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第403話

Author: 風羽
冬の朝。

周防夫人は早くに起き出した。

冬の空気は薄く、吐く息が白い。

正月を間近に控えた周防家の屋敷では、使用人たちが買い出しや支度に奔走していた。

中庭を車が行き来し、黒い排気が途切れることなく上がっている。

賑やかさの中に、ふと孤独の影が差す。

二階のバルコニーに、黒い服を身にまとった輝の姿があった。

祝い事には似つかわしくない装いだが、その高く引き締まった背筋と、周防家譲りの整った顔立ちは、見る者の目を引く。

けれど、その横顔には沈んだ寂寥が漂い、年の瀬を迎える人間にも、ましてや結婚を控えた男にも見えなかった。

その様子を目にした周防夫人は、足早に通りかかった寛の妻を呼び止めた。

「輝、どうしたの?あんな暗い顔をして……もうすぐお正月でしょ。茉莉ちゃんも冬休みに入ってるはず。なんで呼んで一緒に過ごさないの?」

その言葉に、寛の妻は小さくため息を漏らした。

「私だって会いたいわ。でも、輝がね……瑠璃が結婚したから、これからは何かと難しいって。つまり、このままじゃ孫娘とも会えなくなるってことよ。

それに絵里香は子どもができないでしょう?……このままだと、私たちの家系はここで途絶えるのよ。毎晩夫とその話になると、眠れなくて……」

彼女はさらに続けた。

「イギリスから帰ってきたときも、輝は瑠璃に冷たい顔をしていた。もしあの時、彼女が歩み寄ろうとしても、あれじゃ気持ちも折れるわ。女って、そんなに強くないもの。その後はうまくいくかと思ったのに……

あの日、輝が帰宅して荷物をまとめていた顔はまるで春風に浮かれたようで、夜も帰らなかった。きっと瑠璃と一緒にいたんだって、私も安心したの。ところが、ひとたび出張に行ったら、もう別の相手……感情を、何だと思っているのかしら」

礼の妻は、心の中である言葉を反芻していた。

——途絶える?

いや、輝にはもう新しい子がいる。でも、その子の姓は岸本……

周防夫人は心に引っかかるものを押し隠し、わざと明るく言った。

「でも、絵里香も素敵な人よ。愛のためなら、何だって犠牲にできる」

「誰も犠牲なんて求めてないわ」

寛の妻は冷ややかに返した。

これ以上は危ないと感じ、礼の妻は口をつぐむ。

やがて、寛の妻は話題を切り替えた。

「お土産をいくつか買ったの。見てくれない?若い子が喜びそうなものを選びた
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