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第4話

作者: 花野めい
リビングにいる全員が反応する間もなく、二階から足音が響いた。

由樹の母、酒井摩美(さかい まみ)が急ぎ足で降りてきた。五十近いとは思えない、三十代にしか見えないほど若々しい体型だ。真紅のショールを羽織っただけで、氷点下の外気も厭わず玄関へ向かった。

眩しいほどのヘッドライトが消え、三久の目にようやく全体が映った。

由樹と並んで車を降りてきたのは、千歳だった。

三久の前ではいつも澄ました顔をしている摩美が、千歳に親しげに腕を組まれたまま笑っている。

由樹は穏やかな顔でトランクを開け、いくつかの紙袋を取り出しながら、ふたりが話し込むのを静かに待っていた。

絵に描いたような理想の家族の光景が、三久の胸に刺さった。

たまらず視線を逸らす。急に、針のむしろに座らされているような心地がした。

現在進行形の相手を連れてきた中で、自分がここにいるのはどういうつもりだろう。

でも今から出ていけば、確実に鉢合わせる。

「千歳ちゃん、痩せたんじゃない?由樹がろくに面倒を見てくれなかったの?これじゃあ村上家に顔向けできないわ」

摩美の声が近づいてくる。ハイヒールの音とともに、千歳の笑い声が続いた。

「うちの母が心配するのは私が痩せたかどうかじゃなくて、由樹さんの仕事の邪魔にならないかどうかでしょ。私たちって小さい頃から、お互いの親が自分の子より相手の子の心配ばっかりしてるよね!」

摩美が声をあげて笑い、千歳の手の甲を軽く叩く。

そんな楽しそうな声が、リビングに入った途端にぴたりと止まった。

由樹が紙袋を手に後から歩み入り、三久を見た瞬間、眉がわずかに寄る。

一瞬で、場の空気が凍りついた。

和やかさを切り裂いたのは、三久の存在だった。

「あら、お客様がいらしてたのね」

千歳は三久を見た瞬間に誰かわかった。

想像より、ずっと綺麗だった。ただそこにいるだけで、他の女が自分の存在を意識してしまうような顔立ち。

由樹が選んだことに、納得がいく気がした。

摩美は本当に気づかなかったのか、気づいていないふりをしたのか。笑顔が消え、あからさまな不満の色が滲んだ。

「あんた、何しに来たの?」

「私がお義姉……みくさんを呼んだの」

依果が立ち上がり、デザートの盛り合わせをテーブルに置いた。

「友達を連れてきたらいけないの?」

「この子、依果の『お友達』よ。依果ったら、得体の知れない女をうちに連れてくるなんて」

摩美が依果を一瞥してから、さっと顔を背け、千歳の腕を引いてソファへ促した。

由樹は深い目で三久をしばらく見てから、紙袋をテーブルに置いた。

「話しててくれ。俺は仕事がある」

冷淡にそれだけ言って、階段を上がっていった。

「おじいちゃん、おばあちゃん、M国に行ってきました。これお土産です!」

千歳が愛想よく立ち上がり、紙袋を次々に開けて、それぞれの手元に届けていった。

依果は千歳に特別な感情はなく、「ありがとう」と受け取ってそのまま隣に置いた。

次期孫嫁になるであろう千歳に対し、祖父母は年長者として、慣れた様子で当たり障りのない言葉を交わした。

「おじいちゃんもおばあちゃんも喜んでくれると思って買ってきたんです。由樹さんとはまたいろんな国に行くから、次もいろいろ買ってきますね」

千歳は残った袋を摩美に渡した。

「これはおじさんの分。おばさん預かっておいてください!」

摩美は目を細めた。

「気が利くわね。由樹なんていつも手ぶらなんだから……」

依果がそっと三久の耳元に寄った。

「みくさんが一生懸命選んでお土産を持って来た時だって、お母さん、こんな顔しなかったのにね」

三久は膝の上でそっと、冷たくなった指先で服の裾を握りしめた。

千歳は育ちがよく、顔立ちも整っていて、話し方も上手い。そして何より、由樹の想い人だ。摩美に気に入られて当然だ。

三久には愛想よく振る舞う才はない。素性もよくない。

感情を押し込めて、依果に小さく笑いかけた。表向きは穏やかにしていても、内心はとっくに限界に近いほど居心地が悪かった。

頃合いを見て、三久は口を開いた。

「皆様、お先に失礼します」

バッグを手に立ち上がる。

潔子が一瞬、惜しそうな顔をした。

「夕飯食べていくって言ってたじゃない」

「急に用事ができてしまって」

三久は祖父母にそっと頭を下げた。

「少し早いですが、今年もお世話になりました。どうかお元気で」

心の中で、一生分の重い「さようなら」を添えた。

潔子は名残惜しそうにしていたが、由樹が戻ってきた以上、三久が落ち着けないのをわかっていた。無理に引き止めることはしなかった。

「依果、送って行きなさい」

依果が「はーい」と立ち上がり、一緒に廊下に出た。

「いいよ、送らなくて」

三久は摩美の顔が曇るのを見てとった。

早足で玄関を目指し、靴を履いたところで、二階の角から声が降ってきた。

「……三久」

一瞬で、階下が静まり返った。

三久の体が固まった。ゆっくりと見上げる。

由樹が踊り場に立っていた。黒いシャツの襟元がゆるく開いていて、ラフな格好なのに上品さを失っていない。

千歳がソファから立ち上がり、唇をかすかに噛みながら、三久と由樹を交互に見つめた。

「会議の議事録を頼む」

三久は細い眉をひそめた。

「長らく本社の業務から離れていたので、会議についていけるかどうか……」

二階の灯りは落ちていて、由樹は薄暗がりの中にいた。表情が読めない。

少しだけ苛立ち、焦っているようにも見えた。

「つべこべ言わずに、早く上がってこい」

そう言って書斎に引っ込んだ。

三久は唇をきゅっと引き結んだ。リビングから、ふたつの刺々しい視線が背中に刺さっている。上がるべきかどうか、迷った。

「みくさん、早く早く!」

依果がぐいぐいと背中を押した。

「行ってくれないとお兄ちゃんに駆り出されるのは私なんだから。下手くそって怒鳴られながら議事録取るの、もう懲り懲りなのよ!」

由樹が家で仕事をする時、依果はよく捕まっては使われていた。嫌とも言えず、できが悪ければ叱られる。

三久は格好の逃げ道だった。依果はそのまま三久を書斎に押し込み、「ばん」と音を立ててドアを閉めた。

その音で、由樹がちらりと目を上げた。

三久は黒の分厚いダウンジャケットに、白いふわふわの帽子を被っていた。足元は珍しくフラットな靴だ。

かつての三久は、いつもハイヒールに仕事向きのスーツだった。どんなに寒くてもコートを一枚羽織るだけ、どこから見ても隙のないキャリアウーマンの佇まいだった。

記憶を辿れば、結婚していた二年間も、休日に彼の前でスニーカーやダウンを着ていた姿は思い浮かばない。

「今日、仕事じゃなかったのか?」
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