首頁 / 歴史幻想 / 神父と白い野獣 / #4.第一話「これが、僕の四角い世界」③

分享

#4.第一話「これが、僕の四角い世界」③

作者: あともす
last update publish date: 2026-07-09 18:57:30

 代官夫人ヘレナが月に数度開く「淑女の集い」は、元貴族の女たちが、自分たちの失われた地位を再現するための「貴族ごっこ」だった。それは、厳格なマナーと閉鎖的な空間を持つ閉じた劇場であり、その指導を完璧にクリアした者には、立身出世の切符が与えられる。  アーサーは、そんな場でただ一人の男性参加者だった。正式な社交界には出られない私生児の彼にとって、ここは貴族のマナーを実地で学ぶ数少ない練習の場だったのだ。

 代官邸の応接間であるパーラーの扉が開かれ、正装を身にまとったアーサーが入室した瞬間、その場にいた女たちの視線が一斉に彼へと注がれた。

 昼間でも若干薄暗い室内で、普段の地味な司祭服からは考えられないほど端正なその姿は、場の空気を一変させた。深いフォレストグリーンの上着の輝きは木漏れ日のようであり、肩より上の深紅の帽子(シャペロン)の赤は、彼の内に秘める情熱のように鮮やかだ。

 アーサーはシャペロンを脱いで従者に渡すと、優雅な歩みで進み出て、主宰であるヘレナの椅子に手を掛け、静かに引いた。

「どうぞお座りください」

 その姿に見惚れていたヘレナは、声を掛けられるとハッとして、慌てて席へと座った。

 それを皮切りにアーサーは順々にテーブルに沿って並べられた席を引き、女たちを座らせると、最後にヘレナの側にある席に戻って自分も腰掛けた。

 スラリと姿勢良く腰掛けた横顔は、大人びた髪型と相まって伯爵令息の名に恥じない紳士そのものだった。それでいてそばかすの散る頬には少年のあどけなさが残り、それが女たちの母性をくすぐるのだ。

 飾られた人形を愛でるようにアーサーの顔を見ていた夫人の一人は、彼の明るい緑の眼差しと、ニコリとした微笑みを返されてしまい、思わず慌てて視線を逸らし扇子で顔を隠した。

 すっかり場の空気を持って行ってしまったアーサーの様子に、ヘレナは面白くなさそうに内心ムッとした。彼女は小さく咳払いをして、声を上げる。

「皆様。本日はお日柄も良く、無事『淑女の集い』を開催できたことを嬉しく思います。人々の手本となる成熟した女として、美しく優雅にお楽しみくださいませ」

 乾杯の音頭と共に宴はゆったりと始まった。

 ヘレナが優雅に声を上げると、お茶と菓子が運び込まれ、ようやく歓談が始まった。だが、その会話は表面的な美しさと裏腹に、アーサーにとっては張り詰めた拷問の時間だった。

「アーサー様、フォークの角度が1度違いますわ。王都の社交界では、その程度の歪みも嘲笑の種ですよ」

 ヘレナが優雅な笑みを浮かべたまま、重箱の隅をつつくような指摘をする。

「あら、本当に。それから、今日はもう司祭館の備品リストは確認しました? 万が一不備があっては、このグリーブ地のクロムウェル家の名に傷がつきます」

 マーサがそれに加勢する。彼女たちは、アーサーが伯爵の私生児であること、そして代理司祭という不安定な立場にあることを知っていて、わざと王都の貴族としての完璧さや、司祭としての行政能力を執拗に問いただしてくるのだ。

 アーサーは内心で胃がキリキリと痛み出すのを感じながら、汗が滲む手にカップを握りしめ、苦笑いでそれらをかわすしかなかった。

 そんな中、給仕の時間が訪れた。

 来客用の使用人衣装姿の母、エレインが、ヘレナの席へと近づき、静かにポットから紅茶を注ぐ。

「エレイン。もう少し熱い湯を。あと、そのお盆の縁についている埃が見えないの? 貴族のご婦人方にお出しするものですから、完璧になさい」

 ヘレナはわざとアーサーの耳に届くよう、厳しく、冷たいトーンで母を叱責した。母は顔色一つ変えず、恭しく頭を下げる。

 その光景に、アーサーの心臓はギュッと締め付けられた。

 昼間、トーマスに嘲弄されるのは耐えられる。だが、母が自分の目の前で給仕の役割を強いられ、見下されることは、堪え難い屈辱だった。豪華な食事の香りさえ、今や鉄の味がする。

 鬱々とした気持ちのまま、アーサーが機械的に食事を口に運んでいると、女たちが交わす様々な話題が耳に入って来る。

 主に村で起きた物事について、実際に見た話はもちろん。いちの推論を十に膨らませたりと真偽の怪しい話が楽し気に飛び交っている。

 ほとんどはアーサーにとって興味の無い内容ばかりだが、たまに面白そうな話も混じっていたりする。

 例えば、『最近村に流れて来た流浪人』の話とか。

 旅行記とか冒険譚が好きなアーサーは思わずその流浪人の話に聞き入ってしまう。

「例の流浪人がね、先日村の男たちと……」

 流浪人が、何だって? 興味深い話に思わずアーサーは女たちの会話に混じる隙をうかがってみるが──。

 その時、向かいに座っていた中年の夫人が、アーサーに身を乗り出してきた。

 彼女の動きにアーサーの聞き耳は完全に寸断され、残念に思いつつ、夫人へと向き直った。

「アーサー様は、本当に素敵でいらっしゃる。まるで絵から抜け出てきたようね。ところで、司祭様は、夜はお一人で寂しくないのかしら?」

 彼女は、マナーとは全く関係のない、個人的な、誘いを匂わせるような問いかけをした。

 アーサーは、これが社交界の「駆け引き」や「口説き文句」であるとは教えられていない。彼は、これを教会の司祭に対する真面目な相談だと受け止めてしまった。

「ええと……」

 アーサーは真剣に考え込んで答えた。

「寂しさとは、信仰を通じて埋めるべきものです。僕は毎日、聖務と勉学で忙しく、寂しさを感じる暇はありません。もし、貴女が孤独を感じていらっしゃるのであれば、ミサへの参加をお勧めします」

 彼のあまりにも真面目な受け答えに、夫人たちは一瞬固まり、次の瞬間、堪えきれないといったように、くすくすと笑い声を漏らした。

「まぁ、真面目で可愛らしい!」

「私たちの孤独を、信仰で埋めてくださるんですって。奥ゆかしいわね」

 女たちは扇子で口元を隠し、アーサーの反応を観察して楽しんでいる。彼女たちは、純粋な彼の困惑した表情を見て、さらに面白がっているのだ。

「では、夜は読書をなさっているの? 私なら、毎晩あなたの読み聞かせを聞きに行きたいのだけれど」

 別の夫人が、甘ったるい声で追い討ちをかける。

 アーサーは、読書は個人的な趣味であり、聖務ではないと慌てて否定した。

「夜間の訪問は司祭として適切ではありませんし、読み聞かせをするにしても、教会の書物は娯楽向きではありません。もしよろしければ、ジャイルズ司祭長がお勧めの、宗教的な物語をお教えできますが……」

 彼は、真面目に解決策を提示しているつもりだったが、その純粋な受け答えこそが、女たちをさらに夢中にさせていた。アーサーの真剣な困惑と、それを楽しむ女たちの視線が、彼の精神を容赦なく削っていく。

(早く、早くここから抜け出したい……!)

アーサーは九時課、昼下がりのお祈りを理由に中座する時間まで、まだ数時間もあることに絶望した。

 胃がキリキリと痛み、優雅な貴族の服の下で、アーサーの心は既に限界だった。女たちの甘い視線と、ヘレナの針のように鋭い指摘が、彼の精神を容赦なく削っていく。

「――皆様、申し訳ございません」

 アーサーは意を決して、テーブルから立ち上がった。女たちの視線が一斉に彼に集まる。

「九時課(None)の祈りの時間が迫っております。教会の聖務がありますので、ここで中座させていただきます」

 ヘレナは不満を隠しきれない顔をしたが、聖務という大義名分を崩すことはできない。

「まぁ、聖務とあらば仕方ありませんわね。ご熱心なことで。どうぞ、神のお導きを」

 皮肉のこもった言葉だったが、アーサーは深々と頭を下げた。これが、今の彼にできる精一杯の抵抗だった。

「マーサさん、僕は先に帰りますが、あなたも早く教会に戻ってくださいね」

 アーサーは母エレインを気にかけつつ、マーサに声をかけた。

 マーサは、優雅にカップの紅茶を飲み干しながら、優越感に満ちた目で答えた。

「いいえ、アーサー様。私はまだ夫人方と楽しい歓談が続きますので。使用人と言えど、ペンストレイトの者としての立場もありますし。先にお戻りくださいまし」

(何が立場だ。彼女はここで、自分たちが貴族であるというごっこ遊びを続けていたいだけに過ぎない)

 アーサーは内心そう思いながらも、この場で彼女を連れ出すことはできなかった。母エレインが奥で控えているのを一瞥し、苦々しい気持ちを飲み込んでパーラーを後にした。

 帰りの馬車を断って代官邸の重い門を出た瞬間、爽やかな春の空気がアーサーを包んだ。薄暗い天井の無い、抜けるような青い空を見上げるとやっと、あの閉鎖的な空間から逃げ出せたという安堵が、全身を駆け巡った。

(流石にこの時期ともなると、外を歩くにはこの格好は暑いな)

 日中の日差しの下を歩くのに、この通気性の悪い上着を直ぐにでも剝ぎ取ってしまいたい衝動に駆られるが、生憎大量のボタンで彩られた上着をこの場で自力で外すのは少々困難であり、げんなりした気持ちになる。

 こんな事なら大人しく馬車で帰れば良かったと思ったが、そんな事をすれば未だ淑女の集いを楽しんでいる、ペンストレイトの息がかかった傲慢な使用人マーサに後で何を言われるか分からなかった。

 きっと『司祭様、お祈りには間に合いました? 大丈夫ですよね。馬車なら教会まで直ぐですもの。ああ、私どものことは気になさらないで下さい。使用人の鍛えられた足なら、馬車馬に負けたり致しませんわ』などの嫌味を言って来るだろう。

 だったら、馬車は女たちに残してアーサーは大人しく歩いて帰ることを選ぶ。

 暑苦しい深紅の帽子を脱ぎ、通気性の悪い上着の首元を緩めつつ、そんな事を考えながら歩き出したアーサーだったが、村の広場を過ぎたあたりでふと足を止めて立ち尽くした。 暑苦しい深紅の帽子を脱ぎ、通気性の悪い上着の首元を緩めつつ、そんな事を考えながら歩き出したアーサーだったが、村の広場を過ぎたあたりでふと足を止めて立ち尽くした。

 アーサーが進む先の視界に、教会の入り口へと続く石畳を必死に磨いているルーシーの姿が飛び込んできたからだ。

「……っ」

 思わず駆け寄りそうになったアーサーの足が、ぴたりと止まる。

 ルーシーは、木桶に入った濁った水で何度も布を絞り、四つん這いで硬い藁を束ねたタワシで必死に歪な平石の汚れを落としていた。その背中には、村の監視役が投げかける「もっと手を動かせ!」という鋭い怒声が浴びせられている。

 その光景にアーサーの背筋が凍り、血が沸騰するかのような怒りを覚えたが、咄嗟に怒鳴りつけそうになった唇を噛み締めて閉じ、駆け出しそうになる足を抑えてその場に踏ん張り堪えた。

(助けたい。でも……)

 今のアーサーは、最高級のフォレストグリーンの正装に、鮮やかな深紅のシャペロン帽を手に持った「伯爵令息」の姿だ。

 ここで彼が声をかければ、ルーシーは「高貴な坊ちゃんに色目を使った」と、余計に厳しい仕打ちを受けることになる。今の自分には、ただの司祭として振る舞うことすら許されない。

 ただ、『完璧な貴族』を演じて通り過ぎることだけだった。

 アーサーは唇を噛み締め、視線を真っ直ぐ前に向けたまま、彼女の横を通り過ぎる。

 心の中では何度も謝りながら。

 ようやく教会の敷地内に入ると、一羽の隼が鋭い鳴き声を上げて舞い降りてきた。

「――アーサー様! お帰りなさいませ!」

 教会の敷地に入るなり駆け寄ってきたのは、村の上役の娘、アリスだった。彼女の手には、アーサーの愛鳥ノヴァがいる。

 彼女は恐らく、奉仕作業の途中だったのだろう。人目を気にしてるとは言え、友人に『様』付けで呼ばれるのは少々心淋しいが仕方ない。

「アリス……」

「まぁ、そんなに顔色を悪くして。またあの交流会で、意地悪なことでも言われたのでしょう? さあ、ノヴァも心配していますよ。少し休んでくださいな」

「……うん」

 代官邸のことは兎も角、ルーシーのことを話題に出せずに曖昧に笑う事しか出来ないが、それでもアリスの屈託のない笑顔と、ノヴァの温かい羽の感触を感じていると、すべての痛ましい出来事で凍りついていたアーサーの心が、ここでようやく少しだけ、溶け始めるのを感じた。

 司祭としての聖務は、無力なアーサーの存在に少なからず意味を与えてくれていると感じている。

 名ばかりの責務ばかり押し付けられる伯爵家の貴族の血筋や正装では、アーサーの愛すべき友や家族を守ることは出来ないが、神の後ろ盾の前では誰もが形ばかりでも誰もがアーサーの言葉に耳を傾けてくれる。

 夜のミサでは昼間の意趣返しと言う訳では無いが、力あるものがそれを振りかざして力無きものを虐げてはいけない、力ある者こそ弱き者への配慮をかかしてはいけない。それが正しい力の使い方だと説いてみたりした。

 しかしそれは『貴族の立場』に負けてルーシーを見捨てたアーサーにとっては自虐に他ならなかった。

 何も知らない村民たちにはアーサーの理想が響くのか、涙を流す者もいたが、伯爵の私生児として、人質としての実情を知る者からの視線は冷ややかだった。

 その後、いつもより饒舌なアーサーへ向けられる蔑みの感情はミサの間、静かに止まず、神の詩編をもってしても薄れる事は無かった。

 アーサーはそれでも良かった。司祭の時だけは理想を語ることだけは許されるのだから。

在 APP 繼續免費閱讀本書
掃碼下載 APP

最新章節

  • 神父と白い野獣   #22.5.五話の補足:村の裁きと荘園裁判―ルーシーはなぜ危なかったのか

    その一 村人たちの「裁き」は、まだ裁判ではない ルーシーが広場で責め立てられる場面は、かなり危険な状態です。村人たちは「毒だ」「診療所の薬のせいだ」と騒ぎ、ルーシーを犯人のように扱っています。けれど、これはまだ正式な裁判ではありません。 中世の村では、事件が起きると人々が集まって騒ぐこと自体は珍しくありませんでした。誰かが叫べば近所の者が駆けつけ、怪しい者を探し、被害の状況を確かめようとします。村は小さな共同体なので、良くも悪くも「みんなが見ている」世界です。 ただし、その場に集まった人々の怒りが、そのまま正しい判断になるとは限りません。むしろ、身寄りのない者、よそ者、普段から立場の弱い者は、こういう時に真っ先に疑われます。 ルーシーの場合もまさにそれです。孤児で、後ろ盾が弱く、診療所の仕事に関わっている。しかも薬草を扱っている。村人から見れば、「あの娘が間違えたのではないか」と決めつけやすい条件がそろっています。 恐ろしいのは、証拠がそろう前に、村の空気だけで「犯人」が作られてしまうことです。石を投げる。髪を掴む。罵る。無理や

  • 神父と白い野獣   #22.第五話「守るべき者」③

     アーサーは解放されたルーシーとアリス、そして流浪人を連れて教会へ戻った。  石造りの静かな会堂に入ると、アーサーは改めて流浪人へと向き直った。 「感謝します。貴方のおかげで、大切な友人を救うことが出来ました」  アーサーが深く頭を下げると、アリスもそれに習い頭を下げた。  ルーシーに至っては流浪人にしがみついて泣きながら感謝を伝えた。 「本当に有難うございます、流浪人さん。私、貴方に何度命を救われたか分かりません!」  本日二度目となる『抱き着かれて泣かれる』事態に、流浪人は居心地悪そうにする。 「……俺は大したことはしてない」とぶっきらぼうに答えると、ルーシーを剥がして立ち去ろうとした。  それをアーサーが服を引っ張って引き留める。 「あの、やっぱり僕は貴方と友達になりたいです」 「……そういうのが迷惑なんだよ」  流浪人はアーサーの手を振り払い、再び背を向けた。しかしアーサーは食い下がった。 「ではせめて、お名前を教えてください。僕の名前はアーサー・ドミニク・クロムウェル。このヒュー教会の司祭です。貴方のお名前は?」  その真っ直ぐな追及に、流浪人は根負けしたように肩を落とし、渋々と言葉を落とした。 「……ウルフだ」  今度こそ彼は去り、闇の中に消えていった。 「聞いた!? 彼、ウルフって言うんだって!」  やっと聞き出した名前に、アーサーは目をキラキラさせて少女たちと騒ぎ出した。  だがその歓喜を、奥から現れたピーターの叱声が切り裂く。 「アーサー様! こんな夜更けに何事ですか。騒いでいないで、飛ばしてしまった晩のお祈りをして、神に感謝を捧げなさい。アリスもルーシーも、無事を主に報告するのです!」 「はーい」  ピーターに叱られ、三人は首

  • 神父と白い野獣   #26.14世紀イギリスが十倍楽しめる!アッシュワース村ガイド⑥

    ■14世紀のカソリック聖職者の衣装について Ⅰ.儀式用の服(祭服) 14世紀イングランドで主流だった「サラム典礼」に基づく構成です。 チェジブル(上祭服):最上位の服。袖のないマント型。 14世紀イングランドでは、色よりも「布の豪華さ」が優先され、祝日には「その教会で一番良い服」を着ました。また、四旬節には紫ではなく「灰色のリネン」を用いるのが一般的でした。 ストラ(帯状の布):首から垂らす細長い帯。司祭の権威の象徴。 マニプル(腕帯):左手首にかける短い帯。 アルバ(長白衣):足首まである白いリネンの長袖チュニック。 【特徴】 14世紀には、アルバの裾や袖口に「アパレル」と呼ばれる刺繍を施した布を縫い付けるのが流行していました。 アミス(肩衣):首回りに巻く白い布。Ⅱ.日常生活の服(平服):村の司祭の実態 アーサーが普段村で着ている、より現実的な服装です。 カソック(長法衣):足首までの丈がある長袖の服。 当時のカソックは現代のような真っ黒ではありません。14世紀の村の司祭は、未染色の羊毛(褐色や灰色)、あるいは濃紺や暗い茶色のウールを着ていました。 現代のようなボタンが並んだタイトな形ではなく、もっとゆったりとした「ガウン」や「チュニック」に近い形状で、上から被るか、紐で結ぶタイプが主流でした。 クローク(外套):寒冷なイングランドで屋外に出る際に羽織るウールのマント。フード付きが多く、雨風をしのぐための必需品です。 Ⅲ.下級聖職者(教区書記など)の服装 衣服: 司祭と同様のカソック(長法衣)を着ますが、アルバやチェジブルを着てミサを執り行う権限はありません。 トンスラ(髪型):規則では頭頂部を剃ることになっていましたが、多くの聖職者が不精をして髪を伸ばし放しにしている事が多く、司教が来る時だけ慌てて剃るという実態が当時の文献で皮肉られています。 ◎アーサーとトンスラ ちなみにアーサーはトンスラをしていません。 キリスト教に帰依してはいても、トンスラはあまり好まなかったようです。 大学時代など、人目のある場所ではしてい

  • 神父と白い野獣   #21.第五話「守るべき者」②

     ルーシーには、自分が無実である確信があった。  患者の症状から、ジキタリスと間違えてドクニンジンが混入された薬を摂取したのは明白だった。  だが、ルーシーは最近ジキタリスを採取していない。ましてやドクニンジンが生えているような水辺での作業など、ここ最近は一切行っていなかった。  つまりこれは、完全な言いがかりだ。  犯人ではない以上、いわれなき冤罪を受け入れるわけにはいかない。  ここで認めたら最後。親が無く、荘園の民として相互保証の後ろ盾のないルーシーは即座に死刑が決定してしまう。  毒殺は、相手が防御できない「不意打ち」であり、かつ「食事を共にする」という信頼を裏切る重罪──ましてや身寄りのない下層民が村人に毒を盛ったと確定すれば、慈悲の余地など欠片も望めない。 (私、死んじゃうの?)  何度か罪人が首吊りになる光景を見たことがあり、怖くて眠れなかった。今度は自分があそこに吊られるというのだろうか。もしかしたら魔女として火あぶりにされる可能性もある──そんな事、あってはならない。  だからこそルーシーは必死に抗っているし、おかげで村はこの大騒ぎになっているのだ。  濡れ衣を拒む理由は、他にもあった。  今まで懸命に働いて積み上げた信頼を失いたくないし──何より、アーサーにこの騒ぎを知られて、失望されたくなかった。  こうなったら駄目で元々。徹底的に抵抗してやろう。  それで殺される前に裁判にでも持ち込んで、アーサー兄さんとアリス姉さんだけでも自分の潔白を信じてくれるなら、ルーシーも諦めがつくかもしれない。  いや、きっと二人は信じてくれるし、命を救おうと尽力してくれるだろう。  彼らさえ味方でいてくれるなら、死刑になっても構わない。  けれど、誰かの嘘によって、アーサーに失望されることだけは……それだけは、何としてでも避けたかった。  ルーシーはその一心で、厳しい尋問に耐え続けた。  視界の端では、トーマスが相変わらず冷静に成り行きを見守っている。  いつの間にか彼の側にはアッシュワースの村長バーソロミューも立っており、

  • 神父と白い野獣   #20.第五話「守るべき者」①

     その日の夕暮れ、一日の農作業を終えた男は、重い足取りで診療所に立ち寄った。 「……これを。寝る前に煎じて飲んでくださいね。楽になりますから」  薄暗い診療所の軒先で、手伝いの女性から薬草の包みを受け取ると、男は軽く会釈をして家路を急いだ。  家では、質素ながらも温かい家族との食事が待っていた。  食後、妻が薪の火で丁寧に煎じてくれた薬を、男は何の疑いもなく飲み干した。 「ふぅ、これで明日には少しは身体が軽くなればいいんだが……」  そう言って一息つこうとした、その直後だった。  男の顔から、みるみるうちに血の気が引いていった。 「……あ、がっ、う、ううぅ……!」  突如として胃を掴まれたような激痛に襲われ、男は自分の腹を抱えたまま、椅子をなぎ倒して床に崩れ落ちた。 「あなた!? ちょっと、どうしたの!」  妻が悲鳴を上げ、駆け寄る。  男は全身から嫌な汗を噴き出し、喉をかき鳴らしながら、脂汗を浮かべて畳みかけるような苦しみにのたうち回った。 「お父ちゃん! お父ちゃん!」  子供たちの泣き叫ぶ声と、狂ったように助けを呼ぶ妻の叫びが、静まり返った夜の村に響き渡った。  戸を叩く音、駆けつける隣人たちの足音。  倒れた男を囲んで「毒だ!」「診療所の薬を飲んだせいだ!」と叫ぶ野次馬たちの怒号が重なり、アッシュワース村は一晩にして、逃げ場のない不穏な熱狂に包まれていった。 ルーシーが村人に毒を盛った――その報せを聞いた瞬間、アーサーは診療所前の広場へと飛び出していた。  だが、そこまでだった。 「──……ッ!」  野次馬の怒号を掻き分け、中心で震えるルーシーに駆け寄ろうとしたアーサーの足が、凍りついたように止まる。  人垣の向こう、代官トーマスの冷徹な視線がアーサーを射抜いたのだ。 ――(余計な真似をするな、坊ちゃん)

  • 神父と白い野獣   #19.14世紀イギリスが十倍楽しめる!アッシュワース村ガイド④

    3. 教会 ・アーサー(司祭): 精神的な指導者ですが、経済的には村人から**十分の一税(Tithes)**を徴収する立場でもあります。■人々の生活に欠かせないミサについてまとめました。 ◎朝のミサ 14世紀のイングランドにおける平日の朝ミサ(Low Mass / 低ミサ)は、日曜日の盛大なミサとは異なり、非常に静かで、司祭の「個人的な献身」に近い形で行われていました。 アーサーが毎朝、夜明け頃に行うミサの具体的な進行を解説します。 ◎ 朝ミサ(低ミサ)の特徴 言語: すべてラテン語です。 音楽: 原則としてありません(無言、または司祭が唱えるのみ)。 補助者: 侍者(ピーターのような雑務係)が一人つけば十分です。 位置: 司祭は常に**祭壇に向かって(信徒に背を向けて)**執式します。 ◎ 朝ミサの進行スケジュール(所要時間:約30分) 1. 準備と入祭 身支度: アーサーはサクリスティ(祭具室)で、日常着のキャソックの上に、アリスが整えたかもしれない白いアルバと、その日の典礼色のカズラを重ね着します。 入祭: 聖杯(カルリス)を手に持ち、侍者を連れて静かに祭壇へ進みます。 祭壇下での祈り: 祭壇の階段の下で、自分の罪を告白する祈り(コンフィテオル)を低く唱えます。2. 言葉の典礼(教えの時間) キリエ・エレイソン: 「主よ、憐れんでください」と9回唱えます。 集会祈願: その日のための短い祈りを唱えます。 書簡と福音: 聖書の特定の箇所を音読します。平日なので説教(村人への話)は省略されることが多く、アーサーはただ淡々とラテン語の聖句を読み上げます。 3. 感謝の祭儀(ミサの核心) 奉納: パンとワインを神に捧げます。 聖変化(コンセクラティオ): ミサの中で最も神聖な瞬間です。 アーサーが「Hoc est enim corpus meum(これはわたしの体である)」と唱え、パン(ホスチア)を高く掲げます。 鐘(サンクタス・ベル): 侍者が小さな手持ちの鐘を鳴らし、近くにいる村人に「今、パンがキリストの体に変

更多章節
探索並免費閱讀 優質小說
GoodNovel APP 免費暢讀海量優秀小說,下載喜歡的書籍,隨時隨地閱讀。
在 APP 免費閱讀書籍
掃碼在 APP 閱讀
DMCA.com Protection Status