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#3.第一話「これが、僕の四角い世界」②

作者: あともす
last update 公開日: 2026-07-09 18:57:27

 教会から信者たちが去るのを確認すると、アーサーは教会関係者達の居住である司祭館に戻るとジャイルズ司祭長の部屋へ向かい、今朝の出来事を報告した。

老司祭長は代官(トーマス)の勝手な振る舞いを聞くと、顔を曇らせて申し訳なさそうに謝った。

「すまないね、アーサー。私がもっとしっかりしていれば、お前をあんな辛い目に合わせることもなかったのに」

 ジャイルズはベッドに座ったまま、背中を丸めた。

「私が引退せずここに残り、お前たちに目をかけているのが面白くないのだろう。せめて正式にクロムウェル家の人間として司祭長になっていれば、トーマスももう少し遠慮しただろうに…情けないよ」

 ジャイルズは元々、教会の後援者が替わる前からここにいたペンストレイト領の司祭だ。大人たちの事情で送られてきたアーサーと母を案じ、引退を撤回して彼らを支え続けてくれており、アーサーはその恩義に深く感謝している。

「いいえ、ジャイルズさん」と、アーサーはかぶりを振った。「ペンストレイト領だったこの村で、急に僕のような私生児が伯爵の名代で送られてくるなんて、メチャクチャですよ。村の人が納得できないのは当然です。それを立場を超えて取り持ってくださったのは、ジャイルズさんのおかげです。僕が頼りないばかりに、いつも心配ばかりかけてごめんなさい」

 本当はアーサーはクロムウェル家の人間としてもっと堂々と振る舞うべきなのだろう。そうすれば、代官トーマスに好き勝手言われずに済む。だが、相手はこの村の代官であると同時に、幼い頃から師事した人物だ。アーサーはどうしても気後れしてしまうのだ。

「お前は本当にいい子だよ。ただ、優しすぎる。しかし、ここはもうクロムウェルの教会だ。トーマスに何か言われても、もっと強気に跳ね返していいんだ。お前にはそれができる強さがある。勇気を持ちなさい」

 ジャイルズは優しく微笑んだ。「だが、その優しく素直なところが、ペンストレイトとかクロムウェルとか関係なく、私がお前とエレイン様を支えたいと思った理由なんだよ」と言葉を続けた。

「ジャイルズさん……」

 項垂れたアーサーのくせ毛の頭に、老人の節くれだった手が優しく載せられる。その温かい感触が、無力感に沈んでいたアーサーの心に、再び頑張る活力を取り戻させた。

 聖ヒュー教会の司祭として、一日の最初にすべき公務を全て済ませたアーサーは、ついに朝食にありついた。

 食事をするための司祭館のホールにて。

 この広間には、部屋の隅に給仕のピーターが控えているだけで、大きな食卓に座るのは、アーサーただひとりだ。

「はあ……」

 目の前に置かれた食事を前に、アーサーは思わず深いため息を漏らした。

 今日のメニューは、薄いエール酒で煮たオーツ麦の粥に、粗挽きパン、そして硬いチーズ。ミサ後の断食明けの体には優しいが、成人男子の食事としてはどうにも心許ない。

 でも、物足りないのは献立だけじゃない。

 先ほどまで多くの信者たちと賑やかに触れ合っていただけに、この一人きりの食事時間は、耐えがたいほど寂しく感じるのだ。

 この司祭館で、アーサーが誰かと食卓を囲むことは滅多にない。

 貴族のルールでは、公の場である食堂で身分を超えた人間と食事をするのは許されない。家族や友人であろうと、格下の人間を軽率に招くことは、貴族という立場への侮辱であり、最悪家門に傷をつける行為とみなされるからだ。

 教会の権利を守るための「人質」としてここにいるアーサーは、常にトーマス代官の監視の目に晒されている。些細なマナーミスでも、すぐに相手に攻撃の隙を与えてしまう。だから、この何気ない朝食の時間でさえ、気を抜くことが許されない。

 せめて、母エレインと一緒に食べたい。

 だが、母は貴族ではない低い身分で、公には許されない私生児を生んだ女として、隠れて生きることを強いられている。食堂で席を共になど、もちろん許されない話だった。

 背後に控えるピーターも使用人という立場なので、アーサーと席に着くことは不可能だ。

 故に、アーサーはただただ、この孤独な食事時間に心底飽き飽きしていた。

(マジで理不尽だ……。  僕は庶子で本当は貴族じゃないのに、なんでこんな面倒な貴族のマナーを守らなきゃならないんだ?)

 クロムウェル家の財産を相続する権利もなく、貴族の自由はほとんど持てないのに、貴族の義務だけは果たせと強いられる。こんなに不公平な話があるだろうか。

 それでも、嫌でも貴族の義務を果たそうと努力しているからこそ、周囲はアーサーを「貴族の子」として尊重してくれる。

 こんな振る舞いだけで私生児の自分が尊重されるのなら、誰もがもっと尊重されても良いはずなのにと思ってしまうのはおかしいだろうか。

(そうしたら、みんなと楽しく暮らせるのに――)

 そんなことを考えながら、最後のチーズのひと欠片を口に入れ、アーサーは食事を終えた。

 小さき村の小さな教区。だが、業務を一手に引き受ける若き司祭アーサーにとって、一日の始まりは光速で過ぎ去っていく。

 まず向かうのは教会敷地内の診療所だ。

 管理者のシスター・マーガレットに患者の来所状況や流行り病の兆候を確認し、その場にいる患者たち一人ひとりに優しく挨拶を贈る。その手に触れ、簡潔な祝福を施すのが彼のルーティンだ。

 話しながら、ふと朝のミサで顔を合わせたきりのルーシーの姿が見えないことに気づいたが、今日は薬草の調合をすると聞いていた。仕事の邪魔をしてはならないと、口を開きかけた問いを静かに飲み込み、アーサーは診療所を後にした。

 その後は、事前に訪問希望を受けていた家々を巡る。

 夫婦の仲裁、老若男女の悩み相談、文字が読めない信者たちを集めての聖書朗読。若輩司祭であっても、アーサーはどんな小さな問いにも真摯に向き合った。

 若者の素直な優しさに触れた信者たちは、口々に感謝を述べる。

「ありがとう、アーサー様。心が軽くなりました」

「貴方のおかげで、神の存在をより近く感じられる」

「もう少し、頑張ってみようと思います」

 信者からの率直な喜び。その言葉一つ一つが、彼の疲れた身に注ぎ込まれる命綱であり、職務の原動力となった。

 だが、彼の善行を讃える尊敬の眼差しと同じだけ、無粋な好奇心と悪意ある侮蔑の視線も、アーサーの背中に突き刺さる。

「貴族の子と言っても、私生児でしょ」

「母親は伯爵の使用人だったらしい。未婚で子を産むなんて、どうしようもない女だ」

「生まれの罪を贖うには、神の道に進むしかあるまい」

 その心無い言葉が、容赦なく、無防備な耳に飛び込んでくる。アーサーは、常にそれらを見ないように、聞こえないように、完璧な司祭として振る舞うしかなかった。

各家庭への訪問を終え、昼のお祈りの前に司祭館へと戻ると、聞き慣れた声がした。

「アーサー様、お帰りなさい」

 声の主は、普段と違う外行きの恰好に身を包んだ教会使用人のマーサだった。その背後には、来客用の使用人衣装に替えた母エレインが控えている。アーサーは一瞬でこれから何が始まるのかを悟った。

「マーサさん。母さん……これから代官邸の交流会ですか?」

「そうですとも。ですのでアーサー様もご準備下さい。お昼もまだでしょう?」

 これから向かうのは、代官邸で開かれる『淑女たちの集い』だ。女性が数人集まる程度の交流会だが、昼食を抜いて備えなければならないほど、豪勢な食事が出る。だが、普段から質素な食事に慣れているアーサーは、正直それに参加するくらいなら、いつもの静かな食事で構わないと思っていた。

「申し訳ありません。僕もご一緒したいのですが、まだお昼のお祈りも聖務も残っていて……」

 駄目元で断ってみるが、マーサは来るのが当然だと言わんばかりに鼻の穴を膨らませて突っぱねた。

「そんなご冗談を。最近全然顔を出していらっしゃらないじゃないの。司祭としてのお仕事も大事ですが、貴族の子息として交流会を軽んじすぎてはいけませんわ! さあ、ご準備下さいまし!」

「……わかりました」

 どうやら拒否権はないらしい。アーサーは諦めて、手早く昼のお祈りだけを済ませ、出かける準備をした。

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