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第2話

Author: 緋色の追憶
異動部隊は3日後に出発した。案の定、綾子の名前は異動者リストになかった。

司令部からの正式な通知は、冷たくて短いものだった。「特別な医療任務」のため、引き続き基地に残れとのことだ。

竜之介の権威は絶対だったので、誰も異議を唱えられなかった。

そして、案の定紛争は始まった。

そんな中、綾子と残った医療チームは、昼も夜も休まず負傷者の手当てにあたった。

負傷者の移送任務が終わりに近づいた時、近くで砲弾が爆発した。

耳をつんざくような音と衝撃波の後、綾子はぼろぼろの服を着て顔にペイントをした男たちに、乱暴に引きずり起こされた。

そして、そのまま綾子は目隠しをされ、両手を縛られて、交戦地帯から連れ去られてしまったのだ。

どれくらい時間が経ったのか分からない。気づけば、カビと血の匂いがする部屋に放り込まれていた。

目隠しが引き剥がされると、そこは薄暗い倉庫だった。数人の男たちが、貪るような凶暴な目つきで綾子を取り囲んでいた。

男たちは綾子が誰だか気づいた。指揮官、竜之介の婚約者で、有名な医者だということに。

通信機がオンになり、男たちはカメラに向かって叫びながら要求を突きつけた。そして、綾子の顔を乱暴にカメラに押し付けた。

綾子は抵抗しなかった。

彼女は不思議なほど落ち着いていた。自分の心臓が、この極限のストレスにあとどれくらい耐えられるか計算する余裕さえあったくらいだ。

その時だった。倉庫の古いドアが勢いよく少しだけ開けられ、一人の影がよろよろと飛び込んできた。手には武器ではなく、カメラが握られていた。

美咲だった。

美咲の顔には恐怖と、病的なまでの興奮が入り混じっていた。レンズは人質の綾子と、その隣にいるテロリストのリーダーに向けられ、静まり返った倉庫に、シャッター音がはっきりと響いたのだ。

その様子にテロリストのリーダーは激怒した。

部隊の人間ならまだしも、こんな風に命知らずな記者が乗り込んでくるとは思ってもみなかったのだ。

すると、綾子の心臓が一瞬、止まったように思えた。

次の瞬間、ほとんど本能的に体が動いた。綾子はありったけの力で美咲の方へ突進するかのようにぶつかっていき、かすれた声で叫んだ。「伏せて!」

銃声が響いたのは、ほとんど同時だった。

しかし、倒れたのは美咲ではなかった。銃を構えたリーダーの方だった。

男の眉間に血の穴が開き、大きな音を立てて倒れた。

続いて、倉庫の高い場所にある壊れた窓から、さらに正確な狙撃弾が撃ち込まれ、あっという間に残りの二人のテロリストも倒れてしまった。

そして、倉庫の外からも、激しい銃撃戦と爆発音が聞こえてきた。

綾子は、何者かの力で物陰に引きずり込まれた。顔を上げると、顔に厚いペイントを塗り、冷たい目だけをのぞかせたスナイパーがいた。彼は素早く手で合図し、動くなと伝えてきた。

戦闘は、数十秒で終わった。

制式ではない戦闘服を着て、優れた装備を持つ数人の隊員が素早く突入してきた。彼らは死体を確認し、現場を制圧した。

その中の一人は背が高く、顔が完全に隠れるヘルメットとゴーグルを着けていたため、顔はよく見えなかった。

彼はスナイパーライフルを構え、最後に中へ入ってくると、散らかった室内を見渡し、その視線は綾子のところで一瞬だけ止まった。

そして、銃を持っていない方の左手を上げると、綾子に向かって敬礼をした。

すぐにその男は他の仲間たちと共に素早く撤収した。まるで最初からいなかったかのように、廃墟の向こうへと姿を消した。

ほどなくして、外から竜之介の焦った声が聞こえてきた。「綾子!美咲!」

それから竜之介が、少数の救援部隊を率いて駆け込んできた。

彼はまず綾子にさっと目をやり、無事であると確認した後、すぐに、隅でカメラを抱えて震えている美咲の方へ大股で歩み寄った。

「美咲!大丈夫か?怪我はないか?」竜之介の声は、綾子が今までに聞いたこともないほど、切羽詰まっていた。

「竜之介さん、怖かった……」

美咲は竜之介に抱きついて泣きじゃくった。「私はただ、真実を記録したかっただけなの。こんなことになるなんて……」

一方で綾子は壁に手をついて、ゆっくりと立ち上がった。

着ている白い医療用のガウンは、埃と血で汚れていた。

そして抱き合う二人を見つめていると、彼女の胸に感じる痛みはもはや麻痺してしまったかのようだった。

「安西さん」彼女の声はかすれていたが、不思議なほど静かだった。

すると、竜之介の腕の中から、美咲が目を赤く腫らしたまま顔を上げた。

「あなたがさっき、何をしたかわかってるの?」綾子は一語一句、区切るように尋ねた。「数枚の写真のために、私を殺しかけた。そして、あなた自身も死ぬところだったのよ」

そう言われ、美咲は顔を真っ青にして、慌てて言い返した。「違う!田村先生、誤解だわ!私はただ、記者としての仕事をしていただけ!ここで起きている真実を、世界に伝えたかった。さっきの人たちがまさか、あんなに興奮するなんて思わなくて……」

「思わなかった?」綾子は皮肉な笑みを浮かべたが、それは彼女自身も笑っているとは思えないような表情だった。

「戦場での訓練を受けた記者が、あの状況で写真を撮ればテロリストを刺激するって分からなかったの?あなたの行動が人質をどんな危険に晒すか、考えもしなかったっていうの?」

「わざとじゃないのよ!」美咲は不満そうに声を大きくした。「あの人たちがあんなに神経質だなんて、私にわかるわけないじゃない?それに……それに、あなたは無事だったし、救助もすぐ来たじゃない?」

すると、竜之介は美咲の手の甲を軽く叩いてなだめたあと、綾子の方を見て、眉間にしわを寄せて言った。「綾子、現場は混乱していたんだ。美咲は経験が浅いし、わざとじゃない。お前も彼女も無事だったんだから、それが一番いい結果だろう。あまり責めないであげてくれ」

綾子は竜之介を見つめた。

そのごく自然に美咲をかばう竜之介の姿を。そして、自分のことを「無事だった」の一言で片付けてしまう、その態度を目に焼き付かせるかのようにして。

そして、彼女の傷ついてひび割れていた心は、まるで容赦なく最後の一撃を振り下ろされ、木っ端みじんにされたかのようだった。

「無事?」綾子は繰り返した。その声は、消えてしまいそうなほど小さかった。

「竜之介。あなたの中での『何か』って、一体何のこと?私がここで死ななきゃ、『何か』あったことにはならないの?」

それを聞いて竜之介の顔が険しくなった。

「綾子、言葉を慎め。感情的になっても問題は解決しない。美咲は仕事のつもりだったんだし、彼女自身も怖い思いをした。お前はプロなんだから、戦場の状況くらい理解できるはずだ。実際に死傷者が出たわけじゃないんだから、いつまでもこの話にこだわるな。もっと全体のことを考えろ」

全体のことを考えろ、か。

美咲の兄への恩も、公平な指揮官というイメージを保つことも、そして今度は、美咲の仕事と、戦場の状況、これらすべてを理解することこそ全体を考えたことになるだろうか。

それによって彼女自身の安全も、恐怖も、ついさっきまで死の淵をさまよっていたという事実も、竜之介の口にかかれば「いつまでもこだわる」とか「感情的」の一言で片付けられてしまうのだ。

綾子はもう何も言わなかった。

目の前にいる、よく知っているはずなのに、まるで知らない人のような男を見つめたあと、その背中に隠れるように、うつむいている美咲に目を向けた。

その瞬間、世界が、異常なほど静かになったような気がした。聞こえるのは、左耳に永遠に続く耳鳴りと、胸を引き裂くような激しい痛みだけだった。

そして、綾子はゆっくりと、本当にゆっくりと、背中を向けた。

美咲に、そして、竜之介ーー命も未来も全てを託せると思っていた相手に彼女は背を向けたのだった。

そして、支えようと近づいてきた隊員を避け、綾子は一人で、一歩ずつ歩き出した。戦火で荒れ果てた、がれきの道へと。

竜之介はその背中を見送りながら、なぜか胸にほんの少しの違和感を覚えた。何か、掴んでおくべきだったものが、猛スピードで失われていくような感覚だった。
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