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8話. 全額、返しました

مؤلف: YuIm
last update تاريخ النشر: 2026-10-08 22:16:07

千尋は試着室の鏡の前で、横を向いた。

青いワンピースの裾が、膝の下で柔らかく揺れた。腰を締め付けないのに、きれいな形になる。いい服には、知らなかったゆとりがあった。息を止めなくても着られる服というのが、よかった。

スタッフがカーテンを開け、尋ねた。

「いかがですか」

「とても、きれいです」

千尋は今度、値段から尋ねはしなかった。家族への紹介の席で着る服を買いに来ており、費用については、事前に合意していた。気に入った服を前にしてまで、申し訳なく思うことはない。

ソファに座る蓮が顔を上げた。何も言わないので、千尋は裾を軽くつまんだ。

「あまり、よくないですか」

「いいえ」

「では、どうして返事が遅いんですか」

蓮は携帯電話を、完全に置いた。

「よく似合っているので、見ていました」

スタッフの口元が上がった。千尋は鏡へ目を戻した。試した色を確かめるふりをしたが、耳が先に赤くなった。

「これにします。座ってみてもいいですか」

スタッフが椅子を持ってきた。千尋は座り、膝が楽か、腕を上げても引きつらないか確かめた。蓮はその過程を、興味深そうに眺めていた。

「実用性の検査ですね」

「三時間きれいでいるには、三十分でつらくなっては困りますから」

彼が頷いた。

スタッフは、服に合うバッグと靴を持ってきた。千尋は低いヒールの靴を選び、小さなイヤリングを一つ当ててみた。明るい真珠が、顔の横で静かに光った。沙織に渡された、重い金色のイヤリングとは違った。

追加で出されたネックレスには、値札が付いていなかった。千尋はしばらく見とれてから、用途を尋ねた。

「これも、家族との食事のときに着けるんですか」

スタッフが説明しようとすると、蓮が言った。

「お望みなら、普段使いにしても構いません」

「会社のプリンターの前で、これを着けて紙詰まりを直していたら、ちょっと変な気がします」

スタッフが笑いをこらえた。千尋はネックレスを、そっと置いた。

「今日は、このイヤリングのほうが好きです」

蓮は、ほかにも選ぶようには言わなかった。会計の間、千尋は携帯電話に控えた振込先を確認した。叔父との精算の約束まで、あと三十分だった。

「一緒に行きましょうか」

彼の問いに、千尋は首を振った。

「私が借りたお金なので、自分で終わらせます。問題が起きたら、連絡します」

「会う場所だけ、教えてください」

「ホテルのカフェです。あちらの窓から見えるところ」

蓮は向かいを確かめ、バッグを渡した。千尋は包まれた箱のうち、ワンピースの入ったものだけを車に置き、小さなショッピングバッグを持った。鏡の前で気に入った自分を、もう少し長く連れていたかった。

* * *

白石敬介は、千尋が座るより先に、コーヒーカップを脇へ寄せた。

「急に、どこから金が出たんだ?」

その隣の沙織は、まず千尋のショッピングバッグを見た。ロゴを確かめた視線が、指へ移った。婚姻届を出したあと、二人で選んだ、シンプルな指輪がはまっていた。

「何、それ」

千尋は指輪を隠さなかった。

「私の話は、今日の精算を終えてからにする」

「年長者が聞いたら、まず答えなさい」

敬介の言葉に、千尋は準備した書類を出した。元の借用書の写し、振込先の確認をしたメッセージ、三浦の確認を受けて用意した精算書だった。

「五百万円です。借用書に記載された金額で、別途、利息の取り決めはありません。このお金を受け取ったら、その借り入れに関する債務はすべて清算されることを、確認してください」

敬介が紙を持ち上げた。

「家族の間で、何だこれは。また、署名させるのか?」

「借りるときも、書きましたよね。終わるときも、書くべきだと思います」

沙織がコースターに触れた。

「免除してあげるって言ったのに、それもできなかったくせに。お姉さんがチャンスをあげたときに、ちゃんとやればよかったのよ」

千尋はバッグから確約書を出した。紙には、二本の折り目が残っていた。

「条件は、お見合いを壊して、縁談を終わらせることだったよね。私は失敗したと伝えた。だから、免除してほしいとは言っていない。返すために来たの」

金のことを言おうとしていた沙織が、口を閉じた。千尋が借金をなくしてほしいと頼んでこそ、できる話があった。今日は、その席が空いていた。

敬介は精算書を見てから、千尋を見た。

「お前の母さんは、知っているのか?」

「私が返すと、伝えています」

「何の金かも、知っているのか?」

「違法なお金ではありません。叔父さんから借りたお金をお返しするために必要なのは、こちらです」

千尋は金額と口座を指で示した。無礼に見えないよう声を落としたが、言葉は引っ込めなかった。

敬介の携帯電話が鳴った。彼は画面を見て、通話を切った。すぐに同じ番号が、また表示された。千尋は知らない名前を盗み見なかった。ただ、精算書に署名する手が速くなったのは、わかった。

「先に、振り込め」

「署名は確認しました。今、送ります」

千尋はその場で、口座と名義人をもう一度読んだ。数字を入力する指が、少し硬くなった。五百万円を送っても残高がある画面に、まだ慣れなかった。

振込完了。

敬介の携帯電話に通知が出た。千尋は精算書の受領確認欄まで記入してもらい、自分の持ち帰る原本を封筒へ入れた。敬介にも、写しを一部渡した。

「これまで、お貸しいただき、ありがとうございました」

本心だった。急なときに借りられたおかげで、母は必要な治療を受けた。その感謝と、今後も言うとおりにしなければならない義務は、同じものではなかった。

千尋が立ち上がると、沙織が顎でショッピングバッグを指した。

「それ、プレゼントしてもらったの? 誰に?」

「集まりのときに、使うもの」

「わからないから聞いてるとでも思う?」

「今は、説明したくない」

初めて答えることを断るのは、金を返すより難しかった。千尋は封筒を、バッグの奥へ入れた。沙織の視線が鋭くなっても、座り直しはしなかった。

敬介の電話が、また鳴った。沙織は父が通話のために立った隙に、身を乗り出した。

「来週、黒沢側の家族の集まりがあるの。お父さん、招待されてる。まさか、あんたも行くつもりじゃないでしょうね?」

千尋は目を上げた。

「私は、招待されているよ」

沙織の唇が、少し開いた。

「誰が、あんたを?」

「招待した方に、確認して」

冷たい口調を、練習してきたわけではなかった。これ以上話せば、また許可を求めてしまいそうで、短く切っただけだった。千尋は一礼し、カフェを出た。

* * *

帰宅すると、千尋はまず精算書をスキャンした。振込記録と同じフォルダーへ保存し、原本は部屋の書類入れに保管した。母には借金を全額返したというメッセージと、精算完了の部分だけを撮った写真を送った。

和子の返事は、少し遅れてきた。

お疲れさま。今日は、ちゃんとご飯を食べてね。

その短い言葉を前に、千尋は長いこと画面を見ていた。返し終えれば、飛んでいけるような気がしていた。実際には、椅子に座っていたかった。長く抱えていた荷物を下ろすと、手のひらが遅れて痛むような感覚だった。

ドアの外から、ノックが聞こえた。

「食事は、しましたか」

千尋は手の甲で目元を一度拭い、ドアを開けた。

「まだです」

蓮は持っていた小さな紙袋を差し出した。ホテルのラウンジで食べたものに似た、いちごのケーキが入っていた。

「今日は、食べてもいいか、尋ねなくて大丈夫です」

千尋は彼を見た。初日に自分が言ったことを、覚えていた。

「母には、ご飯が先だと言われました」

「では、順番どおりにしましょう」

彼はキッチンのほうへ身を引いた。千尋は書類入れを閉じ、あとについていった。

沙織から電話が来たが、出なかった。代わりに音を消し、食卓に伏せて置いた。

今日は、食事が冷める前に、食べたかった。

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