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第457話

Author: 風羽
赤坂家は、結局のところ輝の存在を受け入れるしかなかった。

追い出そうにも叶わず、打ち倒そうにもできない。

彼はこの家に根を下ろしたのだ。

外の世界では、確かに噂が飛び交っていた。

だが、彼が翔和産業に二千億円規模の契約をもたらした事実、そして背後には周防一族が控えていること。

なかでも周防京介の冷酷さを恐れぬ者はおらず——輝様の道を邪魔する者など、命がいくつあっても足りはしない。

そうして立都市の社交界は、口を閉ざした。

ただ、家の中では微妙な距離感が続いた。

瑠璃は輝を追い出そうとはしなかったが、ほとんど言葉を交わすこともない。

それは憎しみからではなく、この関係のあまりに突飛さを思えばこそ。無力感に包まれていた。

幸い、輝は一線を越えることなく、礼節を守り続けていた。

……

輝は二つの会社を切り盛りしていた。

日中は息つく間もなく駆け回り、代わりに専門スタッフを手配して家を支えたが、夜八時には必ず帰宅し、子どもたちと過ごした。瑠璃の無事を確かめてから、書斎に籠り仕事を片づける。

眠りに就くのは決まって深夜一時。

翌朝七時にはまた子どもたちと庭を散歩し、肥えた小さな美羽をブランコに乗せてやる。

ある朝、輝はうたた寝してしまい、ふと目を覚ますと、茉莉が静かに傍らに腰かけていた。

その腕の中では、美羽が白くふっくらした頬を彼の胸に押しつけ、よだれを垂らしながら気持ちよさそうに眠っていた。

茉莉が囁く。

「パパ、美羽はあなたのことが大好きだよ」

夢の中でも美羽は「パパ」と呼んでいた。

輝は思わず目を細め、黒髪を撫でてやり、ふっくらした頬にそっと口づけた。

実のところ、彼もこの幼い子が愛おしくてたまらないのだ。

傍らの茉莉がその様子を見て、嬉しそうに微笑んだ。彼女もまた、美羽のことが大好きだった。

八月の終わりの朝、頬を撫でるように清風が吹き抜ける。

二階のバルコニーには、清らかな少年の姿——琢真が、静かにその光景を見下ろしていた。

……

その夜、輝には大切な会合があった。

翔和産業の長らく進展のなかった交渉は、幾度もの折衝を経て、新たな局面を迎えていた。

相手方の商社に新しく就任した女性副社長がこの案件を高く評価し、強い関心を示したのだ。

その夜、翔和産業は相手側の代表団を迎えて会食を催し、彼女も席に加わった。
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