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第四十五話:慧の「咎」①

Auteur: 花柳響
last update Dernière mise à jour: 2025-12-03 22:00:00

「さよなら、燈」

 腐敗した地下の空気に溶けるよりも早く、泥の縁から一歩を踏み出した。

「燈!!」

 裂帛の気合と共に伸ばした手は、黒い泥の巨像には届かない。

 目の前で繰り広げられているのは捕食ですらない。もっと冒涜的な「融合」の儀式だった。

 泥人形――かつて朱鷺燈の形をしていた「ウツロ様」の端末が、廻慧という極上の「餌」を飲み込むべく、不定形の身体を脈動させ膨張していく。

「いやぁぁぁぁッ! 離して! 離しなさいよォッ!」

 慧の絶叫が地下空洞の天井に反響し、幾重にも重なった不協和音となって降り注ぐ。

 半ば空中に浮いた身体は、泥人形の胸部から伸びた無数の触手によって、蜘蛛の巣に絡め取られた蝶のように拘束されていた。

「静さん! 警察! 警察を呼んで! これ、殺人よ! トリックを使った殺人!」

 締め上げられた喉から、ヒューヒューと空気を漏らしながらも、慧は叫ぶことを止めない。

 瞳孔は開ききり、白目には毛細血管が浮き出ている。恐怖で顔面は蒼白になり、脂汗で髪が額に張り付く。それでも口をついて出るのは「トリック」「殺人」という、彼女の理解できる世界の言葉だけ。

 認めるわけにはいかないのだ。認めてしまえば、築き上げてきた「正義」と「論理」の城が音を立てて崩れ去る。

 だが、現実は無慈悲に理性を侵食する。

 泥人形の表面に浮かび上がった無数の「目」。老若男女、数百人分の死者の眼球が一斉にギョロリと動き、至近距離で慧を見つめた。

 瞳に憐れみも怒りもない。あるのは純粋な「食欲」と、頑なな自我をへし折ることへの嗜虐的な悦びだけ。

『……いた……い……』

 泥の中から呻き声が漏れた。

 燈の声ではない。もっと湿った、女の声。

 慧の動きが痙攣したように止まる。記憶の蓋が、内側から激しく叩かれたからだ。

『あの子を……返して……』

 脳裏に焼き付いた映像が明滅する。数年前に取材した、閉鎖的な村の拘置所。鉄格子の向こうで髪を振り乱し、虚ろな目で虚空を睨む母親の姿。

 記事によって「児童虐待の犯人」と断罪され、全てを奪われた女。自ら舌を噛み切って死んだ彼女の最期の呪詛が、地下の汚泥の中から鮮明に
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