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第3話

Author: 緋色の追憶
特殊派遣部隊の基地に戻った時には、すでに空は暗くなっていた。綾子が腕の擦り傷の手当てを終えたところへ、竜之介の部下の杉山大地(すぎやま だいち)が訪ねてきた。

左耳の耳鳴りと心臓の鈍い痛みで、綾子は壁に手をつかなければ自室まで歩けないほどだった。

10平米にも満たない部屋だったが、小さな窓と独立したサニタリースペースがあって、綾子にとってはここ4年間で唯一のプライベートな空間だった。

しかし、その中から聞こえてきたのは、美咲の声だった。

「竜之介さん、ここは日当たりがすごくいいわ。前にいたテントよりずっと静かだし、これなら初稿をもっと早く終えられそう」

すると、竜之介が彼女の訴えに答えるようにして言った。「気に入ったんならいいんだ。安心して仕事をしてくれ、安全が第一だからな」

一方で、綾子はドアの前に立ちつくしたまま、部屋の中で、美咲がノートパソコンや本を、あの小さな机の上に並べていくのをただ見ていた。

そして、竜之介は、美咲のためにスタンドライトの角度を調整してやっているのだった。

部屋にあったはずの、綾子のわずかな私物はすべて消えていた。

そこで、竜之介は振り返って綾子に気づいたが、彼は表情一つ変えず綾子に近づくと、声をひそめて告げたのだった。

「戻ったか。戦況が悪化して、基地内の部屋を再編成することになったんだ。美咲のレポートがちょうど大事な時期で、絶対に静かな環境が必要でな。ここが一番条件がいいからお前は一時的に、B区の廊下の突き当たりにある物置に移ってくれ。簡単な掃除はもうさせてある」

その口調は淡々としていて、まるで普通の任務を伝えるかのようだった。

綾子は部屋の中に目を向けた。

美咲は綾子に気づくと、申し訳なさそうに微笑んだ。「田村先生、ごめんなさい、お部屋を使わせてもらっちゃって。竜之介さんが、ここが一番だって……」

「私の荷物は?」綾子は美咲の言葉をさえぎったが、その声はひどくかすれていた。

美咲は今思い出したかのように、口に手をあてて小さく叫んだ。「まあ、田村先生、あの古いスーツケースのこと?誰も使わないガラクタが置いてあるんだと思って……さっき、もう係の人に片付けてもらっちゃった」

「片付けた?」綾子は美咲をじっと見つめた。

美咲はその視線にたじろいで半歩下がり、竜之介の陰に隠れるようにして、さらに声を小さくした。

「その……もう使わないものかなって。基地の決まりで、不要な私物は減らさなきゃいけないから……ちょうど医療廃棄物とかゴミを燃やす日だったので、一緒に処分してもらった。ごめんなさい、田村先生。そんなに大事なものだなんて、本当に知らなくて……」

一緒に処分した。

燃やしてしまった。

すると綾子の心臓がどくんと沈んだ。ゴミを処理する焼却炉へと走り、そのへりで、見覚えのある深緑色のブリキの箱を見つけた。自分の名前のイニシャルが入った箱だった。

箱は開けられており、中は空っぽだった。

焼却炉の中には、まだ燃え尽きていない、焦げ付いた写真の破片がいくつか残っていた。子供の頃に両親と撮った家族写真だった。

それを見て、綾子はそこに立ち尽くし、身動き一つできなくなってしまったのだった。

そして心臓のあたりが、えぐられるようにずしりと重く痛んだ。それは狭心症の発作よりもっと鈍く、そして決定的な痛みだった。

そうこうしているうちに、「見つかったか?」背後から竜之介の声がしてきて、美咲も彼の後ろから付いて来ていたのだった。

綾子はゆっくりと振り返り、竜之介を見つめた。

彼女の顔に涙はなく、表情すらなかった。ただ、極度に青ざめているだけだった。

竜之介は灰の山に目をやり、それから綾子のあまりに静かな顔を見て、口を開いた。

「ただの古いものだろう。今は戦時下だ、私物の扱いでミスが起きるのも仕方がない。怪我さえしていなければそれでいいじゃないか。美咲の仕事は重要なんだ。悪気があったわけじゃないんだから、お前も理解してやれ」

竜之介の言葉は明瞭で、冷静だった。その一言一言が氷の刃のように、とっくにズタズタになっていた綾子の心に、的確に打ち込んでいったのだった。

ただの古いもの。

怪我さえしていなければそれでいい。

理解してやれ。

綾子はうなずいた。

そして、ありったけの力を振り絞り、右手を勢いよく振り上げた。

パァン。

乾いた音が、その場に響き渡った。

すると、竜之介の顔が横に振られ、頬にはくっきりと手の跡が浮かび上がった。

彼は呆然としてしまい、まったくの不意打ちだったようだ。

綾子の手はジンジンと痛んだ。しかし声は、かつてないほどはっきりとしていて、氷のように冷たく響いた。そしてその一語一句をその場に打ち付けるかのように、綾子は言った。「この平手打ちは、母の分よ。

あの中には、母が遺してくれたたった一つの形見と、家族の写真が全部入っていたの。母が危篤の時だって、私は最期を看取ることさえできなかった。なのに今は、母が触れたものを見るのさえもできなくなってしまった」

そう言って綾子は、恐怖で青ざめている美咲に、さっと向き直った。その目は、まるで鋭いナイフのようだった。「それから、安西さん。自分が何を壊したか分かってる?あれは、私の人生に残された、最後の拠り所だったのよ」

綾子が一歩詰め寄ると、美咲は怯えて竜之介の腕にきつくしがみついた。

「必ず、償わせてやるから」綾子の声は静かだった。だが、そこには聞く者をぞっとさせるような、絶対的な覚悟がこもっていた。

「誓うわ。私が生きている限り、今日あなたが燃やしたものを、あなたの最も大切なすべてで償ってもらうから」

「綾子!気でも狂ったのか!」

一方で我に返った竜之介は、美咲をさっと背後にかばうと、怒りをあらわにし、相手の骨を砕いてしまうほどの力を込めて、さっき自分を殴った綾子のその手を掴んで言った。

「自分の姿を見てみろ!理不尽な言いがかりをつけて!仲間を脅すなんて!お前に規律というものはないのか!」

綾子は竜之介に掴まれたまま、怒りに燃える彼の顔を見上げて、ふっと嘲るように笑った。

「規律?仲間?」綾子はその二つの言葉を、まるで初めて耳にしたかのように繰り返した。

そんな綾子の瞳に宿る虚無に竜之介は一瞬ひるんだが、怒りと、人前で殴られた屈辱がそれを上回ったようだった。

彼は、物音を聞きつけてやってきた隊員たちに、厳しい声で命じた。

「綾子は感情が不安定で、過激な行動をとった。ただちに独房に入れろ!俺の許可なく、誰も出すな!少し頭を冷やさせろ!」

そして、竜之介が手を振って合図をすると、少し離れたところに立っていた二人の部下が、すぐに前に出てきて、綾子の両腕を左右から掴んだ。

綾子は抵抗せず、彼らに連れていかれるままになった。

そして、綾子は最後にちらりと焼却炉の燃えかすに目をやり、それから無表情の竜之介を見たが、すぐに顔をそむけ、もう何も見ようとはしなくなったのだ。

背後で独房の重い扉が閉まり、錠がかけられた。

狭い空間は真っ暗で、ドアの下の隙間から、廊下の微かな光が差し込むだけだった。

綾子は冷たい壁に背を預け、ずるずると床に座り込んだ。

そして、暗闇の中、手を持ち上げ、さっき平手打ちをした、その手のひらを見つめた後、爪が、深く掌に食い込んでしまうほど、ゆっくりと拳を握りしめていった。
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