている仕事と、二週間前から始まる事前訪問を手伝えば良いってことよね?」 「はい…その通りです…」 そう言いながら、花影はまた苦笑いを浮かべていた。 そしてそれとは対象的に、余裕そうな顔で彼女を見つめて、柊は答えた。 「…わかったわ、その仕事、私と荒木君が引き受けてあげる」 そう答える柊の表情は、なんだか少しだけ大人美て見える気がした。 けれどもその表情は、きっとこの前僕に話した、柊の悪い癖なのだろう。 そう、彼女はただ、後輩の前では格好良く在ろうとしているだけ
Last Updated: 2025-09-04
Chapter: 不死身青年と賢狼烈女の悪戯Ⅰ_05 そんな風に、そもそも最初からそんな気がなかった癖に、そんなことを考えながら、僕はその花影の言葉に返答した。 「あぁ...まぁ僕なんかでよかったら力になるけど...でもさ、こういう行事の実行委員って、前期の時から粗方人が揃っているモノだろ。そんなところに、こんな本番直前の時期から、まるで素人の僕が加わることに、一体何の意味があるんだい?」 そう、大学の文化祭ともなると、高校や中学までのそれとは違い、桁外れに人員数や仕事量が多くなるということは、まるでそのことを知らない僕でさえも、容易に予想が出来ることだった。 有名人を呼んでの座談会や、ステージ設営の手配、新しい企画の立案に、各サークルの露店販売の申請などなど… そもそも規模が違うのだ。 そんなところに、まるでそれらの経験がない僕なんかが参加したところで、何か出来るモノなのだろうか… しかしそんな僕の問に対しての返答は、思っていたよりも気楽だった。 前に座る花影は、ニッコリと笑いながら、応えてくれる。 「荒木さん、そんな風に考えくれていたんですね。ありがとうございます。そうですね、たしかにその通りです。実を言えば人員も仕事も、今の段階で粗方問題なく、ちゃんと目処が立っているんです」 「えっ…じゃあどうして、僕を…?」 そう僕が言いかけたところで、横に座る柊がいきなり横槍を入れて来る。 「荒木君、沙織の話をちゃんと聞いていなかったの?沙織もダメじゃない。この男はちゃんと言わないとわからないわよ?」「…」 「…」 その言葉で、一体何のことだかわかっていない僕と、苦笑いをしながら反応する花影。 そしてこのときは、どちらもまるで違う心境で、同じように言葉を失ったのだろう。 そしてそんな僕たちを見て、少しため息をつきながら、どうやらソフトクリームの方は食べ終えたらしい柊が、話し出す。 「文化祭が行われるのは十月の末を最終日に据えた2日間。つまり初日は十月三十日なのよ」 「あぁ、まぁそうだな」 「それで荒木君、今日は何日かしら?」 「今日は…えっと…」 唐突に言われたので、携帯で日付けを確認するのが遅れてしまう。 しかしそんな僕よりも、前に座っている花影がすぐに答えてくれた。 「十月十日です…」 「そう、つまりもう本番までに、二週間と少ししかないの。それなのにこの今の段階で、仕事が
Last Updated: 2025-08-31
Chapter: 不死身青年と賢狼烈女の悪戯Ⅰ_04 その柊の言葉で、また僕も、あのときのそれを思い出してしまう。 だからきっと、こんな普通なら関わらない、そんな場所に駆り出されるとしても、それは仕方がないことなのだ。 だからせめて、抗うように、僕はあのときとは違う言葉で返す。 「そうかい…そりゃよかったよ…」 時刻はお昼を差し掛かった頃だから、十二時かそのぐらいの時間だろうか。 僕は柊と大学内にある喫茶店に来ていた。 しかしながら大学内の喫茶店と言っても、別段特別にメニューが面白いわけでも、大学生向けに安価な値段で商品を提供しているわけではない。 とこにでもあるような、変わり映えのないメニューが、変わり映えのない値段で売られているだけだ。 しかしもしそんな中でも面白さを挙げろと言うのなら、我大学の名前、神野崎大学の名前が付いたソフトクリーム、『神大ソフト』が、二百円という比較的安価な値段で売られているくらいだろうか。 ただのソフトクリームに、チョコレートやらイチゴやらのソースが掛かってているだけなのだが、何故だかこの大学の名物になっているらしい。 そんなソフトクリームを注文して、黙々とそれを食べている柊と、その隣で紙コップに入ったコーヒーを啜る僕は、今一人の少女、柊の高校時代の後輩で、今は同輩であるこの少女... 花影 沙織 (はなかげ さおり) を、前にして居るのだ。 『便利な奴』と、そういう風に言われたあの日以来、そう日数を置かないうちに、僕は例の、柊の元後輩である花影を、紹介されることになった。 薄いフレームの赤渕メガネに、綺麗に切り整った肩口までの髪型で、それでいて服装は奇を衒わず、今の季節や流行を押さえた、大学内でよく見る女の子的な服装。 そして話し方は、初対面の僕や高校時代からの先輩である柊にも、なるべく適切丁寧な言葉遣いを心掛けているような、そんな印象が見受けられる、物静かな少女だった。 「小夜先輩、荒木さん、今回の話を引き受けて下さって、本当にありがとうございます。」 最初の挨拶もそこそこに、本題に入ろうとするその彼女の言葉は、なんだか少しだけ、たどたどしさを感じた気がした。 しかし彼女は、そう言いながら小さく僕たちに頭を下げるのだ。 それに柊のことを下の名前で呼んでいることから、この2人の間柄はかなり深いモノのような、そんな気もしてしまう。 これは.
Last Updated: 2025-08-30
Chapter: 不死身青年と賢狼烈女の悪戯Ⅰ_03 大学という教育機関は、中学までのような義務教育ではなく、また高校のような場所とも違い、全国の様々な場所から、様々な年齢層の奴等が集まる場所だ。 だから別に、同期の中で多少の歳の差が生まれることも、しばしばあることなのだ。 だから僕は、そんな彼女に対して、小言の様に言うつもりはないけれど… やはり友人なら、思ったことは隠さずに言うべきなので、言おうと思う。 「あのな…そういうことは出来れば最初に言うべきじゃないのか…残念ながらもう僕は柊のことを歳上として扱うことが出来る気がしないんだけど…」 結局、小言になってしまった。 しかし当の彼女は、それを聞いても何も思うところが無いような声で、無いような表情で、応答する。 「あら、別にいいわよそんなこと。荒木君とだって学年は同じなんだし、それに今さら歳上扱いされる方が、なんか変な感じがして気が休まらないわ」 「…そういうモノなのか…?」 「そういうモノよ。それに私たち、そもそも出会いがあんなんだったんだから、そんなことにまで気が回らなかったのも無理はないでしょう?」 「あっ…」 柊のその言葉で、僕は思い出す。 彼女との出会いを、思い出す。 夏休み前の前半最終… あれはどう考えても、散々な日々だった… なぜなら僕は、今日この場に同席している僕の友人 自分のことを押し殺すことで他人をも惨殺するようになってしまった… 僕とは違い、殺人鬼の性質を持ってしまった少女… それでいて今はもう、都合よくも普通の女子大生である、謂わば元異人 あの血の匂いが絶えない、青春の日々を共に過ごしたこの少女 柊 小夜 (ひいらぎ さや) に、殺されていたからだ。 ころされて、コロサレテ、殺されて… それでいて僕もまた、死ねない身体の、不死身の体質を持った異人であるばっかりに、彼女との関係を持ち続けてしまっている。 あのときに、あんなことをされたのに… あんな風に、殺されたのに… 未だに僕は、この柊という少女との関係を、裁ち切れずに大切に持ち続けてしまっているのだ。 出会い頭に殺されて、その後は付きまとわれて、それで最後も殺されて… そんな咽返るような、血の匂いが絶えなかった、あの日々を思い出す。 女の子と共に、同じ部屋で寝た、謂わば青春の日々を… 僕はその柊の言葉で、思い出したのだ。
Last Updated: 2025-08-29
Chapter: アンビリカルワールド この病院に配属されて、もうすぐ一年近くになる。 研修医として、目が回る様な思いをしながら熟す仕事に、少しずつ慣れてきた。 幸いなことに、同じ患者さんを担当する先輩は、仕事が出来て、その上性格もいい。 だから仕事のことで相談した内容に関しては、いつでも適格な助言をくれるのだ。 しかし今日に限っては、僕も先輩も、初めて対応するこの患者さん達に、やはり戸惑いは隠せない。 僕と先輩の目の前に居る患者さんたちは、様々だった。 明らかな未成年も居れば、若い青年、中年や老人。 それでいて男女関係なく、同じ病室のベットで横になっている。 その光景を見ながら、僕は横に立つ先輩に向けて、静かに口にする。「年齢はともかく、男女同じ病室なんて、初めて見ました......」 その光景を見ながら、先輩も同じように、口にする。「そうだな、この病院では俺も初めて見たよ」「えっ、前の所では普通だったんですか?」 そう俺が先輩に尋ねると、先輩は何かを言い掛けようとする。 しかしそのタイミングで後ろから、僕等二人に話し掛ける人がいた。「いや~ほんと、ヘルプ助かるよ。急に申し訳ないねぇ......」 声がする方向に振り向くと、立って居たのは、中年の医者だった。「お疲れさまです。あの先生、この患者さん方って......」 そう僕が言い掛けたところで、先生は僕が、一体何を訊きたいのかを察した様で、先生は言葉を返す。「あぁ、この人達は皆同じ症状だよ。どこにも異常はない。ただ眠っているだけだ。強いていうなら、ずっと長く夢を見ている」「えっ、それって......」 そう僕が言い掛けた所で、看護婦の方が先生を呼んでしまう。 そして先生は、ゆっくりとした足取りで、その看護婦の方へ行く。 その姿を見送りながら、僕は訊きたかったことを、飲み込んだ。 しかし隣の先輩は、そんな僕に向けて言う。「とりあえず、点滴チェックと体温だな。反対側から任せていいか?」「えっ、あぁ......はい」 どうやら先輩は、勝手を知っているようだった。 体温と点滴のチェックを終えた後、僕と先輩は自販機で飲み物を買って、少しの休憩をとっていた。 口を飲み物から離した後に、先輩は僕に尋ねる。「お前、ゲームはする方?」 唐突に尋ねられたその言葉に、僕は少しだけ考えながら、返答した。「えぇ
Last Updated: 2025-07-19
Chapter: 砂城の言葉、新堂の選択「......しかし僕は、思うんだ。この国の人間は本当に、人としての本懐を、遂げているのだろうかと......」 そう言いながら、俺から視線を逸らして、辺りを見回す。 新人の身体を借りながら砂城は、まるで何かを探す様にしながら、しかしその泳いでいた視線は、少し経てば俺の所に、戻ってくる。 その彼の姿を見て、俺は砂城に言う。「そんな風に話を明後日の方向に持って行って、お前は一体、何がしたいんだ?」 その俺の問い掛けに、砂城は答える。「べつに......ただ単にこういう話を君と楽しみたい。それだけだよ......」 言いながら砂城は、俺を見る。 口元に余裕を添えて、俺を見る。 そんな砂城に、俺はまた、言葉を紡ぐ。「雑談がしたいなら、もっと他の方法があった筈だ......わざわざ他人の身体に潜り込んで、意識をすり替えて、やりたいことがただの雑談なら、それは馬鹿げている......異常だ......」 そう俺が言うと、砂城は視線を下げて、小さく笑う。「フフッ......」「なんだよ......?」「いいや、こんな姿になっても君は、僕のことをそうやって、正常な誰かに当てはめようとしてくれるんだね......こんなことをしている時点で、こんなことになっている時点で、もう既に、僕は異常だよ......」「......そんなこと、とっくに知っている......」「......」「だが、わからないこともある......」「何がだい?」「どうしてわざわざ、潜り込む対象のバイタルデータを消すような、そんな危険な行為をした?」「......」「今お前がしている様に、そんなことをしなくてもお前は、その対象者の意識に潜り込めるんだろ?」「それは、この子のバイタルデータは消えていないと、そう断言出来てから出る言葉だよ......そんなのはまだ、わからないんじゃないのかい......?」「いや......わかるんだよ。だってそいつは、昨日の店主の様な、ただのアウトローな国民とは違う。正真正銘、行政府の人間。管理している側の人間だ。そんな奴のバイタルデータが消えたら、俺等の端末には間違いなく、それらについての連絡が来るはずだ......だが今は、それはない......」 そう言いながら、核心的なことをそのまま、俺は砂城に言うつもりでいた。 しかし砂
Last Updated: 2025-07-19
Chapter: 砂城の理想、現実の世界 店の中は、こうだった...... 言葉を一つ残して、男は立ち去った。 誰もいない、死体だけが一つ転がる店に、俺は置き去りにされたのだ。 店には誰も居なかった。 もともとあの男しか、この店には居なかった。 しかしカクテルを飲んでから、意識を飛ばした後、気がつくと一人増えていた。 ヒトが一人、増えていた。 その女は、今日行方を追っていたヒトだった。 三枝箕郷という、若い女だ。 しかしその女は、喋りながら正常に狂い始めて、その果てに意識をすり替えられて、最後は自殺した。 女は死体になった。 狂った女は、死体になった。 しかしその後に、今度は初めから店に居た男が、狂い始めた。 狂った男は、異常な酒の飲み方をしながら、ゆっくり俺と会話をした。 会話をしながら、次第に熱を帯びる男の思想は、俺を睨みつけた。 睨みつけられた俺は、その男に銃口を向けていた。 銃口を向けながら、俺と男はまた、会話を続けた。 男が考えていることの詳細を......いや、もしかしたら概要を、俺は彼から告げられた。 告げられた俺は、それらを理解出来なかった。 しかし理解できない俺に対して、男はさらに、思想を語った。 頭に銃口を突き付けられている筈の男は、その銃口に額を着けて、思想を語った。 一頻り話した後に、最後に言い残していた言葉を言い切って、男は俺の前から、姿を消したのだ。 そして今、やはり俺はこの店に、一人で置き去りにされている。 しばらくその場に立ち尽くして、さっきまでの出来事を粗方、思い出す。 そしてその後に、他の誰でもない自分に言い聞かせる様にして、俺は自分の足をゆっくりと、扉の方へ進ませる。「あぁ......帰らない......とな......」 誰もいない、死体だけが転がる店を、俺は出て行った。 そこから先の記憶は、正直なところ、朧気だった。 意識を失ったわけではなく、ちゃんと自分の足で歩いて、その店から立ち去ったが、歩いている最中も、頭の中には、最後に砂城に言われた台詞が貼り着いて、離れない。 傲慢という、そういう言葉を使いながら、俺達の居る世界を一括りに否定した彼の台詞が、どうしても...... どうしても離れては、くれない。 その足取りのまま、俺は自宅への帰路についた。 上司への報告は、明日でいいだろう。 なんて
Last Updated: 2025-07-19
Chapter: 被害者の行方、関係者達の心証 やりたくない仕事を、しなくてはならない日というのは、呆気なく来てしまうモノである。 今日がその一日目。 一人目の国民は、若い女性だった。 国民番号:三千四十八番 三枝 箕郷(さえぐさ みさと) 二十歳 昼間は大学に通いながら、夜はアルバイトとして飲食店で働いている。 それ以外には、コレと言った特徴があるわけでもない。 いたって普通の学生である彼女のことを、在籍している大学の事務に尋ねてみたりもしたが、二ヶ月程前から、講義に出席していないという情報以外、手掛かりらしいそれらは、残念ながら得ることは出来なかった。 だから俺は、彼女がアルバイトとして在籍している飲食店へ、足を運ぶことにした。 時刻は二十時を少し回った辺り。 店の住所を見て、少しばかり覚悟はしていた。 煌びやかな灯りが彩る表の通りを、少しばかり外れて、しかしそこから深く路地裏の方へと続く道を、しばらく歩いて数十分。「ココか......」 目の前に現れたその店は、飲食店というよりも、廃墟の様な風貌だった。 周りの景色も相まってか、少しばかり空気が重い。 一見すると、その建物が店をやっているのかわからなくなるような、そういう佇まいだ。 ほんとうに、ココであってるのだろうか...... そう思いながら、やはりすぐには尋ねる気になれなくて、その建物の前で少しばかり、立ち往生してしまう。 そして、しばらく経ったくらいだろうか......「あんた、入らないのかい?」「えっ......」 振り返ると、そこには背の高くて線の細い男が立っていた。 いつからそこに居たのかは、わからないけれど...... 男は俺の方を見て、溜め息混じりに言い放つ。「客じゃないなら、悪いけれど帰ってくれないか?いつも大して客が居るわけでもないが、今日は特に酷いんだ......」 そう言いながら、男は俺から視線を逸らして、店の中に入ろうと、すぐ近くを歩く。 けれどそんな男に向かって、俺はさらに尋ねる。「失礼ですが、アナタは......?」「俺はココの店主だよ。そういうアンタこそ一体何者なんだい?いつもこんな所に来る様な人には見えないけれど?もしかして......行政の人間かい?」 言い当てられて、俺は些か、動揺してしまう。 そしてその動揺を隠せないまま、俺は返答する。「......はい
Last Updated: 2025-07-19
Chapter: 死角の住人、鈍色の思想「失礼します」と言いながら足を踏み入れた会議室には、普通なら絶対に、御目に掛かることが出来ないであろう偉いさん方達が、会議室の席の約八割を占めていた。 そして残った二割は、俺と上司の二人が座るために空席となっていて、そんな普段の会議では有り得ない様な異質の情景が、息苦しさに似た空気感を作り上げていた。 そしてそんな空気の中、俺達が座り、会議が始まるや否や、向かいに座る一人の偉いさんが、コチラ側に尋ねるべきことを、淡々と口にした。「さて、早速本題に入るが......突如としてバイタルデータが消去されるなど、前代未聞のこの状況を、君達はどう対処するつもりかね......?」 言いながら、コチラ側をジッと見つめるその人の視線は、気持ちの良いモノではなかった。 そして、そんな視線に耐えかねたのか、それとも単に、その言葉に対しての答えを、予め持ち合わせていたのだろうか......もしくは、その両方か...... 俺の隣に座る上司は、前に座るその人に対して、言葉を返す。「はい、その件につきましては、担当者である彼に直接、そのバイタルデータの持ち主の所に行ってもらい、現地調査してもらいます」 そう言いながら上司は、一度コチラの方にチラリと視線を向け、さらにその勢いのまま、言葉を続ける。「またそれと並行して、今回起きた事象についての原因究明を、私自ら主導して、行います」 その続けた言葉に対して、もう一人のお偉いさんが口を挟む。「ほぅ......具体的には、一体どうするつもりかね......?」「まずは一度、一週間分のCORDの全ログを洗い出します。この作業自体は、そこまで時間が掛からないでしょう。二、三日程度で行えます。その後は、必要であるなら、システム管理課と共同で、CORDの再調整を行いたいと考えております」 そう上司が言い切ったところで、数人の偉いさん方は、一瞬だけ動揺した。 そしてその動揺した偉いさんの一人が、上司に対して言う。「再調整を行うということは、君は一時的なCORDの運用停止をも視野に入れていると、そういうことかね......?」「はい、そのつもりです」 その肯定の上司の返答に、また会議室内は、先程と同様か、それ以上に重苦しい空気に飲み込まれた。 そしてその空気の中、先程上司に質問を投げ掛けたお偉いさんが、ため息交じり吐き出す
Last Updated: 2025-07-19
Chapter: 消えた国民、隠された事実 事務室に入り、午後の業務のためにPCを起動する。 そして隣に座っている新人も、業務を行うために、同じ動きでPCの電源を入れて、さっきと同じ様な口調で、しかしさっきとはまるで別の話題を「あっ、そういえば新堂さん」という言葉を皮切りに、俺に促す。 そしてそこからは、本当にただの雑談だ。 休日に昔ながらのカフェやバーに行くことを趣味にしているこの新人は、そこで食べた料理や飲み物、その店の雰囲気や、そこで会った初対面の|女性《ヒト》と過ごした一夜なんかも、よく話題にして俺に話す。 まったく...... 無駄に顔が良い新人のその話題は、後半の方は特に、危うい気もするのだが...... 休日は家に居ることが多い俺にとっては、週初めの月曜日に話されるその話題が、些か鬱陶しいと思う反面、自分だとそういう所には出向かないし、もちろん初対面の|女性《ヒト》なんかとも、そういうことになることはない。 だから彼のそんな話は、聞いている分には、まるでチープな深夜ドラマでも見ている様な、そういう感覚になって、少しだけ面白かったりする。 だからまぁ飽きもせず、毎週そんな話を、俺は彼から聞いている。 矛盾していると、自分でも思いながら。「さぁ、そろそろ仕事をしよう」 そう言うと、新人は少しだけ、不満そうな表情をする。 どうせまた明日も、同じ話をする癖に。 そんな風に思いながら、PCの画面を確認して、そして午後の業務を行う。「......えっ?」「ん?どうしたんですか、新堂さん」 そう言いながら、新人は俺のPCの画面を覗き込む。 そしてその画面を見て、新人も俺と同じような、表情になる。「これ......どういう、状態ですか......?」「いや、俺もわからん......」 そう......そこに映されているのは、モニタリングされたデータと、そのデータの対象とされている国民の顔写真と名前が、細かく列記されていた。 ある数名を除いて......「こんなの、はじめて見ましたよ。モニタリングされたデータだけが、綺麗に空白にされているなんて......何かのバグ......ですかね......?」 そう言いながら、俺の方を見る新人に、言葉を返す。「どうなんだろうな......もしバグなら、お前の方でも、同じことが起きているんじゃないのか......?」「そ
Last Updated: 2025-07-19