Chapter: 不死身青年と賢狼烈女の悪戯V_02 「...そうだろうな...きっと、柊ならもっと違った方法で、花影を救ってやれたのかもしれない...けれどさ、やっぱり言いにくいこともあるだろ?信頼しているからこそ、慕っているからこそ、花影にとってそれは、逆に言いにくいことだったんじゃないのかな...」 そう言いながら、僕は昨日の、あの花影の姿を思い出す。 あの狼の姿... そういえば、何かの講義...おそらく教養科目の文学だったかな... その講義で紹介された、あの有名な物語のワンフレーズ。 今思うとあれは、本当のことを言っていたのかもしれない。 だって花影の...あのときの花影の瞳は、たしかに綺麗な翡翠色をしていたように、そう思える。 しかしながら花影、それはハッキリ言って杞憂だよ... 今の僕には、どんなに親しくなろうとも、そんな風に誰かを想える気持ちは、花影のように誰かを想える気持ちは、この身体の影響なのかは知らないけれど、無いのだから。 だからこの、今僕の目の前で、黙り込んで座って居る彼女には、そして今、あのときの僕と同じように、病院のベッドの上で寝ている彼女には、とりあえずは第一に、身体よりも心のケアをして欲しいと、今は切に、そう思うのだ。 「いや~まさか本当に、全て俺が思い描いていた通りの結末になるとは思いもしなかったぜ~なんせこの目は、どんなに覗いても未来だけは、見えようがないからなぁ~」 そう言いながら下柳さんは、仕事場であるテントからは少し離れたところにある、飲み物を買うために向かった、設営されたステージが見える自販機の隣で、相変わらずの表情で、相変わらずの格好で、ピストルをクルクルと回していた。 しかしよく校内に入れたなぁ、この人... ピストル持っているのに... 「まぁでも、あの時は流石に、ビビりましたけどね...」 「あっ?あの時って...?」 「とぼけないで下さい。いくら夜だとはいえあんな住宅街ですることじゃないでしょう?まぁおかげで、花影も助かったんですけど...」 「あっ...なんだそのことか~なんだよ~まさか初めてか~?だったら悪かったなぁ~」 「思ってないでしょ...」 そう言いながら、心底、心の奥からため息をつく。 まったく...やはり異人の専門家という生き物には、今のところロクな者がいない。 そう思いながら、僕はあの夜、住宅街
Last Updated: 2025-10-01
Chapter: 不死身青年と賢狼烈女の悪戯V_01 「まったく...本当に馬鹿よね...」 昨日の事の顛末を聞いた柊は、そう僕に言いながら、何処かの屋台で購入したのであろう焼きそばに、舌鼓を打っていた。 そしてそんな彼女を見ながら、殺されたのは昨日の今日だけど、割と普通に動く身体を使いながら、僕は設営されたテントの下で、仕事をしていた。 ちなみに仕事内容は、来場者数の記録とパンフレットの配布 なので僕と柊は、休憩以外の数時間を、ほとんどこのテントの下で過ごして居るということになる。 まぁでも、休憩時間にはちゃっかりと、こうしてこの文化際を楽しんでいるのだ。 そして僕も、お昼ご飯として購入した焼きそばを食べながら、その彼女の言葉に応える。 「僕もそう思うよ...でもまぁ気持ちは、異人として生きて行かなければならないことを、それを強いられたことに対するアイツの気持ちは、なんとなく、わからなくもないんだよなぁ...」 そう言いながら、焼きそばを食べている僕を見て、また柊は言葉を返す。 「それがわかるのは、荒木君が結果的には沙織と同じ境遇で、それで今も異人であるからでしょう?けれど私は、そのことをとやかく言うわけではないのよ...」 「っというと...?」 「私が言いたいのは、どうして素直に、私を頼ってくれなかったのだろうって...あんな回りくどい事をしなくても、私は...」 そう言って俯きながら、柊の箸が止まる。 けれどもそんな彼女に、僕はそれこそ、わかり過ぎる程にわかるので、応えるのだ。
Last Updated: 2025-09-25
Chapter: 不死身青年と賢狼烈女の悪戯IV_07「だからさぁ、お前のしたことは、どういう理由があろうと、どういう意味があろうと、やってはいけないことなんだ。そんな自分の傷を他人に押し付けるような、そんなズルいこと...誰もしてはいけないし、するべきでもないんだ。だってそれは、紛れもなくお前のモノなんだから。その苦しさも、辛さも、見てられなさも、そんなモノも全部ひっくるめてお前なんだから。だから...」 そう言いながら、僕は一歩、花影に近づく。 「だからさぁ花影...もうこんなことはやめにしろよ。それでももし、誰かにそれをぶつけたくなったなら、そのときは僕にぶつけろよ。そのときは全部、暴言だろうが暴力だろうが、破壊だろうが殺戮だろうが、僕がお前のそれを、受け止めてやるさ」 そう言うと、目の前の、もはや狼と成り果てた彼女は、しかしその姿でもわかる程に、明らかな笑みを浮かべて... そしてこちらに飛びつく気満々に、足や腕、身体全体に力を溜める。 そして... 「へぇーそっかぁ...じゃあ先輩は、私のこの気持ちも、そして壊すことすらも、全部全部、たとえ死んでしまっても、受け止めてくれるんだぁー」 「あぁいいよ。僕でいいなら、僕なんかが役に立つなら、本望さ」 そう言いながら、僕はまるで彼女を受け止める様に両腕を広げる。 その姿を見た彼女はまた、ニヤリッと笑いながら言うのだ。 「そっかぁ...じゃあ...」 そしてその言葉の後に、次の言葉を彼女が言う瞬間、彼女は全部の溜めていた力を開放する。 「死んで」 そしてその言葉の後には、あの大きな、数々の現場に残されていた跡の、彼女の大きな爪が、僕の胸から上を全て薙ぎ払うようにして、放たれた。 そうされて意識が飛ぶ直前、僕の死体からは多量の鮮血が、講堂のあちこちにばらまかれるように、まき散らされて、目の前にある何もかもを、僕の血で汚して... そして月夜に、それは見事に、賢狼は事を成したのだ。
Last Updated: 2025-09-24
Chapter: 不死身青年と賢狼烈女の悪戯IV_06 「それなら...わかりますよね...私の気持ちが、こんな姿に、何の前触れもなく成り果てて、もうどうしようもなくなって、それでも好きな人にはちゃんと見て欲しくて、でもその人は別の人と仲良さそうにしていて、それがたまらなく苦しくて、辛くて、見てられなくて、こんな馬鹿なことをしてしまう私の気持ち...あなたになら、わかりますよね?」 そんな風に言いながら、そんな姿に成りながら、それでも縋る様なその言葉に、僕は思いっきり、自分の言葉を彼女にぶつけた。 「わかるよ...わかる。自分がもう、どうしようもない者になってしまった後悔も、それをどうにかしたくてもどうにもならない歯痒さも、痛いほどよくわかる。けれどさぁ花影。そんなの、形や重さは人それぞれなんだろうけれど、みんなが抱えていて、当たり前のモノなんだ」 「当たり前...?」 その疑問符の言葉に対して、僕はさらに言葉を返す。 同じ異人の... 人とは決定的に違ったそれをもつ、そんな僕は、そんな彼女に言葉を紡ぐ。 「あぁ、僕達はこんな...こんなわけもわからない者になってしまったけれど、でもそれを赤の他人にわかってもらおうなんて、最初から無理な話なんだよ。たとえそれが、わかって欲しい大切な人だろうと、それを本当の意味で伝えることは、僕達にはできないんだ」 『できない』と、そう言いきった後に、何故だか僕は、泣きそうな気持ちになってしまう。 しかしそれでも、最後に僕は彼女のしたことを、ちゃんと叱らなければならないのだ。 一足早く異人になった僕には、それを言う義務がある。
Last Updated: 2025-09-23
Chapter: 不死身青年と賢狼烈女の悪戯IV_05 そんな僕の言葉に、今度は彼女が鼻で笑いながら、言葉を返す。 「...うそばっかり...さっきはそんなこと、全然言っていなかったじゃないですか...はぁ、どうやら真面目に答えてはくれないようですね...まったく...困った人...それにたった数日交流しただけの人に、先輩面されたくはないモノです...」 「その言葉はブーメランだぜ、花影。僕もたった数日交流しただけの女の子に、後輩面されたくはないな...」 たとえそれが... 「たとえそれが...」 化け物だろうと... 「僕と同じ、異人であろうとさ...」 そう言われた瞬間、花影は不気味に短く、笑い出す。 「...フフッ」 そしてもう、全てを知られていることを悟ったのか、薄い赤渕の眼鏡をとって、そして明らかに、人ではない瞳に、人ではない姿に成り果てて、しかしそれでもハッキリと、柊のときとは違ってハッキリと、彼女の声で僕に言う。 「なーんだ、そういうことですか、荒木さん。あなたも私と同じで、壊れているんですね...」 そう言いながら、月灯りに照らされた彼女は、みるみるうちに狼の姿に姿を変えて、人を捨てていく。 そしてそれを見ながら、僕は自分が思っていたよりも穏やかな声で、彼女に対して言葉を紡ぐ。 「あぁ、そうかもな。僕ももう、お前と同じで人には戻れない様な、そんな者に、なったからさ...」
Last Updated: 2025-09-22
Chapter: 不死身青年と賢狼烈女の悪戯IV_04 だからもう、僕はあの暗号には興味を持てないのだ。 たとえ次に、『さ』から始まるサークルが飛ばされて、『し』から始まるサークルが被害を受け、そこで『し』から始まる何かが壊されていようと... たとえ最後の現場で、例の満月カレンダーのような暗号が残されていて、そしてそれが今日の昼間に、全て塗りつぶされた、描かれ切ったそれが、壊された何かに貼られていようと... たとえその紙が、今回の文化際のパンフレットの最後ページの、僕と柊の名前が書かれているページの、コピーだと言われようと... それに十五夜の満月が描かれているということは、きっちりと十五番目まで、最後まで犯人が犯行を成功させたということを、意味していようと... そしてそれらを、全て花影がLINEで、僕と柊に教えてくれようと... もう、その暗号に対する興味も関心も... ついでに言えば、それを逐一LINEで伝える彼女の潔白性すらも... 既に失ってしまっているのだ。 「...なーんだ、もうそこまで、理解しているんですね...」 その彼女の言葉は、まるで取り繕うのをやめたような、それでいてもう、ただ単に話を前に進めたいだけの、そんなテキトウさすら感じてしまうような言葉に、僕は思えた。 「...」 「あれ...でも、じゃあいつから私が、犯人だと気付いていたんですか?」 この彼女の言葉に、僕はさっきまでの自分の言葉を、まるで何もかも忘れているような、そんなテキトウで、しかしながら適当な、そんな言葉で返す。 「最初から、なんとなくは気付いていたさ。僕はお前の先輩なんだぜ。だからお前が、どんなに面倒な手段を取ろうと、どんなに馬鹿げたことをしようと、見誤るわけがなだろう」 そんな僕の言葉に、今度は彼女が鼻で笑いながら、言葉を返す。
Last Updated: 2025-09-21
Chapter: アンビリカルワールド この病院に配属されて、もうすぐ一年近くになる。 研修医として、目が回る様な思いをしながら熟す仕事に、少しずつ慣れてきた。 幸いなことに、同じ患者さんを担当する先輩は、仕事が出来て、その上性格もいい。 だから仕事のことで相談した内容に関しては、いつでも適格な助言をくれるのだ。 しかし今日に限っては、僕も先輩も、初めて対応するこの患者さん達に、やはり戸惑いは隠せない。 僕と先輩の目の前に居る患者さんたちは、様々だった。 明らかな未成年も居れば、若い青年、中年や老人。 それでいて男女関係なく、同じ病室のベットで横になっている。 その光景を見ながら、僕は横に立つ先輩に向けて、静かに口にする。「年齢はともかく、男女同じ病室なんて、初めて見ました......」 その光景を見ながら、先輩も同じように、口にする。「そうだな、この病院では俺も初めて見たよ」「えっ、前の所では普通だったんですか?」 そう俺が先輩に尋ねると、先輩は何かを言い掛けようとする。 しかしそのタイミングで後ろから、僕等二人に話し掛ける人がいた。「いや~ほんと、ヘルプ助かるよ。急に申し訳ないねぇ......」 声がする方向に振り向くと、立って居たのは、中年の医者だった。「お疲れさまです。あの先生、この患者さん方って......」 そう僕が言い掛けたところで、先生は僕が、一体何を訊きたいのかを察した様で、先生は言葉を返す。「あぁ、この人達は皆同じ症状だよ。どこにも異常はない。ただ眠っているだけだ。強いていうなら、ずっと長く夢を見ている」「えっ、それって......」 そう僕が言い掛けた所で、看護婦の方が先生を呼んでしまう。 そして先生は、ゆっくりとした足取りで、その看護婦の方へ行く。 その姿を見送りながら、僕は訊きたかったことを、飲み込んだ。 しかし隣の先輩は、そんな僕に向けて言う。「とりあえず、点滴チェックと体温だな。反対側から任せていいか?」「えっ、あぁ......はい」 どうやら先輩は、勝手を知っているようだった。 体温と点滴のチェックを終えた後、僕と先輩は自販機で飲み物を買って、少しの休憩をとっていた。 口を飲み物から離した後に、先輩は僕に尋ねる。「お前、ゲームはする方?」 唐突に尋ねられたその言葉に、僕は少しだけ考えながら、返答した。「えぇ
Last Updated: 2025-07-19
Chapter: 砂城の言葉、新堂の選択「......しかし僕は、思うんだ。この国の人間は本当に、人としての本懐を、遂げているのだろうかと......」 そう言いながら、俺から視線を逸らして、辺りを見回す。 新人の身体を借りながら砂城は、まるで何かを探す様にしながら、しかしその泳いでいた視線は、少し経てば俺の所に、戻ってくる。 その彼の姿を見て、俺は砂城に言う。「そんな風に話を明後日の方向に持って行って、お前は一体、何がしたいんだ?」 その俺の問い掛けに、砂城は答える。「べつに......ただ単にこういう話を君と楽しみたい。それだけだよ......」 言いながら砂城は、俺を見る。 口元に余裕を添えて、俺を見る。 そんな砂城に、俺はまた、言葉を紡ぐ。「雑談がしたいなら、もっと他の方法があった筈だ......わざわざ他人の身体に潜り込んで、意識をすり替えて、やりたいことがただの雑談なら、それは馬鹿げている......異常だ......」 そう俺が言うと、砂城は視線を下げて、小さく笑う。「フフッ......」「なんだよ......?」「いいや、こんな姿になっても君は、僕のことをそうやって、正常な誰かに当てはめようとしてくれるんだね......こんなことをしている時点で、こんなことになっている時点で、もう既に、僕は異常だよ......」「......そんなこと、とっくに知っている......」「......」「だが、わからないこともある......」「何がだい?」「どうしてわざわざ、潜り込む対象のバイタルデータを消すような、そんな危険な行為をした?」「......」「今お前がしている様に、そんなことをしなくてもお前は、その対象者の意識に潜り込めるんだろ?」「それは、この子のバイタルデータは消えていないと、そう断言出来てから出る言葉だよ......そんなのはまだ、わからないんじゃないのかい......?」「いや......わかるんだよ。だってそいつは、昨日の店主の様な、ただのアウトローな国民とは違う。正真正銘、行政府の人間。管理している側の人間だ。そんな奴のバイタルデータが消えたら、俺等の端末には間違いなく、それらについての連絡が来るはずだ......だが今は、それはない......」 そう言いながら、核心的なことをそのまま、俺は砂城に言うつもりでいた。 しかし砂
Last Updated: 2025-07-19
Chapter: 砂城の理想、現実の世界 店の中は、こうだった...... 言葉を一つ残して、男は立ち去った。 誰もいない、死体だけが一つ転がる店に、俺は置き去りにされたのだ。 店には誰も居なかった。 もともとあの男しか、この店には居なかった。 しかしカクテルを飲んでから、意識を飛ばした後、気がつくと一人増えていた。 ヒトが一人、増えていた。 その女は、今日行方を追っていたヒトだった。 三枝箕郷という、若い女だ。 しかしその女は、喋りながら正常に狂い始めて、その果てに意識をすり替えられて、最後は自殺した。 女は死体になった。 狂った女は、死体になった。 しかしその後に、今度は初めから店に居た男が、狂い始めた。 狂った男は、異常な酒の飲み方をしながら、ゆっくり俺と会話をした。 会話をしながら、次第に熱を帯びる男の思想は、俺を睨みつけた。 睨みつけられた俺は、その男に銃口を向けていた。 銃口を向けながら、俺と男はまた、会話を続けた。 男が考えていることの詳細を......いや、もしかしたら概要を、俺は彼から告げられた。 告げられた俺は、それらを理解出来なかった。 しかし理解できない俺に対して、男はさらに、思想を語った。 頭に銃口を突き付けられている筈の男は、その銃口に額を着けて、思想を語った。 一頻り話した後に、最後に言い残していた言葉を言い切って、男は俺の前から、姿を消したのだ。 そして今、やはり俺はこの店に、一人で置き去りにされている。 しばらくその場に立ち尽くして、さっきまでの出来事を粗方、思い出す。 そしてその後に、他の誰でもない自分に言い聞かせる様にして、俺は自分の足をゆっくりと、扉の方へ進ませる。「あぁ......帰らない......とな......」 誰もいない、死体だけが転がる店を、俺は出て行った。 そこから先の記憶は、正直なところ、朧気だった。 意識を失ったわけではなく、ちゃんと自分の足で歩いて、その店から立ち去ったが、歩いている最中も、頭の中には、最後に砂城に言われた台詞が貼り着いて、離れない。 傲慢という、そういう言葉を使いながら、俺達の居る世界を一括りに否定した彼の台詞が、どうしても...... どうしても離れては、くれない。 その足取りのまま、俺は自宅への帰路についた。 上司への報告は、明日でいいだろう。 なんて
Last Updated: 2025-07-19
Chapter: 被害者の行方、関係者達の心証 やりたくない仕事を、しなくてはならない日というのは、呆気なく来てしまうモノである。 今日がその一日目。 一人目の国民は、若い女性だった。 国民番号:三千四十八番 三枝 箕郷(さえぐさ みさと) 二十歳 昼間は大学に通いながら、夜はアルバイトとして飲食店で働いている。 それ以外には、コレと言った特徴があるわけでもない。 いたって普通の学生である彼女のことを、在籍している大学の事務に尋ねてみたりもしたが、二ヶ月程前から、講義に出席していないという情報以外、手掛かりらしいそれらは、残念ながら得ることは出来なかった。 だから俺は、彼女がアルバイトとして在籍している飲食店へ、足を運ぶことにした。 時刻は二十時を少し回った辺り。 店の住所を見て、少しばかり覚悟はしていた。 煌びやかな灯りが彩る表の通りを、少しばかり外れて、しかしそこから深く路地裏の方へと続く道を、しばらく歩いて数十分。「ココか......」 目の前に現れたその店は、飲食店というよりも、廃墟の様な風貌だった。 周りの景色も相まってか、少しばかり空気が重い。 一見すると、その建物が店をやっているのかわからなくなるような、そういう佇まいだ。 ほんとうに、ココであってるのだろうか...... そう思いながら、やはりすぐには尋ねる気になれなくて、その建物の前で少しばかり、立ち往生してしまう。 そして、しばらく経ったくらいだろうか......「あんた、入らないのかい?」「えっ......」 振り返ると、そこには背の高くて線の細い男が立っていた。 いつからそこに居たのかは、わからないけれど...... 男は俺の方を見て、溜め息混じりに言い放つ。「客じゃないなら、悪いけれど帰ってくれないか?いつも大して客が居るわけでもないが、今日は特に酷いんだ......」 そう言いながら、男は俺から視線を逸らして、店の中に入ろうと、すぐ近くを歩く。 けれどそんな男に向かって、俺はさらに尋ねる。「失礼ですが、アナタは......?」「俺はココの店主だよ。そういうアンタこそ一体何者なんだい?いつもこんな所に来る様な人には見えないけれど?もしかして......行政の人間かい?」 言い当てられて、俺は些か、動揺してしまう。 そしてその動揺を隠せないまま、俺は返答する。「......はい
Last Updated: 2025-07-19
Chapter: 死角の住人、鈍色の思想「失礼します」と言いながら足を踏み入れた会議室には、普通なら絶対に、御目に掛かることが出来ないであろう偉いさん方達が、会議室の席の約八割を占めていた。 そして残った二割は、俺と上司の二人が座るために空席となっていて、そんな普段の会議では有り得ない様な異質の情景が、息苦しさに似た空気感を作り上げていた。 そしてそんな空気の中、俺達が座り、会議が始まるや否や、向かいに座る一人の偉いさんが、コチラ側に尋ねるべきことを、淡々と口にした。「さて、早速本題に入るが......突如としてバイタルデータが消去されるなど、前代未聞のこの状況を、君達はどう対処するつもりかね......?」 言いながら、コチラ側をジッと見つめるその人の視線は、気持ちの良いモノではなかった。 そして、そんな視線に耐えかねたのか、それとも単に、その言葉に対しての答えを、予め持ち合わせていたのだろうか......もしくは、その両方か...... 俺の隣に座る上司は、前に座るその人に対して、言葉を返す。「はい、その件につきましては、担当者である彼に直接、そのバイタルデータの持ち主の所に行ってもらい、現地調査してもらいます」 そう言いながら上司は、一度コチラの方にチラリと視線を向け、さらにその勢いのまま、言葉を続ける。「またそれと並行して、今回起きた事象についての原因究明を、私自ら主導して、行います」 その続けた言葉に対して、もう一人のお偉いさんが口を挟む。「ほぅ......具体的には、一体どうするつもりかね......?」「まずは一度、一週間分のCORDの全ログを洗い出します。この作業自体は、そこまで時間が掛からないでしょう。二、三日程度で行えます。その後は、必要であるなら、システム管理課と共同で、CORDの再調整を行いたいと考えております」 そう上司が言い切ったところで、数人の偉いさん方は、一瞬だけ動揺した。 そしてその動揺した偉いさんの一人が、上司に対して言う。「再調整を行うということは、君は一時的なCORDの運用停止をも視野に入れていると、そういうことかね......?」「はい、そのつもりです」 その肯定の上司の返答に、また会議室内は、先程と同様か、それ以上に重苦しい空気に飲み込まれた。 そしてその空気の中、先程上司に質問を投げ掛けたお偉いさんが、ため息交じり吐き出す
Last Updated: 2025-07-19
Chapter: 消えた国民、隠された事実 事務室に入り、午後の業務のためにPCを起動する。 そして隣に座っている新人も、業務を行うために、同じ動きでPCの電源を入れて、さっきと同じ様な口調で、しかしさっきとはまるで別の話題を「あっ、そういえば新堂さん」という言葉を皮切りに、俺に促す。 そしてそこからは、本当にただの雑談だ。 休日に昔ながらのカフェやバーに行くことを趣味にしているこの新人は、そこで食べた料理や飲み物、その店の雰囲気や、そこで会った初対面の|女性《ヒト》と過ごした一夜なんかも、よく話題にして俺に話す。 まったく...... 無駄に顔が良い新人のその話題は、後半の方は特に、危うい気もするのだが...... 休日は家に居ることが多い俺にとっては、週初めの月曜日に話されるその話題が、些か鬱陶しいと思う反面、自分だとそういう所には出向かないし、もちろん初対面の|女性《ヒト》なんかとも、そういうことになることはない。 だから彼のそんな話は、聞いている分には、まるでチープな深夜ドラマでも見ている様な、そういう感覚になって、少しだけ面白かったりする。 だからまぁ飽きもせず、毎週そんな話を、俺は彼から聞いている。 矛盾していると、自分でも思いながら。「さぁ、そろそろ仕事をしよう」 そう言うと、新人は少しだけ、不満そうな表情をする。 どうせまた明日も、同じ話をする癖に。 そんな風に思いながら、PCの画面を確認して、そして午後の業務を行う。「......えっ?」「ん?どうしたんですか、新堂さん」 そう言いながら、新人は俺のPCの画面を覗き込む。 そしてその画面を見て、新人も俺と同じような、表情になる。「これ......どういう、状態ですか......?」「いや、俺もわからん......」 そう......そこに映されているのは、モニタリングされたデータと、そのデータの対象とされている国民の顔写真と名前が、細かく列記されていた。 ある数名を除いて......「こんなの、はじめて見ましたよ。モニタリングされたデータだけが、綺麗に空白にされているなんて......何かのバグ......ですかね......?」 そう言いながら、俺の方を見る新人に、言葉を返す。「どうなんだろうな......もしバグなら、お前の方でも、同じことが起きているんじゃないのか......?」「そ
Last Updated: 2025-07-19